第八話 二年ぶりに豊くんに
豊くんと二年ぶりに会えて、一週間が経った。
団地の駐輪場から聞こえる、新聞配達のバイクの音で目を覚ます。洗面台で顔を洗って歯磨きをする。そしていつも通りお母さんの弁当を作る。ついでにお母さんと弟の朝食も用意する。これが私の仕事だ。
昨日の夕食のおかずを冷蔵庫から取り出し、電子レンジでチンしながら、弁当箱にご飯を詰める。同時にだし巻き卵を作りながら、ウィンナーを焼く。おかずを温めれたら、弁当に詰めて、ナプキンで箸と共に包む。そして朝食の味噌汁を作る。水を沸かしながら、出汁を入れて、わかめを入れる。ある程度煮込んだら一旦火を止めて、おたまに入れた味噌を溶かしながら入れる。そうすると味噌がダマになりにくい。味噌を溶かしたら再度加熱をする。豆腐を入れて、沸騰しないように気をつけながら、茶碗にご飯をよそう。弁当のあまりのおかずも取り皿によそう。テーブルの上にお母さんと弟と私の朝食を並べたら、二人を起こしに行く。
「お母さん起きて」
「んー、」
「ご飯できてるよ」
お母さんは少し声をかければ、すぐ起きるのだが、厄介なのは弟である。
「あやとー、起きて朝」
「……」
「起きろって……」
布団を思い切り剥がすと、お腹の中にいる赤ちゃんと同じポーズをしていた。
「いやー!」
「学校遅刻するよ?」
「遅刻してもいいもん」
「はぁ……」
このやりとりを五分ほど繰り返すと、あやとは観念して起きる。
「顔洗ってきな」あやとにそう言うと、目を擦りながら無言で歩いてく。
二人を起こした後はみんなで朝ご飯を食べる。今日もいつもと変わらない朝。だけど心の中は何かが変わってる気がする。きっと豊くんが変えようとしてる。
二年ぶりに会えて、LINEを交換して、毎日少しだけ連絡を取り合う。LINEの返信をするだけで胸がドキドキする。この感覚はなんというのだろうか。好きだった人と二年ぶりに会えるなんて。
「さや、今日もよろしくね。行ってくるわ」
「うん。いってらっしゃい」
お母さんが仕事に出かけたら、朝食で使ったお皿を片付ける。少し経ったら次はあやとが家を出る。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい」
無邪気な小学六年生。私にもあんな頃があったなぁ。元気な子供を見ると少し嬉しくなる。
みんなが家を出たら、洗濯をする。あやとの服はいつも泥だらけだ。特に部活の靴下。あやとの靴下はいつも汚れている。そんだけ頑張ってるって事なのかもしれない。この手の汚れは一度手洗いしてから、台所用漂白剤を使って、一時間ほど置いて洗濯機にかけるとよく落ちる。私とお母さんの服は一緒に洗う。
洗濯を終えると部屋の片付けをする。お母さんの飲んだお酒の缶を資源袋に入れて、収集日までベランダに置いておく。そして掃除機をかけて、部屋の換気をする。
十月に入ると日が出てる間も寒い風が吹く。
「冬になるのかぁ」そう一人呟きながら、今日の用意をする。豊くんと会うのは、放課後となっている。
でも私には放課後なんてない。なぜなら全日制の高校に通ってはいないから。通信制の高校に通っており、月に二、三回ほど登校があるだけ。なので私には基本放課後というものはない。
「服はどうしよう……」制服は入学時に買えたけど、私には必要ないと思い、買わなかった。
放課後に会おう! と言った豊くん。放課後に会うとなると、制服で行った方がいいのかな。でも制服ないし……中学の制服は流石にバレるかな。私服で行こうかな。何か聞かれたら正直に話そう。
約束の時間は四時にイオンの二階のフードコート前。まだまだ時間があるので夕食の買い出しに行って、作り置きをしておいて、洗濯物を取り込んでからバスで行こう。
予定通りお昼頃から夕食の買い出しに行き、作り置きと置き手紙を残して、洗濯物を取り込み、たとんだ。
季節柄にふさわしいブラウンの色のスカートを履いて、白の長袖のシャツを肘くらいまで捲った。豊くんと会う場所は地元なので、落ち着いた服装にした。
ドームイオンまでのバスは、大曽根駅にシャトルバスがあるのでそれに乗る。
豊くんと何を話そうか。二年間何をしていたか聞かれたらなんと説明しようかな。豊くんは彼女いないって言ってたけど、好きな人とかはいるのかな。
