第19話
五章、六章は前後編構成。
五章についてはこの土日で何とか最後まで投稿し、来週から最終章となる六章の投稿を開始する予定です。
「……なんじゃ、ありゃ?」
その日住民たちは、エンデの街を覆う外壁の上にフワフワ浮かぶ巨大な金属の塊を見上げ呆気にとられた。
巨大かつ複雑な構造の造形物が冗談のようにひょいひょいと宙を舞い、組み立てられ、石壁を補強しながら上部に備え付けられていく。ドームと筒を組み合わせたような不思議な形状のそれが一か所ではなく複数、次々と。
異様な光景だ。
何らかの魔術装置を設置しているのだろうということは分かるが、一体誰が何の目的でやっているのか。住民たちは不安より好奇が勝る眼でそれを見つめていた。
「ありゃあ、自治領主が例のエルフに依頼したっつー防衛用の兵器らしいぜ」
迷宮から探索を終えて帰ってきたタイミングでそれに気づき目を丸くする冒険者に、露店の店主がその正体を教える。
「……知ってるのか?」
「昨日、政庁から通達があっただろ。読んでないのか?」
政庁からの通達は官公庁だけでなく、大通りやギルドなどの主要施設に設置された掲示板に広く掲出されており、住民たちは一日一度は掲示板を確認することが推奨されている。
「ああ。何書いてあるか分からんから読んでない」
だが実際にそれらに目を通すのは商人などの知識層が中心で、ゴロツキ紛いと揶揄される冒険者で目を通している者は一割にも満たない。
帝国の住民の識字率は決して低くなく、この冒険者の男も文字が読めないわけではないのだが、小さい文字で小難しいことを書いた役所の通達など読んで楽しいものではない。
そのため彼らはもし本当に重要な情報ならギルド職員など周りの人間が何か教えてくれるだろうと、危うい合理性を身に着けてしまっていた。
露店の店主はそんな冒険者に呆れたように嘆息し、しかしそれ以上ツッコむことなく自分の知っている情報を提供してやった。
「要するに、こんなご時世だからうちも最低限の自衛手段を整えようっつーことらしいぜ。一応工事にあたって危険はないそうだが、万が一があったらまずいから外壁周辺にゃ近づくなってお達しがあった──まぁ、役人は危険云々より住民を混乱させないようにってんで事前通知したんだろうが……お前さんらみたいなのが大半なら意味はなかったかもな」
「ほ~ん」
店主の言葉に混じった嫌味を気にした様子もなく冒険者は呑気に頷く。
「え? つーか何? 兵器ってことは、やっぱりこの街も戦争になんの?」
「……はぁ。逆だ。戦争になるから兵器をこさえるわけじゃなく、戦争に巻き込まれないためにやるんだろ」
店主はわざとらしくもったいぶった態度で、自分自身公式の通達での聞きかじりの知識をさも自分の意見かのように披露した。
「このご時世、何の防備もしてないんじゃ、いつ先走った連中に攻め込まれないとも限らないからな。威嚇の意味も込めて分かり易くて派手な兵器を設置するんだろうぜ」
「ほ~ん。兵器は準備したから思う存分戦えっつーんじゃなけりゃ何でもいいけどよ」
「けっ。どうせお前らみたいな根無し草、何かあればいの一番に逃げ出すんだろ。領主だって当てにしちゃいねーよ」
「ちげぇねぇ!」
このように、防衛兵器設置に対する住民たちの反応は驚きはあっても比較的好意的──あるいは無関心に近いものだった。
これに関しては都市の有力者たちも反応に大きな違いはなく、自分たちも情勢の変化に対応するため忙しい、都市の防備を固める程度は自治領主の判断で勝手にやればいいと黙認していた。多少規模は大きいようだがこの短期間で出来上がるものなどどうせ大したものではないだろうし、と。
これは自治領主ゴドウィンが意図的に偏った情報を有力者たちに流し防衛兵器の設置にかかる費用を誤認させていたためで、彼らも後日費用の全容を知り、想定していたより桁が四~五つ違うと目を剥くことになる。
一時、不穏な噂が流れたカノーネが製作の指揮を執っていることに関しては、自分たちの役に立ってくれるなら誰でも良いと淡白な反応。実際ほとんどの人間は多少噂を聞いた程度で直接何かしたわけでもされたわけでもないのだからそんなものだろう。
一部の者たちは「自治領主はこの防衛兵器込みで都市をどちらかの勢力に売り込むつもりなのでは」とか「皇太子と組んでエンデを中心に第三勢力を形成するつもりでは」とか根も葉もない噂を流していたが、誰も本気にはしなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふむ、防衛兵器の設置か……厄介だな」
