第十三話 揺れる青空
ここ最近目覚めが悪い。朝起きると鼓動が頭に響くような重い痛みが続く。無理に体を起こそうとすると余計痛いので、体は起こさないようにする。
そのせいで今日も遅刻となる。チャリをゆっくり走らせていると、頭がぼーっとしてたまにふらつく。ロマンチックな金曜日を過ごしてから一転、何も学べない学校だからか、水曜日になった今日も気持ちが切り替えれない。
朝はやっぱり冷え込むな。少し早いけどネックウォーマーつけておこう。
十月中旬に差し掛かると、日中でも肌寒さを感じるようになった。
今日も遅刻か。切り替えもできず憂鬱になっている。
それでもなんとか持ち堪えれてるのはさやのおかげだ。少し前までは友達が全てだった俺だけど、最近どこか違う気がしている。
泰希は完全に俺らのグループから離れ、それに伴いかずきも地元の方で遊ぶ事が多くなって、学校以外で会う機会が減っている。
そう思いながらチャリを走らせていると、あっという間に学校に着いた。
朝とは違って静かな下駄箱で靴を履き替え、生徒指導室まで向かう。
「失礼します。一年の若林です。遅刻したので、紙お願いします」そう伝えるとすぐに あいよー と返事が来て、いつもの先生が来る。
「豊、お前今学期何度目の遅刻だ? 遅刻しすぎて指導部で、名前が上がってるからな」
「すいません。ほんとに起きた時頭痛がひどくて……」
「また言い訳か。もうちょっと余裕のある生活リズムを作れよ?」
「いやほんとに……頭痛酷くて……」
「なら病院行くなり、薬を飲むなり、方法はあるだろ?」
「いや、まぁ、そうすけど……病院行くのはなんだか気が向かなくて……」
「お前大丈夫か? いつもだったら あ、すんませんすんません、今度行きますね。って言うのに……そう言われると顔色悪そうに見えてきたな。あんまり無理すんなよ?」
「ありがとうございます」
「えらい丁寧だな……明日は遅刻せず来いよー」
明日の心配までしてくれた先生を後ろにゆっくりと歩き始めた。なんだか人と話すのがひどく疲れる。
立ちはだかる長い階段を前にすると、少し気が飛びそうになったけれども、ゆっくり登ることにした。
両手で手すりを掴み、ふらつく足を一段一段、確かめながら上がっていく。
二段飛ばしができるほど今日は気力がない。まぶたも重い。視界が掠れてゆく。あと少しだ……そう自分に言い聞かせ、半階まで登ったところ。
ぼんやりとした景色の中、踊り場の窓から見える青空が揺れた。
ふと目が覚めて辺りを見渡すと、時計は五時を指していた。
怖い夢を見た。ぼんやりとしか思い出せないけれど豊くんが「俺はさやの未来をそばでは見れないんだ」と暗くなった公園で言われた意味深長な豊くんの発言。
誰もいない部屋で無性に寂しくなった。豊くんに抱きつきたい。あの日もなんか我慢ができなくなって、抱きついてしまった。
私は力強くギュッと抱きしめたけど、豊くんは優しく抱き返してくれた。大切にしてくれてる感じがして、数十秒の短い深いハグだった。
近くにあった布団をギュッと抱きしめてみたけれど、あの時のような満足感はなく、布団から虚しさを感じて起き上がった。起き上がると同時に新聞配達のバイクの音も聞こえた。
先週の金曜日の出来事が頭に残ってて、今日は豊くんの夢も見てしまった。
豊くん今は何してるのかなー。昨夜のご飯で使った皿を洗いながら、また豊くんの事を考えていた。
朝は簡単に作ろう。無気力ながらも声を出しながら朝の支度をした。
弟を送り出すまでの朝の日課を終えると、少し落ち着ける時間ができる。暖かいカフェオレを飲みながら考える事はもちろん豊くんの事。
豊くんの事を考えると、嫌な予感が胸を騒がせてる。
なぜだろうか。心が落ち着かず連絡をしたくなる。
普段からあまり連絡を取り合わないため、私の方から連絡を送るのも不審に思い、雑談の連絡が送れない。
昨夜の夢のせいか、なんだかもう豊くんに会えなくなるような気がして落ち着いていられない。
暖かいカフェオレを喉に通しても、胸騒ぎは落ち着かない。
そうだ……絵を描こう。気持ちを表現しようとスケッチブックを取り出し、水彩色鉛筆で絵を描き始めた。