だんだん豊くんと会える実感が湧いてきて、鼓動が速くなった。バスに揺られながら折りたたみの手鏡で前髪を何度も直した。なんだか緊張してきて、なぜか笑っちゃう。何年振りだろう、この感覚。
イオンに着いて小走りで二階に向かった。フードコート前には、まだ豊くんはいない。少し安心した。それより約束の時間より十五分早めに着いてしまった。早く着いた事がなんか恥ずかしくなってきた。
「それより久しぶりに、イオンに来たな〜」平日の静かな賑わいを見て思った。豊くんはなんでイオンで会うなんて言ったんだろう。高校が近いのかな。そしてあと十分経ったら豊くんが来る……また鼓動が速くなる。ほんとに豊くん来るのかな。不安と緊張が入り混じる。エスカレーターの方向を見ていると、青いネクタイの制服を着た身長の高い人が上がってきた。私を見てすぐに小走りで向かってきてるのが、豊くんだとすぐにわかった。
「ごめんごめん! お待たせ! 待った?」
「ううん、全然待ってないよ」
「よかった! それじゃあ立ち話も変だし、一階のコメダでも行く?」
「うん」
「じゃあ行こっか」
緊張してうまく笑えなかったけど、豊くんがリードしてくれたので安心した。
「最近ちょっと寒くなってきたよね〜」
「そうだね、制服半袖だけど寒くなかった?」
少し間があったので、私の声が小さいのかと思ったその瞬間、エスカレーターの前で豊くんが少し驚いた様子で立ち止まった。
「ど、どうしたの?」
「あ、いやなんでもないよ」
豊くんは苦笑いで答えた。そして豊くんがエスカレーターに乗ろうとしたら、スーツ姿のおじさんが抜かして乗った。豊くんが悔しそうな反応をしていたので、からかってやろうと次は私が抜かしてみた。
豊くんの反応は相変わらず面白い。すぐに私だとは気づかず、また悔しそうな反応を見せた。豊くんは私と気づいた途端少し固まっていた。エスカレーターに乗って二段ほど進んだ頃に、豊くんも続いて乗った。
豊くんは二段降りて、私の横に来てくれた。隣に来た時はびっくりしたけど、少しキュンとした。からかったつもりが、からかわれた気持ちになった。あっという間にエスカレーターの時間は終わってしまった。
清潔感のある真っ白なシャツに青いネクタイ。シンプルなのにかっこいい。
「豊くんの制服かっこいいね。どこの高校行ってるの?」
「この制服かっこいいよね! 俺に似合ってるかは、わかんないけど、さやの服はさやに似合ってるよ!」
急に褒められたのでまたもやキュンとしてしまった。恥ずかしくて変な返事しかできなかった。
「そ、そうかな……ありがとう笑」
私が恥ずかしそうにしてると、豊くんは笑った。豊くんの笑顔。無邪気に笑っていて、素直だなと思った。
世間話をしながら少し歩いたらコメダに着いた。ここのコメダは一回しか来た事ないけど、私の家の近くにあるコメダなら週一程度で通ってる。お昼前などに公園に絵を描きに行ったりした後にコメダに寄る。あの日もそうだった。
豊くんと二年振りに会えた日も、私は恥ずかしくてその場から逃げるようにコメダに行った。何を言っていいかわからなくて。
お店に入って店員さんに、人数を言うとすぐに案内してくれた。テーブル席に座ると豊くんと向かい合う形で座った。異性の人と向かい合って座る事が久しぶりだからか、目が合うたび少し照れてしまう。
「向かい合って座るの、なんか恥ずかしいね笑」
「俺も今思った笑」
豊くんと同じ事を考えてた。少し照れくさくて下を向いていると、豊くんが親切に私にもメニューが見えるように開いてくれた。
「何頼む? ちょっとお腹が空いたから食べ物頼んでもいい?」
「私も少しお腹が空いたから、これ食べようよ」
コメダ来たら絶対と言っていいほど食べるシロノワールを指してみた。一人だと通常のシロノワールを食べ切るのは難しくて、豊くんと二人なら食べれると思った。
「俺、シロノワール食べた事ないな……」
「え! 豊くんって甘いもの苦手?」
「あ、いや! 甘いもの好きだよ! なんならお昼に学校の購買でカメのメロンパンを毎日食べるくらい好きだよ! ただコメダに来る事があんま無くてさ」
「そうだったんだ。食べた事ないって言われて甘いもの苦手なのかと思った笑 これを二人で半分個してにして食べない?」