引き続き情勢を窺いエンデに潜伏していた皇太子レオンハルトは護衛騎士から受けた報告に顔を顰めた。
護衛騎士のスタークとマグナスはその反応に顔を見合わせ、皇太子に対し疑問を口にする。
「厄介……ですか? 都市の防備が増すのは潜伏中の我々にとっても良いことだと思うのですが」
まるで盤面が見えていない。
しかし皇太子は部下の不明に不満を示すことはせず、淡々と言い聞かせるように説明してやった。
「防備といっても所詮はハードに頼ったものだ。どんな優れた兵器を持とうと軍事力による裏付けのないエンデでは父上や叔父上の侵攻を防ぐことはできん」
「しかし、今回の一件はカノーネ導師が関与しているという話です」
世界最高峰の魔術師が作った兵器ならその限りではないのでは、とマグナスが控えめに反論するが、皇太子はゆるゆるとかぶりを横に振った。
「いくらカノーネが優れた魔術師であろうと、出来ることは精々エネルギー効率を何割か高める程度だろう。既存の大砲の威力が仮に倍になったとして、それでこの都市の防衛が叶うと思うか?」
『…………』
護衛騎士たちは頭の中で全方位から軍に攻め立てられるエンデを想像し、そこに砲弾を撃ち込み数十人の兵士を吹き飛ばしてみる──意味は薄い、と皇太子の言葉の正しさを理解した。
「今回の一件によって少なからず父上や叔父上の注意がこの街に向くことになるだろう。それが何を意味するか……」
「……殿下の存在が漏れるリスクが増してしまいますな」
「確かに!」
ようやく理解したのか護衛騎士たちが顔を顰める。
呆れを押し殺す皇太子の内心に気づく様子もなく、彼らは憤った様子で今回の一件を主導する自治領主への不満を口にした。
「ゴドウィンは陛下に断りもなく何を勝手な真似をしているのか!」
「即刻、抗議して設置を止めさせましょう!」
「……やめよ」
──どうしてこいつらはこう……
部下たちに忍耐を試されながら皇太子は辛抱強く諭した。こんな連中でも彼にとっては貴重な味方だ。
「そもそも何をどう抗議するつもりだ? この情勢下で都市の防備を固めるのは領主として当然の判断だ。まさか我らが隠れるのに不都合だから止めろとでも言うつもりか?」
「しかし! ゴドウィンは結局例の一件でも殿下に誠意ある回答をしておらず、その場限りの言葉で誤魔化すばかりではありませんか!? せめて殿下のお立場に配意し、動くのであれば事前に何か一言あってしかるべきしょう!」
例の一件とは皇太子たちが意図的に自分たちに不利に働きそうな噂を流し、ゴドウィンを責め立てた件を指すが、こちらが彼らをハメておいて誠意ある回答も何もないだろうと、皇太子は頭を抱えそうになる。
あれは見抜かれることを意図した上での駆け引きだということさえ彼らは理解していなかったらしい。
あまりの物分かりの悪さに頭が痛くなり、つい皇太子の言葉にも険が混じる。
「……私がゴドウィンの立場であれば、もしこの状況で抗議などすれば我らを拘束し『皇太子に叛意有り』と父上に送り付けるであろうな。奴が我らを客賓として遇しておるのは、忠誠心からではなく利益を見出しているからだということを忘れるな」
「……はっ」
「差し出がましいことを申しました」
落ち込んだ様子の部下たちに、少し言い過ぎたと感じた皇太子は穏やかな笑みを取り繕って続けた。
「ともかくその兵器に関して情報収集は行わねばならんだろうが、あまり無理はせず慎重に動け」
「……宜しいのですか?」
兵器に関する情報を軽視してよいのか、という疑問だが、皇太子はそれを一笑に付した。
「構わん。兵器一つでこの情勢が劇的に動かせるはずもない。それより、念のため国外に落ち延びる準備を本格的に進めさせよ」
「はっ!」
レオンハルトはいずれ帝国のトップに立つ者として、状況を動かすべきは物言わぬ兵器ではなく自分自身であるべきとの意識と自負があった。兵器の力を利用して何かを為したとしても誰もついてくることはない、と。
──とは言え、周りがそれに踊らされるというなら話は別だ。
エンデの注目が高まれば、それを巡って皇帝とオッペンハイム公が本格的に戦端を開くことはあり得る。臣民の血が流れることは断腸の思いだが、その後背をつくことも含め準備だけはしておくべきだろう。




