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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

麗しの名を呼ぶ

作者: 蒼井ふうろ


倫理観がほぼなく、児童虐待等の表現も含まれます

閲覧はご注意ください

「ニンゲンはほろびるべきだったのよ」



 美しい声色で少女はつぶやいた。小学校にも上がっていないように見える、幼女と呼んでも差し支えのなさそうなその少女は無表情のまま言葉を続ける。



「しぜんのなかでちいさくいきていられるうちに しにたえればよかったんだわ」



 見た目にそぐわない、不自然なまでの怨嗟の声。音の美しさとそれに釣り合わぬ内容の不穏さが彼女を不気味な生き物のように映していた。


 住宅街の中に一つはある、こじんまりとした公園。朝夕は子供達の走り回る音や近隣住民のおしゃべりも盛んな場所だが、夜半、周囲に人影も音もない。無人の公園で誰に話すわけでもない少女の呪いのような言葉は続く。



「しっていた? あかんぼうは、あいしあうふたりをえらんでうまれてくるのですって」


「あかんぼうが おやを えらんでやってくるだなんて しんじられる?」


「いまわたしがおやをえらんでうまれるのだとしたら、ぜったいに わたしのおやなんてえらばないわ」



 はらりと少女の服の裾がなびく。


 柔らかな肌の至る所に浮かぶ青いアザと、焦げたような火傷あと。不自然な曲がり方をしている指は折れたまま放置されて歪にくっついてしまったのかもしれない。顔は無傷かつ美しいだけに余計に体の傷の不気味さが際立った。



「うまれるまえのこどもに アイなんてふたしかなものを みわけるちからがあるわけないわ」



――お前なんて、産まれてこなきゃよかったんだ!



 少女の母は少女を手ひどく殴る。煙草の火を押し付ける。聡い少女はその行為が母の癇癪の結果だと認識しているが、暴力を振るう際に母が繰り返し呪詛のように唱える言葉には常々違和感を覚えていた。


 アイしているのに、アイしているのに。そう言いながら母は少女を殴り、そして泣く。



――お前を世界で一番愛おしく思うよ。



 少女の父は逆に少女を丁重に扱う。豪奢な服や食事を買い与え、時間があれば手ずから髪を梳いてやったりする。しかしその後に待ち受けている行為は少女を傷つけるには十二分のものだった。


 アイしている、アイしている。そう言いながら父は少女を抱き、そして笑う。


 少女は聡かった。少女は正しかった。両親が自身に対して抱いている感情がそれぞれに異常とわかっていたし、自身がいわゆる“かわいそうな子”として世間の好奇の目に晒されたり、同情されたりするような存在だとも知っていた。



「ほろべばよかったのよ」



 少女はもう一度呟く。



「だれかのそんざいをもとめるまえにほろんでしまえば どれほどしあわせだったか。アイなんてふたしかなものにすがらないといきていけないくらいなら、ほろんでしまえばよかったのよ」



 少女の声はほぼ泣き声と言っても過言ではないほど震えていた。にもかかわらず少女の表情は変わらない。のっぺりと、人形然とした無表情のまま少女は公園に立ち尽くす。


 さく、と公園の土を踏みしめる音がした。


 その音に少女は振り向き、それから少し困ったように声を出す。



「……だれ?」



 声をかけられた方も少し困ったように笑んだ。



「名乗るほどではないのですけれど、お困りのようだったので」



 まだこちらも若い。学生と思しき少女は少しずつ歩を進め、少女のまえにしゃがみ込んだ。にこりと笑んだその顔に敵意はなく、どちらかと言えば穏やかな善意を感じる。


 少女はそれに釣られて状況を説明しようとして、ゆっくりと口をつぐんだ。



「もしかして、帰るところがなくて困っていたりしませんか?」



 女学生はゆったりと問う。少女は答えなかったが小さく肩を震わせた。その僅かな動きで少女の傷跡が街頭に照らされる。女学生はそれを見ても表情ひとつ変えることなく再び穏やかに問うた。



「説明したくなければそれでいいんですけど……死ぬか死ぬより辛い目に遭おうと思ってここにいるなら、それより先に私のお手伝いをしてもらえませんか?」


「え?」



 予想外の提案に思わず少女から声が漏れる。女学生はその様子にもにこやかに微笑み言葉を続けた。



「深夜の公園に一人で立っているなんて、変な人に殺されたいか誘拐されたいかのどちらかかなと思って。どうせなくす予定の命なら、協力して欲しいんです。私、今日これから夕飯を食べるんですけど、一人で食べるの味気ないから話し相手が欲しくって。もし可能だったら、今日一日でいいのでお手伝いしてもらえませんか?」



 悪びれる様子もなく女学生はいう。それも一種の誘拐だと少女は知っていた。家出した未成年者を連れて帰るなど、まっとうな人間のすることではない。いくら学生とはいえそれが分からないような年でもないだろう。


 無知を装った犯罪者か、はたまた根っからのお人好しか。


 少女は考えようとして、しかし頭を振った。本当にまずい相手であれば、今頃自分は生きていないだろう。



「きょういちにちで、いいのね?」



 少女の言葉に女学生はぱっと顔を輝かせる。そうしておおげさなほどに頷くと、少女の小さな手を取った。



「はい! でも、もしあなたがそれ以上でも手伝いたいって思ってくれるなら、一日って縛りは絶対のものじゃないですよ」



 暖かな手の感触に少女の頬が僅かに緩んだ。それを見た女学生は心底嬉しそうに微笑むと、もう一度少女の目線に合わせるようにしゃがみ込む。



「よろしくお願いします、えぇと……?」



 女学生が何に戸惑っているのかに気づいた少女は「あ」と呆けたように声を上げる。久しく呼ばれていないものだから忘れていた。



「……アイ。アイってよんで、おねえさん」



 アイちゃん、と女学生が少女の名を呼ぶ。こそばゆさすら感じる柔らかな声色に少女はびくりと身を震わせた。それから気恥ずかしそうに女学生のほうを見やると美しく微笑む。



「たくさんよんでくれると うれしいわ」



 古山愛という少女はこの日を境に姿を見せなくなった。


 その後しばらく誘拐事件として全国を騒がせた彼女の話だったが、母親からの肉体的虐待やネグレクト、父親からの性的虐待が日常的なものだったと分かってからは誘拐ではなく父母のどちらかによる殺人ではないかと言われるようになり、解決の糸口が見えないままやがて人々の記憶から消え去ることとなった。彼女が生きているのか死んでいるのか、生きているのであればどのような人生を送っているのかは誰も知らない。




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