第1話
「まずは優先順位を決めておこう」
エンデ共和国設立が都市内で発表された翌日、議会で共和国初代代表に正式に選出されたゴドウィンは、おもむろにそう切り出した。
場所は政庁内でも一般職員の立ち入りが制限されている小会議室。参加者はゴドウィンと一〇名からなる最高評議会のメンバー、そこにウルを加えた計一二名だ。
先日、議員たちの前で賢しげに演説をぶちまけたウルではあるが、本来ならここは一冒険者に過ぎない彼が同席できるような場ではない。実のところ共和国設立を扇動した演説が終わった後にも、一部の議員から「結局お前は誰なんだ?」とツッコミがあったほど。ツッコミを入れた当人にウルの存在を否定する意図はなく、また言われたウル本人がそれを一番疑問に思っていたのだから何とも言えない。
とは言え現実問題この共和国設立の絵図を描いたのがウルであることは誰もが理解している。扇動だけして逃げ出すことなど許されるはずもなく、彼は議決権のないオブザーバーとして委員会に参加させられていた。
あるいは犬ジイの方がウルより適任だったかもしれないが、犬ジイは今ウル以上に多忙だったし、流石に正式な評議会に裏の人間を参加させるわけにもいかない。ウルはそうした裏の有力者たちの代弁者としても期待されていた。
「それは優先して対処すべき課題の整理、という意味でよいか?」
ゴドウィンの言葉に反応したのはローラン安全保障委員。先日ウルの発言に最も激しく噛みついた武器商の元締めだ。
「その通りだ。議会や都市の有力者との間では独立についてコンセンサスが得られたが、詳しい事情を知らない一般市民の間には不安が広がっている。また帝国側の使者とも早急に話し合いの場を設ける必要があるだろう。問題は山積しているが、我々の手の数は限られており、ある程度優先順位をつけて取り組んでいく必要がある」
「確かに。そうした意味では帝国側との交渉は安全保障の面でも経済的な面でも最優先で取りまとめる必要があるでしょうな」
そう発言したのはワルター外務委員。この都市では珍しい生粋の政治家で、元は帝国貴族の血を引く名家の出だそうだ。
「いや国内情勢の安定こそ優先すべき課題だろう。一般市民には独立や迷宮に関する裏の事情を伝えるわけにはいかんのだ。市民感情を軽く見ればエンデは中央と交渉する前に叛乱によって内側から自壊するやもしれんぞ」
それに異を唱えたのはクラウス公安委員。傭兵を主とした人材派遣業を営む剛腕実業家で、万一市民が暴動など起こせば部下に鎮圧を命じなければならない立場だけに、その懸念は深刻だった。
「うむ。人の口に戸は立てられぬし、いずれ市民たちにも真実は広まるだろうが、迷宮の対処に目途が立つまで裏の事情については伏せておかねばならん。真実を知った帝国がどのような反応を見せるか予想がつかんからな。そういった意味では迷宮基幹部の解析と分業化にいつ目途が立つかが重要となってくるが──見通しはどうなっているのかね、アリウス委員」
「──は? えぇ、見通し、ですか……」
ゴドウィンに話を振られて焦った様子を見せる老エルフはアリウス文部科学委員。彼こそが冒険者ギルドのギルドマスターなのだが、実際のところギルドマスターというのは引退した冒険者が就く名誉職で、実務上はただのお飾り。日頃ギルドでノンビリお茶を飲んでいただけの枯れ木のようなエルフは、自分の任期中にこんな問題を起こされ、早く仕事を辞めさせてくれと周囲に愚痴を漏らしていた。
迷宮の解析と分業化の見通しなど全く把握していないアリウスは助けを求めるような視線を彷徨わせ、代わってウルがその質問に応えた。
「──代表。それに関しては私から。現在、冒険者ギルドの精鋭とカノーネ導師を中心に調査検討を進めており、迷宮の主要な機能については既に九割方解析を完了しています」
その場にいる者たちから『おお……』と感心したような声が漏れる。
「ただし、それはあくまで現代の技術力で確認できる範囲でのものです。万全の対応をとったとしても管理機能をコアから手動に移した段階で不具合が発生することは避けられないでしょうし、移行はその対応のためのバッファーを確保しながら慎重に進めていく必要があります。迷宮の管理を行う人員の捻出や体制整備、事前教育などを考えますと、具体的な移行の着手まで最短で三か月ほど。そこから完全な移行まではどれだけ順調に行っても更に半年は必要かと」
つまり迷宮の分業化が完了し、市民に事情を公表できるようになるまで一年程度は見て欲しいということだ。
