世界神剣録
どうもお久しぶりです。九十九 疾風です。
この話は本編と関係していますが、読む必要はありません。一万文字程度説明文のような話が続きます。それでもいいという方は是非読んでいただけるとありがたいです。
これからも精進していくので、どうかよろしくお願いします。
序語
かつてこの世界で大きな争いがあったという。その争いは天を焦がし、大地を荒廃させ、世界の生物の多くを絶滅寸前まで追い込んだという。
その争いに理由はなく、始まりもない。その争いに関する記録は一切残っておらず、その事実すら疑っている人も少なくない。一時期は数多くの研究者が一種のロマンを求めてその争いに関する記録を探していた。だが、その探索の成果はほとんどなく、全くのゼロといっても過言ではなかった。
誰も見つけることができなかった争いの記録。それは明らかに不自然だと言える。本来、どんな争いであっても何かしらの証拠なり痕跡なりは残るはずだ。だが、何も残っていない。何か別の力が働いたかのように一切の痕跡が残っていないのだ。
私は、このことこそが争いの根本的な原因に繋がる唯一無二の鍵ではないかと考えている。このことに関して誰の共感も得られていないけど、私自身はこれでいいと思っている。実際、他人と意見を交換することによって生まれるものもある反面、自分の意見を理不尽に否定される可能性を孕んでいる。だからこそこうやって自由に自分の考えを記すことができる。
さて、どこから書いていこうか。そうだね……まずはこの争いの発端から説明していきましょうか。
世界暦 五六〇年
神楽宮 莉緒 著
第一部
世界創造の際、多くの神々は「人間」という生物を作るか作らないかで大きくもめたとされている。もともとこの土地には「神獣」や「妖精」等の人間の中で伝説化された生物が多く存在していたとされている。
今となってはその存在のほとんどが否定されているが、このことに関しては過去の記録や痕跡が数多く発見されているため、今もなおどこかにいるのではないかという考えの元、世界中の研究家たちが証拠を探している。その結果として数体の「神獣」の存在と、「伝説獣」と呼ばれる生物の存在が真実化された。
まぁその話はいいとして、ひとまず神々は「人間」の創造に対する意見の相違から争いを始めたとされている。その争いには多くの神獣が参加し、妖精が住む場所を追われて世界の片隅へと姿を消したという。その争いの始まりはこうであったのではないかという説が一番有力であるとされている。真実はわからないが、私はこの神話性の高い説を否定する。
そもそも、人間の始まる前に魚類や両生類が存在していたことから、人間の創造の賛否から争うわけがない。だからと言っても、争い自体はあったと思っている。そして、妖精族の境遇に関してもこの説があっていると思う。私が否定しているのは争いが始まった理由。それだけである。
さて、批判ばかりでもあれだろう。私の説を今から言っていきたいと思う。
まず、神がこの世界を創造する時にこの世界に二本の剣を刺したという。その二本の剣は互いの力がぶつかり合い、そしてその周りから禍々しいものと美しいものが生まれて戦いを始めた。そして、その戦いはやがて世界中に広まり、もとより神の遣いとして世界に住んでいた神獣がそれぞれで戦いを始めた。それを終末戦争とでも呼ぶべきか。いや、終末という言葉よりも開闢のほうが正しいか。
その戦争は瞬く間に世界を戦乱の渦に巻き込んだ。その結果世界中に魔力があふれ、争いによって荒廃した土地だけが残った。それからの数年間は本当の意味で終末だった。神獣たちの死骸であふれ、争いによって大地が割れ、空を灰が覆った結果光が届かなくなり、空気が魔力で汚染され、ほとんどの生物が生きることができなくなった。
その星の成れの果てに一種の絶望を感じた神は、近くにあった手ごろな星を一つぶつけることで一種の再生を図ろうとした。そして、月が生まれた。
神は争いの火種となった二本の剣を遠ざけることによってもう一度星が死ぬことを防ごうとした。一方を光の剣、他方を闇の剣とするならば、光の剣は現在の北極に、闇の剣は南極に突き刺された。本来ならば両方を回収すべきであったのだが、長きにわたった戦争によって力が集中しすぎたことによって片方のみしか回収できない状態になってしまっていた。
ならどちらか一方、特に闇の剣のみを回収すればいいのではないか。私もそう思ったが、神はおそらくその先まで見据えたうえでできなかったのだろう。実際、何かが一本の剣を得た時、力に溺れて争いに用いて世界を我が物にするだろう。そうなった時、それに対抗できる力、つまり救済処置を用意しておかなければ絶対に迎えてはいけない結末に直結する。つまり、そういうことなのだろう。
