第15話
「別働隊として精鋭一個大隊を編成しエンデに向かわせよ。極秘裏にだ」
皇帝とエンデ側との会談が正式に決定した直後、オッペンハイム公は腹心のヒルデスハイム伯に内々に指示を下した。
一個大隊の構成人数は凡そ五〇〇人。オッペンハイム公の軍全体で見ればさほど大きな数ではないが、今の緊迫した情勢を考えれば軽々に動かしてよいものでもない。
ヒルデスハイム伯は無表情を崩さぬまま冷静にその意図を確認した。
「……閣下。ご指示そのものに否やはありません。しかしこの時期に敢えて軍を動かす戦略的な意図をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
「うむ」
敢えて確認せずともヒルデスハイム伯はオッペンハイム公の意図を察していた。しかし理解出来ているからといって確認を怠るのは傲慢であり無能の証だ。わかりきったことであっても敢えて口頭で確認すること自体に意味がある。
組織人として揺るがぬ軸を持つヒルデスハイム伯の振る舞いにオッペンハイム公は満足げに頷きを返し、口を開いた。
「我はこの会談に合わせてエンデで何かことが起きる可能性が高いとみておる。その展開次第ではエンデの支配者が挿げ代わることもあり得よう」
「……閣下は会談に何か裏があるとお考えで?」
「ない筈がない」
オッペンハイム公は即答した。
「そもそもレオンハルトがしゃしゃり出てくる時点で怪しさしかないわ。誰かに唆されたか奴本人が何か企んでおるのか……決別したように見せかけて裏で兄上と繋がっているという線も捨てきれん」
公の声音からは甥っ子への非好意的な感情が滲み出ている。ヒルデスハイム伯は公が感情的にならないよう、敢えて思ってもいないことを口にして風を入れた。
「しゃしゃり出たというより、エンデ側が仲介を要請した可能性もあるのでは?」
「あり得ぬ。この状況でわざわざレオンハルトに頼る意味がどこにある? 奴本人が売り込まねば利用価値どころか存在さえ忘れられていたであろうよ」
流石にそれは言い過ぎだと思うが、オッペンハイム公は甥っ子への悪態を吐いて少しだけスッキリした様子だった。
「……つまり、閣下は何者かがエンデに計略を仕掛ける目的でこの会談を開催させた、とお考えなのですな?」
「うむ。最初はゴドウィンが標的という線も考えたが、奴本人にそれほどの価値があるとは思えん。であれば会談に意識を向けさせ、その隙にエンデで何か企んでおると考える方が自然よ」
ヒルデスハイム伯は自分とオッペンハイム公の認識の一致を確認して小さく頷きを返す。
つまりオッペンハイム公が指示した別働隊とは、その混乱に乗じてエンデを占拠するための戦力ということだ。だがそこには一つ懸念がある。
「……陛下が裏で糸を引いていた場合、こちらが派遣した部隊と衝突する可能性がございます。エンデ側の防衛戦力も含めて考えれば一個大隊では不安がありますまいか?」
それまで淀みなく答えていたオッペンハイム公が顔を顰める。予想外の指摘を受けたというより、分かっていたがどうしようもない問題点を指摘された表情だ。
「──その懸念は正しい。だが監視の目を掻い潜って送り込めるのは一個大隊が限界であろう。我らも、兄上も。またエンデ側も襲撃を警戒していないはずがない。我らがエンデを押さえることができれば最良だが、最悪兄上の一人勝ちにさえならねば良いのだ」
「……かしこまりました」
是が非でもこの機にエンデを手中に収めよと指示されれば頭を抱えるしかなかったが、その程度なら問題はない。
とは言え展開次第で自分たちがエンデを占拠できる可能性が無いわけではないし、最初から妨害だけに専念させるのも消極的に過ぎる。別働隊の指揮を誰に任せるか。政治的な視点も有し臨機応変に判断を下せる者となればあまり選択肢もないが──
「あまり欲張り過ぎぬようにな、ヒルデスハイム伯」
思考に没入しかけたヒルデスハイム伯に釘を刺すようにオッペンハイム公が告げる。その意味が理解できず伯は首を傾げた。
「……それはどういった意味でしょう?」
「何。先ほど兄上の一人勝ちにさえならねば良いとは言ったが、それも少し言い過ぎたと思ってな。本当に最悪の事態となればそれに拘る必要もない。状況次第ではエンデで何が起きたか情報収集に専念し、正確な情報を持ち帰ることを最優先にせよ、と別働隊の指揮官には厳命しておけ」
誰よりも成果を重視する武断的な上司には珍しい弱気な指示に、ヒルデスハイム伯はその無表情を崩してキョトンと目を丸くした。
オッペンハイム公も自分がらしくないことを言っているとの自覚はあったのか、苦笑しながら続ける。
「ことが単純な奪い合いや競争であれば“是が非でも”と命じるところだが、我らは必ずしもエンデの企みを正確に把握できているわけではない。それを理解せぬまま手を出せば、とんでもない藪蛇となる可能性もあるからな」
なるほど、それもあったかとヒルデスハイム伯は納得する。その上で、念押しするように確認を取った。
「……皇帝陛下がエンデを押さえてしまえば、我らは経済的に極めて不利な状況に陥ることとなりますが?」
「そうなればエンデ周辺に軍を派遣し輸送網をズタズタにするだけよ。多少手間ではあるが、戦線が増えて困るのは我らより兄上の方であろうな」