この不安定な状態が一年も続くとなれば長く感じるが、古代の技術が結集した遺跡を解析し、グレードダウンという形ではあれシステムを作り替えようというのだから、本来なら数年、数十年単位の基幹が必要となる大事業だ。これが破格の短期間での作業だということはゴドウィンたちにも理解できたため、文句などは特に出てこなかった。
「うむ。迷宮の分業化はこの問題の根幹ではあるが、こればかりは一朝一夕で片付くものではない。あまり急がせて問題が起きては元も子もなかろう。つまり我々は、一旦迷宮の分業化という課題を棚上げしてでも、最優先で国内外の情勢の安定化を図らねばならんということだ」
「代表のご意見にそのものに異論はありませんが、その優先課題の一つに迷宮資源の採掘と輸出の安定化を付け加えていただきたいですな。外交や統治の安定も勿論ですが、我らエンデの本質は商業都市。餓えた者たちにどれほど美辞麗句を紡いだところで届きはしないでしょう」
嫌味っぽく口を挟んだのは財政委員のサバデル。都市最大の総合卸を営む大商人で、かねてよりゴドウィンとは意見の対立が目立つ男だ。
「サバデル委員。我々は今、その経済活動の前提として国内外の情勢を安定させねばならない、という話をしていたつもりだが、聞いておられなかったのかな?」
噛みついたのはホーウッド法務委員。元官僚でゴドウィンの子飼いとされる若い議員だ。
「無論聞いていたとも。私はその安定化のためには、交渉や市民へのアナウンスより何より経済活動を回していく必要がある、という話をしたつもりだが──ホーウッド委員には少し難しかったかな?」
「何を──っ!!?」
「止めたまえ、ホーウッド君」
サバデルの挑発にいきり立ったホーウッドを制止したのはゴドウィン。飼い主の冷たい視線にさらされホーウッドは渋々席に座りなおした。
「サバデル委員も挑発的な物言いは慎んでいただきたい。今は非常時だ。我々には非生産的なやり取りに時間を割く余裕はないのだよ」
「……申し訳ない」
他の委員たちからも冷たい視線が向けられ、流石に分が悪いと理解したのかサバデルも素直に謝罪し軽く頭を下げた。
ゴドウィンは注意をそれだけに留め、すぐに表情を緩めて言葉を続ける。
「だがサバデル委員の意見も最もだ。我々エンデの強みは迷宮資源を根幹とした経済力。交渉や市民へのアナウンスは通常のルートと経済活動の両面から行うべきだろう。帝国との交渉や市民への説明は代表である私が前面に出て行わねばならんだろうから……経済活動の再開についてはサバデル委員──君に主導してもらって構わないかね?」
「…………よろしいので?」
そう話を持って行きたかったのはサバデル自身だが、まさかゴドウィンから言い出すとは思っておらず、サバデルはつい聞き返してしまった。
「君が適任だろう。もちろん君一人に負担をかけるつもりはない。そうだな……エックハルト委員とマリウス委員。申し訳ないが二人はサバデル委員の補佐に回ってほしい」
エックハルト運輸委員はサバデル派、マリウス経済委員はゴドウィン派の委員。これはエックハルトを実務上の補佐とし、マリウスはゴドウィンたちとの連絡・調整役として使えということだろう。
経済面での施策を担当する委員のメリットは大きく、従来の評議会であれば誰がその役割を担うかで熾烈な駆け引きが繰り広げられていただろう。それを躊躇いなく対立派閥のサバデルに任せたことで、サバデルだけでなくその場にいた委員全員がゴドウィンの本気と、今が有事であることを再認識し気を引き締めた。
「構わないね?」
『はっ!』
ゴドウィンの確認に経済担当を任された三人は一も二もなく応諾した。
「うむ。では、それ以外の担当と割り振りを決めていこう。まず皇帝とオッペンハイム公との交渉窓口は一元化した方がよいだろうから、申し訳ないがワルター委員に骨を折って──」
委員の引き締めに成功したゴドウィンは満足そうに頷き、次々と指示を出していく。
普段は互いの足を引っ張り合い自分たちに利益を誘導することにしか興味のない委員たちだが、それさえなければ──例外はあるが──一廉の有能な人物だ。大方針が定まり、それに向かって本気で動き出せば頭の回転も動きも早い。
委員たちはその後も建設的な意見を交換し、第一回エンデ共和国最高評議会は順調に進んだ。
ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな無知蒙昧で愚劣な平民ごときが──!!




