第九話 恋をした
声の正体を知った瞬間、俺はさやの手を取り無我夢中に走っていた。
「ちょ、ちょっと! どうしたのいきなり」
百メートルほど走った所でさやの声が聞こえて、我に帰った。
「ご、ごめん!」
「どうしたの?」
俺もさやも息を切らしながら喋った。そして声の主は泰希たちだった。
「今、名前呼ばれて後ろに居たのは友達なんだよ」
「友達からなんで逃げたの?」
なんて説明しようか迷った。さやと一緒にいる所を泰希たちに見られたらまずいと思って、咄嗟に走ったけど、さやにはなんか言いづらいな。泰希たちも急いで追いかけてくるだろう。とりあえず隠れたい。
「ちょっとあそこに隠れない?」
ゆとりーとラインの高架下の柱に隠れた。敵の数は四人。泰希とかずきと和真と春日だ。あいつら俺の嘘に気づいたのか。柱から顔を出して様子を伺いながら、さやの手を強く握った。さやにも鼓動が聞こえるくらい音を立てている。
やがて泰希たちは俺を探しながら大曽根駅の中に入って行った。なんとか鉢合わせる事は回避できた。ほっと一息ついた。
「ねぇ、どうして逃げたの?」
さやに逃げた理由を話してないのを忘れていた。どうやって伝えようか。伝え方によってはさやと会う事が本当は、嫌だったと思われたりしかねない。
「さやと会う事は友達には言ってなくてさ。あいつらに言うときっと追いかけ回すだろうから内緒にしてたんだよ」
「そっか。でもわざわざ逃げなくてもいいのに」
「ん? それはどういう事?」
「私は豊の友達と会っても気まずくならないから大丈夫だよって事」
「ほ、ほんと? 話した事ないけど大丈夫?」
「うん。大丈夫」
さやにはうまく説明できたと手応えは感じないけど、なんか泰希たちに会わせることになってしまった。さやの顔から機嫌を伺うと、少し怒ってるようにも見えた。
泰希たちを探しに駅の中へ向かった。さっきまでは追われる側だったのが追う側になっている。泰希たちにはなんて言われるだろうか。「なんでカラオケ来ないんだよ」なのか「隣の女は誰だ!」だろうか。不安を抱えながら、駅下の商業施設を抜けた先の名城線のエスカレーター前に泰希たちは居た。
泰希たちは円になって話していた。何を話してるかはわからんが、さやの前で焦って動揺してる姿なんか見せれない。なので開き直ったように堂々としてよう。
「友よ。久しぶりだな」
まるで戦争映画で生き残った兵士が言いそうな台詞で声をかけた。全員が振り返ってドキッとしたが、動揺を見せてはいけない。
「げ、元気だったか?」
「元気も何も、俺らのカラオケぶっちして呑気に、女の子とデートか?」
少し怒ってる様子で泰希が喋った。
「ごめんごめん。色々あってさ」
「色々あってってなんだよ? 二年ぶりに女に会ったからって、友達との約束破る違うんじゃないの? 俺らのLINEも無視するし、声かけたら逃げるしな」
LINEも無視? 無視した覚えはない。スマホを見てみると、泰希たちから電話が来ていた。さやと居るのが楽しすぎて全然気づかなかった。てかなんで泰希がさやと二年ぶりに会った事を知っているのか。この事は和真にしか話してない。まさかと思い和真の方を見た。目があった瞬間和真はニヤけた。
これは和真黒だな。何言ってんだよ。とりあえずLINEの件は謝ろう。
「LINEはごめん。無視してるつもりなんかなかった。気づかなかった。それよりなんで泰希がそんな怒ってるんだよ」
「別に怒ってねーよ。てかなんだよ。気づかなかったって、スマホぐらい見とけよ」
「わるいわるい。今度からは気をつけるよ」
泰希のご機嫌は斜めっぽいな。朝はあんなウキウキしてたのにな。
「んで豊くん。その隣にいるおなごはだれ?」
ニヤニヤしながら春日が喋った。相変わらずどっかの方言を挟んでくる。
「どこの方言を使ってんだよ。紹介するよ。俺が転校した先の中学の同級生の……」
「工藤沙耶香です。趣味は絵を描く事です。みんなからさやって呼ばれてます」
さやが食い気味に合コンの様な自己紹介をした。
「さやちゃんか〜。結構かわいいね〜。あ、紹介が遅れました、名古屋一のイケメン和真です。よろしく」
和真がニヤニヤしながらネタを交え話した。俺こんなつまらんネタするやつと友達だっけ? てかいきなり可愛いって言っちゃうのかよ。不安そうにさやの方向を見たら、和真のつまらん自己紹介ギャグで笑っていた。
「あ、どうも、豊と同じ高校のかずきです。よろしく」
続々と泰希たちの自己紹介が始まったが、ご機嫌斜めの泰希と人見知りの春日は自己紹介をしなかった。
「えっとー、こっちの身長が低い方は転校前の中学の同級生の春日で、ちょっと人見知りなんだ。そんでこっちのやつは、同じ高校の泰希。ちょっと今ご機嫌斜めだね」
「ご機嫌斜めじゃねーよ」と泰希が返した後、さやが丁寧に笑顔で「よろしくお願いします」とお辞儀した。
自己紹介は一通り終わったけど、泰希たちも俺と会って何するかは決めてなかったらしく、どうするか話し合っていた。
