第27話
答え合わせ回(表)。
翼竜が突然姿を消した。
その様子は現地にいた者たちだけでなく、学院や帝国上層部も呪文などを用いリアルタイムで確認しており、見ていた彼らは当然のごとく混乱した。
すぐに各勢力から確認のための人員が送り込まれたが、翼竜の行方や消失の原因は全く掴めない。唯一消失の原因と疑わしき神殿騎士の一団と踊り子も『我らは偉大なる至高神に祈りを捧げたのみ』と発言するだけでさっぱり要領を得ないときた。
一週間ほど調査と様子見が続いたが、結局翼竜の再出現やそれ以上の被害の気配がなかったことから自然と調査は打ち切られる。
次に問題となったのはこの事態に対し、誰がどのような責任を負い、処分を受けるかということ。
翼竜の地上出現は帝国存亡の危機となりかねない重大事だ。結果的にほとんど被害が出なかったとはいえ、なぁなぁで済ます訳にはいかない。
そもそも翼竜が地上に出現した直接の切っ掛けは逸った帝国上層部がカノーネの部下と通じて彼女の研究を盗み、独自に迷宮の解体を試みたことにある。筋から言えば一番非が大きいのは帝国だが、そのような危険な研究をし、かつ盗まれるような体制をとっていたカノーネにも一定の責任があった。また彼女が所属する学院にも監督責任が無いわけではない。
だが当然、馬鹿正直にその責任割合に応じて処分が下されるはずもない。
自分たちの非を認めるわけにはいかない帝国は、翼竜が出現した時点で迷宮で死亡した工作員たちはカノーネの暴走を止めようとした勇士たちだと言いカノーネに全ての責任を擦り付けるつもりだったし、学院は学院で研究はカノーネの独断と彼女を切り捨てるつもりだった。
カノーネが反論しようと、裁判官も検事も弁護人も全員が彼女を陥れるつもりなのだから、どうにもならない。
──実際の被害は無かったことだし処刑までは避けてやる。代わりに終身刑としその能力を自分たちのために存分に活かしてもらおう。
後は帝国と学院、それぞれがカノーネの身柄と能力、研究成果を巡って綱引きを繰り広げる──はずだった。
だがそこで彼らは穏便に片付くはずだった盤面に厄介な駒が配置されていたことに気づく。
それは翼竜の出現現場に現れた至高神の一団。
不思議なことに彼らは自分たちが翼竜を鎮めたとも何か成果を果たしたとも主張せず、苦難にあたってただ神に祈りを捧げたのみだと言う。
翼竜の消失と彼らの行動が全く無関係とは思えないが、現実問題両者に全く因果関係は見当たらない。
その為、帝国も学院も彼らの存在を不気味には思えど一旦棚上げしていた。
だが改めてカノーネに全ての責任を押し付けようとしたタイミングで、帝国は自分たちの行動が緩やかに縛られていたことに気づく。
処分自体は事実上帝国の意のままだが、当然その結果は関係者には通知しなくてはならない。今回の場合、翼竜の出現は帝国臣民には広まっていないので、通知の必要があるのはアリーゼが所属する学院──と、至高神神殿。
帝国上層部はそこに不安を感じた。
至高神の奇跡には人の嘘を見破る【真偽判定】が存在し、地域によっては至高神神殿が司法を担うことも多い。だが帝国において司法権は皇帝に帰属し、至高神神殿も皇帝への配意からお膝元の帝都では司法に介入することはしてこなかった──少なくとも、これまでは。
今回も同じように介入して来ないのであれば問題ない。だがこの一件は直接の引き金を引いたのが帝国の手の者だと広まれれば帝国の屋台骨が揺らぎかねない重大事。万一介入してくれば帝国は至高神神殿に大きな弱みを握られることとなる。一部の者たちは至高神の一団の奇行はそれを狙ってのものではと疑った。
もし至高神神殿が真相調査に乗り出せば。
処分を不服と思ったカノーネが声を上げれば。
至高神神殿に介入を許すわけにはいかないと判断した帝国上層部は、悩んだ末に誰にも処分を下さないことを選択する。
原因不明につき調査中。
テロリストや他国の間者による可能性も考慮し、広く内密に調査を行う必要があるため調査結果や状況を教えることもできない。
