本の妖精は他人の人生を左右する 03
既に面白くない本が、結末を知ってしまうともっと面白くないと感じるのは当たり前だ。そう、俺は全部読んだのだ。『メテルニア冒険譚』の十二の短編集全てを。
俺はやっぱりメテルニアという主人公に自分を重ねて読んでいた。無意識のうちに。
でも、この本に面白さを見出したいと思った時、俺は視点を、抱く感情を変えて読んでみる。すると確かに心底面白くないものが、まあ面白くないと思えるようになったのだ。少しの変化、だが確実に変化はしたのだ。
「面白くないな、やっぱり」
休み時間の教室。俺は中林さんに声を掛けていた。
俺の言葉に中林さんはくすりと笑う。
「残念です」
言葉の内容とは裏腹に嬉しそうに言う。
「のわりには嬉しそうだな」
「へ?」
「いや、普通自分が面白いとか好きっていたものを他人に否定されるとイラっと来るだろ」
「そういうものですかね」
「大多数はそう思うだろうな」
「そうですか?でも私はそういう視点もあっていいと思いますよ?」
俺は無言で中林さんを見る。すると中林さんは頬を赤くして俺から顔を背けた。そしてこちらをチラチラと伺いながら再び話し出す。
「私も、あれからもう一度読み返してみたんです。上技さんが言っていたみたいにつまらない世界に変化を求めて旅するというメテルニアに視点を変えて」
「どうだった?」
俺は自分でも珍しいと思いながら、意見を催促した。
「つまらなかったです。不思議ですよね」
そう話す中林さんはやっぱりどこか嬉しそうだった。だから俺は尋ねる。
「何で嬉しそうなんだよ」
「え?………わ、私嬉しそうにしていましたか?」
さっきよりも数段顔を赤くして言う。俺は「そうだな」と言った。
「それは………多分、自分では見ることのできなかった世界を見ることができたからだと思います」
「自分では見ることのできなかった世界…………」
「はい。私がすごく面白いと思っていた話が、少し視点を変えるだけでつまらない物語になったんです。だからその………好奇心というかなんというか……私の知らない世界がそこにはあったんだなって」
なるほど。確かに自分の知らない世界が広がっていたら好奇心を持つのは当たり前か。でもそれって、やっぱり誰の目に見ても俺の人生はつまらないってことだよな。
だったら、
「それを見てどう思った?」
「え?」
「今までに見なかった世界を見て、中林さんはどう思った?」
俺の問いに、中林さんは暫く考える。それはあいまいな答えを出そうとしているわけではないと俺にも分かった。そして考えること数分中林さんはゆっくりと話し出す。
「羨ましいと思いました」
「羨ましい?」
「はい。何でもできるからこそ、周りがつまらなく映って変化を求める気持ちは……私には分かりません。でもそれって周りに変化を求めているんじゃなくて、自分にできないことを探しているんじゃないでしょうか」
「じ、自分にできないこと?」
「はい。何か自分にはできないこと、熱中できる何かを探している」
俺はその言葉が引っかかることなく、自分の中にストンを落ちてくる感覚を抱いた。
「その熱中できる何かを見つける過程には努力があって、気が付けば周りには今まで積み重ねてきた軌跡があって、それは何にも代え難い経験であって、自分よりも沢山の物を持っていることが羨ましいなって」
熱中できる何かを探して、気が付けば沢山の物を持っている。
俺はふと自分の進んできた道を、中林さん風に言えば軌跡を振り返る。
中学、何でもできると確信した俺は親に無理を言って習い事を始めた。サッカーだった。気が付けばエースになっていた。誰からも頼られる絶対的エースに。そして俺はサッカーを辞めた。
高校、好奇心で始めた陸上。新人大会で優勝、全国大会で三位。俺はすぐに陸上を辞めた。学校の勉強では学年の上位トップテンに入った。女子から告白された。何となくオッケーした。ヤッた。見えてくる景色はいつも一緒で、何でもできて、誰からも好かれた。気が付けば周囲には人がいた。
あれ?俺、『何で気が付けば』なんて都合よく解釈していたんだ?それはただ見に着くまでのスパンが身近かかっただけだ。そこに努力をしていないわけじゃない。その行動が当たり前になっていたんだ。サッカーも身に着くのが速かっただけで、練習をサボったことは無かった。陸上だって、最初はだれにも勝てなかった。すぐに追い抜くことはできたけど、基礎の練習を厳かにしたことは無かった。勉強もしなかったわけじゃない。恋愛に至っては、今まで真剣に向き合っただろうか。
なるほど。何でもできるんじゃない。見に着くのが速かっただけだ。そこに努力がなかったわけじゃない。全部に熱中していたんだ。そしてそれに見合った経験をしていた。
俺は勘違いをしていたのだ。元から何でもできる訳じゃない。ただ俺はその傍から見れば努力と見て取れるものが当たり前で、それを才能と受け止めて何でもできる人間だと勘違いしていた。
『メテルニア冒険譚』のメテルニアも身に着くのが速かっただけで、何もしなかったわけじゃない。見て学び、それを反復していた。それはメテルニアからすれば当たり前のことかもしれないが、傍から見れば努力ともとれる行動だ。そして結果として沢山の種族に好かれ、居場所を作った。だけどメテルニア自身は自分が努力をしていることに気が付いていない。何でもできると思い込み、また熱中できる何かを探しに旅に出る。
「なるほどな」
「はい」
俺は中林さんの「羨ましい」という気持ちを肯定した。
口元が緩む。普段の俺ではめったに起こらない現象だと自分でも理解している。けどここでいつもの自分を貫き通すのも違うと感じた。
自分が変化を求めていたんじゃなくて、熱中できる何かを探していたこと。その軌跡には多くの経験があって、自分も楽しんでいたことに気付かされる。
それを知って尚、自分の人生がつまらないとは思わない。
吹っ切れたと言ってもいい。
まさか、たかが一冊の本で俺の人生が変わってしまうのか。そう思うとおかしくて仕方ない。
「あのさ、」
自分がやりたいと思ったこと。
「はい」
控えめの笑顔で中林さんが言う。
「他にもおすすめの本ってある?」
俺は彼女と、中林さんと距離を縮めたいと思ったのだ。
「まだまだありますよ」
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