第12話
「……お疲れ様です」
──いや、あんたが一番お疲れだろ……
ギルド職員ロイドの言葉に、その場にいた全員が胸中でツッコミを入れた。
敢えて言葉に出さないのは呆気にとられたというのもあるし、亡者のようなロイドの顔色にツッコむことすら憚られたというのもある。
場所はウルの自宅リビング。メンバーはウル、レーツェル、エレオノーレ、リン、カナン、エイダ、カノーネのフルメンバーにプラスしてロイド。四日前にオッペンハイム公の別動隊が他領に攻め込んだという件について、多忙なロイドが時間を割き、わざわざ情報共有のために訪問してきてくれた形だ。
ウルはロイドにお茶を出し、心底申し訳なさそうに話しかける。
「えと……わざわざすいません。というか、忙しそうだし呼んでくれたらこっちから伺ったのに」
「ハハ……ありがとうございます。お気遣いは感謝しますが、皆さんの事情も理解していますので外出は極力控えていただいた方がいいでしょう」
ロイドはギルド内でも特に使い勝手の良い社畜らしく、こうした緊急時には特に仕事を割り振られやすい傾向がある。この子供が見たらちびりそうな様子を見るに、また睡眠どころか食事もろくにとっていないことは明らかだった。
「それにしたってわざわざロイドさんが……他の人に伝言してくれてよかったんですよ?」
「いえ……今回の件は自治領主閣下直々のご配意ですから他の者には任せられません。事情を知っている私がお邪魔するのが一番確実でしょう。それに──」
ロイドはニチャァとした笑みを浮かべて本音を吐露した。
「──外に出ると、息抜きになるので……」
──久しぶりの外回りにワクワクする事務職みたいなこと言って。
結局ウルたちは、本人がいいのならとそれ以上のツッコミを放棄し、ロイドの話を聞く姿勢をとった。
「まず最初に自治領主閣下からのご伝言ですが『本来であれば私が直々に説明すべきところ、こうした形になって申し訳ない』と」
「仕方ないわよ。どうせ泡くった皇子の相手で手一杯なんでしょ?」
「それプラス、都市内外の有力者との面談も、ですね」
皮肉気に呟くカノーネに、ロイドが付け加える。
「本格的な軍事衝突に発展する可能性は低い──あるいはそうなってもあくまで皇族間の権力争いと言う形に留まると思われていたのが、オッペンハイム公の暴挙で本当の意味で帝国を二分しかねない事態に発展したのですから。皆さん天地がひっくり返ったような大騒ぎですよ。──まぁ実際、ほとんど騒いでいるだけで何か実のある対応ができているわけじゃありませんけど」
ロイドが自嘲気味にぼやく通り、こうした緊急事態において組織の大半の人間は情報のやり取りに時間を取られ、実際に意味のある行動をとれる者は少ない。それは能力や適性の問題ではなく、大きな組織であるが故の弊害だ。特に緊急時には誰もが正確な情報を把握したいと考え、その収集に躍起になる。それ自体は決して間違った行動ではないが、大半の人間は情報を集めただけで満足し特に具体的な行動に移ることはなかった。
ロイドのように中枢でその情報の管理をさせられている立場としては、色々と忸怩たるものもあるのだろう。
「愚痴はいいから早いとこ本題に移ってくれないかい? あたしらも別に暇じゃないんだ」
一番彼と付き合いの長いカナンが遠慮のない態度でせっつく。ロイドはそれに怒るでもなく頷き、説明に入った。
「そうですね。今日私は、自治領主閣下の依頼で皆さんに現在の帝国の情勢について報告に参りました。閣下の意図としては、皆さんが不確かな情報に振り回され迂闊な行動に出ないよう適切な情報共有を図っておきたい、ということでしょうね」
「つまり私らは自治領主閣下がわざわざ報告を上げる存在になったってわけですか。まぁ、向こうの目当ては師匠なんでしょうけど、ちょっと偉くなった感じがして気分がいいですね~」
レーツェルのおどけた言葉にその場の空気が少しだけ和む。
「ご満足いただけて何よりです。それで具体的な中央の情勢ですが──」
ロイドの説明は次のようなものだった。
オッペンハイム公の別動隊が三つの領を同時に攻めかかったという情報は、帝都の緊迫を受け魔術師たちが通信網を張り巡らせていたこともあり、瞬く間に帝国全土に伝わった。