つまり結論を出さないことで真偽を糺す至高神神殿が介入する余地を防いだ形だ。
更に帝国は至高神神殿に対し今回の件に関する関係者への口止めを要請し、その対価として帝都の至高神神殿に多額の寄進を行った。
大司教は突然帝国から多額の寄進をむしり取ってきた上、何らか弱みを握ったと思しきリンの次兄の存在に畏怖し、格別気にかけるようになるのだが……それはまた別の話だ。
帝国がカノーネを罰しない以上、学院もカノーネを罰することはできない。カノーネの行動を問題視することはこの場合、帝国の意に逆らうのと同義だからだ。
結果的に今回の一件で処分を受ける者はいなかった──が、当然全てが無かったことにはならないし、元通りともいかない。
まず大きなところとして、迷宮解体に関するカノーネの研究は危険すぎると帝国・学院連名で正式に中止が決定された。
また直接的な処分は下せないとはいえ、真相の露見を恐れる帝国上層部にとって、そのお膝元にカノーネが権力者として居座ることは決して面白いことではない。
最終的にカノーネは本人の意向もあり──
「──と、大まかな流れはそんな感じかな」
旅支度を整えたウルが、帝都のお高そうなカフェで同席するアリーゼ、ブランシュ、リンに今回の流れについてざっと自分なりの見解を解説する。
“旅支度”という表現から気づいたかもしれないが、ウルの姿は無事カエルから人間へと戻っていた。帝都に到着した直後から長らくカエルが板についていたため、元々の姿を知っていたリンはともかく、その姿を初めて見るアリーゼとブランシュからは『貴様ホントにあのカエルか?』としばらく疑われたが、それはまあいい。リンダはちゃんとわかってくれた。
ちなみにもう一人の仲間だという魔術師──クロエとは結局合流していない。彼女は援軍に来たオークの族長──マザーを連れてエンデに向かい、そのまま今回の一件についてあれこれ後始末をしているのだとか。
「いやいや。サッパリ意味が分からないんですけど?」
ウルの説明に顔を顰めたのは、方々から『新たな聖女の誕生か?』と騒がれたリン。今回の一件が一般には広まっていないことと、ウルが指示した通り『至高神に祈りを捧げたのみ』と突っぱね惚けたことで追及を逃れたが、下手を打てば彼女は政争に巻き込まれ聖女に祭り上げられていたかもしれない。せめて説明ぐらいはきちんとしろと言いたげだ。
「分からないって……何が?」
「何がって言うか全部ですけど……一番はあの翼竜がどうなったのかと、私が躍ったことに一体何の意味があったのか、ってことですよ」
「ふむ……」
ウルは考えるようなそぶりをしながらブランシュとアリーゼにちらりと視線をやり──二人が何も言うつもりがなさそうなのを見て嘆息を一つ。嘘偽りのない事実を口にする。
「前者については知らん。後者については……まぁただの演出だしな。正直あんまり意味はない」
「…………は?」
リンの目が点になる。
彼女は聞き間違いかという風にトントンと自分の側頭部を叩き、視線を彷徨わせここが現実世界であることを確認した上で、もう一度。
「…………は?」
「いや、目が怖いんだが……」
「そんなことより──!」
リンはテーブルをドンと叩き、ウルに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。
「“知らん”とか“意味がない”とか、どういう意味ですか!? あまりふざけるようならただじゃおきませんよ!」
「別にふざけてるわけじゃなくてだな……」
ウルは両手を前に出してリンを押しとどめ、少し落ち着かせてからシレッと口を開いた。
「……そもそも普通に考えたら分かるだろう?」
「何がですか!?」
「いや、俺みたいな新人冒険者兼ひよっこ魔導技師から、竜種をどうこうする作戦やアイデアが出てくるわけないだろ」
「────」
「当然、あの翼竜がどうなったかもどうして消えたのかも俺は知らんよ」
「────」
絶句。それはそうだけど。言われてみればそうなんだけれども。お前がそれを言うか──?
