プロローグ2
私にはマノンとして生まれる前の記憶がある。
といっても、名前を付けられる前の胎児や赤ちゃんの記憶が、ということじゃなくて。
前世、私は日本という国で働いていた。と思う。
自分のこと覚えてないんかーい!って言われそうだけど、これは仕方ない。
私だって、生まれてすぐ——転生してすぐは覚えてた。
日本のこと、自分のこと、学校で学んだ知識に、日常の出来事や仕事のことだって。
でも…………。
私が生まれたのは、リオナディア王国の小さな村だった。
それも、貧乏な農家の三女で。
2歳まで、食事は満足に与えられたことはない。
親に愛されてない!ってことじゃなくて、単純に食べ物がなさすぎて。産みのお母さんはおっぱいが出なくて泣いてたっけ。
お腹が空いて力が入らず、いつも頭がぼーっとして、眠ってるのか起きてぼんやりしてるのかわからない日々が2年も続いて。
前世の記憶はだいぶあやふやになってしまった。
嘘くさい? 大事なことなんだからちゃんと覚えとけ? そんなことわかってるけど! だったら赤ちゃんの頃に2年も飢餓状態になってみなさいよ! 仕方ないじゃん!
とにかく、そんな感じで前世の記憶はあいまいになっちゃって。
さっきまでは「前世って思ってるだけで夢だったのかも」なーんて思ってた。
もし村に旅のドワーフが立ち寄らなかったら。
一晩の宿のお礼にって村長に携帯食料をいくつも渡さなかったら。
私を産んだ親がそれを見ていなかったら。
この子をもらってやってほしいと、村の入り口に置かれた私を、旅のドワーフが拾ってくれなかったら。(ちなみに産みの親は文字が書けないので、ドワーフが村長に確認したら「そういう意図だろう」って言われたって)
私は、3歳を迎える前に死んでたと思う。
ありがとうお父さん!
もしお父さんが拾ってくれなかったら私、死んでた!
前世の記憶があやふやになっちゃったとかどうでもいい!
あのまま死んだらどうせ役に立たなかったし!
私を拾ったお父さんは、旅をやめてリオナディア王国の王都に工房を構えた。
まだ2歳の私を連れて旅をするのは厳しいもんね。
この世界、モンスターもいるし。
お父さんと王都で生活をはじめて、ようやく衣食住が満たされた私はすくすく育って、仏頂面で顔の下半分がヒゲでほとんど隠れてるドワーフの表情を見分けられるようになって、6歳を迎えて。
私は確信した。
「ここは、私が好きだったゲーム『ファイブ・エレメンタル』の世界だ」
国の名前聞いたことあるなあ、とか、なーんか街並み見たことあるなあ、とか、お父さんがあのキャラに似てるなあ、でもドワーフだしみんな似るのかなあ、とか思ってたけど。
「銀髪の『聖女』。しかも、名前はアンリエット。たぶん間違いないと思う」
『ファイブ・エレメンタル』。
社会人だった(と思う)当時の私が、ヒマを見つけてはやり込んだ、発売元のゲーム制作会社いわく「乙女ゲー」だ。
自称「乙女ゲー」だったのには理由がある。
たしかに、主人公は女の子で、攻略対象はいろんなタイプのイケメンがいて、学園で恋愛するイベントもあった。
でも。
「ルート分岐はほぼないし、評価されたのは戦闘とスキルシステムなんだよなあ……あと神絵師による神イラストと神声優のイケボ」
ため息が出る。
つまり、『ファイブ・エレメンタル』は、いつもは男性向けのゲームばっかり作ってた制作会社が出した、「乙女ゲーってこんな感じでいいんでしょ?」ってイメージで作った『自称・乙女ゲー』だ。
イラストレーターと!
声優にこだわるのはいいけど!
だったらシステムじゃなくてシナリオライターにお金をかけなさいよ! 神を呼びなさいよォー!
思い出しちゃって、私は崩れ落ちた。
記憶はあいまいになったのにこんなことは覚えてるんだなあ。
戦闘とスキルシステムが楽しくてやり込んだもんなあ。
あれでシナリオライターをつけてくれてたらなあ。
ちなみに、ゲームの中には私とお父さんも出てくる。
主人公が武器防具を手に入れる鍛冶屋の職人と看板娘として。
しかも、宝箱やイベントから手に入れる以外、普通に購入できる唯一の武器防具・アクセサリーの店として。
冒険初期に重宝するお手頃価格の武器から、ラスダンでもなんとか通用する店売り最強武器まで手に入ります!
