第13話
『…………ふぅ』
新たな連絡役からもたらされた指示書に目を落とし、賊の残党を率いる熊の獣人ゾッドとエルフの卑民ゲルルフは同時に溜め息を吐いた。
「……どう思う?」
「お前こそ、どう思った?」
ゾッドの問いかけにゲルルフは問いかけで返しはぐらかす。しかし瞳を見れば互いに何を思っているかなど一目瞭然だった。
『──温い(な)』
異口同音に吐き出したのは自分たちのトップへの不満。
計画の最終段階。自分たちの総力を結集して目的を達せねばならないというのに、この指示内容はあまりに──
「……ったく、こんなんでホントに大丈夫なのかねぇ?」
「成算はあるのだろうさ。些事に囚われて大局を疎かにするほど愚鈍な方ではない」
「ああ、そうなんだろうさ。そうなんだろうが──」
「うむ。あの方は──人の気持ちがまるで分かっていない」
そう口にする彼らの口元は■■に歪んでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「この不安定な情勢を脱するためにもエンデが早急に帝国と条約を締結する必要があることに疑いの余地はない。交渉が長引けば市民の不安がいや増すだけに留まらず、独立に反対する勢力の暴発を招きかねぬ」
エンデ最高評議会の議場で皇太子レオンハルトが委員たちを前に演説をぶっていたる。
レオンハルトの方からゴドウィンを通じて委員たちの前で話をしたいとの要請があり、急遽定例評議会の開始時間を前倒しにして彼の話を聞くこととなった。その場にはオブザーバーとしてウルも末席を汚している。
事前の説明では帝国との今後の関係性、国交について話があるとのことだったが──
「だが一方的に独立を宣言した都市との条約など早々にまとまるものではない。であれば交渉よりも先にトップ会談を行うことを優先すべきであろう」
この場をお気持ちの表明程度だと軽く見ていた委員たちの視線が鋭くなる。
「まずトップ会談で独立・中立・商取引の継続といった大枠について合意し、後はその合意に沿って条約の内容をまとめていけばいい。その方が交渉はスムーズに進むだろうし、トップ同士が合意していれば反対する者たちが暴発する可能性も格段に小さくなる」
レオンハルトが提案しているのはエンデと帝国──即ち皇帝とオッペンハイム公との三者会談だ。
確かにエンデは両者に使者を送り交渉の場は設けているが、話し合いは遅々として進んでいない。誰もしたことがない初めてのことをしようとしているのだから当然かもしれないが、今のところ条約締結がいつになるかは全く見通せない状況だ。
そうした現状に対し、確かにレオンハルトの提案は極めて理に適っているように思えた。
「……皇太子殿下。それはつまり、殿下が皇帝陛下とオッペンハイム公との会談を仲介してくださる、と理解して宜しいのですかな?」
「無論だ」
ゴドウィンの確認にレオンハルトは力強く頷いた。
「この状況で私に何が出来るのかと疑う者もいようが、父上も叔父上も拳を振り下ろす先に困っている筈だ。簡単に卿らの独立を認めては周囲が五月蠅かろうしな。だがしかるべき手順を踏めば必ず会談は実現する」
自分ならそれができる、と自信満々に語るレオンハルトは嘘を言っているようには見えなかった。
『…………』
委員たちは無言のまま窺うように顔を見合わせる。その微妙な空気を代弁し、ゴドウィンが口を開いた。
「一先ず殿下の提案は預からせていただき、検討させていただきましょう」
レオンハルトが退席した後、最高評議会では彼の提案について喧々囂々の議論が交わされた。
「何を迷う必要があるのかね!? 帝国との関係改善は最優先すべき課題の一つだ。それは君たちも理解していることだろう? 今のままダラダラと交渉を続けても実りはない。そこに皇太子殿下が手を差し伸べて下さったのだ。会談が実現すると決まった訳ではないが、申し出を断る理由はないだろう!」
賛成派の急先鋒はニコラウス環境委員。建材卸を営む豪商で、口ひげと七三分けがトレードマークの伊達男だ。
それに対し明確に反対というわけではないが懐疑的な見方を示しているのがローラン国防委員。
「……ことはそう簡単な話ではないだろう。帝国と我々の力関係はとても対等とは言い難い。迂闊にトップ会談など行えば相手にいいように丸め込まれかねんぞ。──いや、別にゴドウィン代表の力量を疑っているわけではないのだが……」
「分かっているよ。何せそこは私が一番不安に思っていた部分だ。まさか自分からは言い出しづらかったので、代弁してもらえて助かっているよ」
ゴドウィンが冗談めかしてフォローすると委員たちから笑い声が漏れ、場の空気が少しだけ和らいだ。
続いて口を開いたのがサバデル財政委員。
「しかしローラン委員の懸念ももっともだ。敢えて条約まで締結しなくとも帝国との商取引は少しずつ再開している。条約の重要性を否定するつもりはないが、仲介を買って出たレオンハルト殿下の意図も気にかかるところだ」
