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第5話

卑民ひみんとは帝国で一般的に使われている呼称だが、実は厳密にこれと言った定義があるものではない。


一般には平民の下、身分制度の枠外に置かれ法の庇護を受けられない民、といったイメージが定着しているものの、帝国の法は建前上全ての人類に平等で、身分制度外の存在を公式には認めていなかった。


そもそも帝国ではヒューマンだけでなくエルフやドワーフといった多数の人類種が共存し、オークやオーガといった亜人種にも一定の権利と身分が認められている。平民の不満のはけ口としてならば既に亜人種が存在するし、わざわざ人類種の中で差別を行う意味は薄かった。


では何故、卑民などといった呼称が一般に使用されているのか?


これは帝国の黎明期、かつて帝国の支配に従わぬまつろわぬ民が暴れまわっていた時代に、当時の帝国政府が臣民の命と権利を守るため、まつろわぬ民に対するあらゆる加害行為を罪に問わぬとの法を発布したことに由来する。


まつろわぬ民も建前上は帝国の民であり、本来正当な理由なく危害を加えるなどあってはならないことだ。だが現実問題、彼らが何か罪を犯すまで待っていては罪のない民の身が危うくなる。そうした民の不安の声を払拭するため、時の皇帝はまつろわぬ民への加害行為を合法としてしまった。


これは言うまでもなく悪法であり、当時は真に略奪行為などを行っていた者たちだけでなく、ただ帝国の支配を良しとしないだけの無害な者、実際にはまつろわぬ民でさえなかった者たちまで魔女狩りのごとく吊し上げられていたそうだ。


結局その法自体は一〇〇年と経たず廃止されたものの、その間帝国に染み付いたまつろわぬ民への差別意識は根深く、まつろわぬ民から卑民へと呼称を変えて帝国の文化に深く浸透してしまっていた。仮に平民が無実の卑民を殺害したとしても、裁判になればまず罪に問われることはなく、地方ではそもそも()()()()()()()()()()()()()のが実態だ。


現在では卑民とは狭義ではかつて帝国から迫害されたまつろわぬ民の末裔を指す俗称で、広義では異民族や逃亡犯罪者まで、とにかく都市や村に居場所のないはぐれ者全般を指す言葉として使われている。


ただ勘違いしてはならないのは卑民は決して“迫害された可哀そうな民”ではなく、彼らの大半は実際に賊などに身をやつした犯罪者である。たとえその背景にどのような事情があろうとも、決して気を許してよい者たちではないのだ。




「実際困りものなのが、そうした卑民は同様に都市に居場所のない獣人と組んで犯罪行為に手を染めるケースが散見されることなのですわ」


一〇台の大型馬車からなる商隊の先頭付近で、ウルのガーディアンに跨りながら白いモフモフのコボルトが退屈を紛らわすようにお喋りを続ける。


「そのせいで最近では獣人を卑民と一緒くたにする者たちも多くて。そもそも獣人と一括りにされること自体が好ましいとは言えませんのよ。身体に獣の特徴があると言っても、例えば蜥蜴と鼠では全く性質も気質も異なるでしょう? だというのに一つの氏族が問題を起こすと無関係の私たちまで白い目で見られてしまうのですから──」


つい最近エンデに帰還し今回の護衛依頼に同行することとなったコボルトの少女──ブランシュの雑談を聞き流しながら、ウルは目の前に広がる草原と地平線の果てまで続く街道をのんびりと歩き続けた。ここ最近会議やら打ち合わせやらで缶詰状態だったので、久しぶりの牧歌的な光景は自然と心を和ませてくれた。



結局あの話し合いの後、エックハルト運輸委員の要請を受けて、冒険者ギルドもいくらか商隊の護衛に人手を出すことになった。とは言っても、現実問題、冒険者もさほど人手があり余っているわけではない。護衛依頼を受けられる能力と経験を持った者となると猶更だ。


エックハルトの方から街の傭兵たちを束ねるクラウス公安委員に改めて協力を要請し、冒険者ギルドからも人を出すので傭兵団からもいくらか頼むと、何とか落としどころを見つけた形。


この商隊はエンデから徒歩三日ほどの距離にあるノイマン男爵領に向かっており、冒険者ギルドから委託を受けた約二〇名の冒険者たちが護衛にあたっていた。


ウルもその一人で、ウルの仲間からは他にレーツェル、エレオノーレ、リン、ブランシュの四名が参加しており、周辺を警戒しながら馬車の横を歩いている。


今日はその初日。出発して半日ほどが経過し、そろそろ日が傾きかけ今日の野営場所を探そうかというタイミングで、ウルはふと我に返った。



「…………あれ? 何で俺こんなとこにいるんだ?」



あまりにも今更過ぎる疑問だ。


単純かつ原始的、しかし哲学的でもある。


「何を言ってますの?」


隣にいたブランシュが「突然何を言い出した?」とキョトンとした顔でウルを見上げていた。


「いや、だから何で俺はこんな場所にいるんだろうって──」

「別に聞き取れなかったわけではありませんわ。そうではなくて、何でも何もここにいるのは護衛を引き受けたからに決まっているでしょう?」


「そんなことも分からなくなったのか?」と言いたげにブランシュは眉を顰める。


それは確かにその通りなのだが、ウルの言いたいことはそうではないのだ。


「いや、そういうことじゃなくて。俺、一応今は最高評議会にオブザーバーとして参加してたり、ギルドの会議にも出たり教会関係者と折衝したりそこそこ忙しい立場だと思うんですよ」

