第14話
暗くややこしい話ばかりが続いたので、ウルは気分転換がてら久しぶりに一人で街に出た。
つい先日まで皇子が流した噂に踊らされた連中の襲撃を警戒し単独行動は避けていたが、エンデ市内は今帝国を真に二分するだろう皇帝とオッペンハイム公の話題で持ち切り。皇子が流した噂やカノーネやウルへの逆恨みなど、皆すっかり忘れてしまっていた。
「忘れられる分にはいいことではあるんだけど、な……」
そんな気まぐれな民衆に何となく割り切れないものを感じながら、ウルは目的もなくぶらり街を歩く。
折角周りからの目が落ち着いた(?)のだから迷宮にでも潜ればいいのかもしれないが、ウル本人も含め仲間たちは皆来たる分裂が気がかりでとてもそんな気になれないでいた。
毎日のように顔を合わせては話し合いや情報交換を行い、不安を共有して別れる。そんな特に益のない行動に皆ウンザリしていて、それでも止めるに止められない悪循環だ。
一応ではあるがエンデの住民に関する今後の動向もいくらか見えてはきた。
どの勢力がエンデを支配するにせよ冒険者の探索ノウハウは軍人では代替がきかず、カナンたち正規の冒険者への影響は比較的軽微なものに留まるだろうと言われている。ギルドも上が挿げ代わることはあれ、組織として大きな変化はないだろう。
逆に変化が大きいのは犬ジイたち裏稼業の人間と、エレオノーレたちオークを始めとした亜人種。彼らはこれまで自治都市特有の緩さもあってその存在を許容されてきたが、今後の支配者の方針次第ではそうもいかない。既に犬ジイは最悪の事態を想定し、彼らの移住先など準備を進めているそうだ。
また意外に今回の事態に難色を示していたのが教会関係者。秩序を重んじる至高神の一派である彼らにとって迷宮都市からならず者が減るのは大歓迎かと思いきや、リンの話では折角迷宮事業の利権に食い込めそうなタイミングで国に横やりを入れられるのは御免と考えている者が多いらしい。迷宮での巡回治療・蘇生の対価にギルドや上層部と交渉を進めていたが、国の介入があっては中々柔軟な駆け引きも難しい。最悪の場合、迷宮での巡回治療は見返りの薄いボランティア同然の事業になってしまうのではと危惧しているそうだ。
商人や職人たちは総じてこの事態に危機感を抱いている。帝国が二分されエンデがそのどちらかに属すれば、単純に考えて彼らのマーケットは半減することになる。もちろん輸出対応も検討していくことにはなろうが、敵対勢力への輸出は大幅な制限が加わると考えるべきで、見通しはどう考えても暗い。その意味では彼ら相手に素材を供給している冒険者もマイナスの影響を受けざるを得ないのだが、新たな支配者がその辺りをどう考えているのか……
「──お。ウル? ウルじゃねぇか!?」
「え──」
突然街中で作業着姿の中年男性に親しげに話しかけられ、ウルは一瞬相手が誰か分からず戸惑った。顔に見覚えはあるし知り合いであることは間違いないのだが、ここ最近会っていなかったのか頭の中で顔と名前とが上手く繋がらない。
ウルの戸惑いに気づくことなく、その男性はパンと彼の背を叩いて続けた。
「久しぶりだなぁ! ゴタゴタして仕事が出せないまま辞めちまったから心配してたんだぜ。元気にしてたか?」
「──あ。はい。おかげさまで」
その言葉と男の作業着にようやく記憶の糸が繋がる。ウルがエンデにやってきたばかりの頃お世話になったバイト先──素材買い取り所での直属の上司だ。
当時のウルはコウモリ相手に死にかけるようなクソ雑魚で冒険者としてやっていける見込みもなかったため、買い取り所でのバイトが生命線だった。特に目の前の独り身で寂しがり屋の上司には、金欠時代によく食事を奢ってもらい世話になった記憶がある。
ただウルが冒険者としてやっていく目途が立ち、スラムの人間と事業を始めて忙しくなったタイミングでゴブリン騒動が勃発。迷宮探索に制限がかかって素材買い取り所の仕事が激減し、バイトに割り振れる仕事が無くなり、ウルもウルで他の仕事が忙しくなったため、帝都へのお遣いがあったタイミングでフェードアウトしてそのままバイトは辞めてしまっていた。
「色々噂は聞いてたんだけどな。ヤバい話も聞くから心配してたんだよ」
「ハハ……スイマセン」
どれのことだろう? 心当たりが多すぎてどれがどんな噂になっているのかも分からない。
ウルのそんな葛藤を気にすることなく、元上司はマイペースにウルの背中をバシバシ叩いて嬉しそうに続けた。
「まぁ、詳しいことは聞かないけど、五体満足でしっかり飯も食えてるみたいだから悪い状況じゃないんだろ。ホント、元気そうでよかったわ」
「ハ、ハハ……ゲフゲフン」
あまりにもしつこくバシバシ背中を叩かれるので少し咽そうになり、話題を切り替ようと話を振る。
「先輩の方こそ。俺はゴブリン騒動以降のことはよく知らないんですけど、買い取り所の方は順調ですか?」
「お~……まぁ、こんなご時世なんで順風満帆とはいかねぇけど、今のところはな」
