74 ラムダ
人生初めてのキス体験で頭がフットーしたリーズレットは相手の腕の中で気絶してしまった。
彼女を害さぬと言った相手を信じ、リリィガーデン軍は異種族の集落へ共に向かう。
上空で確認した通り、異種族の集落は島の中心地にあった。
ジャングルのような自然に囲まれた中、ぽっかりと空いた土地に建てられたログハウスが数軒。他にもテントのような布で作られた簡単な住まいがあるだけの小さな集落。
集落の中でも一番立派な出来をしたログハウスに招かれた。急遽、客室として指定された一室に気絶したリーズレットが運び込まれる。
ベッドや毛布といった立派な寝具は無く、床に魔獣の毛皮を敷いただけの簡単な寝床。首都で暮らす者からすれば粗末にも程があるが、異種族にとってはこれが普通のようだ。
毛布といった物も無く、そのまま寝転がって寝るだけ。冬になれば魔獣の毛皮を重ねて包まるようだが、夏である今はこれが正常なのだろう。
運ばれたリーズレットが魔獣の毛皮の上に寝かされるとその横に性別不明の者も一緒になって横になる。ぴたりとくっつくと腕を絡めて添い寝を始めるではないか。
「おい、マムから離れろ」
マチルダがそう言うも、
「嫌だね」
彼、もしくは彼女はリーズレットの体に自分の体を更に絡ませて離れようとしない。
マチルダが舌打ちして鋭い目つきを向けるが相手は全く怖がらない。それどころか、マチルダの顔を見て鼻で笑った。
「無理矢理剥がす? まぁ、邪魔するなら殺すけど」
自分の欲求のままに生きているような発言と、愛していると宣言したリーズレット以外は眼中に無い態度を見せた。
鋭い目つきを向けたまま、どうしたものかと悩むマチルダ。だが、彼女の横から一歩前に出たのはサリィだった。
「お嬢様はお上品な方ですぅ。気絶している最中に体を触られたと知ったら、嫌われるかもしれませんね~?」
幼少の頃から彼女の専属侍女として共にいるサリィの発言は確信と自信に溢れる言葉で説得力があった。
キスだけでアレなのだ。気付いた時にキスした張本人が隣にいたらどうなるだろう? ハレンチだと嫌われてしまうんじゃないか?
正直言って、サリィにもリーズレットがどんなリアクションをするのか分からない。
だが、大事な主人を守りたい名探偵ハイパー有能機甲侍女サリィちゃんはリーズレットと同等の相手にも臆さず、疑惑など感じさせぬ程の自然な様子で淡々と告げた。
「……わかった。チーフがそう言うなら、そうなのかも」
応えるまでに少し間があったものの、相手は寝ているリーズレットから離れた。立ち上がって、部屋の隅に行くとリーズレットの顔を見ながら体育座りをしてジッと起きるのを待つ。
「…………」
すげえ、と言わんばかりの驚きと尊敬の目を無言でサリィに向けるマチルダ。
さすがはリーズレットの侍女である。
しかし、マチルダはすぐに軽く首を振って気持ちを切り替えた。それよりも相手の素性を調べねば、と顔を向ける。
「お前は何者なのだ? マムと関係があるのか?」
「…………」
マチルダの問いに相手は何も答えない。黙ったまま、リーズレットの寝顔を見つめるだけ。
「教えて欲しいですぅ。お嬢様も気になっていると思いますよ~?」
「……リズが起きたら話す」
相変わらず、サリィの言う事には応えるようだ。彼女を『チーフ』と呼んでいた事も関係しているのかもしれない。
だとしても、今は話さないと宣言されてしまった。
「マチルダ様。ここは私が見ておきますので~」
「そ、そうか。よろしくお願いします」
軍の指揮を執ったり、泡を吹いて気絶したコスモスの面倒も見るのであろう。サリィは何かと忙しそうなマチルダを退室させた。
「…………」
「…………」
そうなると、当然室内には眠るリーズレットが起きるのを待つ2人きりの状況が出来上がる。
ジッとリーズレットの寝顔を見守るサリィと性別不明の者。
ただひたすらに、お互い黙ったまま30分以上の時が流れた。
先に動き出したのは性別不明の者。どうやら見ているだけでは我慢できなくなったのか、リーズレットの傍に近づこうと立ち上がる。