ゲームでは「そんなもんかー」って思ってたけど実在するとなると品揃えすごすぎない!?
そりゃ高レベル武器なんかは素材持ち込みプラス高額費用だったけど作れるってすごくない!?
しかも、武器や金属製の防具だけじゃなくて、革の鎧やローブ(布)、アクセサリーも購入できます。つまり作れます。お父さんが。
なにしろゲームでは、武器防具アクセサリーを購入できるのはこの店だけなので。
「お父さんがすごすぎる! さっすが公式チート!」
大枚はたいて購入した公式設定集では、お父さんはドワーフ王国でも高名な鍛治師だったのに、さらなる高みを目指して各地を放浪していた、らしい。
それで私がきっかけになって王都に工房を構えたと。
そんな凄腕なのに、ご近所さんの鍋を直したり、売れ筋の手ごろな短剣や小剣を売ってくれてる。
私との生活費を稼ぐために。
ありがとうお父さん!
お父さんへの感謝と愛が止まらない!
無口で無骨なドワーフ鍛治師、ゲームの頃から好きでした!
……お父さん愛が溢れすぎた。
ともかく、そんな凄すぎるお父さんを見て、「あれひょっとしてここ『ファイブ・エレメンタル』の世界じゃない? お父さん、公式設定集に乗ってた名前と同じだし」って疑ってたわけです。
アンリエットっていう名前の、銀髪の聖女の存在を確認して、疑いは強くなった。
「でも、ここは『ファイブ・エレメンタル』の世界かもしれないけど、私たちは存在するわけで」
だとしたら、シナリオライターが書いたシナリオとは違うルートを辿れるかもしれない。
そもそもアレ、神シナリオじゃなかったし。
神はいなかったし。
神はいたけど。
「だったら。……悪役令嬢を、助けられるかもしれない」
自称「乙女ゲー」らしく、『ファイブ・エレメンタル』にはわかりやすい「悪役令嬢」がいた。
婚約者である第一王子に恋して、未来の国母になるために幼少期から10年も厳しい王妃教育を受けて、努力して。
ハードスケジュールのなか、せめて学園では一緒にいられると思ったらポッと出の聖女(主人公)に王子を取られて。
嫉妬と、これまでの努力を踏みにじられた無力感からささいな嫌がらせしたら、婚約破棄されて心と体と名誉を傷つけられて。
親から見放されて領地の外れの屋敷で軟禁生活送るよう命じられて、けっきょくなんやかんやあってラスボスになって。
それで!
悪役令嬢を倒してハッピーエンド、聖女は幸せな生活を送りましたって!
しかも、聖女が悪役令嬢の婚約者である王子以外を選んでも、婚約破棄はされるしラスボスになるのは変わらないって!
報われなさすぎるでしょ!
ルート分岐しっかり作りなさいよ!
大好きなゲームだったけど、周回のたびに悪役令嬢の運命に涙した。
この世界に、『ファイブ・エレメンタル』に神などいないッ! と何度嘆いたことか。
でも。
私は、実在する。
だったら。
「悪役令嬢…………エリアーヌ・フラメリア公爵令嬢を、助けられるかもしれない」
初恋と、初恋の人にふさわしくなるための血の滲むような努力を、嘲笑われたエリアーヌを。
「ううん。助けてみせる! 乙女ゲーでは『鍛冶屋の看板娘』ってモブ? サポートキャラ? だったけど!」
ぐっと拳を握る。
かすかな記憶の向こう、エリアーヌ・フランメリアのスチールを思い出す。
「ここは現実で! 私は生きてて! シナリオなんて関係ないって証明してみせる! 私が、エリアーヌを幸せにする!」
エリアーヌのスチールは、寂しそうに微笑んだり、眉を寄せて睨んだり、血の涙を流すものしかなかった。
クソみたいな(失礼)ゲーム制作会社の方針とシナリオライターのせいで。
だったら、私がエリアーヌを笑顔にする!
やり込むほど好きだったけどシナリオには納得いかなかった『ファイブ・エレメンタル』のシナリオを変えてみせる!
私——マノン・フォルジュには、そのポテンシャルがあるはずだ。
とあるシーンから「非公式チートキャラ」と呼ばれて、最強キャラ談議には必ず名前があがった、私なら。