「いいよ! シロノワール食べてみたかったんだ」
「ならよかった。シロノワール美味しいから期待しててね。それでドリンクは何にする?」
「えっとー、俺はコーラで」
「わかった。店員さん呼ぶね」
豊くんが甘いもの食べれてよかった。意図せずにシロノワールを指したけど、甘いものが苦手な人もいた事を忘れていた。豊くんはどんなのが好きで、どんなのが嫌いなのか、もっと知りたいと思った。
「このシロワーム、いやシロノワーツ」
「シロノワール一つと、コーラと、あとホットココアお願いします」
私が慣れた口調で注文すると豊くんは恥ずかしそうな顔をしていた。
「さやはコメダとかよく行くの?」
「うーん。絵を描いたりしてて、休憩がてら、たまに行くくらいかな」
「そうなんだ。そういえば前会った時も絵を描いてたね。なんの絵を描いてるの?」
「風景画描いてる! 絵を描くのにハマってて」
「いいね〜! よかったら今度描いてる絵見せてよ!」
「うーん……いいけど、あんまり上手じゃないよ?」
「下手くそでもいいじゃん。俺からすればさやが描いたってだけでゴッホよりも価値があるよ」
「なにそれ笑 やっぱり豊くんは面白いね。今度会った時に持ってくるね」
豊くんは斜め上の角度から褒めてくる。笑っちゃうし、嬉しい。豊くんは褒め上手。少し照れていると恐れていた質問が来た。
「そういえば、今日はどうして私服なの? 放課後に会おうって話だったから制服かと思った」
予想はしていたけどなんて言えばいいのか。今の雰囲気からして正直に話すべきではないと思った。でもやっぱり正直に言いたい。
「えっとね……一回家に帰ってから着替えて来たんだ!」
数秒悩んで出した私の答えは嘘をつく事だった。
「そうなんだ。俺よりも来るの早かったし、学校から家近いんだね」
嘘をついてしまった罪悪感が口の中に残る。私は正直に言おうとしたのに、咄嗟に出た答えは嘘をつく事だった。今さら嘘なんて言えない。私は曖昧な返事しかできなかった。
「高校はどこ行ってるの?」
「えっと……」
針で胸を刺されたような感触がした。ただえさえ空気が重くなっているというのに、回答次第ではさらに空気が悪くなる。ここで通信に通ってるなんて言ったら、制服の事が嘘だとバレてしまう。嫌な心拍音が身体中に響く。数秒沈黙が流れた。
私が言葉を探していると豊くんが察してくれたのか
「言いづらかったら全然言わなくてもいいよ? それよりさ、シロノワール楽しみだな〜」
「そ、そうだね」
豊くんが気を遣ってくれてる。久しぶりに遊んでいるのにこんな空気で申し訳ない。今すぐ帰りたい。その気持ちで一杯だった。
そんな気まずい時間が数秒流れていると、店員さんがコーラとココアを持ってきてくれた。
ひとまずココアでも飲んで心を落ち着かせよう。
「コメダのココアって、ホイップクリーム乗ってるんだ! 初めて見た!」
少し大きな声で豊くんは驚いた。豊くんが無邪気に笑う姿を見ると、さっき気まずくなってたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
「知らなかったんだね。ココア自体そんな甘くなくて、このホイップが溶けると程よい甘さになっているんだ〜。寒い季節になってきて、このホットココアを飲む瞬間が好きなんだよね〜」
「寒い季節にわざわざコメダに行ってホットココアを飲むなんて、ロマンチックだね」
「そ、そうかな〜笑」
さっきの事なんか忘れてもう笑おう。それにしてもロマンチックなんて初めて言われた。なんだか褒められてる気がした。
「豊くんはコーラが好きなの?」
「実はそんな好きじゃないんだよね。炭酸が苦手でさ。でもなんかお祝いの日とかは毎回コーラなんだよね」
「へぇ〜。なんか豊くんは不思議だね」
「そ、そうかな〜笑」
豊くんが少し照れて笑っているとタイミング良く、シロノワールがきた。私一人の時はミニシロノワールしか食べないので、通常のシロノワールを見るのが久しぶりだった。それにしてもやっぱり大きい。
「結構大きいんだね」
「二人で食べるなら、ちょうどいいサイズじゃない?」
「さやがそう言うなら大丈夫かな。さやは、さくらんぼって食べたことある?」
豊くんは斜め上の角度から褒めてくると同様に、斜め上の角度の質問もしてきた。
