第十八話 迎えた朝は
久しぶりなんじゃないかな。頭痛で起きない朝は。
窓枠に雀が止まっており、窓を開けて撫でてやろうかと思ったけれど、開けた途端に雀は、小さな羽で青空へと飛んでいってしまった。
外の空気を久しぶりに吸った気がする。腕を天井に伸ばし、思い切り蹴伸びをした。背中からボキボキと音が鳴り気持ち良い。
たまにはストレッチも悪くないな……。ベッドの周りを仕切るカーテンを開け、顔を洗った。
鏡に映る自分を見て、今日の機嫌を伺った。
相変わらず薄い病院食にも慣れてきたけど、よく考えてみればすごいメニューだ。
フルーツケーキに見立てた野菜のパン。ケーキを食べたいと思う、糖質を制限されてる患者の気持ちを汲み取り、この野菜パンができたのだ。
やっぱり病院ってすげーな……と改めて感じさせられた。
そして久しぶりに岳とも話した。あの日の誤解を解いたり、昔の話を聞いてた。
「俺は中学校の頃、陸上部でさ。走ってる事に夢中になってると、辛いことも嫌なことも吹き飛ぶんだよ。だから走るのが好きだった。まぁ今走ったら体がぶっ壊れちまうけどな」岳は笑いながらブラックジョークをぶち込んできた。そして不思議にその笑いにはまだ、走れるんじゃないかと思う希望も読み取れた。
「豊はなんか部活とかやってたのか?」
「俺は中学を転校するまではサッカーをやってたよ。こう見えて、ゴールキーパーだったんだぜ」
「へー。意外だな。豊は顔からして、クールな印象があるから背番号十番を背負って、かっこよくシュートを決めてる想像ができるな」
「残念ながら背番号はその想像とは真逆の一番だな。クールぶってかっこよくシュートを決めるのを阻止してたな」
「でたその豊の捻くれた考え。悪役みたいな考えしてるよな」
「ヒーローがいる理由は悪役のおかげだぜ? 誰かが悪役にならなきゃいけないんだよ」
「なんか豊……悪役だけど裏ストーリーで好かれるタイプみたいだな」笑いながら岳は話す。俺も釣られて笑った。
工藤さんとも明るく話せた。
「今日は体調がいいのね。さやも家でずっと心配しているのよ」
「今日は久々気持ちがいいです。さやにも今の元気さを見してあげたいですね。帰ったら伝えておいてください」
「わかったわ。久々に豊くんの元気が見れてよかった。今日友達がお見舞いに来てくれるだよね」
「はい。ずっとこの時を待っていました。それでお昼なんですけど……」
「友達と一階でご飯食べるんでしょ? 全然いいわよ。しばらく友達とも会ってなかったから、たくさん話すことがあるでしょう」
「ありがとうございます。話したいことだらけですよ」
「そうだよね。それじゃあ私次の仕事あるから」
「はい! 引き続き頑張ってください」
久しぶりにちゃんと向き合って、工藤さんと話をした気がする。去り際胸を撫で下ろす姿が印象的だった。
緊張する事でもないのに、なんだか胸がそわそわする。ただあいつらと会うだけなのに。
毎日会っていたじゃないか。ただ日が空いただけ。何も変わらない。ただ病院ってだけ。
鏡の前で様々な表情を試してみる。しかしどんな顔しても不自然な表情が出来上がる。
おいおい……大丈夫か俺……少しずつ不安になってきた時、岳が言った。
「そんな緊張するなよ。豊なら大丈夫。今悲しい顔したって、悲しくないんだから芝居でしかないわけよ。俺らは役者でもないんだからさ、納得のいく悲しい表情なんてできないんだよ。違うか?」
「……そうだよな」
岳の意見は正しい。表情は感情から生まれるものだ。なにをとち狂ってんだ俺は。俺は大丈夫だ。いつもそれで乗り越えてきたじゃないか。なんとかなる。
――高校受験。前日まで遊んでばかりだった。当時の成績じゃ受かるはずもないのに、推薦をもらったからってずっと遊んでいた。
人前で発表したり、自分の意見を言ったり、その場のアクシデントの対応などのアドリブが得意な俺は、推薦面接に全てを賭けた。
高校受験に向けて、皆が夏から勉強をし始める。当然勉強しないやつは、受験期でもやらない。
みんながテストの点や成績表で一喜一憂している。みんなが勉強に縛られてる中、自由に遊ぶのがたまらなく楽しかった。
しかし遊んでばかりいると、クラスメイトや先生から受験大丈夫なのかと声をかけられる。別に落ちた時は落ちた時だと、高校で人生は決まらないと自信を持って言い、遊び続けた。
それでも内心は焦っていた。周りが勉強しているのに自分だけが勉強をしない。それなのに高校は普通のところに行きたいだとか、偏差値の低い高校はいきたくないとちょっとしたプライドがあった。かと言って勉強はしなかったけれど、今ある自由か、先の名誉か、どちらも手を離し難いものだった。
受験前日。それまでもちろん勉強をしなかった俺は和真に電話をかけた。和真も明日に不安を抱えていて、その話で盛り上がり、その不安を消すためにゲームをした。勉強ではなくゲームを。
今更勉強したところで夏から勉強してる者には追いつかないんだし、なら最後まで笑っていようじゃないかと胸を張ってオールでゲームをした。