スッと音も気配も無く、相手が動き出したのを察知したサリィは視線を向けずに口を開いた。
「嫌われちゃうかもしれませんね~」
淡々と言った言葉に相手は伸ばしかけた手を引っ込めて、また部屋の隅で体育座り。
「起きても抱き着いたらダメですよ~。嫌われちゃいますよ~。お嬢様は純情ですから~」
「うっ……」
そうするつもりだったのか、相手から呻き声が上がった。
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「う、ん……」
運び込まれてから1時間後、ようやくリーズレットが目を覚ました。
「お嬢様。お気付きになられましたか~?」
「サリィ……?」
彼女はサリィの声を聞きながらぼんやりとした視界の中でどうして寝ていたのか、と記憶を辿る。
確か砂浜で戦闘になって、と相手と繰り広げた激しい戦闘を思い出す。
ナイフ使いの小さな子と戦闘になった。何度も近接戦を繰り返し、相手は自分と同じくらい強くて久々に本気を出して戦ったな、と。
そのあとはどうなったんだっけ、と自分が負けた瞬間を思い出した時――
「リズ」
思い出しながら顔を横に向ければ、自分を負かした……いや、唇を奪った本人の笑顔があった。
笑顔を見た瞬間、リーズレットは完全に思い出した。
激しい戦いの末に唇を奪われ、押し倒されてまた奪われ、相手の全てを受け入れてしまった事も軟らかかった感触も。
ぼふんと一気に顔を赤くしたリーズレットは相手に向かって指差しながら、
「貴方、一体何者ですの!? 何なんですのォ!? いきなりキスってど、どどど、ど!?」
絶叫に近い怒涛の質問と共に動揺を露わにする。
「えー? ボクは君の許嫁だし、キスするのは当たり前じゃん?」
「それが意味不明ですわよ!」
未だリーズレットはキスの衝撃を引き摺っている様子。あわわ、と慌てながら動揺する様子は、いつもの彼女からは到底考えられぬ態度を晒し続けた。
「イチから全部話した方がいいですぅ」
そこにスッと割り込んで事態を収めようとしたのはサリィだった。なんて出来る侍女なのだろう。
彼女の提案に「そうだね」と頷いた相手は自己紹介を始める。
「ボクは、ボクの名前は……特に決められていないね。ラムダって呼ばれてたから、そう呼んでね」
正式な名前は決められていないという。まるで製品ナンバーのように、単純な理由で決められたかのような名を口にした。
「ラムダ、ですの?」
まだ顔が赤いリーズレットは自分のファーストキスを奪った相手の名を口にする。
口にした事で、ファーストキスを奪った相手の顔と名前が彼女の記憶に強く焼き付くような感覚があった。
「うん」
相手もまた自分の名を呼ばれて嬉しそうに笑う。えへへと笑いながらセミロングの髪を指で弄る姿はどう見ても可愛らしい女の子にしか見えない。
「アナタ、性別は……?」
まさか自分のファーストキスの相手が女の子なのか? と思ったリーズレットは性別を問う。
「男だよ? 男にしか見えないでしょ!」
当然じゃないか! と顔をムッとしながら言って、ラムダはぺろんと上半身の服を捲った。
体が小さく、幼いながらに鍛えられた肉体と胸板は成人男性のものと比べて男らしさは劣る。スポーツに熱中している男の子のような体つきだった。
「きゃあ! 見せなくてよろしいですわよ!」
そう言って手で顔を覆うも、指の隙間から見てしまうというベタな反応をするリーズレット。
彼女はラムダの体を見ながらもファーストキスの相手が同性じゃなくて良かった、と安堵している自分に慌てる。
何を言っているのだ、相手を意識しているのか、キスされたくらいで! と内心で自分を律するが……胸の高鳴りは止まらない。
それどころか、自然にラムダの唇に視線を向けてしまう。あの唇が自分の唇に触れたのか、と思うと顔に感じる熱がより暑くなった。
まだ名前しか知らないのに。いきなり斬りかかってきた相手に。何をドキドキしているのだ。キスされたくらいで相手に惚れてしまうほどウブじゃない! と、何度も心の中で唱えながら気持ちを落ち着かせる為に首をぶんぶんと振る。