最終的に軍の力でどうとでもなると自信を見せるオッペンハイム公に、ヒルデスハイム伯は『その場合、帝国全土の資源供給が滞ることになる』との苦言を辛うじて呑み込んだ。そんなことは言わずともこの上司は理解している。だからこそ曲がりなりにもこれまでエンデとの交渉を拒否してこなかったのだ。今言ったのは最悪の更に最悪の話でしかない。
ヒルデスハイム伯はその思考を切り替え、別角度から提案を口にした。
「……エンデの意図が気になるようであれば、会談前に使節団を襲撃してゴドウィンを捕えるという選択肢もございます」
「ふむ……」
一般的には非難されるべき騙し討ちの提案だったが、現時点でゴドウィンはただの謀反人であり──オッペンハイム公自身もそうだが彼は曲がりなりにも皇族である──正式な会談後ならともかく現時点でどう扱おうと問題になることはない。
エンデ側からの非難や、彼らが皇帝側にすり寄るリスクも織り込み済みであるならば、不確定要素を潰すためにゴドウィンを捕縛し企みの全容を吐かせるというのも有りだ。
オッペンハイム公はしばし真剣にヒルデスハイム伯の提案を検討し──やがて苦笑し、かぶりを横に振った。
「──いや、やめておこう」
「……理由をお聞きしても?」
「まずエンデがそれを警戒していないはずがない、というのが一つ。仮に成功しても、我らばかりが悪名を負うというのは面白くない」
「……なるほど」
あまり感銘を受けた様子のないヒルデスハイム伯の反応に、オッペンハイム公はニヤリと笑って本音を吐露した。
「それに、ここまでくれば見てみたいではないか。帝国に歯向かい独立を宣言した者たちが何を企んでいるのかを」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「こっちの機能はオミットしていい。重要なのは生命維持と循環の仕組みだけで契約関係もそれに付随するから──」
トップ会談への同行が正式に決定したウルは、その間の業務の引継ぎ、会談の打ち合わせや準備もそこそこに、自宅の作業場に籠り得体のしれない図面の作成やプラン作りに没頭していた。
「分離の仕組み自体は既にできているから悩む必要はない。操作も機能も必要最低限になるけどどうせオペレーターが育ってないし問題なし。問題があるとすれば破壊した操作系を修復された場合と信号に気づかれて妨害された場合か? でもそれも結局自分たちの首を絞めるだけだからいっそ派手に──」
『…………』
ブツブツと独り言を漏らし、時折気持ちの悪い笑いと奇声を上げながら暗がりで作業するウルをドアの隙間からそっと覗き込み、レーツェル、エレオノーレ、リンの三人は『うわぁ……』と顔を顰めた。
「グフフ……これを機にあの面倒くさい連中もまとめて従わせてやる。見てろ、好き勝手言ってられるのも今だけだ」
『…………』
「どうせだから中央の連中もちゃんと分からせるべきだよな。となると連動していくつか──ターゲットの候補はカノーネの研究成果を当たれば──くひゃひゃ」
『…………』
それ以上見ていられず、レーツェルたちはそっと扉を閉じた。
そして顔を見合わせ、誰からともなく呟く。
「マズいよな?」
「マズいですよ」
「マズいに決まってるじゃない」
今更『何が?』などと誰も口にしない。好きにやれと背中を押されタガが外れたあの少年の性質の悪さは、この場にいるメンバーは良くも悪くも思い知っていた。
「……今からでも止めた方がいいんじゃないですか?」
「止まると思う?」
「無理ですけど、もう物理的に」
「……いや、手と口だけ止めても無駄だろう。気絶させて縛り付けても、頭の中だけで余計にわけわかんないこと考えだすタイプたぞ、リーダーは」
「あーもう!!」
一番彼の悪い部分を思い知っているリンが『なんて面倒な!』と地団駄を踏む。
対照的に少し余裕があるのはエレオノーレだ。そんな彼女にリンが半眼でツッコむ。
「まさか『自分はエンデ残留組だし、そんな被害はないだろ』とか考えてます?」
「…………まぁ」
「甘いですね」
「甘いわ」
「残留組は残留組でとんでもない置き土産があるに決まってますよ」
「むしろ自分はその場にいないからってとんでもない無責任なこと考えてると見たわね」
エレオノーレは悲しそうに肩を落として項垂れる。
「……やっぱりそうかぁ」
余裕があったのではなく、あるのだと思い込もうとしていただけらしい。
『…………はぁ』
肩を落とす三人の少女たちは、別に彼のことを信頼していないわけではなく、また決して彼の企みや作品が悪いものだとも思っていなかった。
むしろその企みがこの状況を好転させるものであること自体は疑っていない。疑ってはいないのだが──何というかほどほどで良かったのだ。
結果も過程も、ほどほどで。
少女たちは彼が『美味しい料理は火力が大事』と聞けば、都市一つ吹き飛ばしかねない爆弾を準備して、しかもそれを上手くコントロールして美味しいパンを焼いてしまいかねないタイプの変態だと理解していた。
少し前まではそもそも爆弾を準備する能力も財力もコネもなかったわけだが、今の彼はそうではない。
その彼が『好きにやる』ことが果たして何を意味するか──
『…………』
取り合えず、ことが終わったら本人もブレーキを壊した爺も殴ろう──少女たちは無言でそれだけを誓いあった。




