二.プロポーズ
「紫郎くんを、もらいにきました!!」
「…は?」
「結婚してください!!」
差し出された花束と弥生の後頭部を交互に何度も見て、見えないはてなマークを頭の周りにいくつも飛ばす。
久しぶりに会った、昔馴染みの弥生。両親がどこぞの社長だかなんだかで、超がつくお嬢様。家が隣同士で、ガキの頃には交流していたが、自分が喧嘩に明け暮れるようになってからは距離を置いていた。再会するや否や、家に帰りたくないだの俺んちに来たいだの…誰も立ち入れたことがなかった我が家に連れてきてみれば、なんだって?プロポーズ?話がぶっ飛びすぎて、状況を飲み込むのに時間がかかる。そのうち、この状況がじわじわとおかしく感じてきて、ふっ、と笑いがこぼれてしまった。
「えっ、何!?今笑ったの!?」
勢いよく顔を上げた弥生の顔面は、文字通り茹で蛸。その顔は完全に笑いのツボをついてしまい、声を上げて笑ってしまった。顔から湯気でも出るんじゃないかと思うほど、ますます赤くなっていく弥生の顔。
「なんでそんなに笑うのー!?」
「わりぃ、ちょっとツボに…ふくく…。」
「こっちはいたって真剣なんですけど!」
「いや、まぁ、それは伝わってはくるんだけど…ふはっ。」
「紫郎くんひどいっ!」
涙目になって睨みつけてくる弥生を横目に、笑いを抑えようとすればするほど止まらなくなってしまい、申し訳ない気持ちにもなるが、どう受け止めたらいいかわからないプロポーズに、からかわれている気持ちにもなる。二人の間には、十年以上の月日がそれぞれに流れていて、再会したあの時まで、一度も交わらなかったのだから。
「ひどいって言われても…。だって、あれだろ?弥生が?俺を?…まじか?」
「大真面目よ!高三の夏休みに、私からプロポーズするって決めていたの!!」
「まじか。」
「まじよ!!」
「え、ちょっと待て。なんで高三の夏休み?」
「ほら、私って、朝霧財閥のお嬢様じゃない?」
「何急に。」
「お兄様が会社を継ぐから、私は家のことは気にしなくてもいいんだけど、両親からは、高校を卒業するまでは"朝霧家のお嬢様"でいてほしいって言われていて。」
「…うん?」
「つまり、高校卒業したら私は晴れて自由の身になれるの。」
「…うん?で?なんで夏休み?」
「だって…プロポーズを断られる可能性だってあるじゃない?そうなったら、私の人生設計も変わってしまうわけで。半年くらいあったら、その先どう生きていくか考えたり準備したりできるかしら、って。」
「ふぅん…。色々考えてんのな。」
「まぁね!それに、プロポーズのいいお返事がもらえたら、そこから半年くらい花嫁修行に専念できるし!」
「ほぉー。」
「ほぉーって!感心してる場合!?」
「いや、うん、感心してた。」
「そうやって素直に気持ち伝えてくれる紫郎くんのこと本当に好き…。」
「お、おう。」
「なんかちょっと話それちゃったけど、一目惚れなんですっ。初めて会った時から好きなんですー!!」
そう叫び、再び花束を差し出す弥生。自分に向けられている好意を、素直に嬉しく感じていることに驚きつつ、幼い頃の温かい記憶と、今目の前で俺のことを好きだと言う弥生が、"愛おしいもの"だと結びつくと、何かがすとん、と腑に落ちた。
「…向日葵」
「え?」
「向日葵の花言葉は、『あなただけを見つめる』。」
「正解です。さすが花屋の息子ね。紫郎くんのお母様に選んでいただいたの。うちの馬鹿息子をよろしくね、って言っていたわ。」
「親の了承済みか。」
「私、紫郎くんのご家族も大好きなの。小さい頃から本当によくしてもらって。」
「それはどうも。」
「だから、紫郎くんともだけど、紫郎くんのご家族とも家族になりたいってずっと思っていて。だから…あの…受け取ってください!!」
何度も勢いよく差し出されるもんだから、少しだけくたびれたような花々。そして、毎度花束ごと小刻みに震えている弥生。受け入れてもらえるかわからないのに振り絞る勇気を、こんな華奢な女が兼ね添えているとは思いもしない。
「…俺をもらったら、苦労すんぞ。」
「大丈夫。紫郎くんは、私を幸せにしてくれるたった一人の人だから。」
それは、殺し文句だ。
「女のこと、何にも知らないからな。お前が教えてくれんの?」
「えっ…え!?何も知らないって…え!?」
「野郎と喧嘩ばっかして、つるむのも野郎ばっかでね。女にうつつを抜かしてる暇なんてねぇよ。」
「えぇ!?だって、紫郎くんそんなにかっこいいのにっ、何人の女の子が骨抜きにされたんだろうって思ってたんだけど!?」
「いやお前骨抜きって…。恥ずかしい話、ほんとに、女を知らんのよ、俺は。」
「絶対嘘!!」
「…嘘だったら?」
「嘘だったら…それはそれで…妬けるし嫌だけど…てゆーか今も付き合ってる人とか好きな人とかいないの!?」
「付き合ってるやつはいねぇよ。付き合ったこともないしな。でも、好きなやつは、いる。」
「えぇぇぇ!?好きな人いるのぉぉぉ!?」
「おっまえ…何その浮き沈み激しい感じ…。」
「また笑って…!もういいですっ!もういっそ潔く振ってくださいぃ…。」
思考がぶっ飛んで、被害妄想気味に暴走するのは相変わらず。見た目は"お淑やかなお嬢様"だが、しゃべるとそうでもないギャップがあって、そういうところも、昔と変わらなくて安心する。やれやれこれは仕方ない、観念してやるか。
「勘違いしてるとこ悪いけど、俺が好きなのお前だよ。」
そう言うと、さっきまで忙しなく動いていた弥生の動きがピタリと止まる。かと思えば、油切れのロボットみたいな動きで顔を上げる。
「い、今、なんて…?」
「だから、俺も好きだよ、お前のことが。」
そっと、花束を受け取る。少しだけ触れた弥生の手は信じられないくらいに冷たく、微動だにしない。回線がショートした模様。
「プロポーズ、受けるよ。俺のこと、幸せにしてくれよな。」
逆プロポーズは大成功。ハッピーエンド、ちゃんちゃん、といきたいところだが、"花ヤンキー"の異名をもつ俺との今後、問題は山積みだ。腹括って、全ての問題を解決していけるように、動き出そう。
「弥生、いつまで固まってんだ?」
「えっ…え?あの…え?」
「俺ら両想いってやつですよ。」
「…ほんとに?」
「ほんとだって。」
「ほんとに…?」
「確かめてみるか?」
「えっ……」
ぎこちなく重なる唇と唇。離れるのが名残惜しいくらいに、熱くて、柔らかい。至近距離で見つめ合う。弥生はしばらく固まっていたが、突然、ポロポロと大粒の涙を流しながら抱きついてきて、そのままの勢いで押し倒された。
部屋の照明を背負っている弥生を見上げると、涙が落ちてきた。瞳の輝きに目を奪われて、そらせない。
「紫郎くん、幸せにします。」
喧嘩で負けを知らない俺は、初めて"参った"と思った。自分はこの辺りでは最強だという自信すらあったが、その俺をこんな気持ちにさせるのは、後にも先にもお前しかいないんだろう。
真夏の夜の1DK、くたびれた向日葵の花束、男と女。窓の外には、再会とプロポーズを祝うかのように、満月が煌々と輝いていた。