「お嬢様の許嫁と仰っておりましたが~?」
と、ここでサリィが質問した。リーズレットも彼女の質問にハッとなって、どういう事かと後に続く。
「リズ、ボクは君と同じなんだ。君と同じように生まれた存在で、君と同等になるよう育てられた」
問いに対するラムダの答えはまるで答えになっていない。それどころか、意味不明な言い回しと感じただろう。
だが、彼の答えは正しい。それを肯定する者はここにいないが。
まるで分らない答えに首を捻るリーズレットとサリィにラムダは言葉を続けた。
「ボクのママはアルテミスだよ」
「え――」
リーズレットは言葉を失った。
アルテミス。その名の示す人物は1人しか知らない。
アイアン・レディに所属して、保護した転生者の中でも特別優秀だった人物。
Dr.アルテミスと皆に呼ばれた転生者。
「リズもボクのママを知っているよね? ママはリズと同じ存在を作り出そうとしてボクを生んだんだ。それと……許嫁として君を幸せにするようにね」
アルテミスが彼を作った。そこまでは理解できた。
だが、許婚とはどういう事だろうか?
確かにラムダは中性的な顔をしていて整った容姿をしている。このまま成長すればさぞイケメンになるだろう。
強さも自分と同等。長年言い続けて来た、自分を守ってくれるような存在に当てはまる気がしないでもない。
いきなりキスをしてきた事と権力と財産関係を置いておけば、確かにリーズレットの好みと合う。
「ちょ、ちょっとお待ちになって。アルテミスが、私の許嫁になるよう貴方を生んだという事ですの?」
考えれば考えるほど混乱してしまう。
なんでアルテミスがそんな事をしたのか。彼女は生きているのだろうか? リーズレットの脳裏には疑問が爆発的に浮かび上がる。
「ボクはそう聞かされて育てられたよ。リズが戦っているシーンや日常風景が映った魔導映像を見せられて、この人と結婚するようにって言われ続けたから」
アイアン・レディが残した戦闘ログ、構成員が撮影した映像などリーズレットに関する事を見せられながら育ってきたと彼は語る。
「それはアルテミスに見せられましたの?」
「ううん。ボクが気付いた時にはもうママはいなかった」
リーズレットの問いにラムダは首を振る。
物心付いた頃にはアルテミスはいなかった。という事は、アルテミスはもう生きていないのか? という疑問に行きつく。
彼にアルテミスはまだ生きているのか? と問えば「分からない」と返ってきた。
しかし――
「パパは生きているよ」
「パパ? 誰ですの?」
「ボクのパパはアドラだよ。国の王様をやってた、アドラ」
そのひどく懐かしい名を聞いて、リーズレットは口を開けたまま再び固まってしまった。
アドラ。アドラ・フォン・アドスタニア。
前世、リーズレットが住んでいた国の王族。兄の母親にハメられ、母親を殺害された事で王家に復讐を誓った男。
リーズレットと共にクーデターを完遂し、王であった兄を処刑。そして、アドスタニア王国の新しい王となった男。
新生アドスタニア王国になって、リーズレットがアイアン・レディを創り上げて以降も交流があった。
しかし、彼は死んだはずだ。
老いていく姿も見たし、彼の葬儀にも遠巻きに参加した。
なのに、まだ生きている? まさか、自分と同じように転生したのか? と更に疑問は増すばかり。
リーズレットは両手を頬に当てながら顔を伏せて目を瞑った。
「アルテミスにアドラ……。なぜ、2人が一緒に? ラムダはアルテミスとアドラの子……?」
キスの衝撃。許婚の登場。母親は嘗ての仲間で、父親は死んだはずの知人だと言う。
今日一日で色々な事が起きすぎだ。一旦頭の中で整理しながら気持ちを落ち着かせる。
「それでね。パパにリズを連れて来るよう言われているんだ。渡したい物があるんだって」
そう言われ、リーズレットは顔を上げた。
「渡したい物?」
「うん。ママがリズに残した物らしいよ」
なるほど。それは重要だ、と彼女は頷く。