含みのある表現だが、先の見通しは誰にとっても決して明るくない。今のところという但し書きはついても、元上司にとってウルが職場から去って以降の状況は決して悪くはなかったようだ。
「例の騒動で一時期仕事が激減してたんだけど、ゴブリンが討伐されて以降は順調に素材の持ち込みが回復しててな。最近だと、神殿騎士が迷宮内で巡回治療とか始めた影響か冒険者始める奴も増えたみたいで、浅層の安い素材中心だけど前より持ち込み量は増えてるんだよ。大体、騒動前の二割増しぐらいかな?」
「へぇ~……」
元上司はその増加の裏にいるのがウルだとは知らないらしく嬉しそうに事情を語ってくれた。ウルはそれを少し面映ゆく感じながら、すっとぼけて曖昧な表情で相槌を打つ。
「それとお前さんが作った消臭剤。あれ向けのクズ素材もスラムの連中が値をつけて安定して買ってくれるようになったし、うちも優先して物を卸してもらえるしで助かってんだよ」
そう言えばそうだ。ウルの懐具合が安定したのは素材買い取り所で捨てられる予定だった素材を使って消臭剤を作り、試供品として持ち込んだのが切っ掛けだった。
つまり今思い返せば、あの買い取り所でのバイトはウルにとって飛躍の契機であり全ての始まりだったわけだ。
そんな恩ある場所のお世話になった元上司が、自分が作ったもので利益を上げ喜んでくれているのを見て、久しぶりにウルの顔に裏のない素直な笑みが浮かぶ。
「そりゃ良かった。これからも──」
──ご贔屓に、と続けようとして、情勢次第ではそうもいかないこと思い出し言葉が途切れる。
元上司もそのことには気づいただろうが、ワザと気まずさには気づかぬフリをしてカラカラと笑って返してくれた。
「おう。お互いそうありたいもんだな」
「……ですね」
そこでふとウルは、元上司の作業着がいつもより汚れの薄いよそ行きの物であることに気づき、首を傾げた。
「そう言えば、この時間はいつもなら作業場で夕方の買取りラッシュに備えて準備してる時間でしょ。お休みですか?」
「何で休日まで作業着着てなきゃいけねぇんだよ」
元上司は半眼でツッコミ、肩を竦めて続ける。
「今日は出入りの業者と打ち合わせだ」
「打ち合わせ? 何のです?」
素材買い取り所は冒険者から素材を買い取り、決まった先に素材を卸すだけの商売だ。大まかな条件はトップの方で決めてしまうから、わざわざ現場監督の彼が外に打ち合わせに出ることなど滅多にないはずだが……
ウルの疑問に元上司は少しだけ周囲の耳目を憚るよう、少しだけ声を潜めて説明した。
「……上が変われば色々商売もやり辛くなるだろうからな。その時に備えて複数ルートで物を流せるように、色々とな」
つまり表向きとは違う裏のルートを準備し、新たな支配者の目を盗んで素材を流す段取りをしていたということか。
「どっちが上に付くにせよ、今まで通りにゃ素材を動かせなくなる可能性が高い。上から漏れ聞いてる話じゃ、マーケットが小さくなった分の需要は軍の方でカバーしてくれるっつー方向で秘密裏に交渉を進めてるらしいから、俺らエンデの商人の影響は最小限に抑えられる見込みだが、物を買えなくなった取引相手はそうはいかねぇ」
需要を軍でカバー──初めて聞く情報だ。恐らく皇帝とオッペンハイム公はそうやってマイナス影響をカバーするという条件でエンデやその周辺の領主を自陣営に引き込もうとしているのだろう。
だがそれで救われるのはエンデの商人だけ。エンデから迷宮資源を購入していた者たちはそうはいかない。ましてそれが敵陣営に回れば。
「……リスクが高すぎませんか? どっちが上に座るにせよ、そういう敵側への輸出は一番厳しく取り締まりたいとこでしょ」
「分かってるよ。俺らも後ろ手に縛られる趣味はねぇ。あくまで無理のない範囲で、だ」
眉をひそめて警告するウルに、元上司は肩を竦めて心配するなと笑う。そして表情を少しだけ真面目なものに改めて続けた。
「それに、多少リスクにゃ目を瞑っても後々のことを考えると取引は維持しときたい。軍の需要なんて言っても所詮は口約束だ。どこまで保証されるか分かったもんじゃねぇ」
「……まぁ確かに」
単に従来の取引相手を慮ってのことではなく、将来に備えての保険として繋がりを持ち続けておきたいということか。先の見えない状況ながら皆様々に手を打っているようだ。
元上司の意外な逞しさに感心するウル。
「本音を言えば今までどおりが誰にとっても一番なんだが……貴族どころか皇族相手じゃ文句も言えねぇしな。与えられた条件の中で出来ることをやってくしかねぇ」
元上司の言葉はおどけてはいたが平民らしい悲哀が滲んでいた。
「……ですね。準備だけはして、後は自治領主閣下の交渉力に期待、ですか」
「だな。まぁ、所詮は貴族でもない自治領主だ。あんま期待しすぎるのも気の毒だろうがね」
馬鹿にしているわけではなく、こんなタイミングで自治領主の座にあるゴドウィンを心底気の毒に思っている口調だ。
「せめてそれなりの箔と力がありゃ……大貴族か一国の王ってんなら期待もできるんだがなぁ……」




