第25話
頭部を破壊された翼竜が地上へと落下していく。
突然の出来事に茫然とするウルとリン、カノーネ。
「あれは……?」
「……多分、エンデに住んでるオークの族長の攻撃。地上から槍で攻撃したんだと思う」
「クー姉さまが援軍を要請していたんでしょうね」
カノーネの疑問に答えたのはアリーゼとブランシュ。
声だけ聞くと落ち着いているように思えるが、その表情には少なからぬ驚愕の色が浮かんでおり、彼女たちにとっても予想外の援軍であったことが見て取れた。
「……落下地点へ。今のうちにできるだけ叩こう」
「──っ! そうね!」
アリーゼの声で我に返ったカノーネは転移呪文を発動させ、ウルたちの前から姿を消す。
その展開の速さについて行けなかったのはリンだ。
「……え? 何で……叩くも何も、あの翼竜、明らかに脳を貫かれて死んでましたよね?」
もう倒したのでは、と振り返り疑問を口にする彼女に、残されたウルとブランシュは呆れを隠さずに言う。
『阿呆』
「え?」
「脳を貫かれた程度で竜種が死ぬはずがないでしょう。本気で竜種を殺したいなら最低でも脳細胞と脊髄の九割は破壊しないと」
意味不明な説明にブランシュたちをまじまじ見つめるリン。
「あの程度の損傷なら一分と経たず完全回復しますわ」
「そんな無茶苦茶な──」
──ガァアァァァアァッ!!?
冗談だろうと口にしようとしたリンの言葉を遮るように、再び翼竜の咆哮が辺りに響き渡った。
明らかな怒気が籠ったその叫びにつられて視線をやると、地上に墜落する直前で翼竜が羽ばたきを再開しホバリングを行っている。そして大きく抉り取られていたはずのその頭部は時間を遡るように既に三割以上復元されているように見えた。
「…………」
「言っておきますが、竜種としてはあれでもかなり控えめな方ですわよ。そもそも純血種だと”不死”の概念を超える攻撃でなければダメージを与えることもできないのですから」
リンの耳にはブランシュの説明はほとんど届いていなかった。彼女は生まれて初めて目の当たりにした竜種の理不尽な生態に茫然自失している。
あれを相手に対処するなど現実的に不可能なのでは、と今更ながら現実に理解が追いついてきたタイミングで、事態に更なる変化が訪れた。
──ドゴォォォォォンン!!!
天空から超高速で落下した隕石が四つ、体勢を立て直そうとしていた翼竜の翼と胴に突き刺さり、その巨体を地面に叩きつけた。
『カノーネの追撃か……?』
「間に合ったようですわね」
──ブォォォッッ!
落下地点から数キロ離れたウルたちのいる場所まで衝撃波が走り、ブランシュとリンは腕を目元に当てて舞い上がる砂粒を防いだ。
「くっ!」
「~~っ! ぺっぺっ! あ~もう、髪が砂だらけだ~!」
その後に続くのは更なる轟音と地響き。
先ほどの隕石や落下程ではないが、恐らくカノーネとアリーゼが翼竜に追い打ちをかけているのだろう。
「これは流石に、倒せたり……?」
「無理ですわ」
いくら脳を貫かれても死なない化け物でも、そこからさらに地面に叩きつけられ、人類最高峰の戦士と魔術師の猛攻を受けているのだ。死んでくれないかな~、という希望を込めたリンの言葉と視線をブランシュはバッサリ切り捨てた。
「確かにダメージは通っているでしょうが、竜種の回復速度は時間遡行の呪いの域にあります。人類とは内蔵しているエネルギー量の桁が違いますから、体力・魔力切れも望めませんし、攻撃しているアー姉さまたちの方が先にダウンしてしまいますわ」
「でもでも、これだけの猛攻だし、致命傷を与えたりは……?」
「しませんわ。彼らは生まれついての戦闘種族です。その戦闘本能と生存本能は“死”という結果を覆して無かったことにするのだとか。実際、昔アー姉さまも殺ったと思った攻撃を物理法則を捻じ曲げたような挙動で何度も回避されたと文句を言っていましたもの」
「え~……」
理不尽すぎる竜種の生態にリンは唖然とする。
こんな生き物どうやって殺せと言うのか──いや、殺せないからこその竜種なのか。
「それより、もう少し距離を取りましょう。無駄かもしれませんが、ここでは翼竜どころかアー姉さまの攻撃に巻き込まれかねませんわ」
「あ! そ、そうですね……!」
ブランシュの提案に頷き、一行は駆け足で戦場から距離を取る。
そんな中、ウルはブランシュに何気ない様子で話しかけた。
『それにしても、こんな状況なのに随分と落ち着いてますね?』
「そう見えまして?」
『ええ。最初は全て計画の内なのかと疑ってたんですが、迷宮跡での反応を見る限り、流石にこの状況はお二人にとっても予想外だったらしい』
「……当然でしょう」
呆れた様子で言うブランシュ。実際、ウルから見てブランシュとアリーゼの言動に多少の怪しい点はあったものの、二人がこの状況に驚き、真剣に対処していることは間違いない。
だからこその疑問を彼は口にした。
『なのにどうして、そんなに落ち着いてられるんですか? 経験豊富な貴女方にとっても、この状況は手に余る筈だ』
「愚問ですわね」
心底くだらない質問だと、ブランシュは鼻で笑った。
「そんなの、私がお姉さまたちを信じているからに決まっているじゃありませんの」
『──なるほど』
信じている──いい言葉だ、と皮肉ではなくウルはそう思った。
そしてその言葉が、迷いの有った彼の判断を後押しする。
『それでは俺も、信じてみることにしましょうか──リン』
「え?」
『頼んでた──』
ウルの言葉にブランシュはかつてない驚愕をその瞳に浮かべた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──グガァァァッ!!!