攻められたのはアルデンホフ子爵、ライフアイゼン男爵、フーバー男爵の三領。いずれも帝都からほど近い小領で、旗色を鮮明にしていたわけではないが現政権に友好的と見られていた勢力だ。
当初ウルたちが聞いていたのは“攻め込んだ”というところまでだったが、既にその三領は陥落済み。領主とその一門は首を斬られるか捕縛されてしまったらしい。
いくら小領とは言え一廉の貴族が分散した別動隊に数日と持たず落とされたというのは驚きだが、ロイドの話を聞く限りその戦果はオッペンハイム公の軍事的才能によるものというより、攻められた側が油断していた、というのが大きかったようだ。
どうやら周辺の貴族たちはオッペンハイム公が皇帝との戦いに専念するものと考え、明確に敵対姿勢を打ち出さない限り向こうから攻めてくるとは考えていなかったらしい。
ただこれを油断と呼ぶのは些か気の毒でもあり、公が皇帝との戦いを前にわざわざ他の勢力に喧嘩を売って戦力をすり減らすとは常識的に考えづらい、というのが衆目の一致するところだった。攻められた貴族たちが皇帝に味方することが明らかで後顧の憂いを絶つ目的であったならまだしも、彼らは明らかに静観する方針で軍を起こす気配すらなかったのだから猶更だ。
そしてこの侵攻を受けて帝国の勢力図には大きな変化がもたらされた。
まずオッペンハイム公の暴挙に貴族たちの反発が強まる一方で、攻め込まれることを恐れて公に近づく貴族も現れた。どちらにせよ多くの貴族たちはこの状況で中途半端な態度は命取りと考え、皇帝とオッペンハイム公どちらに付くか旗色を鮮明にする動きが強まった形。
恐らく一月もすれば帝国内の勢力は完全に二分化されることになるだろうというのがロイド──正確には自治領主たちエンデの都市上層部の見立てだ。
「となると、本当に帝国を二分する大戦が勃発することになるのか?」
ロイドの話を聞き、何故か目をキラキラ輝かせてエレオノーレが尋ねる。しかしその期待にロイドは苦笑してかぶりを横に振った。
「いえ。恐らくそうはならないでしょう──勿論、当面は、という但し書きはつきますが」
「む? 何故だ? オッペンハイム公は皇帝を倒すために軍を起こしたのではないか? そのために敵対的な貴族を攻めたのだろう?」
どう説明したものか口ごもるロイドに代わってその問いに答えたのがウルだ。
「そうじゃない。恐らくオッペンハイム公はこのタイミングでの決戦を諦めたんだ。それを誰も予想できていなかったからこそ今回の軍事行動に皆驚いてるんだよ」
「決戦を……諦めた? どうしてそうなるんだ? 話を聞く限りオッペンハイム公の軍に大した被害は出ていないようだし、戦況に大きな変化はないだろう。これから先皇帝側に付く勢力が劇的に増えて不利になるのなら話は別だが、今の段階で決戦を諦める理由はないんじゃないか?」
単純に今、盤上に配置された軍の動きだけを見るのなら、エレオノーレの意見は決して間違いではなかった。
だが戦争とは軍の損耗だけをもって語るものではない
「単純に消耗した戦力だけ見ればそうかもしれないけど、オッペンハイム公は今回落とした三つの領の慰撫や仕置きを行ってその支配を固める必要がある。当面はそこに手をとられることになるから、決戦どころじゃないよ」
「ふむ……確かに。それを疎かにして、後ろから叛乱でも起こされてはたまったものではないな」
エレオノーレはウルの説明に理解を示しつつも、あらゆる疑問を解消するために反論をぶつけた。
「だが、今回落とした領地はいずれも小規模だ。叛乱云々は無視しても大勢に影響はないと考える可能性もあるのではないか?」
「ああ。問題が攻め落とした三領だけなら割り切ることもできるだろうな。だけど今回の一件で、オッペンハイム公に反発した勢力への警戒も必要になるし、逆に公に味方すると近寄ってきた貴族が裏切らない保証もない。その辺りの整理がつくまでは、とてもじゃないけど思い切った軍事行動なんてできやしないよ。まあ勿論、その上で何らか策を仕込んで決戦に挑むって可能性もゼロじゃないだろうけど、もし決戦となれば皇帝も内通の類は警戒するだろうし……うん、そうなるとやっぱりオッペンハイム公側が不利だな」