「殿下が何か企んでいる、と?」
不快そうに眉を顰めたのはニコラウス。サバデルはお大袈裟に肩を竦めて続けた。
「帝国から見れば我らは叛逆者だ。それに帝国の皇太子が手を差し伸べようというのだから、何も企んでいないはずがないだろう。問題はその企みが我らに益をもたらすものかどうかだよ」
「…………」
些か鼻につく物言いではあったがサバデルの言い分自体は認めざるを得ず、ニコラウスは口をつぐんだ。
「素直に考えりゃ皇太子の狙いは自分が中央に戻るための点数稼ぎだろう。皇帝に逆らって帝都を飛び出したんだ。手土産の一つも無けりゃ、後々廃嫡されかねんと考えたんじゃないか?」
そう皮肉気たっぷりに発言したのはオスカー厚生委員。職人系組合を統括している老ドワーフだ。
「つまり油断すればいつ殿下が我々を売ってもおかしくないということかね?」
「そりゃ当然だろう。あの皇太子が儂らにいい値を付けてくれるかは怪しいところだがな」
サバデルとオスカーが露悪的に笑い合う。どうやらこの二人はレオンハルトの提案──というより、レオンハルト本人に対し懐疑的なようだ。
「おっしゃる通り殿下の思惑に注意は必要でしょうが、しかし無駄に警戒しすぎる必もないのでは? 孤立状態の殿下にどれほどの手が打てるのかという疑問もあります。それに帝国との交渉を任された立場としては、どうあれ会談が実現したという事実だけでもありがたいものです。それは言い換えれば帝国のトップがエンデをテロリストではなく交渉相手として認めたということですからね」
消極的な反対意見が目立つ中、ワルター外務委員が賛成票を投じる。
「それに市民の不安を払拭し国内情勢を安定させるためにも、帝国との関係に何か目に見えた成果があった方が都合がいいのではありませんか?」
「……確かにそれはある」
頬傷を撫でながら認めたのはクラウス公安委員。国内の治安維持と有事の際の防衛指揮を任された男は、しかし同時に会談への懸念も口にした。
「だが現実問題、トップ会談を行うとなると問題も多い。恐らく代表が中央に出向く形になるのだろうが、護衛のために戦力が割かれるのは正直言って痛いな。その隙にエンデで何かことが起きれば……」
「……皇太子殿下が我らを罠に嵌めようとしていると?」
「そうは言わん。だが、これを好機と見て何かことを起こす者が現れる可能性はあるだろう」
噛みつくようなニコラウスの言葉を軽く受け流し、クラウスは有事の責任者として懸念を述べた。
対策として、例えばカノーネに協力してもらえれば護衛戦力は最小限で済むし、転移呪文を使えばすぐにエンデに戻ることもできるだろう。しかし要人の安全を確保するために移動系呪文を妨害する魔道具があるのは有名な話で、それが使われた場合カノーネという最高戦力がエンデから引き離されることになりかねない。
幾人かは『最悪、罠であったとしてもゴドウィンは見捨てても構わないのでは?』と考えていたが、流石に口には出さなかった。
その後も議論が続き、ニコラウスとワルターが積極的に賛成を唱え、サバデルやクラウスたち多数派が慎重論で応じる。ただサバデルたちも明確に反対しているわけではなかったため、場の空気は徐々に膠着状態に陥りつつあった。
「──オブザーバー。黙ってるが、お前は何か意見はないのか?」
そんな折、ローランが黙りこくっていたウルに話を振る。
周囲の委員の視線が彼に集まり、ウルは言葉を選びながら自分の意見を口にした。
「……現実問題、皇太子の提案を拒否することは難しいでしょうね。そんなことをすれば皇太子は『エンデ上層部は帝国との関係を軽視している』と内外に悪評をばら撒きかねません」
「殿下がそのようなこと──」
「あの皇太子も自分の立場を守るために必死だ。それぐらいのことはしかねんわな」
ニコラウスは不快そうにウルの言葉を咎めようとするが、オスカーはさもありなんと同意する。
「皇帝やオッペンハイム公が受け入れるかどうかは別にして、皇太子には前向きな反応を返すしかないでしょう。──ただできれば、トップ会談は迷宮の状況が落ち着いてからの方がよかった」
「それは戦力的な意味でか?」
ローランの疑問にウルは首を横に振って応えた。
「……それもないとは言いませんが、トップが会談するのに迷宮の正体とこちらの計画について伏せたまま、というのは少し。向こうもこちらの計画については探りをいれてくるでしょうし、隠し事をしたままとなると後々不実と責められかねません」
『あぁ……』
それもあったか、と特に交渉の矢面に立つゴドウィンとワルターが顔を顰める。
その後も話し合いは続けられ、結局レオンハルトの提案そのものは受け入れる方向でまとまったものの、そこから生じる数々の問題をどう解消するか良い案は出ず、実際に会談の実現が確定するまで棚上げされることになった。




