第3話
皇太子レオンハルト。
現皇帝オトフリート二世の嫡子であり、帝国の次期皇帝。
年齢は二十四歳、物語から飛び出してきたかのような美麗な顔立ちと柔和な雰囲気の持ち主で民からの評判は極めて良い。
実際、幾らか装飾された部分はあるにせよ、市井に聞こえてくる噂では文武に優れた才人で人格面も申し分ないそうだ。
彼の他にもオトフリート二世には幾人かの子供がいるが、血筋・能力・年齢に見てレオンハルト皇子が後継者であることに異を唱える者はいなかった──少なくとも、これまでは。
レオンハルト皇子本人から『楽にしてくれ』と言われても、貴族の礼儀に詳しくないウルたちはそれを言葉通りに受け取っていいものか分からず傅いたまま動けないでいた。
何せ未来の皇帝と平民だ。直立姿勢をとっただけでも“不敬”と言われ首をはねられても不思議ではない。
一瞬、その場に伺うような沈黙が流れたが、最初にカノーネが姿勢を正して立ち上がり、皇子と一緒に入ってきた禿頭の老人が「君たちも立ちなさい」と促したことでウルたちも恐る恐るそれに続く。
皇子の後ろでは護衛と思しき二人の騎士が会議室に入室。彼らは無言でドアを閉め、ウルたちに不審な動きがないか一挙手一投足を冷たい目で観察していた。
「久しぶりだね、カノーネ」
まず口を開いたのはレオンハルト皇子。彼は親し気な笑顔を浮かべカノーネに対して話しかけた。しかしそれに対するカノーネの態度は素っ気ない。
「……どうも」
冷たく明らかな隔意の籠った声音に、しかしレオンハルト皇子は一切気にした様子もなく言葉を続けた。
「突然帝都からいなくなったと聞いて驚いたよ。色々大変だったそうだが遠慮せず私を頼ってくれればよかったんだよ」
「……いえ」
両手を広げて近づこうとする皇子に、カノーネは口数少なくスッとウルたちの後ろに移動することでそれを拒絶した。
「…………」
皇子は苦笑して所在なさげに立ち尽くし、護衛騎士二名は敵意の籠った視線でカノーネを睨みつけた。
「殿下。つもるお話はあるでしょうが、彼らも状況が掴めず困惑しています。まずは事情説明とまいりましょう」
「……ああ、そうだな」
禿頭の老人のとりなしで場の空気が少しだけ戻り、一同は席についた。
席の配置は皇子と禿頭の老人が横並びで、ウルたちはそれに向かい合う形。護衛騎士は皇子の後ろに直立し、ロイドはウルたちと同じ島に座っている。
場の進行役を務めたのは禿頭の老人だ
「さて、突然の招きに応じてもらい感謝している。知っている者もいるだろうが、私の名はゴドウィン。このエンデの自治領主を任されている」
老人の正体を予想していたウルたちは驚きもなくそれを受け入れた。
迷宮都市エンデは帝国では珍しい直接貴族が統治しない自治都市で、その領主は市民たちの合議によって選ばれる。といっても市民全員に選挙権があるわけではなく、選び選ばれる資格があるのは一定以上の納税を行った上級市民のみ。そのことに不満を持つ者がいないでもないが、無秩序な主権の分散は衆愚政治を招く恐れがあるため認められていない。
ゴドウィンはエンデで魔石を中心に手広く取り扱っている大商人で当然ウルたちに直接の面識はなかったが、とても野心的な人物だという話は方々から漏れ聞いていた。
「既に皆気づいているとは思うが、こちらにおられるのが皇太子レオンハルト殿下だ。本来であれば事前に殿下がおられること伝えておくべきだったのだろうが、殿下がエンデにおられることは極秘事項でね。ギルドにもこのことは伏せておくよう要請していた。不意打ちのような形になってしまったことを謝罪させてもらおう」
そう言ってゴドウィンは頭を下げた。ロイドが事前に皇子が来ることを説明しなかったのはそのためか。
