一.再会
実家が花屋で、産まれた時から花に囲まれていた。花は嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。ただ、男のくせに花屋だなんだと、わけのわからないことを言われ、それに対抗していたら喧嘩に明け暮れるようになり、地元では有名な、いわゆる"ヤンキー"になっていた。ぐれたかったわけじゃない。両親も花も好きなのに、全部馬鹿にされているようで、つっかかってこられるもんならやり返していた。自分が守りたいものが喧嘩で守れるなら、それでよかった。揶揄をこめた"花ヤンキー"の異名まである俺に、つるんでくる連中は必ず尖ったやつらで、それでも心根がいいやつらも多く、可愛がっていたら群がられて、もう少し静かに暮らしたいと思っていた。
実家が花屋なことは誇りに思っていたからオープンにしていたが、一つだけひた隠しにしているものがあった。それは、趣味がお菓子作りであること。甘いもの好きと言うのは知られていたが、自分で作るまでして好きだと言うことは、なぜか誰にも知られたくなかったのだ。ガキの頃は、母親に教えてもらいながらちまちまこそこそ作っていたが、中学を卒業すると同時に家を出て、高校には入らずバイトをしながら一人暮らしを開始。小さな自分だけの城で、好きな時にお菓子作りができる喜びを噛み締めた。自信作が出来るとたまに実家に顔を出して、お菓子を振る舞った。
喧嘩をふっかけてくる輩は年々増え、両親を巻き込みたくないがために、実家に行く機会は減っていった。自分の城には誰も立ち入れず、ふと襲ってくる寂しさを紛らわすように、夜な夜なお菓子作りに没頭した。
ある日のバイト帰り、小さな公園の中で男達に絡まれている女を見かけた。こんな夜更けに女がこんなところを彷徨いていたら、そうなるに決まっている。
「何してんだ。」
声をかけた瞬間、一斉に振り向いた男達は、俺の顔を見るなりそそくさといなくなり、女と俺だけが暗がりの公園に取り残された。女は、花束を抱えて小さく震えていた。花束は、見覚えのあるアレンジ。
「俺んちで買ったのか。」
思わず口に出すと、俯いていた女はパッと顔を上げた。暗がりでもはっきりと輝いて見える、向日葵のような顔。俺はこいつを知っている。
「紫郎くん!」
名前を呼ばれて、幼い日の記憶が一気に頭の中を駆け巡る。朝霧弥生。実家の隣のどデカい家、朝霧家のお嬢様だ。よく母親に連れられて花を買いに来ていて、ガキの頃は家の前の路上で遊んだりもしていた。俺が喧嘩をするようになって距離を置くようにしてからは、顔は見かけるけど話すことはなく、今の今まで疎遠だった。
「よかった、会えた。」
なぜ俺に会えて、"よかった"んだろう。わからない。ただ、このままこいつを放置するのも気が引ける。
「送る。」
そう短く言って公園の出入り口へ向かう。ついてくる気配がなくて振り向くと、弥生は花束に顔を埋めて立ち尽くしていていて、何をしているのかと不思議に思いつつも、その光景から目を逸らせずに眺めている自分がいた。こちらの様子に気づいた弥生は、はっとして駆け寄ってきて、再び花束に顔を埋めつつ、服の端を掴んできた。
「紫郎くんの家に行きたい。」
「…は?」
「帰りたくないの。」
「アホなこと言ってんなよ、帰んぞ。」
「アホなことじゃない!」
「お前なー…。」
「お願い!帰りたくないの…。」
自分がこう、と言ったことを通そうとする頑固さは、昔から変わっていない。こうなると、こっちが折れるほか術はないのだ。きちんと家に連絡すること、帰りたくない理由を教えることを条件に、家に連れていくことを渋々オーケーした。
羽織っていた上着を弥生に被せて、周りを警戒しながら家路につく。どこで誰が見ているかわからない、顔や素性がバレて、弥生や朝霧家に迷惑がかかるのだけは御免だ。朝霧家の両親や使用人達には、昔本当に良くしてもらった。今の俺を知ったらどう思われるかは…わからない。
街頭の少ない道を選びながら、それほど時間をかけずに自宅にたどり着いた。闇夜がいい隠れ蓑になったはず。鍵穴にキーを差し込みながら、誰も入れたことのなかったこの城に、安易に招いても良かったのか、と、小さな迷いが生じた。いつもより重たく感じる扉を開けて、閉める。玄関で、弥生に被せていた上着を外すと、火照って少しテンパっている弥生がいて、つい吹き出してしまった。弥生は、さらに顔を真っ赤にして怒っている。小さな迷いは、そんな些細なことで吹き飛んでしまった。
「上がって、まずは電話しろよ。」
部屋に促すと、弥生は花束をテーブルの上に置き、携帯電話を取り出した。ふーっと長い息を吐き、液晶画面をタップして耳元に押し付ける。謎に力一杯目を瞑っている弥生をキッチンからぼーっと眺めながら、可愛い、と思わず口に出してしまいそうになり、少しだけ変な汗をかいた。なんとなく電話の内容を聞いてはいけない気がして、風呂に駆け込んで水を浴びた。
風呂場から出ると、話し声は聞こえず、電話が終わったことを知る。リビングを覗くと、テーブルに置かれた携帯電話を穴が開くんじゃないかと思うくらい睨みつけている弥生が見えて、口の端が緩む。
「電話、終わったのか。」
濡れ髪を適当にタオルで拭きながら声をかけると、弥生は勢いよくこちらを向いて赤面し、顔を逸らした。
「お、終わったわ!」
「家出のお許しは出たのか?」
「いっ家出!?や…う…と、とりあえず、紫郎くんちにいることは許可もらえた。」
「ほー。で?家出の理由は?」
「う……。」
「それを聞かせてくれないなら、今すぐ送っていくぞ。」
「話す!ちゃんと、話すから…。」
うなだれる弥生を見て、少し緊張感が走る。そんなに大袈裟な理由なのか。
「プロポーズを…」
「ん?」
「プ、プロポーズを!紫郎くんを、もらいにきました!!」
「…は?」
「結婚してください!!」
状況が飲み込めず、差し出された花束と弥生の後頭部を、交互に何度も見た。