人生一度きりの高校受験に謎の期待と緊張を抱えて、挑んだテストは酷かった。受験開始前の休憩時間などにも周りは皆単語帳や、教科書を見るなど対策をしているものの、俺と和真と大貴は手ぶらなのである。
俺らは喋らずとも意思疎通しており、俺らは周りに合わせて勉強をしているフリをした。
考えてもわからなそうな問題を悩んだフリをしながら適当にマークシートを塗りつぶし寝る。
塗りつぶし終え、待ちに待った面接を受けた。
本番まで本当に勉強せずに行くと、人間は案外気楽に過ごせるものだと感じた。その気楽さは諦めではなく、また別の余裕があるのだ。
当然アドリブは上手くいった。俺は俺らしく、少しユーモアの混じった自己PRができた。
同中だった面接の練習をたくさん行っていたやつはグダグダであった。決めたセリフを言うことだけに必死になっており、言いたい事がまとまっていない。
練習とは違う質問をされた時も、沈黙が続いたり、まとまった話ができていなかった。
こういう事に得意不得意はあるだろうが、これに関しては本当に有利だった。アドリブが得意な俺、これこそがその場しのぎだけで生きてきた俺だ――。
受験期はなんとかなった。和真と大貴は落ちてしまったけれど、俺は得意分野で受かった。当初の予定通りで問題ない。
そうだ、なんとかなる。そう意気込んで着替えようとベッドに戻る時。
「豊の顔はそれだ。なんとかなるって、物事を軽く受け止め流すお前の自信から現れる下手なドヤ顔。豊にはその表情が1番似合うぜ」
岳はドヤ顔をしながらサムズアップをしてみせた。こちらもドヤ顔をして、サムズアップを返した。
俺はあいつらを迎えるために、あいつらが来る時間よりも少し早く受付のロビーにいた。少し気恥ずかしい気持ちがあり柱に隠れている。
「病院だから静かにしろよ」
「いやだって、普通肩ぶつかってきて、謝るぐらいはするだろ」
「これだから社畜はな」
声量大きめで入ってきた学生集団。行きの電車でなにかあったのだろう。
「外から見てもでかかったけど、やっぱり中も広いな」
「おい! みんなみろ! コンビニがあるぞ!」
「なんか奥から大門美智子が歩いてきそうだな」
「はいこれ、メロンです。それと請求書です」
学生集団は院内に驚嘆している。そして田舎者かと突っ込みたくなる。さらに残念なボケも渋滞している。
懐かしい声、どこか懐かしいボケ、あいつららしいアホらしさ……間違いなくあいつらだ。
あのアホ集団を見て感動する日が来るとは。
アホ集団の会話を聞いていると、懐かしさで涙が落ちそうになった。
「お、おまえらひさし……」
涙を堪えながら久しぶりに会える感動のシーン。
だがなぜかあいつらの元へ行けない。いますぐにでも声をかけて会いたい気持ちなのだが、足が動かないのだ。どんな顔をして会えば良いのか、わからない。
勿論さっき岳が教えてくれたことは覚えている。
別に俺らの中には地位とかはないけれど、なんとなくグループを仕切っていた俺だから、あいつらに弱い姿を見られるのが怖い。
あいつらから見た今の俺は一体どんな姿に見えるのだろうか。
心身の疲れで倒れてしまうぐらい病弱な男?
病衣姿を着て痩せ細った病人?
もう透明人間になりたい。あいつらを見れただけで良い。自分から声をかけるほどの勇気は今の俺にはない。
話したい事は数え切れないぐらいあるのに。
欲を言えば俺に気づいて、あいつらから声をかけてほしい。そう思いながら俺は病室に向かってしまった。
「おい、豊か?」
エレベーターに向かって歩いている俺の後ろから、半信半疑の声が聞こえた。
ゆっくりと振り返るとそこにかずきがいた。
「豊だー! 久しぶりだなー!」
勢いよくこちらに向かってきて、思い切り抱きつかれた。
「お、おう。久しぶりだな」
俺は、はにかみながら背中を叩き返した。
「お前少し痩せたか? 元気にしてたかよおいー!」
「ちょっと痩せたな。いつも通りでやってるよ」
「そうかそうかー! 元気そうでよかったよ」
かずきは心から嬉しそうに笑っている。
すると受付で面会カードを書き終えたものが続々と来た。
「久しぶりだな。病院生活どうよ?」
落ち着きのある玲音は優しく聞いてきた。
「久しぶり。病院生活には最近慣れてきたよ」
「会いたかったよ〜ゆたかちゃん〜!」
周りの目を気にしてしまうくらいのオカマネタを声量で喋る和真。
「おうおう、相変わらずだな。和真こそ元気だったか?」
「大貴様がお見舞いに来てやったんだから、ありがとうくらい言えよ」
相変わらずのナルシストキャラの大貴がボケを交えながらしゃべった。
「えっと……どちら様ですか……?」
「頭打って忘れたんか。ならもう一回頭叩いて思い出させたろうか」
久しぶり……と顔でジェスチャーをして喋ってきてるのは春日だ。
久しぶりだな……とこめかみから二本の指を挟み流すジェスチャーをして、さながら軍人のようにしてみせた。
個性溢れるそれぞれの挨拶。一見、軽く中身がないように思えるが、俺らの挨拶はこれだけでいい。
例え一ヶ月ぶりだろうと一年ぶりだろうと変わらない。
とりあえず昼飯を食べることとなり、レストランへ向かった。