ゴドウィンはこの場で見聞きしたことは口外しないでくれと言うまでもない断りを入れた上で話を続ける。
「さて、改めて本題に入ろう。あと数日以内には市井にも情報が広まると思うが、オッペンハイム公爵が皇帝陛下に退位を迫り叛乱を起こした。まだ大規模な武力衝突こそ起きていないが、現在はオッペンハイム公爵領との境界線で両軍が睨み合いを続けている状況だ」
『…………』
叛乱があったという情報はだけは聞いていたので、これに関しても特に驚きは感じない。
むしろ気になるのはそのような緊迫した状況で何故皇子が帝都を離れノコノコこんなところにやってきているのかという部分。
「──ゴドウィン。そこから先は私から説明しよう」
チラチラとした探るような周囲の視線を感じ取ってか、皇子が説明を継ぐ。
「叔父上──オッペンハイム公の主張は『帝国内の不安を煽り領主たちの紛争を引き起こすオトフリート二世に皇帝たる資格なし。即刻退位し、オッペンハイム公に譲位せよ』というものだ。父上の治世に問題がないとは言えないが、叛乱という行為自体に全く正当性はない。本来であれば即刻鎮圧したいところだが、縁戚であるヒルデスハイム伯を始めとしたいくつかの貴族がオッペンハイム公に賛同してしまってね。動員兵力で言えば僅かにあちらの方が優勢な状況だ」
そう言って一旦言葉を切るレオンハルト皇子。
彼はここで合いの手や質問を期待していたのだろうが、平民のウルたちが気楽に皇子の前で言葉を発することができるはずもない。唯一それが出来そうなカノーネも何故か皇子が現れてから不機嫌そうにそっぽを向いていた。
皇子は苦笑を浮かべ、そのまま説明を続ける。
「……ただオッペンハイム公が有利とはいえ決定的な差はなく、城攻めを行うにはあちらも決め手に欠ける。現在は互いに睨み合いを続けながら貴族たちに声掛けし、どちらに付くか旗色を鮮明にするよう迫っている状況だ」
つまりどちらがより多くの貴族を味方につけられるかでこの戦いの行く末が決まるということか。
直接武力衝突に発展すれば例え勝っても損害は馬鹿にならないし、後から第三者に漁夫の利を狙われる可能性もある。どちらも出来れば直接戦わず政治的にケリをつけたいのだろうな、とウルは感じた。
「父上──陛下をあまり悪く言いたくはないが、あの方は評判がよくない。本来であれば反逆者の討伐のために馳せ参じるべき貴族たちも、ほとんどが旗色をうかがって様子見をしている有り様だ。オッペンハイム公につく者も少ないのは不幸中の幸いだが……状況は決して良いとは言えない」
なるほど。皇帝とオッペンハイム公爵の状況については概ね理解できた。
だがそこでレオンハルト皇子は肝心の説明に移らないまま再び言葉を切った。その視線は真っ直ぐにカノーネを見つめており、彼女に話に乗ってきて欲しいことが見て取れる。
「…………」
しかしカノーネは明後日の方向を見て知らん顔。沈黙が続き、皇子の護衛騎士たちの視線に険が濃くなる。
それでもカノーネは反応しようとしないので、自然周囲の視線はどうにかしろと一点に──つまりウルへと集まった。
彼は皇子の前なので溜め息を吐きたいのを堪え、精一杯平静を装って口を開いた。
「質問、宜しいでしょうか?」
「……君は?」
「この街でカノーネ様のお世話係のようなことをさせていただいております、ウルと申します」
皇子はカノーネに反応する気がなく、仕方なくウルが代わって話に参加したことを理解し曖昧な笑みを浮かべた。
「構わないよ」
「ありがとうございます」
ウルは軽く息を整え、丁寧な言葉遣いを意識しながら皇子が求めているだろう質問を口にする。