地上に胴を押し付けられ、もがき暴れる翼竜が灼熱のブレスを放ち森林を一瞬で蒸発させる。
その熱波を剣圧で振り払いながらアリーゼは後方に控えるカノーネに珍しく余裕のない声で文句を言った。
「……援護、しっかり! 範囲攻撃まで対処してられない……!」
「無茶言うな! こっちはそれを地上に押しとどめるだけで精いっぱいだっての!」
カノーネは重力波、光線、風圧と、翼竜に対応されないよう手を変え品を変えながら翼竜の羽ばたきを妨害し、その身体を地上に押しとどめている。
竜種相手にたった一人で──これがとんでもない偉業であることは誰の目にも明らかで、もしカノーネがいなければアリーゼクラスの戦士が複数いようとも、空中という優位をとった翼竜に文字通り手も足も出ず蹂躙されていただろう。
そのことはアリーゼも理解しているが、彼女も実質一人で竜種に向き合わされているのだからたまらない。超音速で放たれる攻撃はまともに受ければ致命傷。回避するかいなすしか対処する方法はなく、アリーゼのような重戦士とは相性が悪かった。もう一人援護してくれる呪文遣いか、ヘイトを分散してくれる前衛がいれば大分違うのだが……
──ドォォォォン!!
「ぐ……っ!」
頭上の死角から振り下ろされた尻尾を避けそこね、受け止めたアリーゼの足元が大きく陥没、鎧が凹みギリギリと軋む。
翼竜にとっても無理な体勢の攻撃だったため致命傷は免れたが、アリーゼの身体の芯に鈍い痛みが走る。あと一発か二発、同じ攻撃を食らったら折れるな、とアリーゼは自分の死を間近に感じた。
──クロエの馬鹿! 見殺しにしたら末代まで祟ってやる……!
子孫のアテがない相棒には無意味な呪詛を胸中で吐き散らし、アリーゼは尻尾を両腕で掴み、翼竜相手に豪快なジャイアントスイングを決めて反撃した。
──グルン、グルゥン……ドゴォォォンン!!
「はぁ……はぁ……っ!」
「馬鹿っ! 投げ飛ばしたら呪文の効果範囲外に出ちゃうでしょ!?」
「──無茶、言うな……!」
悲鳴を上げるカノーネに、アリーゼは肩で息をしながら言い返す。
竜種と正面から向き合うプレッシャーがどれほどのものか、カノーネは理解していないのだ。カノーネもカノーネで神経をすり減らしているのは分かるが、少しは息を入れないと身体が持たない。
「ああっ、もうっ!!」
慌ててカノーネが【刃の網】を張って翼竜の動きを拘束しようとするが、翼竜は地面を蹴り這うようにしてそれを掻い潜り、勢いのままその顎でアリーゼを噛み砕こうと迫る。
「────!」
息を入れたところに想定外の攻撃。回避不可能と判断したアリーゼが覚悟を決めて鬼札を切ろうとした──その瞬間。
──ゴォッ!!
真横から投げ放たれた槍が翼竜の首に命中──翼竜の首が着弾点からゴキリと曲がり、引きずられるようにその巨体が横に二転三転した。
アリーゼとカノーネがハッと槍が飛んできた方を見やる、と。
「どうした、アリーゼ? 折角食いでのある獲物だってのに、もうバテたのかい?」
「──マザー!」
「誰っ!?」
背中に何本もの巨大な槍を背負ったオークの女戦士の姿に、アリーゼが歓声を、カノーネが戸惑いの声を上げる。
「最初に投槍で頭を打ち抜いた人! エンデのオークの族長! 多分、クロエが寄越した援軍!」
「そういうこった!」
マザーと呼ばれた女オークは十数メートルはあった距離をひとっ跳びで詰めてアリーゼの横に立つと、カノーネにウインクして見せた。
その意外に愛嬌のある仕草に目を丸くしたカノーネだったが、直ぐにいつもの調子に戻って悪態をつく。
「援軍ならもっと早く参加なさいよ! 大物ぶってる場合!?」
「カノーネ! マザーに失礼……!」
「はは、いいよいいよ」
アリーゼを宥めて、マザーはカノーネに弁明した。
「悪かったね。あたしとしちゃもっと早く参戦したかったんだが、クロエの奴が遠隔からチクチク攻撃して引き付けようって言うもんで、遅くなっちまった」
「──! そうよ、クロエはどこ!? あの子もここにいるんでしょ!?」
旧友を探してキョロキョロ周囲に視線をやるカノーネだったが、周囲にはその姿も気配もない。
「あの子は来てないよ。私らが失敗した場合に備えて保険の準備に回るってさ」
「~~~~っ!!」
再会をはぐらかされてばかりいるカノーネは、思わず地団駄を踏んで叫びそうになる。
だが、状況はそれ以上の休息を許さない。
──グゥ、グガァァァァッ!!!
マザーに吹き飛ばされた翼竜が、既に首の傷を修復し終え、これまでにない怒りの咆哮を上げた。
「おっと。ノンビリ話をしてる暇はなさそうだね」
マザーが背中に担いでいた槍を二本掴んで構え、アリーゼがその横に並ぶ。カノーネも憤懣やるかたない表情そのままに杖を構えた。
「これが終わったら、しっかり事情を説明してもらいますからね!!」
「生きてたらねっ」
「……ふむん」
理の埒外にある戦いはまだ終わらない。




