第28話
答え合わせ回(裏)。
「ちょっと付き合ってくれ」
久方ぶりにエンデに帰還したウルは、犬ジイへの報告と文句を簡単に済ませると、カノーネの拠点の手配などは彼にぶん投げ、丸二日かけて方々への挨拶回りを行った。
長らく街を空けていたわけだが、その間スラムで行っている事業にいくつか小さな問題が起こっていた程度。彼がいない間もエンデの街はつつがなく回っていたらしい。あちらで起きた事件に関してはエンデには伝わっておらず、ほとんどの者たちはごく普通に「久しぶりだな」と再会を喜んでくれた。
例外はレーツェルとエレオノーレ。彼女たちはウルたちの身にトラブルが起きていたことをクロエ軽由で知っていて、密かに気を揉んでいたらしい。顔を見せるなり何で連絡を寄越さなかったのかと散々なじられた。
まあ流石にカエルになってそれどころじゃなかったことをカエルに変えた張本人の実演込みで説明したため、二人も呆気にとられ連絡の不備については渋々納得してくれた。また今度改めて帝都での詳しい話をする約束をしてしまったが、果たしてどこまで説明して良いものか。事前に犬ジイとすり合わせをしておこう。
帰還後の挨拶回りを終えて、カノーネに取り上げられていた工具やガーディアンなど魔道具のメンテに丸一日。明日からまた本格的に活動を始めるかと気合を入れなおしていたタイミングで、突然犬ジイの訪問があった。
「付き合うって……何にですか?」
仕事の相談か夕食の誘いか、はたまたカノーネとかのことで何か話でもあるのか。何にせよこの時間からなら大した内容ではあるまいと気を抜いていたウルに、犬ジイはサラリと告げる。
「ちょっと迷宮で見せたいものがあってな」
「こんな時間から?」
「なに、時間は取らせねぇよ」
そういう問題ではないのだが、犬ジイの態度にはどこか有無を言わせぬものがあった。
疲れているし正直断りたい。だが犬ジイの誘いをそんな理由で袖にするのも躊躇われる。結局、ウルは犬ジイと一緒なら特に危険はないだろうし、直ぐに済むだろうと自分を納得させた。
「……分かりました。仕度するので五分だけ待って下さい」
「おう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
犬ジイに連れられてやってきたのは、迷宮一階層の順路を大きく外れた通常冒険者が一切立ち入らないエリア。
「何でこんなとこに……」
ウルはぶつくさ文句を言いながら小型の魔物を魔導銃で追い払いつつ犬ジイの後に続く。
犬ジイは細い小道の行き止まりまでやってくると、周囲に人と魔物がいないか警戒する仕草を見せた。
──この人から気配を隠せる人間なんていやしないだろうに、やけに慎重だな。
ウルが訝しく思っていると、犬ジイは親指の肉を歯で薄く噛みちぎり、その血を壁に押し付けた。
──ヴゥゥゥゥン
その壁が突如淡い緑色に発光、壁が滑らかに動いて通路のような穴が開く。
「──は?」
「こっちだ」
呆気にとられるウルを指を曲げて手招きし、犬ジイはその通路の中へと進んでいった。
置いて行かれまいと慌てて後を追う、と。
「──うおっ!?」
足を踏み入れた瞬間、壁と同様発光する床が滑るように移動。予期していなかった動きにウルはバランスを崩してこけそうになった。何とか体勢を立て直し慌てて周囲を観察する。
そこは人が四、五人は余裕をもって通れそうなほどの広い通路で、壁面や床は発光する不思議な素材で覆われていた。またよく見れば移動しているのは床の左半分、残る右半分は逆方向に流れている。
「……ここは?」
「見ての通り迷宮だよ。ただし普段お前さんら冒険者が立ち入ることのない、裏側だがな」
「裏側?」
ウルは改めて周囲を見渡すが、実際に自分が迷宮を通って来たのでなければ、ここが迷宮の一部だとはとても信じられなかっただろう。ウルの知識や記憶に類似する施設は全くなく、強いて言うなら昔教本で見た古代遺跡の挿絵が一番近いかもしれない。
「いい加減説明してくださいよ。一体何をしようっていうんですか?」
「ん……一ついいもの見せてやろうと思ってな」
犬ジイは前を向いたまま世間話でもするようにウルの問いかけに応じる
「失われた古代の魔導技術の粋を集めた一種の文化財だ。魔導技師のお前さんにとっちゃ垂涎ものだろ」
「それって……」
そこでようやくウルは目の前の老人が自分に迷宮という人類最大の謎を明かそうとしていることに気づき、言葉を失う。
二人は移動する床に運ばれるまま進み、しばらくして踊り場のような狭い場所に出た。
そこで犬ジイが再び何もない壁に手をかざすと、突如その壁一面が透明になり、向こう側に大パノラマが広がった。
「────」
息を呑む。
「すげぇだろ。ここはエンデの迷宮でも通常階層とは別に作られた二〇階層分ぶち抜きの飛行型魔物の巣でな。俺も──俺らも昔初めてこれを見た時は言葉を失くしたもんだぜ」
