52 北の女傑
北に飛び立ったリーズレットはリリィガーデン王国とラディア王国との国境手前にある森の上空にいた。
「合流ポイントが見えました!」
ヘリの窓から下を覗き見ていたコスモスが森の中にぽっかりと空いたスペースを見つける。
地面には白線でリリィガーデン王国軍で使われる『L』のマークが描かれており、マチルダ伯爵が事前に準備しておくと言っていた場所のようだ。
操縦するサリィはゆっくりと機体を降下させて着地すると、森の中からゾロゾロと緑色の戦闘服を着た者達が銃を持ってヘリを囲む。
その中に1人、女性がいた。
背が高く、濃い緑色の戦闘服と同色のジャングルハット。
長く森の中で敵を食い止めているせいか、体中は汚れて顔は化粧どころか頬に泥が付着している。
何より特徴的なのは彼女の目である。ヘリの中へと向ける目付きは山猫のように鋭い。
野性的で気の強い女性軍人であると一目で分かる。だが、背を伸ばして立つ姿からは気品が溢れて美しさすらも感じられる。
屈強な男達の中に紛れていようとも遜色なく、彼女の左右に控える軍人達がいつでも銃のトリガーに指を持っていけるよう構えている様は忠誠心が窺えた。
窓越しに見るマチルダへリーズレットは好印象を抱く。
「全隊、敬礼ッ!!」
ヘリのドアをコスモスが開けると、囲んでいた軍人達はマチルダの号令で敬礼。
リーズレットが外に出て彼女の顔を見ると、マチルダは一歩前へ出て再び敬礼した。
「貴女様がレディ・マムでしょうか?」
マチルダは短くナイフで乱暴に切ったような金髪のショートカットをジャングルハットで隠し、茶色い瞳でリーズレットの全身を上から下に流し見ながら問う。
「ええ。そうですわよ。ごきげんよう。貴女がマチルダ・ローマイン伯爵ですわね?」
「ハッ! マチルダとお呼び下さい。……お噂は我々の元まで届いております」
「まぁ。どんな噂でして?」
リーズレットとマチルダは握手を交わす。彼女の言葉に首を傾げて見せると、マチルダは口角を上げてニヤリと笑った。
「王国内部にいた不埒者のケツを蹴飛ばして空に打ち上げたと。私もその場で見学させて頂きたかったです」
「ふふ。いつか見れましてよ。その前にハンティングを楽しみに参りましたの。貴女はハンティングが得意でして?」
「はい。最近はラディアのクソ野郎共を狩る事を生業としております。奴等のケツに弾を撃ち込むのはダンスよりも得意です」
握手したまま、お互いに言葉を交わし終えると2人はジッと目を見つめ合った。
「んふふ」
「ふふ」
「おーっほっほっほっほ!」
「はははははッ!」
見つめ合っていた2人は同時に笑い出した。そして、握っていた手を固く結び合う。
「気に入りましてよ。共に豚狩りを楽しみましょう」
「光栄です。マム」
サイモンの言う通り、マチルダという女性はリーズレット好みの女傑であった。
何より話が合う。いや、波長が合うと言うべきか。実際に会ってから言葉を交わした時間も数も少ないが、お互い直感的に「ピタリ」ときた。
リーズレットはすぐ近くに設置された野営地へと案内される。
森の中に設置されたテントと乱雑に置かれた軍需品。弾はテーブルの上に散乱しており、メンテンス中の銃が幾つか。
整理整頓されていない訳じゃない。常に移動を繰り返し、野営地の場所を変えているからこその状況。
「我々は確かにラディアを食い止めておりますが……。お恥ずかしながら攻める事もできない状況です」
マチルダ達は位置を変えながら森の中に潜み、国境を越えてきたラディア兵を狙撃して食い止めているようだ。
敵からは『山賊』などと呼ばれていると言いながら、彼女達が足踏みしている状況には深刻な訳があった。
1つ目は軍からの援軍が無い事。最も苛烈な状況に陥っている東部戦線に人員を持って行かれ、北にはあまり人的補給がない。
2つ目はラディア王国が占拠した山岳地帯の中でも一番背が高い山の上に敵の軍事基地がある事。
立地的にはラディア軍がリリィガーデン王国を見下ろすような形になり、基地を攻めるには森を越えた先にある大きな川を渡らなければならない。
この川は攻めるには必ず通過せねばならぬ場所。迂回して目的の山へ向かおうと試みるも、斜面は急でとてもじゃないが山には登れない。
加えて、ラディア軍南部基地は常に川を監視していて、基地には多くの魔導兵器が配備されている。高所からの爆撃が行われると基地に攻め入る為の川を渡る事が難しい。
「基地の奥にある街は元リリィガーデン王国の街ですわね?」
テーブルの上に広げられた地図を見ながらリーズレットが指差した。この街こそ、リリィガーデン王国がもっとも取り戻したい場所である。