なるほど、今度こそ完全に納得した様子のエレオノーレに代わって口を開いたのはエイダだ。
「……情勢はある程度理解できました。それで、今後エンデはどう動く予定なんでしょう?」
「…………」
その問いに即答できず黙り込むロイド。その表情は答えにくいというより、どう答えるべきか迷っているように見えた。
そのやり取りを理解できずカナンが不思議そうに口を挟む。
「エンデがって……どういう意味だい?」
「これから帝国は皇帝とオッペンハイム公によって二分されることになる。単純に国内勢力が分かれるって意味じゃなくて、国そのものが割れるってこと。いくらエンデが中立の自治都市とは言え、完全に国が分かれちゃえば中立なんて言ってられないでしょ?」
「……どっちに付くか、エンデも旗色を決めなきゃならないってことか」
一同の視線がロイドに集まり、彼は観念したように溜め息を吐いた。
「……ご懸念の通り、都市上層部が一番懸念しているのはその部分です。今のところ両勢力からエンデに対し正式な使者は来ておりませんが、いずれそうした判断を下さざるを得なくなると考えています」
「エンデは所詮自治都市ですし、周辺の領主を抑えれば自然とそちらに靡くと考えているのかしら?」
エイダの意見にロイドは首肯した。
「おっしゃる通りかと。実際、エンデがまとまって動かせる戦力は微々たるものですし、周辺と歩調を合わせざるを得ません。ただエンデをどちらの勢力が得るかはその後の国力に大きく影響するので、周辺の領主には両勢力からかなり強く圧力がかけられているようです。自治領主閣下は魔術師の手を借りて方々の領主との面談に奔走されておられますよ」
「つまり中立は諦め、どちらに与すればより安全に利権を守れるか意見調整を行っている、と?」
「…………」
エイダの問いかけにロイドは何も答えなかったが、その沈黙が何よりの答えだった。
続いて口を開いたのはレーツェル。
「それもあるけど、上の方針次第じゃエンデの自治も維持できるか怪しいんじゃありません? 今までは皇室の支配が緩かったから見逃されてたけど、オッペンハイム公がエンデをとったらエンデを直轄領にするって可能性もあるでしょ」
エンデの迷宮資源は帝国の屋台骨だ。
その供給をコントロールすることができれば貴族たちの支配はスムーズに進むだろうし、むしろ強権を振るおうとしている公がそうしない理由がない。いや皇帝に与したとしても、今回の叛乱を受けてエンデへの支配は強まる可能性が高い。
そしてそれをゴドウィンたち都市上層部が好ましく思わないだろうことは言うまでもなかった。
何も言えずにいるロイドに畳みかけるように、さらにリンが別の疑問を口にする。
「あと、レオンハルト皇子はどうなるんです? 帝国が割れて決戦も起こらないじゃあの人、完全に浮いた駒になっちゃってるでしょ。大人しく帝都に戻ってくれるんですか?」
「それが……今のところ殿下にそのおつもりはないようで──」
「今回は色々と勝手に動いてたみたいだし、このまま戻れば将来的に廃嫡もあり得ると考えてるんでしょ」
言葉を濁すロイドに代わって推測を口にしたのはカノーネ。
「最低でも自分の働きかけでエンデとその周辺を味方につけたって手土産は必須。ひょっとしたら、もっと諦め悪く第三勢力の可能性を模索してるのかもね」
「…………」
ロイドの反応を見る限り図星らしい。
自治領主が彼をこちらに寄越したのは、そうした皇子の動向に気を付けて欲しいとの警告の意味もあるのだろう。
思わずうんざりした顔になる一同。
そんな中、エレオノーレは自分の理解を進めるようにこれまでの話をまとめていく。
「つまり……これから帝国は皇帝とその弟に分割されそうになっていて、今はその綱引きの途中。しばらく大きな戦いは起きそうにないが、エンデはその綱引きの目玉でてんやわんやしていて、中立も自治も守れるかどうか怪しい。しかもそこにどう動くか怪しい皇子という爆弾を抱えている、と──」
エレオノーレは自分で口にしながらその複雑さに思わず溜め息を吐く。
「──なんかこう、ぐちゃぐちゃだな」
『…………』
これ以上なく雑にまとめられた結論に、一同は反論のしようもなく沈黙した。