犬ジイが何か感慨深げに言っているが、ウルの耳には何も入ってこなかった。
透明な壁の向こうに広がっているのは地下とは思えない岩盤と草木が生い茂る果ての見えない空間。その宙を数えるのが億劫なほどの飛行型魔物が舞っている。
迷宮がいかに地上と隔絶した空間であるかは理解していたつもりだが、これはまた別格だ。
しばしウルが茫然とその光景に目を奪われていると犬ジイが何かを見つけたように一点を指さす。
「──お。いたいた、あれだ」
「え──!?」
絶句した。その先にいたのは一際力強く、自由に宙を舞う見覚えのある竜。
「何で……ここにあの翼竜が……?」
「最初あいつが連れてきた時は、飛行型の竜種は珍しいんでここに馴染むかどうか不安だったが、今じゃあの通りだ。元居た迷宮があんま広くなかったんだろうな。来て一時間もしない内に大喜びで飛び回ってたよ」
犬ジイはウルの問いに直接答えることなく呟く様に言う。
だがウルの脳内では犬ジイの言葉と翼竜の存在が結びつき、この場所の──迷宮の持つ意味がぼんやりと形になりつつあった。
「次行くぞ」
「あっ──」
犬ジイが再び壁に触れると、透明だったそれは再び色を取り戻し向こう側の景色から遮断された。
それを惜しむウルの声を無視して、犬ジイは更に施設の奥へと進んでいく。慌ててそれを追いかけ、再び問いかける。
「ここは──いや。何で俺をここに……?」
「今回お前さんにゃいい仕事をしてもらったからな。追加報酬みたいなもんだ」
その答えにウルはついフレーメン反応を起こした猫のような表情になる。
「迷惑かけた侘びってんならともかく、今回何かそちらのお役に立てたわけじゃありませんよね? むしろ今回俺はあんたらの邪魔をした側でしょうよ」
「──まぁ、そうだ」
犬ジイはウルの言葉に苦笑し、あっさり認めた。
ウルはクロエたちの計画の邪魔をした。最後の最後でカノーネに味方し、クロエたちがカノーネから研究成果を強請り取るチャンスを妨害したのだ。それはクロエたちの仲間である犬ジイにとっても決して喜ばしいことではなかったはずだ。
「邪魔されただけならケジメの一つもつけるとこだが、結果的にお前さんのプランの方が得るものは大きかった。あいつらの計画通りに進めても、得られたのはカノーネの不完全な研究成果だけ。だが今回、お前さんがカノーネを救ったことで、人類最高峰の魔術師に貸しを作ることができた──実際、そこまで狙ってたのか?」
「……貸し云々はともかく、最悪そっちが敵に回った時、カノーネさんに庇ってもらえるようにとは」
「──なるほど」
犬ジイはプッと吹き出し、少しおどけるように続けた。
「ならカノーネの協力を得るためにも、お前さんを取り込もうとするのはおかしなことじゃないだろ」
「…………」
取り込むという発言に対し、ウルの驚きは少なかった。
「元々そのつもりで俺を帝都に送り込んだんですか?」
「……ほう? いつ気づいた?」
「確信したのはたった今。ただずっと違和感はありました。ただのお遣いに、部外者の俺を使うのはやっぱり不自然でしたから」
「そうか──まあ、そうだな」
犬ジイは納得したように頷き、白状する。
「今回の件はお前さんをこっちに勧誘するかどうか、その試験──つーか、面通しみたいなもんだったのさ」
「……ひょっとして手紙にあった“婚約者”ってのは?」
「あいつらに向けた、仲間に誘っていいか見極めてくれっつー符牒だな」
「何て紛らわしい……」
「そうだな。俺もまさかアレにカノーネが反応するとは思わんかった」
そのせいでウルがカノーネにカエルにされたというエピソードを思い出し、犬ジイはカカッと陽気に笑った。
その反応に無言でむくれるウル。彼がふと我に返り断りを入れようとしたタイミングで、犬ジイは機先を制するように告げた。
「先に言っとくが、別にこの話を聞いたからって、今すぐ何かしろとか俺らに協力しろって話じゃねぇ。正直今のお前さんが何の役にたつとも思えんしな」
「……なら何で?」
「お前さんは知っておくべき人間だと判断した。だから伝える。それだけだ」
「…………」
「一応、ここで見聞きしたことは口外しないでもらいたいが──ま、それは敢えて言わなくても分かってるか」
「…………」
ウルは胸に奇妙な不安と高揚感を抱えながら、覚悟を決めて犬ジイの後に続く。
「……知っておくべきことっていうのは、迷宮の正体についてですか?」
「勘が良いな──と、ちょうどいい」
犬ジイが通路の壁に触れると辺りが少し暗くなり、通路一面に壁画のようなものが浮かび上がった。移動する床に身を任せ、ウルはその壁画をぐるりと観察した。
そこに描かれているのは大小二種類の人の姿。人間と小人。いやこれは──
「──巨人?」
何とはなしにウルはその壁画が巨人と現生人類を描いたものではないかと感じた。巨人は人類と呼ぶにはあまりに悪意のある描かれ方をしていたからだ。
だがこれは一体何を描いたものなのだろう?