アルテミスが自分に残してくれた物も重要だが、様々な疑問を解消する為にも全てを知っているであろう人物――アドラに会うのは望むところ。
「それは構いませんわ。ですが、今は戦争中。色々忙しく、順序がございましてよ」
彼女の言う通り、今は共和国攻略の最中だ。やる事は山積みで、アドラに会うにも順序がある。
アイアン・レディのメンバーが興した国、彼女達の子孫を放って会いには行けない。
「ふぅん。まぁいいよ。でも、なるべく早くが良いな」
自分の要求を一番に飲んでくれなかったからか、ラムダは口を尖らせて少し不機嫌な様子を見せた。
少々子供っぽいスネ方をするのは年相応なのだろうか。それともアドラの教育不足なのだろうか。
「分かりましたわ。なるべく早く会いに行きます。アドラがいる場所はどこですの?」
「ベルバルド皇国の西にいるよ。人目につかない場所でひっそりと暮らしているんだ」
ベルバルド皇国は共和国の東側にある小さな国だ。
リリィガーデン王国との戦争には参加せず、独自の文化を維持しながら波風立てずに生きている国と言えばいいだろうか。
西側の戦争に対して中立の立場を表明するわけでもなく「ウチは関係無いから」と我関せずを貫き通すような国である。
戦争に関与していない事もあってリーズレットも詳しく皇国の内情を後回しにして調べていなかった。
ただ、皇国の西側ならば都合が良い。次は共和国の東側を攻めるつもりだったからだ。
「そこなら……比較的早く会えそうですわね」
「そう? なら良かった」
ラムダはそう聞いて、先ほどの不機嫌そうな顔は一瞬で霧散する。
コロコロと表情が変わるラムダにため息を零したリーズレットは、彼に最後の問いを投げかける。
「その……。キ、キスも、アドラにして来いと言われましたの?」
許婚として、キスでもすれば自分を落せると言われたのだろうか。キスしたのは命令だったからだろうか。義務的にしたのだろうか。
リーズレットは自分から問いかけたにも拘わらず、相手の反応が「もしそうだったら」と不安を抱いてしまう。
顔を不安に染める彼女は膝の上にあった両手をスカートごとぎゅっと握り締める。反応を聞くのが怖くて目を瞑りながらラムダから顔を背けた。
「ううん。違うよ。キスしたのはボクの意思。ボクはリズを愛しているから」
まだラムダと出会って数時間。ほとんど何も知らぬ相手だというのに、彼の答えを聞いてリーズレットの胸がドキリと跳ねた。
「ねえ、もう一回シていい?」
ラムダはリーズレットに近づき、真っ赤に染まった彼女の顔に触れる。
頬に触れた手で背けていた顔を正面に向けられてしまうが、なぜかリーズレットは抵抗できない。
瞑っていた目を開けると、目の前にはラムダの可愛らしい顔があった。
彼はジッとリーズレットの目を見つめて、ぺろりと自分の唇を舐める。
「ボク達は互いに惹かれ合うんだって」
パパであるアドラにそう言われたのか。それとも本能で分かっているのか。
恐らく後者だ。リーズレットも不思議と彼から逃れらず、綺麗な2色の瞳に惹かれてしまう。
前世の頃や北部で出会ったロウの時とは違った、また別の気持ち。なんとも形容し難いこの気持ちは人生初めて抱いたものだった。
ファーストキスの相手だからか。それとも別の何かが作用しているのか。
ちょっと前までは戦っていた相手なのに、今は……。
ラムダの顔を見るだけで胸の高鳴りはどんどん強くなっていく。触れられるだけで体に熱を感じてしまう。
彼女の漏れる息使いが荒くなるほど胸の鼓動が激しくなる。激しい胸の高鳴りを腕で隠そうとするが、その前に両手がラムダに捕まった。2人は自然とお互いの指を絡ませて深く手を繋いだ。
「リズ、愛しているよ」
「あっ……」
許婚として誕生したラムダの存在。それはリーズレットにとって運命の相手なのだろうか。
それはまだ不明であるが、2人の唇は確かにまた重なった。
読んで下さりありがとうございます。
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