鉛筆で下書きを描いて、明るい色から着彩をしていく。思いついたままの情景を描いていく。
モノクロな情景に色がついてくると、それはいつかの記憶にたどり着く。どんどん遠ざかっていく背中に手を伸ばすけれど、届かない様子を表す情景が描けた。
金曜日のあの瞬間だとすぐにわかった。
絵に表してしまった豊くんの姿。描いてくうちに、あの瞬間とは少し違う所が一箇所見つけれた。
遠ざかっていく豊くんの背中は、あの時よりも絵では少し小さく描いていた。
昨夜の夢がよぎり描くのをやめた。
その瞬間居ても立っても居られなくなって部屋まで走りベッドに置いてあるスマホを取った。
――気づけば豊くんに連絡を送っていた。
――おい救急車! 保健室の先生呼んでこい……ティッシュで頭を押さえられてるのがわかる。
だんだん近くなるサイレンの音。若い声と大人の声が頭の中で響く。
――自分の名前は言えますか? ……わ、わかわやし……
――意識レベル二桁……
見慣れない天井とベッドの周りを仕切る青色のカーテン。静寂な部屋の雰囲気から病室にいる事はわかる。
真っ白な布団の中から起き上がろうとすると、身体のあちこちに違和感を感じた。頭には包帯が巻かれており、腕には青色のリストバンドが付いていた。
なんで俺ここにいるんだっけ……。思い出そうと記憶を辿ろうとすると、またあの痛みが脳内に響く。
やっぱり寝起きは頭が痛い。起き上がる事もできなくて、頭の痛みを殺すことで精一杯だった。
込み上げてくる吐き気に襲われ、視界は霞んでいく。
三十分ほど経つと痛みや吐き気などが引いてくる。次第に視界も元通りになっていく。
完全に痛みなどが引く頃には、身体中汗だくで息を切らしていた。起きるのが辛いな……。
起き上がる余裕ができてくると、とりあえず状況を整理しようと遠いような記憶を遡る。朝起きたら頭痛が酷くて二時間目の授業から参加しようと、ダラダラとチャリを漕いでた。憂鬱ながらも学校に着いて、指導部の先生に遅刻カードを書いてもらって……。
あれ……その後何があったんだ……。
ぼやけながら揺れる青空が見えた後は、真っ暗な視界の中で声だけが頭に入っている事はわかった。
身体を起こし、ベッドのそばのカーテンを開けてみた。部屋の大きさ的にベッドは四つあって、使われてなさそうなベッドが二つ、そして隣のベッドはカーテンで覆われていた。
隣のベッドには他の患者さんがいるのだろう。どんな人なのか気になるな……。病院の事を考えているとなんだかわくわくしてきた。
いつもとは違う生活が始まると思うと、楽しみで仕方がない。しかも入院なんて初めてだ。このカーテンの向こうには俺の知らない世界が待っている――。
――俺は非現実的な世界が待っていると思っていた。
この時俺は身体の異変には気づいていた。しかし俺の身体の中では、思ってた以上に深刻な状況であった。
ベッドの辺りを散策していると、ベットの下に俺のリュックと、見覚えのあるボストンバッグが置いてあった。
リュックの中を開けた時学校の匂いがした。この部屋の匂いはうっすらと感じる消毒液の匂い。病院って感じの匂いが少ししていて、人工的に澄んだ綺麗な匂いがする。
気を取り直してリュックの中を見てみると、筆箱と体操服の入った巾着袋と一冊の文庫本しかなかった。
なんと寂しいリュックの中身だろう。もっと面白そうなものを持って来ればよかったと、日頃の自分を少し恨んだ。そして本題のボストンバッグ。何が入っているのだろうかとワクワクしながら開けてみる。いざ開封の陣……そう言いながらボストンバッグを開いてみると少し期待を裏切られるような現実的なものが入っていた。
数枚のパンツ、タオル、羽織りもの、宿泊用の歯ブラシ、シャンプーなど、ティッシュやスリッパが入っていた。
面白味のあるものは入っておらず、本当に入院するんだと実感させる物だけが入っていた。そして誰がこのバックを持ってきたのだろうか。中に入っているものからこのバックまで見覚えのあるものだ。ていうか俺の部屋に置いてあった物たちだ。
一体誰が…… 母は今日仕事で俺より早く家を出てたはずだし……お姉ちゃんも学校って言ってたし……っていうか俺は何時間眠っていたんだ?