「とりあえず、俺はさやの家まで送るから、そのあとそっちと合流するよ」
「いやいや、豊くん友達と遊ぶ予定あるなら遊んでてもいいよ? 私一人でも帰れるし」
「いやいや! 久しぶりに会ったことだし、もうちょっと話したいし、家まで送るよ」
「ほんと? なら送ってもらおうかな。ありがとう」
「おいおい、豊くんだってよ。初々しいな〜」
「童貞の和真は黙っとれ」
「お前もだろ」と和真に釣られて、俺らのお決まりのネタをやってしまった。不安そうにもう一度さやの方を見てみると笑っていた。さやは意外としょうもないネタで笑うんだ。しょうもないネタを披露するのは俺らの得意分野なので、もっと笑わしてやろう。
結局泰希たちは別れて、さやの家まで送った後泰希たちと合流する流れとなった。さやと二人で歩き始める頃には陽が落ちて辺りは暗くなり始めていた。
「さやは気まずくなかった?」
「ううん、みんな面白そうな人だし、ちょっと気まずかったのは泰希くん? が怒ってた時かな」
「あれ絶対怒ってたよなー。俺もなんで怒ってるのかあんまわからないんだよ。普段は怒るキャラとかじゃないのに」
「なんか気に触ることしたんじゃない? 例えば嘘ついたとか」
「ま、まぁ……今日のは完全に俺が悪いな。今度なんかお菓子買ったら許してくれるかな」
「小さな事だし、きっと許してくれるよ。あ、道こっち」
「あ、そうだったっけ。そういえばさやの家送るなんて二年ぶりだな〜。言うても一回しか送ったことないけど」
「そうだね。豊くんが隣にいるなんて、夢としか思えないよ」
「なんだそれ。頬っぺたつねって夢から覚ましてやろうか」
「夢だとしたらまだ起こさないでよ」
なんてロマンチックな発言だろうか。その言葉が頭の中に響いて、まるで映画のワンシーンのようにさやがぼやけて揺らいで見えた。なんだか足がふらつく。地震か? 地震ならさやを……
「大丈夫? 豊くん……?」
「…… あ、ああ。大丈夫大丈夫。ちょっと目眩がしただけ」
「そ、そっか。無理したらだめだよ?」
「気遣いありがとうね。ちょっと自販機でも寄ろうか」
さやの助けの声で目眩から覚めた。最近は体の調子がおかしい。朝起きたら鈍く重い痛みが脈を打つように頭の中で響く。目眩も頻繁に起こるようになった。
きっと遊びすぎて寝不足なだけだろう。今週の土日はしっかり寝よう。
「私の団地の下に自販機あるし、近くにベンチもあるからそこで休みなよ」
「うん。ありがとう。って団地に住んでたっけ」
「色々あって引っ越したんだ。あ、こっち右」
「ここ右行った所の団地って事は、あそこの団地か」
「うん」
団地にいつの間に引っ越したんだ? なんか今日な事が多すぎて、情報処理が追いつかない。今日は倒れかけたし、コンディションが悪い。さやと久しぶりに遊ぶというのに。こんな日に限って体調悪いとか最悪だ。
「ここに座ってて」
「うん。ありがとう。どこ行くの?」
「ちょっと待ってて」
さやが少し笑いながら走っていった。一人になった瞬間どっと疲れが体にのしかかってきて、ぼーっとしていた。この疲れは一体どこから来たのだろうか。対して頑張ってない学校。バイトも全然入ってなかったし、なんでこんなに疲れるんだ。謎の気だるさに襲われていた。
数分後さやは息を切らしながら帰ってきた。さやが右手に持っていたのは、水滴が垂れ始めている麦茶。
「買ってきてくれたの!?」
「うん! 豊くん疲れてそうだから、私が買ってきた」
「うわ。まじかよ。天使じゃん……」
ペットボトルの蓋を開け半分くらい一気に飲んだ。体に染み渡る麦の香ばしい味。こんなに麦茶って美味しかったっけ。「いい飲みっぷりだね」さやが笑いながら言ったその様は、本当に天使のように見えた。冷たい麦茶を飲んだのに、心は暖かかった。人の優しさが心から沁みた時。さっきの疲れなど吹っ飛んだ。これからは俺が支えてあげたい。
「どう? 体調良くなった?」
「うん。ありがとう! この恩は決して忘れません」
「そんなすごい事してないけどね。元気になってくれたならよかった」
二人で話して、笑い合って、また遊ぶ約束をした。次会えるのは来週の金曜日。今度はさやの家だ。ちょっと緊張するけど楽しみ。
「もう外も暗いしそろそろ帰るね」
「うん! じゃあまた来週ね」
「うん。またね」
俺を残してさやはエレベーターのほうへ行った。余韻がすごかった。胸の中がさやの優しさでいっぱいだった。大大大満足。また会いたいな。初デートは二時間がちょうど良いとか言うけど、五時間ほど経っていた。話し足りないくらいがちょうどいいとか聞くけど、俺は話まくりたい。
次いつ会えるかわかんないし。あの時みたいにまた足跡も残さず消えてしまったらと考えると、たくさん話したくなる。来週も会えるといいな。
泰希たちのいる大曽根駅付近のカラオケまで、さっき通った道を振り返りながら歩いた。なんだかいつもより月が綺麗に輝いて見えた。