「…………自慢ですの?」


ブランシュは感心しないといった表情でツッコむ。ウルは慌てて弁解した。


「いやいや! そうじゃなくて! 俺が今、街を離れてこんなとこに来るのは問題があるんじゃないかなって話で──」

「それはやはり重要人物気取りの自慢では?」

「そうじゃなくて! そういう意図が全くないかと言われればなくもないけど、そういうことじゃなくて!!」

「……何を騒いでいるんだ?」


少し後ろを歩いていたエレオノーレが怪訝そうな顔で近づいてくる。


それに対しウルが反応するより早くブランシュが口を開いた。


「聞いてくださいなエレナ。この人、この期に及んで“自分みたいな重要人物がこんな場所にいていいのか?”なんて言ってるんですのよ?」


親し気な態度。詳しくは知らないが、ブランシュはエンデで犬ジイの庇護下で育っており、エレオノーレとは顔馴染みだったらしい。


ブランシュの説明にエレオノーレは訝し気に顔を歪める。


「…………は?」

「いや、違う! 違わないけどニュアンスが全然違う! 俺は単に街で他に俺がしなけりゃならない仕事がいくらでもあるのに適性も経験もない護衛依頼でノコノコ街を離れていいのかって話で──」

「え? 今更? 何言ってるんだリーダー?」

「…………え?」


心底驚いたように目を丸くするエレオノーレの反応に、ウルは「自分は何かおかしなことを言っただろうか?」と戸惑う。


──いや、確かに今更と言えば今更なんだけど。せめて出発前──もっと言えば話が出た時点で言えよと言われればその通りなんだけど! でも何で誰も俺が街を出ることに異論を唱えなかった? そもそもそっからおかしいわけじゃん!!


若干、他責的な思考で口にするのが憚られる内容だったため脳内でぐちぐち自己弁護していると、今度は馬車の反対側から騒ぎを聞きつけたリンが回り込んできた。


「何々? 騒がしいですけど何かあったんですか?」

「あ! 聞いてくださいなリン。この人、ここまで来て“街でVIPな仕事を抱えた重要人物の自分が、こんな場所で呑気に肉体労働なんてしていていいのか?”なんてほざいて──」

「違う! なんかもうニュアンスがズレすぎて本質が悪意の方になってる!!」

「──え? 今更?」

「そのやり取りももういい! お前ら実は裏で打ち合わせしてるだろ!?」


ウルは慌て、やってきたエレオノーレとリンに正確に自分の意図を弁解する。


疲れていたこともあり周りに流されるままついここまで来てしまったが、今エンデでは自分がやらなくてはならないことがたくさんある。自分以外では替えが利かないなどと己惚れるつもりはないが、自分が一番事情を理解していて、いた方がスムーズに進むことがたくさんあるのだ。それを商隊の護衛などという他の冒険者でもいい──もっと言えば他の冒険者の方が向いている仕事のために町を離れるというのはどうなのかと疑問を呈している、と。


ブランシュのチャチャはウルが抱え込み口を押えて防ぎ、彼の意図を正確に把握したエレオノーレとリンは異口同音に言った。


『……今更?』

「そうなんだけど! その通りなんですけども!!」


やはりどう言いつくろっても、街を出てもう一日目が終わろうというタイミングで言いだしたウルに問題がある。


その事実を突きつけられただけに終わったウルはブランシュを腕に抱えたまま悔しそうに地団駄踏んだ。


そんな彼の様子にエレオノーレとリンは顔を見合わせ、


「いや、リーダー。私たちが言いたいのはそういうことじゃなくてだな……」

「ひょっとして、なんですけど……知らない──いや、気づいてないんですか?」

「? 気づいてないって──」


何を、とウルが口にしようとした瞬間、今度は前方からレーツェルが近づいてきた。


「ちょっと。仕事中だってのに持ち場離れて何騒いでるのよ」

「あ! 聞いてくださいまし。実はこの人ね──」

「だからそのやり取りはもう止めろ!!」


天丼を繰り返そうとするブランシュの口をウルが塞ぎ、ギャーギャーじゃれ合っている様子をレーツェルは呆れたように見つめて嘆息。


「いや、実はですね──」

「あー、ストップ。悪いけど後にして」


二人に代わって事情を説明しようとしたリンの言葉を遮り、レーツェルは些か緊張感に欠ける声音で商隊の斜め前方に薄く立ち上がる土煙を親指で指し、続けた。


「お客さんが来たみたいだから」

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