第14話
「──ま、実際はこっちと同時に皇帝や公爵にも誘いをかけてたんだろうな」
犬ジイが疲れた表情でぼやいた通り、レオンハルトの提案に応じる旨の回答をしてから僅か二日後、レオンハルトから皇帝とオッペンハイム公がゴドウィンとの会談に応じる旨の回答があったと連絡があった。
エンデ側がGOサインを出してから交渉に移ったのだとすればあまりに回答が早すぎる。恐らくは帝国側にもエンデと同時かそれより早く会談仲介の提案をしていたのだろう。
会談場所は皇帝とオッペンハイム公の軍が対陣している帝国中央部のルワーグ平原。
開催日は今から約三週間後。通常の移動手段で中央まで二週間かかることを考えれば、あまり準備に時間は取れない。
会談に参加するメンバーや護衛の人数についての指定は特になし。勿論トップ会談である以上、代表のゴドウィンが参加しないことはあり得ないわけだが、それ以外の縛りは存在しなかった。恐らくフリーハンドを与えることでエンデ側を試しているのだろう。
「ぼやいてばかりいても始まりません。まずは我々の間で対応方針を決めておきましょう」
ロイドがそう口にすると、ギルドの会議室に集められたメンバーはそれまで好き勝手に周囲と会話していた口を閉じ、司会役のロイドに向き直った。
この場に集まったメンバーはいつものウル、レーツェル、エレオノーレ、リンに加え、犬ジイ、カノーネ、フルウ。
ブランシュは犬ジイに代わって迷宮の基幹部に詰めており、カナンやエイダは声をかけたものの不参加。立場上、あまりコソコソこうした会議に参加していると周囲から疑いの目で見られる恐れがあるため、会議の結論だけ伝えてくれればいいと言われている。
「評議会の連中と話をする前に、まず私たちの意見を一致させておくって話ね」
「その通りです」
カノーネの確認にロイドが首肯する。
恐らくこの後ウルやロイドはトップ会談の対応について政庁で会議に参加することになるだろうから、その前に内々で方針をまとめておくためにこの場が設けられた。
近時多忙で中々こうした会議に参加できずにいる犬ジイとカノーネの姿があるのは、それだけ今回の一件が重要な──同時に厄介なものであることの裏返しでもある。
「まぁ、話をするといっても敵の狙いが読めん以上、要請に備えて誰をどっちに配置するかってことぐらいしか決めようがないわけだがな」
いつになくウンザリした様子で犬ジイが溜め息を吐く。
これはこのトップ会談自体が気に食わないというのもあるのだろうが、それ以上に昨今多忙でお疲れ気味というのも影響しているように思えた。
そんな犬ジイの不機嫌さをスルーしてウルが確認する。
「やっぱりこれ、敵の工作の一環ですか?」
「ああ。敵といっても姿も目的も不明だし、今回の一件にしたって皇太子本人が仕組んだのか周りで唆した奴がいるのかも定かじゃねぇ。だがこのタイミングであからさまな戦力分断の誘いだ。そう考えた方が自然だろ」
そう言われて、ウルは敵が策の一環としてレオンハルトの周囲にトップ会談について吹き込んだのかもしれないな、と犬ジイの言葉と自分の思考を擦り合わせた。
「爺ちゃん。回りくどい言い方だけど、要するに敵の狙いはエンデの戦力と意識をここから引き離すこと。それを理解した上で、こっちサイドから誰を会談に同行させるかって話でおけ?」
「……ああ、そんなとこだ」
雑にまとめた孫娘へのツッコミを放棄し、犬ジイは諦念まじりの溜め息を吐く。
極端な話をすればエンデにとっての最重要事項は都市と迷宮基幹部の防衛・確保であり、会談に向かうゴドウィンの身柄や会談の結果がどうなろうと大した影響はない。ドラスティックに考えるなら、ゴドウィンは必要最小限の警護で送り出し、ウルたちは都市の防衛に専念するというのが賢いやり方だろう。
だが仮にもトップに立った人間を使い捨てにするような組織が長続きすることはないし、ゴドウィンに何かあればウルたちはともかく市民の動揺は避けられない。