「──ちょ、ちょっと待って!? じゃじゃじゃ、じゃああの私の踊りは!? 兄さんたちを呼び寄せたことは一体何の意味があったんですか!? 翼竜が消えたことと何か関係があるんじゃ……!」
「はっ──」
ウルは混乱するリンを鼻で嗤った。
「んな訳ねーだろ。お前まさか自分の踊りにそんな価値があるとでも──べぶっ!?」
グーで殴られた。
~~治療中に付きしばらくお待ち下さい~~
ウルの鼻血の治療、そしてヒートアップしたリンを落ち着かせるのに少し時間がかかった。
「……で? 演出だって言うなら、あの踊りは何を目的としたものだったんですか?」
ウルは流石に少し調子に乗り過ぎた──これ以上揶揄うと鼻血じゃすまなそうだ──と反省。据わった目つきのリンに説明を続ける。
「ん~……強いて言うならメッセージかな」
「メッセージ?」
「ああ。あの状況で重要だったのは踊りじゃなく“至高神神殿の関係者がいる”ってことだったんだけど、黙って見てるだけじゃ無視されるか、最悪口封じに消されかねなかったからな。こっちの意図に気づいて貰えるように注目を集めたかったんだよ」
リンは意味が分からず眉をひそめた。
「注目って……誰の? ううん、誰に向けたメッセージだったんですか?」
「そりゃ勿論、あの翼竜をどうにかできる人に向けてだよ」
ウルはそう言って、先ほどから会話に参加しようとせず澄まし顔でクリームたっぷりのパンケーキを食べているアリーゼとブランシュに視線をやる。
リンもウルの視線からその意味を悟り、困惑して目を白黒させた。
「え? アリーゼさんとブランシュさん? え? 二人が……え?」
「正確には二人のお仲間のクロエさんに向けて、だな。どっかで様子を窺ってるのは分かってたし」
「は? えと……」
リンの問うような視線に対し、二人は澄まし顔を崩すことなく口を開く。
「この件に関して私たちは、何を言われても“何のことかしら?”と答えますわ」
「……右に同じ」
事実上、何らかの関与を認めたようなものだったが、しかしリンは彼らが何を言っているのか全く理解できない。
「ちょっと待ってください! 私が見る限り、お二人はあれに対して全力で対処していました。何か画策していたり隠し玉があったようには見えませんでしたし、そんな手抜きを一緒に戦っていたカノーネさんが見抜けなかったとも思えません」
「俺もそう思うよ。二人は翼竜の消失に直接の関与はしてないし、クロエさんと連携もしてなかったはずだ。下手に連絡を取ればカノーネさんに見つかる恐れがあったからな」
ウルがアッサリと認めたことでリンは鼻白む。
「……なら、どうして貴方はクロエさんが翼竜に対処する手段があると考えたんですか? 直接会ったこともない、お二人が関与しているわけでもない、その状況でクロエさんについて何か推測する材料があったとは思えませんけど」
「ん~? 細かいことを言えば色々あるが……一番の理由は二人があまりにクロエさんを自由にさせ過ぎてたことだな」
「自由に?」
「ああ。翼竜出現以前から迷宮産の魔物の出現なんかで状況は二転三転してた。いくら信頼してるとは言え普通そういう時は合流して意見を擦り合わせたいと思うもんだろ? コッソリ連絡をとってる様子もなかったし、多分この人たちには最初から最悪の状況を回避する手段があったんだ。合流しようとしないのは、その手段をとる上で俺らが邪魔になるから。それでクロエさんをフリーにしてるのかな~、って」
ウルの推測を受けてリンはアリーゼとブランシュに視線をやるが、二人は肯定も否定もせず肩を竦めて見せた。
「……仮に貴方の推測が正しかったとして、何でクロエさんはすぐに翼竜に対処しなかったんですか? それにクロエさんに送ったメッセージって……」
リンの新たな疑問に、ウルは少し言葉を選びながら答えた。
「すぐに対処しなかったのか、出来なかったのか。その辺りの細かい事情は分からんが、やろうとしてたことは想像がつく」
「それは?」
「カノーネさんの研究を完全に解体することだよ」
ああ、とリンはウルの言わんとすることを理解して納得の表情を見せた。
そもそもクロエやアリーゼたちにとって、カノーネの研究は扱いが難しいものだった。危険を伴うものであり出来ればやめさせたい。だが既に帝国上層部を巻き込んでいる以上、単に研究を妨害したりカノーネ個人をどうこうしたところで、帝国や学院の他の人間がそれを引き継いで続けてしまう可能性が高かった。それを防ぐにはカノーネの研究が危険でリスクに見合わないものだと周囲に示さなくてはならない。
そして当然、その証明には多大なリスクが伴う──が、迷宮産の魔物が出現した際、アリーゼたちは待ちの姿勢をとった。
危険を伴うから研究をやめさせようとしているのに、その危険を防ごうとせず受け身でいる。
それはつまり彼女たちはこの状況で最悪の事態が起こっても何とかする手段を有している可能性が高いということで──翼竜が発生した直後の二人の反応を見て、ウルはその予想が正しいことを確信した。