壁画では巨人たちが無数の小人を踏みつけ、追い立て、引きちぎり、まるで遊ぶように蹂躙しているように見える。
「これは古代人が遺した神話の時代の記録だ」
「神話? 光と闇の神々が戦ってたとかいう、あれですか?」
「ああ。その神話の真実がここには記されてる」
この大陸に伝わる神話はごく単純でありふれたものだ。
かつてこの地上には巨人の肉体を持つ神々が実在し、光と闇の陣営に分かれて対戦を繰り広げていた。
しかし全知全能の神々同士の戦いは永遠に決着がつかない。
そんな時、どこからともなく神殺しの権能を持った竜が現れ、神々を地上から駆逐してしまった。
肉体を失った神々は魂だけの存在となり、神霊として天界に上って行ったという。
ちなみに竜の発生原因については宗派によって諸説あり、至高神の信徒は悪しき神々が地上の生き物と交わって産んだ怪物、知識神の信徒は自滅覚悟の光の神々が生み出した兵器だと主張している。
この大陸に住む者なら誰もが知るありきたりな神話だ。
だが今、犬ジイはその“真実”と口にした。それが意味することはつまり──
「かつて巨人──神はこの地上の支配者だった。完全な生命だった奴らには善も悪もない。ただ欲望と悦楽のまま振る舞うことが許された原初の生命。当時、世界には既に俺ら人類の祖先も誕生しちゃいたが、別に神は人類の庇護者ってわけじゃない。神にとって当時の人類ってのは、蟻んこみたいなもんだったんだろうよ」
「…………」
小人たちが蹂躙される壁画を横目に、ウルは犬ジイの言葉を黙って聞いていた。
「平たく言えば神々ってのはクソだった。まああくまで当時の人類から見て、だがな。光と闇の大戦なんてカッコつけて伝わっちゃいるが、要は他の生き物で遊んでただけなんだろうさ。ガキが虫捕まえて、羽や手足をもいで遊ぶみたいに。蟻の巣に小便ひっかけるみたいに。大戦ってのも、案外どっちが獲物を捕まえられるか競争してただけだったりしてな」
乱暴で宗教関係者が聞けば激怒しそうな発言だったが、ウルにはその説明がしっくりきた。
神々が真に全知全能だというのなら、不毛な大戦を延々繰り広げたと言われるより、自由気まま、傍若無人に振る舞っていたと説明された方がよほど納得がいく。
「だがある時、地上に竜が現れ、神々──肉持つ巨人たちは皆殺しにされた。これは今伝わってる神話の通りだな。ホントかどうかは分からんが、古代人たちは竜を星が地上から神を排除するために生み出した抗体のようなものだと考えていたらしい」
いつの間にか壁画は切り替わり、竜が神々を蹂躙する場面に移っていた。その横では小人たちの巫女が竜に祈りを捧げており、まるで竜は小人たちにとっての救世主のように描かれている。
「肉体を失った神々は魂だけの存在になってもしぶとく存在を保ち続けた。だが流石に肉体を持ってた頃の力は失われててな。奴らは力を取り戻すため、これまで自分たちが苦しめてきた地上の人間を騙して信仰心を集めた」
眉を顰めたくなるような話の展開だが、何故か犬ジイは痛快そうにカカッと笑い続けた。
「こっからが笑い話でな。神々にとって誤算だったのは、魂だけの存在だった奴らは信仰の影響をもろに受けて変質しちまったことだ。要はアイドル気取りで、人気取りのために正義だ悪だ武神だ地母神だとのキャラ作りしてただけなのに、周りからそう扱われる内にすっかりその気になっちまったんだ」
「それは……」
「間抜けな話だろ? かつて人類を蹂躙していた巨人たちは、人類を利用しようと企んだ挙句、すっかり人類の信仰に染まっちまった。ミイラ取りがミイラって奴だな。かくして神々は変質し、神々の信仰を受けて願いを叶えるシステムに。結果的にクソは滅んでめでたしめでたし──とはいかなかった」
ウルには犬ジイが何を言おうとしているのか、聞かずとも分かった。