またあまりあからさまにゴドウィンの警護を薄くすれば、そこから皇帝やオッペンハイム公にこちらの狙いを見透かされるリスクもある。ゴドウィンの警護や会談対応をおざなりにしていれば、エンデ都市内にやましいことがありますと自白しているようなものだ。
「会談に誰を同行させるかという話なら私は論外だな。仮にも皇族が参加する会談の場にオーク部族が参加するわけにもいくまい。間違いなくどこかしらから難癖を付けられてトラブルになる」
そう言ったエレオノーレの表情は平然としていて、そのことを不満に思ったり気にしている様子は全くない。
「逆に私の方にはゴドウィンたちから参加要請があるでしょうね」
「あぁ~。代表からすれば師匠には絶対来て欲しいでしょうね」
単騎で強力な戦力というだけでなく、有事の際の転移呪文によるエンデへの帰還、精神操作系呪文への対処など、カノーネが会談に同行した場合のメリットは大きい。だがそれは裏を返せば──
「でもそうするとエンデの防衛戦力がガタ落ちすることなりますよね」
カノーネという最大戦力がエンデから離れれば、ダムハイトという防衛兵器はあれ確実にエンデの戦力は激減する。ダムハイトは小回りの利く兵器ではないし、都市内部に潜り込んだ工作員たちには全くの無意味だ。
敵がその隙を見逃すはずがないし、そもそもこの会談はカノーネという戦力をエンデから引き離すために仕組まれたものである可能性が高い。
「そうね。流石にここまであからさまだと私はこっちに残──」
「いや、お前は会談に同行しろ」
犬ジイの言葉にカノーネはあからさまに不機嫌な表情となり、ギロリと睨みつけた。
「……ちょっと。何であんたが私に命令するのよ? だいたい──」
元々幼馴染絡みで犬ジイのことを嫌っているカノーネはトントンと右手で左腕を叩きながら魔力を高ぶらせる──が。
「ちょうど馬鹿が戻ってきたところだ。こっちの対応はどうとでもなる」
「────」
「お前が会談に同行するかどうかが敵や会談相手にとっての試金石になっている可能性が高い。だから──」
「──ストップ」
犬ジイの言葉を遮り、カノーネは据わった目つきで口を開いた。
「どこの、馬鹿が、戻って、きたって?」
「…………お前から逃げ回ってた馬鹿だよ」
「……………………そう」
カノーネはそれだけ確認すると、立ち上がって傍らに立てかけてあった杖を掴み、それと同時に彼女の足元に魔力陣が展開される。
「悪いけど抜けるわ。後は適当に決めておいて」
「あっ! 師匠──!」
──ヒュン!
レーツェルの制止を無視してカノーネは転移呪文を発動させ、その場から掻き消えた。恐らくその逃げ回ってた馬鹿に会いに行ったのだろうが──
「もう! 爺ちゃん、先生の話なんてしたらこうなるのは分かってたでしょ!」
「いいんだよ。あいつが会談に同行すること自体は確定だし、この方が話が早い」
「……もうっ!」
悪びれることなく言い切る犬ジイに孫娘が腰に手を当てて呆れる。どうやら議論を終わらせ追い払うためにワザと口を滑らしたようだ。
「ほれ。それより誰が会談について行くかを決めねぇとな。当然俺は不参加だ。この機に何か企んでるだろう連中の相手をせにゃならんからな」
『…………』
そう言われて残ったメンバーは顔を見合わせる。自分たち以外に正規の護衛戦力も会談に同行することになるのだろうし、そこにカノーネが加われば大抵のことには対応できる。強いて必要があるとすれば──
「──俺は会談に同行しますよ」
最初に手を挙げたのはフルウ。
「戦力的にはカノーネ導師一人で事足りるでしょうが、奇襲や搦め手への警戒は必要でしょう」
「頼めるか?」
「何を改まって。御大も最初からそのつもりでこの場に俺を呼んだんでしょうに」
フルウの返しに犬ジイは無言で唇を吊り上げた。
「なら私も同行しましょうか。残っても連絡役以外にやる事もありませんし、伝手を使って教団に騙し討ちを牽制させることぐらいはできると思いますから」