近くには鉱山があり、多くの資源が採れる。ここを抑えれば開発中の装備品に資源を供給できるだろう。
「はい。北部の重要拠点です。周囲にある山からは上質な資源が獲得できます。ラディアはここを欲して戦争を始めたようなものです」
そう語るマチルダの顔は苦々しい。奥歯を噛み締めながら街を占拠したラディア軍に怨嗟を向ける。
それも当然であった。
「ここは私の、私達の故郷です」
森の向こう側、嘗て鉱石採取の産業で栄えたリリィガーデン王国北部の大都市を治めていたのはマチルダの家であった。
街で育ち、街をよくするために勉強して、愛する旦那と愛を育んだ思い出の故郷。
「3年前、私達は故郷を奪われました。宣戦布告と同時に攻められ、こちらは準備も整わずに戦って多くの人を失いました。……あの人も、あの子も」
街にラディア軍が侵略開始した当時にマチルダは愛する家族を――両親、夫、そしてまだ小さかった大事な息子まで失ったようだ。
他にも同じ思いをした元一般人達が軍人に混じって彼女の部下となっている事も聞かされた。
「私達の大事な街をラディアのクソ共が恥垢と糞塗れの手で触れて汚しているなど……ッ!」
テーブルの上にあった彼女の拳が強く握られた。同席している軍人達も同じく悔しそうに顔を歪める。
怒りと恨みに染まった顔を少しばかり落ち着かせた彼女はリーズレットの顔を真っ直ぐ見て告げる。
「マム。どうかお力添えを。故郷を取り戻せるならば、私の命などどうなっても構いません。ラディアのクソ共を1匹でも多く道ずれにして死んでみせます」
「俺達もです! 殺された女房の仇を取れるなら何だってやりやすぜッ!」
彼女と男達の瞳には決意があった。それはリーズレットが最も好む、意思ある者の瞳である。
「よろしい。私が貴女達に素晴らしい舞台を用意してあげましょう」
ニコリと笑ったリーズレットにマチルダが「感謝します」と言いながら敬礼した。
他の者達も彼女に続こうとした瞬間――
「マチルダ様! 敵が見えた!」
どうやらラディア軍が川を越えて山賊狩りにやって来たようだ。
丁度良い、と呟いたリーズレットはマチルダを見て言った。
「まずは貴女達の腕前を拝見しましょう」
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「ったくよ~。面倒臭えなぁ」
5人1組となったラディア兵は魔法銃を持ちながら森の中を歩いていた。
ザクザクと草を踏み、時より背の高い茂みを跨いで南へと進む。
彼等の目的は『山賊狩り』であった。
山賊達が住む森は基地にある魔導砲の射程圏内。十分に攻撃できるものの、それを掻い潜っては再び森に潜む厄介者。
逃げるだけならまだしも、森に入って先を偵察する部隊を襲うのだ。
ラディア軍南部の中では森を焼き払えば良い、との意見も多く出るが森林資源は一度終わった世界において貴重なモノ。簡単に焼き払えとは上が許しはしない。
こうして威力偵察をしながら相手の動向を探るのはもう何度目か。1年は続けているんじゃないか、と時間の感覚が疎かになった南部のラディア軍人達はため息を零す。
「そんな事を言うな。国と神の為に我々が働かなければ」
口調の荒い仲間に注意した別の軍人は首に掛かったネックレスを触った。ネックレスには翼の生えた人――神を模した装飾品が取り付けられている。
ラディア王国は神を信仰する王国である。王国のトップである王族は神の使徒であり、大昔に神との間に生まれた人間であると崇められているのだ。
故にこの男のように『神のために』と口にするラディア人は多く存在する。
「神は見てくれているよ。我々が行っている崇高な行いを」
敬虔な信者である男はそう言って笑った。
本当に?
本当に神などいるのだろうか?
HAHAHA! なぜ、こんな問いをするのかって?
「リリィガーデン王国は神罰を――」
男がそう言った瞬間に「パン」と水風船が破裂したような音が聞こえた。
「うわっ、あ?」
口調が荒いと注意された男の顔に何か水のようなモノがかかった。手で付着したモノを触ってみると、ドロリとした赤色の液体。
横にいた者へ顔を向ければ、敬虔な信者であった男は顔を失くして地面に倒れているじゃないか。
「うわあ――」
パン、と再び同じ音。ここで叫び出した男の人生も終える。
本当に神などこの世に存在するのだろうか? 存在していたら信仰心溢れる男は頭部を失っていなかったんじゃないだろうか?
誰がこんな酷い事を! まるで彼等が信仰する神の顔面にクソを塗りたくるような行為だ!
