七.家族の形
私の名前は朝霧弥生。言わずと知れた朝霧財閥の会長夫妻を親に持つ。三つ歳の離れた兄がいて、年齢は十八。趣味はピアノと生花とコーヒー焙煎と…小さい頃から習い事をたくさんしていたから、やると楽しいことばかりであげるときりがない。この間、小さい頃から好きだった紫郎くんにプロポーズして、めでたく婚約。しばらくふわふわと落ち着かない日々を過ごしていた。紫郎くんはやることがたくさんあるからと、たまにお菓子を差し入れてくれるくらいで、ゆっくりと二人の時間を取ることは出来ていない。
気付けば、季節は夏から秋に。金木犀が香ってはすぐに枯れていってしまうこの季節は、四季の中で一番短く感じる。だからなのか、毎年物悲しい気分になる。
高校には、夏休みが明けてから今までと同じように通っている。婚約したことは伏せて、成績を落とさないように文武両道、帰宅すれば、お母様からの花嫁修行。努力する日々。一つだけ気にかかっていることがあり、時折集中を切らせて周囲に心配されてしまう。体調も優れない日が続き、何かを察したお母様が、自室に私を呼び出した。
「弥生、何か不安に思っていることが、あるのね。」
「お母様…。」
「体調も悪そうだし…お医者様に診てもらう?」
「…そうね。」
俯いた私を、見つめる視線が少し痛い。お母様は、もう気づいている。だったらもう、白状するしかない。
「弥生、あなたまさか…。」
「お母様、私…妊娠したかもしれません。」
「まぁ…。」
「月のものが二月ほどきていません。」
「そうなのね…。紫郎くんには、そのことは伝えたの?」
「いえまだ…。お医者に行って、はっきりさせてからと思っていて。」
「そう…。」
お母様は、目を伏せてため息をついた後、ゆっくりと立ち上がって、私の目の前まで歩いてきた。そう、ゆっくりと。ふしだらな私を、お母様は叱るかしら。背筋が凍る思いで、その場をどうやり過ごそうかと頭を高速回転させぬていた私に、お母様は自分が羽織っていたストールをふわりと肩からかけて、それごと私の体をぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫よ。私と一緒に病院に行きましょう。」
タイミングよく、お父様は外出中。"思い立った時が吉日"、それはお母様の座右の銘。お母様は執事に腕利きの女医がいる産婦人科を調べさせ、その病院へと向かった。
検査の結果、やはり、妊娠していた。あの日の夜の出来事を思い返す。エコー写真を見つめて、こんなに小さな、それでも、確かに存在する命が、自分の体に宿っている。そのことをじわじわと実感すると同時に、嬉しさと不安でぐちゃぐちゃになっていく心。手が震え出すと、お母様がそっと、手を重ねて包み込む。
「新しい家族が、一気に増えるわね。」
優しい言葉に、溢れてくる涙が止まらない。これはどの感情の涙なのか。分からないけれど、今は涙が枯れるまで泣いておこう。
「弥生。周りがなんと言おうと、自分がどうしたいか、が一番大事よ。」
泣きながら、お母様の顔を見る。
「あなたは、どうしたい?」
そう言われなくても、私の心は決まっている。そう、決まっているのだ。
止まらない涙を垂れ流しにしながら、最大限お母様に甘える。お母様、あなたが母になることを知った時、何を思いましたか。私は、怖いくらいに幸福で、それに潰されそうなくらいに不安です。それでも、母になることを、選びます。
泣き止んだら、ぐちゃぐちゃな心とは裏腹に、頭はすっきりとしていた。家に帰ると、お父様がひと足先に帰宅していて、お母様と私の雰囲気を感じ取ったのか、少しだけ顔が強張っている。
家族で大事な話をする時に、必ず使用するこの部屋。広い家の中でも極端に狭く、窓とドア以外の壁は本棚で覆い隠され、その本棚も様々な文献でギチギチに詰め込まれている。部屋の中心の丸テーブルに、椅子が三脚、お父様が窓を背にするように座り、その左隣にお母様、そして二人の正面に、私。張り詰めた空気の中に、お父様の小さなため息がもれて、少しだけ、泣きそうになる。でも、今は泣いちゃ駄目だ。
「お父様、私、妊娠しました。」
真っ直ぐと見つめると、お父様は、困り眉毛のまま、小さく笑った。
「そうか。」
「私、産みたいです。」
「…そうか。」
「こないだから、色々と…ごめんなさい。」
「何を謝ることがある。喜ばしいことじゃないか。」
「でもお父様…。」
「弥生。」
私の言葉を遮るように、名前を呼ばれてビクッとする。お父様の目の奥には、とてつもない力が宿っていて、言おうとしていた言葉がまるで出てこない。お母様は、私を叱らなかった。お父様は?
「弥生ぃぃ…。」
泣いた。
お母様の方を向くと、目に涙まで浮かべてクスクスと笑っている。
「弥生、正実さんはね、嬉しいのよ。誰も、あなたの妊娠を叱ったりしないわ。」
「お母様…。」
「ね?正実さん。嬉しいわね。」
「おぉぉ…弥生ぃぃ…。」
「もーっ、だらしないわよっ!涙と一緒に鼻水も出てるわ!」
お母様は泣き笑いしながら、ハンカチでお父様の顔を拭っている。お父様は、来客がある時は威厳を背負って紳士な振る舞いをするけれど、家族でいる時はそうではなく、普段は天然でおっとりしているお母様の方が、しっかり者に見えてくる。
嘘偽りのない温かな思いを感じ取ると、この両親の元に産まれてくることができたのは、本当に幸せなことだと思う。こういう感謝の気持ちは全て、結婚式で伝えられたらいいな、と思う。
紫郎くんにも妊娠したことを伝えなければ。会う時間を作れるかどうか電話で確認していたら、忙しそうだったので、その話の流れのまま妊娠したことをぽろっと伝えてしまった。ゴトン、と音がした後、いくら呼びかけても静寂な耳元。数秒後、今から会いに行く、と短く言われ、電話は切られてしまった。怒らせてしまったかしら。
そわそわして落ち着かず、家の門の前で待っていると、鬼のような形相で走ってくる紫郎くんが見えた。あのつり上がった一重の細長い目が、どうしようもなく愛おしく感じる。紫郎くんは、走ってきてそのままの勢いで私を抱きしめた。肩越しに熱い息がかかる。息を整えて何かを言いたそうにしているが、言葉にならないのか、ただただ、抱きしめられていた。
「…怒ってる?」
「怒ってない。」
「嬉しい?」
「ん。」
「嬉しいね。」
「…ん。」
「ここにいるよ、赤ちゃん。」
「すげぇな。」
「ね、すごいね。」
「まじで俺、ちゃんとしなきゃ。」
「あまり無理しないでね。」
「お前もな。」
二人で笑い合う。一番近くで見てきた家族の形は、両親。憧れはあるけれど、それを目指す必要はない。私達は、どんな家族になっていくのかしら。その形は、きっと、私達らしい形。