「そのような緊迫した情勢下で、何故殿下はこのような場所に?」
現在の情勢において、皇帝、オッペンハイム公、両陣営にとっての鬼札が目の前にいる皇太子殿下だ。
譲位を求めるオッペンハイム公からすれば、その主張を揺るがす最大の急所が自分より皇位継承権が高く、国民からの人気もある皇太子の存在。
一方皇帝にしてみれば、皇太子の存在は貴族を自陣営に引き込む最高のカードとなり得るが、それを使ってしまえば自らの退位は避けられなくなる。
ともかくどちらの陣営にとっても確保しておきたい最重要人物であることに変わりはなく、こんな場所をノコノコほっつき歩いていていい筈が無いのだが……
レオンハルト皇子はウルの質問に頷き、再び口を開いた。
「オッペンハイム公の行動に正当性はないが、残念ながら彼の言葉は国内の貴族たちが陛下に対して抱く不満そのものでもある。父上が皇帝である限り、それが収まることはないだろう。混乱を収拾する最良の方法は私が父上に代わって即位し、オッペンハイム公と講和することだが……陛下にその気はない」
そこで彼は無念そうにかぶりを振り、決然とした表情で宣言する。
「もはや陛下やオッペンハイム公に任せていたのではこの国は立ち行かない。私は彼らを制し皇帝となる。その為の協力者を求めているのだ」
皇子の目は真っ直ぐにカノーネを見つめた。
「…………」
だが、その言葉を聞いてもカノーネの関心が皇子に向くことはない。
再び気まずい空気が流れかけ、慌ててウルがそこに割って入る。
「えと……協力者というのであれば、ここではなく、支援してくれそうな貴族の元に行くべきでは?」
「……貴族たちの多くは旗色を決めかねている。今の私の立場は決して強くなく、協力を求めたところで最悪反逆者として捕らえられかねない」
皇子は一瞬顔を顰めはしたものの、その問いに正直に答えた。
「義と理は私にある。だが貴族たちを味方につけるためにはそれだけでは足りない。今必要なのは力と利益だ」
力は理解できる。カノーネは一軍に相当する強力な戦力だ。彼女を味方に付けることができれば戦略と行動の幅は大きく広がる。
だが利益となると──?
「世界最高峰の魔術師であるカノーネ。君と国内最大の迷宮資源の供給源であるエンデの協力があれば日和見を決め込んでいる貴族たちをこちらに引き入れることができる」
なるほど、とウルたちは皇子の狙いを理解する。
帝国の産業の大部分はエンデから供給される迷宮資源に依存している。それ故にエンデはあらゆる国内の紛争から中立を維持する自治領としての地位が認められているわけだが、その中立のはずのエンデが皇子を支援すると表明すれば靡く貴族も出てくるだろう、が──
「殿下。我らエンデはあくまで中立。それゆえの自治都市です」
自治領主ゴドウィンはあくまで冷静に、建前を以って皇子の言葉を拒絶した。皇子はそんなゴドウィンにドンと机を叩いて詰め寄る。
「そんなことを言っている場合か!? 今は国家存亡の危機ぞ!」
「…………」
皇子の言葉にゴドウィンは澄ました表情を崩すことなく、無言の拒絶を返した。
「~~っ! カノーネ! 君なら理解してくれるだろう!? 私に協力してくれれば、君に元以上の地位と権力を約束する!」
「…………」
ゴドウィンにもカノーネにも素気無く無視され、レオンハルト皇子はその柳眉を歪めて歯噛みした。
「ゴドウィン! 卿がかつて私に誓った忠誠は口ばかりか!?」
「殿下。私個人の忠誠には露ほどの偽りもありません。しかし私の地位と職責はあくまで皇帝陛下の定めたもうたもの。その分を越えた振る舞いは、即ち反逆者たるオッペンハイム公と何ら変わりないのではありませんかな?」