続いたのはリン。妥当な人選と提言だったため、誰も異論をはさむことなく同意する。
この三人が同行するなら十分だろうとロイドが話を締めようとしたタイミングで、割り込むように犬ジイが付け加えた。
「──ウル、レーツェル。お前らも会談に同行しろ」
「は──」
「──何でよっ!?」
レーツェルが反発する。どうして自分がこのタイミングでエンデを離れなくてはならないのだと、全身で不満を露わにしていた。
犬ジイは孫娘に詰め寄られても平然とした態度を崩さず続ける。
「警戒をフルウ一人に任せるわけにもいかんだろ。ウチの者は手一杯だし、ブランシュはコボルトだから連れてけねぇ。お前ぐらいしか動かせる斥候役がいねぇんだよ」
「別にそんなの他の冒険者にでも頼めば──」
「そいつに一々事情説明すんのか? 信頼がおけて、かつカノーネたちと足並み揃えて行動できる奴がいるか?」
「で、でも、私も迷宮の防衛に──」
「テメェが好き勝手動くせいでウチの部下が混乱してんだよ。俺の孫だってことを盾にしてやりたい放題しやがって」
「ぐぬっ……!」
どうやら犬ジイは自分の指揮系統に従わず好き勝手に動いているレーツェルをこの機に一度外に出して整理したいと考えているようだ。
邪魔者扱いされた形のレーツェルだが、自分が好き勝手やっていた自覚はあったので咄嗟に反論の言葉が思い浮かばない。
そこに更に犬ジイが追い打ちをかける。
「あ。お前が仕込んでる手札は全部引き継いでいけよ?」
「なん──!?」
「まさか嫌だとか自分じゃなきゃ使えないとかクソみてぇなことは言わねぇよな? この状況で」
「ぐぬぬぬ……っ!!」
傍からでは何を言っているのかよく分からないが、どうやら好き勝手振る舞うレーツェルに犬ジイが相当御冠だったらしい。追い出され、自分の隠し玉を取り上げられ、レーツェルは凄い形相で祖父を睨んでいた。
「……あの、俺は何で?」
「ああ、お前な。お前は──」
斥候ができるわけでも護衛に向いているわけでもない自分がどうして、と問いかけたウルに、犬ジイはあっさりととんでもないことを言う。
「お前が残っても役に立ちゃしねぇだろ。どうせだから皇帝のツラでも拝んで来い」
『────』
あまりにも雑な理由に言われたウル本人だけでなく、その場にいた全員が絶句し目が点になる。
一瞬、冗談を言われたのかとも思ったが、犬ジイは真顔だ。
「いくらなんでもそれは──!」
流石にその言い分は聞き流せなかったのか、いきり立って反論しかけたエレオノーレを、横にいたフルウが肩を掴んで止める。
エレオノーレはフルウを睨みつけるが、彼は視線で待てと彼女を制止した。
一方、役立たず呼ばわりされたウルは、実際自分の能力に自信があるわけでもなかったため特に反論も思いつかず、怒りのような感情も湧いてこない。あるのはただただ戸惑いだけだ。
「え~と……」
「受け身に回ったお前はただの雑魚だ」
「────」
脈絡のない犬ジイの言葉は、ウルの胸の一番深い部分を貫いた。
「お前は今まで魔道具と搦めて戦術を組み立てて、それを敵に押し付けることで状況をコントロールしてきた。だが今回は敵の目的も姿も見えねぇ。戦術なんて組み立てようがねぇし、対応する側に回らざるを得んわけだが……どう対応したらいいのか分からねぇんだろ?」
「…………」
ここ最近ずっと感じていた胸のつかえを言語化され、初めて自身の不調を自覚する。
周囲は犬ジイの指摘に驚いた様子はない。あるいは皆、多かれ少なかれウルの不調を感じ取っていたのかもしれない。
「このままエンデに残ってる限り、お前は敵の嫌がらせにどう対応するかで手一杯だろ。だから一度お前を全てのタスクから解放する」
そして犬ジイはウルの目を挑発的な眼差しで見据えて続けた。
「好きに動け。面倒くせぇことは全部忘れて、お前が思うことを、思うようにやれ。お前にはそれしか出来ねぇんだから」
「────」
久しぶりに晴れた視界の片隅で、何故か周囲がドン引きしていた。




