第8話
自分の存在がぞんざいに扱われていることに不満を抱かないではなかったが、周囲の「お前が言うなよ」「いつも思い付きで人を振り回しやがって」という視線の前ではそれを口にすることも憚られる。
自分は黙って人を囮にするようなことはしてないのだが──してないよね?──如何せん多勢に無勢。反撃しても余計なダメージを食うだけだと判断し、ウルは口をつぐんだ。
絶対にこのことは忘れないぞ、と泥沼必至の思考を脳の片隅に押し込んで。
「──お。戻ってきたか」
「すいません。話し合いの方はどうなってますか?」
勝手に囮にされていたというネタバラシを済ませたウルたちが戻ると、尋問を続けていたフルウとゼンゼが普段通りの表情で彼らを出迎える。
一方で尋問を受けていた賊三人の様子はこの短い時間ですっかり一変していた。
一番変化が少ないのは獣人の少女。恐らく彼女の尋問は後回しになっていたのだろう。顔を真っ青にして身体を硬直させ、ガタガタ奥歯を震わせている。
ローグ風の男は意識を失い失禁していた。チラリ様子を観察すると右手の指全部と左手の指三本までがあり得ない方向に折れ曲がっており、そこでダウンしてしまったようだ。それ以上、特に何かされた形跡がないので、本当に重要な情報は何も持っていないと判断されたのか、それとも臭いと嫌がられたのか──恐らく両方だろう。
そして尋問の中心となっていたのは一番情報を握っていると思しきリーダー格の男。
「…………(コヒュー、コヒュー……ッ)!」
彼は虚ろな目つきで口の端から泡を吹きながら、しかし意識を失うことなく荒い息を吐いていた。
相当激しく抵抗したらしい。両手足が血塗れなのは尋問の結果だろうが、唇がズタズタに切れているのは意識を保とうと自ら噛みちぎったのか。
一般人であれば目を覆いたくなるような惨状だが、ウルたちは特に気に留めた様子を見せなかった。
冒険者という人種は敵に対してとてもシビアだ。魔物の中には美しかったり可愛かったり、人間の庇護欲を誘う見た目をしているものが多くいる。しかし見た目で手心を加えるような愚か者は迷宮では長生きできない。冒険者が最初に教わる教訓の一つだ。そして迷宮では魔物だけでなく人間が敵に回ることも少なくない。
「そっちの金髪が上の連中に襲撃ついでにお前さんを攫って来いって言われたことまでは吐いたが、指示を出した大本やその理由までは知らされてなかったみたいだ。ま、ただの兵隊だな。それで、こっちの色々詳しそうな方に話を聞いてたわけだが──」
フルウがリーダー格の男を見下ろし、かぶりを横に振って溜め息を吐いた。
「中々しぶとい。薬も使ってみたんだが、アジトの場所はおろか内通相手やその関係も何も喋りゃしねぇ」
「へぇ……アジトはともかく雇い主も、ですか。よっぽど怖い相手なのか、それともズブズブの関係なのか、どっちでしょうね」
「ゼンゼさんの方は?」
レーツェルがゼンゼの方を見ながら訪ねると、彼女は苦笑して首を横に振った。
「駄目ね。話し合いの最中に試してみたんだけど、二人とも思考言語が共通語じゃなくて……」
「あ~……」
ゼンゼが言わんとすることを察してレーツェルは顔を顰めた。
高位の精霊遣いであるゼンゼは、精神の精霊を使役して他人の表層思考を読む【読心】の呪文を使用することが出来る。フルウが物理的な尋問を行っている横で、彼女はこっそりリーダー格の男と獣人の少女の思考を読もうとしたのだろうが、この呪文はあくまで“思考”を読み取るだけ。思考を翻訳する機能などは備わっていないので、対象の思考言語を習得していなければ意味がなかった。
エルフ語やドワーフ語などメジャーな言語ならまだしも、卑民や獣人の言語を習得している呪文遣いなど稀だろうし、呪文による調査は困難か。
「ひょっとしたら彼らの雇用主はその辺りのことも考えて敢えて彼らを使っていたのかもしれないわね」
「それは……」
もしそうなら敵は相当用心深く厄介な相手だ。ゼンゼの考えすぎかもしれないが、そんな相手が自分を狙っているかもしれないという想像にウルはウンザリした。
「噂のカノーネ導師なら【精神探査】も使えるんじゃない? あれなら言語関係なしに映像で記憶を読み取れたと思うけど……」
「あ~……どうでしょう。師匠なら使えるんじゃないかと思いますけど、あれって記憶を無作為に探ってくことになるんで時間がかかるし、目当ての情報が得られるかどうかは結構ギャンブルみたいなとこがある筈なんですよね」