「……ええいっ!」
ゴドウィンに軽くいなされ、皇子は苛立ちを露わにする。
そして八つ当たりするようにウルたちを睨みつけ──
「言い訳ばかり……口先ばかりでないとすればこ奴らは何だ!? 押しかけた立場だといくらかは目こぼしするつもりであったが、この国家の大事を話し合う場に無関係の平民を同席させるとは不見識であろう!!」
ウルたちに飛び火するが、その意見は当のウルたちからしてもごもっとも。反論する気など一切ない。
カノーネの世話係兼窓口として同席させたのだろうが、正直こういう話は聞きたくなかった。とんでもない面倒事に巻き込んでくれたな、というのがカノーネ以外の全員の総意である。
「殿下。彼らはカノーネ殿のお仲間であり、彼ら無視して話をすることは──」
「仲間? 私の要請よりもその者たちが優先されるというのか!? 平民どころか人間ですらない──」
その皇子の目はウルたち──特にオークであるエレオノーレに向けられていて──
「──殿下」
強烈な魔力と圧の籠ったカノーネの言葉に、それを向けられた皇子の喉からヒュと奇妙な音が漏れる。
「彼女は私の大切な友人です。皇族であろうと、友への侮辱は許しません」
皇子に対する非礼ともとれる態度に、皇子はおろか彼を護るべき騎士たちも息を呑んで何も言えない。
やがて圧が緩み、息を整えた皇子が呆けた様な顔で口を開く。
「あ、ああ……すまない」
気まずい沈黙に割り込むように、ゴドウィンが皇子を労わるように話しかける。
「殿下。帝都からの長旅で少しお疲れのようですし、今日のところは一旦お休みになられては?」
「そ、そうだな──そうさせてもらおう」
ゴドウィンはパンパンと手を叩くと、部屋の外に待機させていた部下を呼び出し、彼らに皇子とその護衛騎士を案内させ退室させた。
その場に残されたのはゴドウィン、ロイド、そしてウルたち一行。
皇子たち一行が部屋からいなくなり、たっぷり一分ほど経った後、カノーネが口を開いた。
「……最初から、こうするつもりでこの子たちを一緒に連れてきたわね?」
カノーネの視線は自分たちを呼び寄せたロイドに向けられていた。ロイドはそれに対し肯定も否定もせず、ただ申し訳なさそうに沈黙する。
「彼を責めないでいただきたい。私が具体的な指示を出したわけではないが、彼は私の意を汲んで、このエンデのために最良と思える行動をとっただけなのだから」
それを悠然とした態度で庇ったのはゴドウィン。カノーネは彼を、フレーメン反応を起こした猫のような表情で睨んだ。
「どういう意味だ?」
一人だけ事情が分かっていないエレオノーレが首をかしげる。普段から差別的な目に晒されることの多い彼女は、あの程度の皇子の言葉など全く気にも留めていなかった。
「……この連中はね。あの皇子の相手をするのが嫌で、失言を引き出して私に追い払わせるためにあんたたちをここに連れてきたのよ」
「そうなのか?」
エレオノーレが視線を彼らに向けるが、当然彼らは立場上肯定も否定もしない。が、それが答えのようなものだった。
ウルたちも、自治領主が途中から皇子をわざと怒らせるような言動をしていたのを見て、彼も皇子を持て余していたのだなとボンヤリ感じ取っていた。
「エンデはいかなる紛争にも与しない中立都市だ。その自治はこの大原則の上に成り立っている。そんなことも理解せず押し入ってくる者とまともな交渉などできんよ」
自治領主ゴドウィンは不敵な表情で不遜ともとれる発言をし、改めてウルたちに向き直る。
「──さて、せっかくの機会だ。邪魔者もいなくなったことだし、この都市の今後について話をしようじゃないか」