「そりゃ〜十五年も生きてれば食べるよ。もしかして豊くんって、さくらんぼ食べた事ない?」
「実は食べた事ないんだよね。食わず嫌いでさ。フルーツ苦手なんだ」
「えぇー!! そうなの! フルーツはもう全般駄目な感じ?」
「いや、りんごとかは食べれるんだけど、ぶとうとかは食べれないんだよね。ぶどう味なら食べれるんだけど」
驚いた。斜め上の角度から攻められた質問の先には、斜め上の角度の答えが待っていた。
「ほんっと不思議な人だね。豊くんは謎が多いね」
私はそう言いながら、シロノワールのシロップを綺麗に掛けてみせた。
「シロノワール美味しそう!」
「だよね〜。じゃあ食べよっか」
小さなフォークで、シロノワールを頬張る。冷たいアイスクリームが口の中に広がるこの感じ。冷たさを甘いデニッシュで包み込む。たまらなく美味しい。
「ちょっぴり大人の味で美味しいね」
「わかる! ほんのり苦さがある感じが、大人の味っぽくて、それを味わうのが好き」
「さやもわりと不思議な人なのかもね」
「え? どうして?」
「子どもって普通は、大人の味を好んで食べないのに、さやは大人の味を好んで食べてるもん」
「なにそれ、私は子ども扱い?」
「いやいや、俺もまだ子どもだよ」
「豊くんが子どもなら、私は大人でありたいな」
「なんで俺が子どもなら、さやは大人でありたいんだよ」
「わからないけど、なんとなく?」
「なんだそれ。そういえばどうして俺のことを、君付けで呼ぶの?」
「なんでだろうね。なんか君付けが抜けない」
「外して俺の名前呼んでみてよ」
「え!? それは……ちょっと恥ずかしい」
「なんでだよ。喋り方と君付けが合ってなくてなんか違和感があるよ?」
「そ、そうなの! なら君付け外すよう頑張る」
「じゃあ、試しに今呼んでみてよ」
豊くんは急にドキドキさせてくる。サッカーの試合だったらレッドカードで退場案件だ。
「無理して言わなくてもいいよ」
「…… し、シロノワール食べよ!」
誤魔化すようにシロノワールをさっきよりも大きな一口で食べてみせた。
他愛のない話をしながら、シロノワールを食べ終えた。豊くんがコーラを飲み干したあたりで、「そろそろ帰ろうか」と言った。
私の家まで送ってくれることになった。ここでまた隠してた事がある。中学二年生の頃家まで送ってくれた日、きっと豊くんは家の場所を覚えてるけど、私はもうあそこには住んでない。
色々あって引っ越しを余儀なくされた。一軒家から団地へと変わっている事で、豊くんはどんな反応を見せるだろうか。恥ずかしい気持ちと不安の気持ちがあるからか、ココアを飲みきれなかった。
豊くんが奢ってくれようとしたけど、私が誘っといて、奢られるのは、なんだか気持ちが良くないので割り勘にして、コメダを出た。
「結構お腹いっぱいだなー」
「また食べに来ようね」
「さやが俺の名前を呼べるようになったらね?」
「からかわないでよ」
「失敬失敬、そういえばさやは兄弟とかいるの?」
「弟が一人いるよ。今年で十二歳だったかな。」
「さやに弟いるのか〜。十二歳って事は小学六年生?」
「そうそう。来年中学校に上がるからね。」
「さやの弟に会ってみたいな」
「え! 無理無理」
「なんでよ。いいじゃんか! 俺子どもと遊ぶの好きなんだよね」
豊くんにしている隠し事。今後も関わっていくなら話さなければならない。お詫びとして、私の手料理でもご馳走してみようかな。いやいや、そんなダメでしょ。二年ぶりに会って、私から誘って遊んだのに、今度私の家に来る? とか誘われたらヤリモクだと思われそう。第一豊くんは下ネタとかあんまり言わなそうだし、そんなふうに捉えないと思うけど。でも実際思春期真っ只中なので、友達の前とかだと言うのかな。
色々考えた結果、豊くんの反応が気になるので、家に誘ってみることにした。
「なら今度私の家に来る?」
少し真面目な顔をして言ってみると、少し豊くんは固まった後、電撃が体に走ったように一瞬震えて、「えぇ!?」と面白い反応をした。
きっと豊くんは今、思春期の化学反応が起きただろう。豊くんもそういう時期があると予想をしてなかった。
豊くんはそういう経験があるのかな。不純な事を考えてたらどこからか、大きな声が聞こえた。次に聞こえた時、何を言ってるかはっきりと聞こえた。
「豊ー!!」