「……となると、多忙な導師にお願いするのは難しいわね。──と言うかレーツェルちゃん、詳しいのね?」
「爺ちゃんの知り合いが使ってるとこを何度か見たことがあるんで」
そのままフルウとゼンゼ、ウル、レーツェル、リンの五人はどう情報を引き出したものか、本人たちの前で話し合いを続けた。
物騒な会話に恐怖を煽られた獣人の少女は、近くにいたエレオノーレとブランシュに訛りの混じった言葉で懇願する。
「ね、ねぇ……助けてよ。アタシは食料を分けてもらえるって聞いて街道を見張ってただけで、こいつらとは直接何の関係もないんだって……!」
「あら? その結果、襲われる人間がいると分かっていて協力したのでしょう? 関係ないは通じないのではないかしら」
「うむ。もしそれが事実なら多少罪は減免されるだろう。弁明があるなら私たちではなく官憲に訴えることだな」
「人間が獣人の言うこと何て聞くはずないじゃない……!!」
獣人の少女は怒鳴ったかと思うと、一転上目遣いで縋るような声を出す。
「あんたたちも獣人なら分かるでしょ? アタシらがこの国で生きてくってのはキレイごとじゃないのよ。碌な仕事も無ければ安心して住める土地も無い。家族だって養っていかなきゃならない。アタシが手を貸さなくったってどうせこいつらのやる事は変わらないでしょ? なら、ちょっとおこぼれもらうくらい構わないじゃない……!」
『…………』
エレオノーレとブランシュは曖昧な表情で顔を見合わせた後、ブランシュが確認するように口を開く。
「……今の話ですと、近くに家族の住む集落がある、ということのようですが──」
「何をされても絶対に集落の場所は言わない。家族が無関係だって言ったところで、人間どもは信じてくれないでしょ?」
「それは人間かどうかに限らずそうだろう」
まるで同情する気配のない二人に、獣人の少女は忌々しそうに表情を歪めて吐き捨てる。
「これだから人間どもに取り入った連中は……! 運よく変わり者に取り入って人間の仲間にでもなったつもり? 今はそうでも、ちょっとそいつらの気が変われば、あんたらなんていつでも切り捨てられるんだから! その時になって同族に泣きついても遅いんだからね!!」
その負け惜しみのような言葉に、しかし二人は怒るでも馬鹿にするでもなく、不思議そうに首を傾げた。
「……それを貴女が言いますの?」
「どういう意味!?」
「言葉通りの意味ですけれど……ひょっとして、そうやって人間憎しの発言をしていれば誤魔化せるとでも思ったのかしら?」
「────っ」
息を呑み、しかし直ぐに言い訳しようと口を開きかけた少女の言葉を遮って、エレオノーレは呆れたように言った。
「あのな。身のこなしを見ればプロか偶々利用されただけの一般人か何てすぐに分かる。私たち相手ならまだしも、格上相手に誤魔化せると思ったか?」
エレオノーレはそう言って顎でフルウを示した。獣人の少女が“本職”であることは事前に彼から伝えられている。
「そ、それがどうしたって言うのよ!? 確かにアタシはソッチの仕事をしてたこともある。でもそいつらの仲間じゃないってのは嘘じゃない! 他の連中に聞いてくれればすぐに分かるわ!」
「なるほど。そこまで言うなら……」
少し考えるそぶりを見せたブランシュに、獣人の少女の表情が微かに明るくなる──が。
「つまり、貴女はこの集団の監視役といった辺りかしら? 正体を偽装して潜り込んでいたということは、ひょっとしたら立場はそこの男より上で、より深く黒幕と繋がっている可能性が高そうですわね」
「──っ!?」
絶句する獣人の少女に、ブランシュは呆れたように嘆息した。
「同族同士だからと油断させるつもりだったんでしょうが、少し隙を見せすぎましたわね。さっきから東方訛りが混じってましてよ。雇われたという割に一つ一つがちぐはぐなんですわ、貴女」
「…………!!?」
その時になってようやく、獣人の少女はコボルトとオークの女だけでなく、尋問のやり方について相談していた人間たちまで自分に意識を向けていることに気づく。
──ワザと同族を近くに配置して泳がされた!
それを理解した彼女の判断は速かった。
「──っ(ガリッ)!!」
それが時間稼ぎにしかならないと分かっていながら、彼女は奥歯に仕込んでいた自害用の毒を躊躇うことなく噛み砕いた。




