後編「ピアニッシモからフォルティッシモへ」
いつもは他にも誰かしら来ているのだが、今日は京香ちゃんと僕の二人だけ。ならば……。
「ねえ、京香ちゃん。せっかくだから、たまには一緒に練習しない?」
こんな機会は、めったにない。そう思って誘ってしまったが、
「えっ、でも……。私と小坂くんじゃ演奏パートも異なるし、意味ないよね?」
「いや、違うパートだからこそ、アンサンブルの意味でさ」
「うーん。それはそれで、二人じゃパートが少なすぎる気が……」
京香ちゃんは、乗り気ではなかった。
苦笑いにも見える笑みを口元に浮かべて、考え事をするかのように、視線を宙にさまよわせる。
それから再び僕の方へ、くりっと可愛らしい瞳を向けてくれた。
「じゃあ、他に誰か来るのを待つ? それならアンサンブル練習も……」
「それはダメだよ!」
思わず、京香ちゃんの言葉を遮ってしまう。
本心の発露だ。口に出すつもりはなかったのに。
「……なんで?」
「いや、なんで、って言われても……」
そう、理由を説明できないからだ。好きな女の子と一緒に練習したいという、僕の男心……。
音と音を重ねることは、相手が好きな女子であるならば特に、体と体を重ねることにも匹敵する悦びなのだ!
こんな気持ち、間違っても言えるわけがなかった。
「もう一度きくよ、小坂くん。……なんで?」
京香ちゃんは立ち上がり、少し下からグイッと覗き込むような格好で、追及を続けた。なんだか面白がっているような表情にも見えるが……。
まさか京香ちゃん、僕の恋心に気づいているのか? 僕の口から言わせようとしているのか?
……いや。
冷静に考えれば、僕にとっても、これは良い機会かもしれない。京香ちゃんと二人きりのシチュエーション、次にいつ訪れるのか、わからないのだから。
もう思い切って告白するしかない。
たぶん顔を真っ赤にさせながら、僕は気持ちを告げるのだった。
「……す、好きだから……。京香ちゃんのこと、好きだから……」
僕としては『思い切って』のつもりだったのに、口から出た声は、驚くほど小さかった。
とはいえ、二人しかいない部室だ。京香ちゃんにも、きちんと届いていたはず。
それなのに、
「うーん……。そんなppで告白されても、よく聞こえないから、喜べないなあ」
と言いながら、京香ちゃんは、ニヤニヤ笑いを浮かべている。
いくら何でも、pp――「とても弱く」――と言われるほど小声ではなかったはず。でも頭が真っ白になった僕は、何も言い返せなかった。
「小坂くんの『好き』って、その程度なの? そんなに小さい気持ちなの?」
そんなわけない!
ただドキドキして、小声になってしまっただけ!
だから。
今度こそ。
僕は大声で叫んだ。
「好きだ! 大好きだ、京香ちゃん!」
「そんなffの気持ちなら、受け入れるしかないわね」
また強弱記号――今度は「とても強く」――で例えながら、京香ちゃんが抱きついてきた。
これって、そういう意味だよね? 『受け入れる』と言ってくれたのだから、告白OKという意味だよね?
信じられない、と思いながらも、ここは絶対に聞き返してはいけない場面だ、というのは理解できた。
だから僕は何も言わずに、彼女の背中に手を回そうとしたのだが……。
ドン!
ドン! ドン!
左右両隣の部室から、激しく壁を叩く音。
僕たちは、慌ててバッと体を離した。
「小坂くん……。今の静かな部室内でffは、さすがにマズかったみたいね」
京香ちゃんが、小さくペロッと舌を出す。なんとも可愛らしい仕草だ。もう、その舌に吸い付きたいくらいだ。
でもグッと我慢して、
「そうだね」
僕は余裕の微笑みを返した。
すると京香ちゃんから、嬉しい提案が!
「じゃあ、どこか別の場所へ行きましょうか?」
「うん、京香ちゃん!」
僕たちは、手を繋いで部室を出る……。
こうして、今日の個人練習は中止になった。
さあ、これから二人の初デートだ!
(「僕の気持ちを叫びに乗せて」完)