「クロエさんは帝国や学院がカノーネさんの研究の危険性を理解するのを待って、それから翼竜に対処しようとした。じゃあメッセージっていうのは……至高神神殿の調査をチラつかせることで、危険をこれ以上引き延ばすな、とかですか?」
「ん? まあそれと、カノーネさんには不当な扱いは受けさせない、ってアピールでもあるな」
「なるほど……」
リンは感心したように頷く。
実際にカノーネは神殿騎士の存在が楔となって罪を着せられずに済んだ。リンの表情を見るに、彼女はきっとウルが『カノーネは自分たちが守るから安心して動け』と伝えたかったのだと好意的に解釈しているに違いない。
だが、敢えて口にはしなかったが、ウルの意図は異なる。
彼がクロエに伝えたメッセージの真の意味は『カノーネは害させない。至高神神殿に介入されたくなかったら、とっとと事態を解決しろ』だ。
そもそもクロエたちが竜種の出現など最悪の事態を解決する手段を持っていると仮定した場合、彼女たちにとってカノーネに研究を止めさせる一番簡単な方法は、自分たちでその最悪の事態を引き起こすことだ。
ウルは翼竜の出現に関して──あるいはそれ以前の段階から──裏でクロエが糸を引いており、事態の解決と引き換えにカノーネに研究資料の譲渡や協力など何らかの譲歩を迫るつもりだと予想。アリーゼとブランシュは詳しいクロエの動きは知らないまま、最終的な着地点だけ定め状況に合わせて動いていたためあのような行動になったのだろう、と。そしてその予想は概ね正しかった。
クロエとしても、至高神神殿に介入され万が一にも自分たちの行動を暴露されるわけにはいかない。
つまりウルが手配した至高神の神殿騎士たちは、帝国だけでなくクロエたちに対する牽制でもあったのだ。
ちなみにウルがカノーネを庇った理由は人道的なものではなく、単純にカノーネが自分のカエル化を解除する前にその身柄を処分されたら困るからである。
ウルとアリーゼ、ブランシュたち間に漂うの微妙な空気に気づくことなく、感心していたリンがふと何かに気づいた様子で顔を顰めた。
「……あれ? ちなみに、その予想が外れてたり、クロエさんの動きと私たちの動きが噛み合わなかった場合、どうなってたんでしょう?」
「ははっ。その時はお前が周りから変な目で見られるだけで──ぐぼっ!?」
ぶん殴られた。ラッシュ、ラッシュ、ラッシュ。
~~ヒートアップ中に付、しばらくお待ち下さい~~
「お待たせ──って、何であんたボロボロなの?」
「あ~……聞かないでください」
その話題に触れれば再びリンがヒートアップしてゴングが鳴ってしまうかもしれない。
ウルは話題を逸らすように来訪者が持つキャリーケースをチラリと見やり、訊ねる。
「……荷物、それだけでいいんですか?」
「大丈夫よ。こう見えてこのケース、中の空間は小さな屋敷が丸ごと入るぐらいあるから」
それはすごい魔道具だ。魔術師と魔導技師で系統こそ違うが、是非一度仕組みを教授してもらおうと心に決めつつ、ウルはもう一つ尋ねる。
「学院の方は? 引継ぎとか色々大変だったでしょ」
「そっちも大丈夫。元々実務はカトルに任せてたし、あの子に言い聞かせるのに時間がかかっただけだから」
「…………そっすか」
絶対についていくと強弁していた高弟の姿を思い浮かべ、きっと【誓約】とか無理やり後釜を任せたんだろうな、と想像する。
「じゃ、行きましょうか」
「ええ!」
カノーネの出立の準備が済んだことを確認し、ウルとリンは荷物をまとめて立ち上がった。
カノーネはウルたちと共にエンデに移住することとなった。
カノーネは表向き処罰こそされていないが、事件の裏事情を知る彼女が帝国上層部にとって目障りな存在であることに違いはない。
また学院の他の部門長も、今回の彼女の失態を利用して彼女を貶めてやろうと虎視眈々と狙っている。
そうした状況を踏まえ、カノーネは禊の意味で自ら学院の部門長の座を退くこととした。
と言って、その座に就けるだけの力を持った者が他にいるわけでないので、退くといっても実際は自発的な停職処分のようなもの。後任の部門長は決まっておらず、カノーネの高弟カトルが部門長代理として運営を引き継ぐこととなっている。
要するにほとぼりが冷めるまで──長命種の感覚なので数十年──学院から離れようということだ。
そのカノーネが新たな拠点として選んだのが迷宮都市エンデ。今回の一件で縁を結んだウルたちがおり、クロエたちとも縁の深い土地。こっそり迷宮の研究を続けるにもちょうどいい。
馬車で片道二週間ほどの道のりを、彼らはこれからカノーネの転移呪文でひとっとびだ。
「それじゃ、今回は色々とお世話になりました」
「お元気で!」
ウルとリンはアリーゼとブランシュに別れの挨拶をし、二人はカフェの席に座ったまま手を振ってそれに応える。
「……うん、また」
「ええ。またお会いしましょう」
軽い二人の言葉を最後にウルたちは帝都を後にした。
彼女たちの言葉の含みに気づくことなく。