神の信者に新しいクソ穴を開けてやった者。飛んできた弾の先――900メートルも先でスナイパーライフルを構えていたのはリリィガーデン王国北部の女傑、マチルダであった。
「グッド! 良い腕ですわね!」
「光栄です、マム」
双眼鏡でヒット確認をしたリーズレットから興奮気味に賞賛の声が上がった。
彼女が賞賛するのも当然だ。
前世の頃でも900メートルを狙撃する見習い淑女は多くいた。いや、狙撃部隊に所属している者なら誰もが達成できた。
しかし、それは障害物が極力無い場所でという条件。
対し、マチルダは木々が馬鹿みたいに生える森の中で木と木の隙間を縫うように敵兵の頭部を撃ち抜いてみせたのだ。
しかも、スコープも銃本体も旧式であるのにもかかわらず2人連続。当時のアイアン・レディでも上位に入るごく一部の人材と同格と言えよう。
賞賛され、ニコリと笑ったマチルダは再び狩人の顔へと表情を変える。
「――――」
息を止め、周囲から音が消える程の集中力。片膝立ちでスナイパーライフルを構えた彼女はゆっくりと引き金に指を掛けて……引く。
パン、と再び発砲音が鳴るともう銃弾が飛んで行った先でもう1人ラディア兵が頭部を失くして倒れた。
リーズレットは予想以上の出会いに満足していたが、優れていたのは彼女だけではなかった。
マチルダの部下である男達は体勢を低くしながら音を立てずに接近。目視できる距離になると匍匐に切り替えてじっくりと近づく。
攻撃の圏内まで進むと相手が逃げ出す前にナイフを構えて一気に飛び掛かった。
残り2人だけになったラディア兵に対し、男達は4人で飛び掛かる。
卑怯とは言うまい。これは立派なハンティングだ。
奇襲した男達は瞬く間に相手の喉を掻っ切ると、魔法銃や装備品を奪ってリーズレット達の元へと戻る。
死体を放置したままなのは野生動物や魔獣が餌にして証拠が消えると心得ているからだった。
「素晴らしい連携ですわね」
よく訓練されている。この一言に尽きる。連携の練度だけで見れば首都に駐留する軍人達よりも上だろう。
満足気に頷いたリーズレットに対し、男達は「ガハハ」と山賊らしく笑った。
「この辺りの森は俺達にとっちゃガキの頃から庭でした。北部の男は狩人か鉱夫になるのが当たり前でしたからね。俺達は狩人でしたから」
軍人に混じって敵を仕留めた民兵出身の男は胸を張る。
幼少期から磨かれた狩りの才能はこの地の戦争によく適応されているようだ。地の利と狩りの才能を活かした奇襲技術はリリィガーデン王国軍の中で彼等に勝る者などいないだろう。
「なるほど。確かにハンティングは得意のようですわね」
ニコリと笑うリーズレットはマチルダの率いる部隊の腕前に大満足。彼等がこの地を守れていたのも頷ける。
マチルダ達が北部を取り戻せなかったのはあと少し、要因が足りなかったからに過ぎない。
しかし、その足りない部分は現れた。
「私もマチルダ様のように狙撃の腕を磨くべきですか?」
満足気に頷く傍らでコスモスは嫉妬するような目でマチルダを見ていた。
「ははは。妬くな、少佐。私にはこれしか無いからな」
40歳という歳になり、体力も下がって来た。動けぬ自分は狙撃の腕を磨くしかなかった、と彼女は若いコスモスへ言った。
彼女は幼少期から父親と共に狩りを嗜んでいたようだ。旦那との恋愛事でデートとして利用するのもハンティングだったという。
20年前に結婚してからは銃を握る事が無かったようだが、ラディア軍が旦那を殺した事で復讐の為に再び銃を手に取った。
家で家宝として扱われていた銃。ローマイン家の初代当主が当時使っていたというアイアン・レディの旧式モデルを手にしたのはこの日を迎えるが故……運命だったのかもしれない。
そんな彼女が錆ついていた腕を泥と土埃塗れになりながら実践で磨き直し、今では北部を抑える要となった。
彼女は復讐の為に「これしかなかった」とは言うものの、狙撃の才能が元々備わっていたのだろう。
「何事も経験しておくものだが、自分に合った事をした方が良い。時間は有限だ」
年長者として、これから活躍するコスモスへのアドバイス。マチルダは『北部の女傑』と評されるには程遠いほど優しく微笑みながらそう言った。
「ええ。焦ってはいけません。コスモス、貴女の出番はすぐ来ましてよ」
リーズレットもマチルダと同じように優しく微笑みながら、コスモスの頬を撫でた。
「ところで、マチルダ。その銃に刻まれている『ヴァレ』という文字はなんですの? 銃の名前でして?」
リーズレットは狙撃の腕を見ている時から気になっていた事を問うと――
「ええ。私が最初に殺したラディア兵の名前です。同族殺しとして使ってやろうと思いまして」
最初に殺したラディア兵の身分証から名前を割り出したようだ。
同族殺しは相手にとって屈辱的でしょう? と言うマチルダにリーズレットは思わず笑ってしまった。
「貴女のこと、もっと気に入りましてよ」
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