「そこに竜が残った。全知全能の神々を超える、完全無欠の生命体が地上に残されちまったんだ」
「竜は……強すぎたんですね?」
「ああ」
壁画には一匹の竜──その周囲には何も描かれていなかった。
「神々に対抗する生き物として作られた竜は、それを生み出した世界そのものを傷つけ、竜自身にさえ制御できないほど強大だった。死の概念が存在しない奴らは自分自身で死を選ぶこともできず、ただ存在するだけで世界を削り、その寿命を奪っていった」
竜は元々、世界にとって異物を排除する抗体、免疫反応のようなものだと古代人は言った。人間でも強すぎる免疫反応が肉体を傷つけることは珍しくない。
「皮肉な話だ。竜──特に純血の竜には周囲に物に対する害意や敵意はない。奴らは本質的に世界の守護者だからな。だが本人たちがどう考えようと既に奴らは世界を滅ぼす毒でしかなく、誰もそれを排除できないときた」
そこまで説明されてウルは理解する。
迷宮の正体──そしてあの翼竜がこの迷宮にいた理由を。
「……迷宮は、古代人たちが竜のために作った棲家なんですね。彼らが世界を傷つけず、快適に過ごすための」
「ああ」
壁画には小人の巫女に、たくさんの竜たちが首を垂れる様が描かれている。
「かつて古代人たちは竜と契約を結んだ。種と種との契約だ。竜が誰も傷つけず穏やかに暮らせる世界を提供する代わりに、竜は迷宮の維持に協力し、その内に留まる」
「……なるほど」
それが強大な力を持つ竜が地上の覇者として振る舞うことなく、迷宮に留まっている理由か。
「あの時の翼竜は、その契約に従ってこの迷宮の中に移ったんですね」
「そういうことだ。迷宮の主が正しく要請する限り、竜種はその招きを断らない」
それが迷宮のシステム。
取り除くことができない、世界を蝕む毒となった竜種と共存するための古代人の英知の結晶か。
魔導技師としてそこに対面できたことにウルが高揚を隠せずにいると、いつの間にか通路は終わり、彼らは小部屋へとたどり着いていた。
「迷宮はその内に棲む魔物の魔力を利用して維持される恒久的なシステムではあったが、当時の古代人の技術にも限界があってな。一つだけシステムでは解消できない問題が残った」
「それは?」
「頭脳。生き物を相手にする以上、何もかも想定の範疇とはいかない。都度状況に応じて迷宮をコントロールする頭脳が迷宮には必要だった」
現代においても人工知能体を作る技術自体は存在するが、それらは総じて自我が薄く対応力に欠ける。魔導の発展した古代においてもそれは同様だったらしい。
「古代人たちはそれを自ら迷宮と融合し、頭脳となることで解決した。俺にゃ到底理解できない感覚だが、迷宮の一部になれば肉体的には不老不死。当時の記録を見ると、意外と希望者は多かったらしい」
犬ジイの説明にウルは顔を顰める。
「でもそれは──」
「ああ。肉体的には不老不死でも、人間の精神と魂には限界がある。この大陸に迷宮が誕生して三千年以上。古代人の魂は限界を迎え、迷宮は徐々に崩壊しつつある」
迷宮の崩壊──それはつまり、あの翼竜のように竜種が地上に溢れ出してくるということだ。
単独でも国を滅ぼせる化け物が、無数に。
絶句するウルを尻目に犬ジイは巨大な水晶の前で立ち止まる。
「このエンデの迷宮も例外じゃなくてな。俺らが迷宮の正体に辿り着いた時、迷宮のコアとなった古代人の魂は限界寸前だった。この大迷宮が崩壊すれば間違いなく世界は滅びる。それを防ぐため、当時の俺らの仲間の一人が、その古代人に代わって迷宮と融合しコアとなった」
そして犬ジイは水晶の中で眠るノームの女性を悲し気な声で紹介した。
「俺の妻だ」
ここまで読んでいただきありがとうございました。
本話を以って第四章完結となります。ブクマや評価など、何らか反応いただけますと幸いです。