カーテンを開けて窓を見てみると、外の明るさ的にはまだお昼ぐらいだと思うんだけどな……。
あれ……俺のスマホは? 現代では生活していく上で欠かせなくなっているスマホの事を忘れていた。スマホさえあれば、今が何日の何時か確かめられる。
辺りを探していると、テレビの近くに寂しく置いてあった。こんな近くに置いてあったのに気づかないもんなんだな。自分の鈍感さに驚いていたけれど、スマホを開いたらさらに驚いた。
え? 木曜日……? 曜日を見て、明らかに思ってた曜日とは違い、必死に俺が倒れた時の曜日を思い出す。
えっとえっと……俺が倒れた日はまず何曜日だ? 辺りを見渡しながらヒントとなるものを探した。
あるものに目が止まり、微かな記憶を辿ると思い出せることができた。
ヒントとなったのは巾着袋。これを持っていったって事は体育のある日で、俺の学校は週に二回しかないため、特別に汚れたりしない限り、一日で持って帰ったりしないので、週で始めて体育があるのは水曜日だ。
つまり……俺が倒れた日は水曜日である!
さながら高校生探偵のような名推理をしてやった。ドヤ顔でいられたのも少しの間だけだった。
え? 俺丸一日眠ってたって事だよな……。今まで連続で寝てた時間は最長で十五時間とかだったけど、それを超えてくるとは……。
丸一日も寝ていた自分に呆れながら、スマホの画面を再び見てみると通知が大量に来ていた。
かずきや和真や玲音と言った友達から、クラスメイト、インスタからは先輩からも数人DMが来ていた。
そしてさやと泰希からも通知が来ていた。
少し有名人になれた気がして、気持ちがよかった。
骨折した後、初めて学校に行ってみるとみんなが駆け寄って心配してくる、あの感じ。一度は味わってみたかった。
一人一人メッセージを見ていくと、当時の状況が少し分かった。
俺は階段から落ちて倒れていた。頭から血を流していて、たまたま通りかかった先生がすぐに救急車を呼んだ。先生が声をかけても反応なかったため、深刻な状況と思われたけど、救急車の中で意識が少し戻ったため、それもクラスのみんなには担任から伝えられた。
ざっとこんぐらいの事はメッセージからわかった。みんなに返信した後、最後に残した二人の返信をする。
泰希とさやさん……。
泰希からは、倒れた日に不在着信が入っていて、着信が入った三十分後に、ごめんなんもない。と送られていた。
多分だけど、心配してくれて電話かけたけれど、意識戻ったと担任から告げられた後に、なんもないと送ったのだろうか。
泰希とは不仲と言える関係になってしまったので、そんな友達から、心配の連絡が来たと思うと嬉しくなった。
さやからは送信取り消しされたメッセージが一つと起きたら返信してね。と来ていた。すぐさま起きましたと返信をした。送信取り消しのメッセージはなんだろうか。誤字でもしたのかと思い、ふぅと一息つきながらスマホの電源を落としたら、通知が鳴った。画面を見てみるとさやからだった。
体調はどう? 朝食は食べた?
体調は普通だよ。ご飯はまだ食べてない。ほんとにさっき起きたばっか。スマホをずっと見ているのか、送った瞬間に既読がついた。
そっか。お見舞いとか行っても大丈夫?
うん。どうだろう。まずどこの病院か俺知らない。さやに言われて気づいたけど、ここはどこの病院だろうと思って地図アプリを開いてみると、大学病院に搬送されたことがわかった。こんな大きい病院に搬送されたのか……。何の騒ぎでここにいるんだ? と思っていると失礼しますとどこかで聞いたことのある女性の声がした。同時にシャーと勢いよくカーテンが開き、目の前にいる女性が誰だかすぐにわかった。
「おはよ。豊くん。看護師の工藤です。」