確かに、この時神はこのような処置をした。それが正しかったのかどうかは私には判断出来ない。いや、そもそも剣を世界に刺した時点で間違っていたのかもしれない。正直、未来を見据えて的確な判断をするなんて誰にもできないことだ。確かに、的確な判断ができたという場合もあるだろう。それは本当にただの結果論でしかなく、判断の結果それが本当に的確な判断だったというだけだ。根拠なんてほとんどないし、そもそもできない。未来は絶えず変わり続けているものだから。
第二部
神という存在について、さまざまな説があり、そもそも存在しないとすら言われている。科学的に証明できないという理由で神の存在を否定する人はたくさんいる。でも、私はいると信じている。そうじゃなかったらこんな説唱えない。
とまぁ余談はさておき、神がどうして世界に剣を突き刺そうとしたのか。そのことについて少し考察していこうと思う。
まず、神様というものについてのここでの定義を定めることにしよう。ここでは「神」は世界の創造主という形で存在している物のみにしよう。そうした時たいていの人のイメージは固まるだろう。そうしないと、この時点で見解の相違が生まれてこの先の話に解釈のすれ違いが発生しかねないからだ。
さて、ある種の制限を設けたところで、私の考えを言いたいと思う。まず手始めに、神と呼ばれるものがどのようにして世界に認知されたのかというところから行こうと思う。
そもそも神という考えがどこから生まれてきたのか。それは人々が何かにすがろうという潜在的な逃避思考から来たある意味の責任転嫁材料として用意したのだろう。そして、それが気付いたら神と言われ、信仰されるまでに至ったのだろう。そして、同様の思想の中のはずなのに少しのすれ違いから簡単に他人を異端とし、すぐに神の裁きだのなんだのと言って殺そうとする。思想の根幹にあるものが同じであるものを見ようとせず、周りの装飾的な考えの違いだけで否定し、自分の思想が正しいと言い張り、簡単に人の命を奪う。
人々の中で神は信仰の対象であると同時に、自分の正義を相手に押し付けるための言い訳の一つでもあった。宗教戦争なんてものがそれの最たる例だ。
さて、多少話が脱線してしまったが神と呼ばれるものは人々にとってこの程度の存在にとどまってしまっているのだ。本来の神はこの世界を作り出す基盤の準備をしただけであって、それ以上はこの世界に干渉してきていない。それどころか、この世界をひとつの研究材料として行く末を見届けているだけである。
神の気まぐれとは言ったもので、この世界は神によっていとも簡単に粛清される。簡単な例を挙げるとするならばバベルの塔の話がいいだろう。現状、神が直接世界に干渉した例は本当に少なく、例に挙げたことを含めても数回ほどしかない。
神になることができると勘違いした人間に力の差と恐怖心を植え付け、将来数千年にわたる忠誠心を持たせる。それは一種の独裁者のようなものと言えばわかりやすいだろう。そうやって神はこの世界で一種の実験を行おうと思ったのだろう。それに関しては私がもし神の立場にいたとしてもそうしたと思う。
そのまま時が流れようとしていた時、神は一つ世界に大きなバグが生じていたことに気付いた。そう、二本の剣である。地球の正反対の位置まで引き離したはずの二本の剣は、互いに反発しあうかのように世界の平穏な空気を徐々にかつての戦乱の空気に変えていこうとしていた。実際、少しずつ繁栄し始めていた生物たちの中で急激に狂暴化する個体が出てき始めていた。
そのことを不審に感じた神は、剣の一方を回収することにした。しかし、双方の剣が反発しあう状態にあるため、双方同時に回収せざるを得ない状況になっていた。
神はその時、片一方の存在を消し去ろうとした。しかし、魔力であふれかえってしまった世界でそれを行うことも不可能に近く、神が直接世界に降り立つほかないとさえ思える事態になっていた。
どうしてこのような事態になってしまったのだろう。神は徐々にかつての争いの再放送のような光景に絶望を憶えながら、対応策を必死に考えていたという。私は、そんな神に同情すら覚えた。そもそも、神でもどうしようもない事態の対処法なんて存在しえるのだろうか。いや、存在しえないだろう。
第三部
ここでは、神から少し離れて妖精について少し話しつつ、開闢戦争後に神獣たちがたどった運命を絡めさせていきたいと思う。
まず妖精について。
昨今では妖精族として開闢戦争時に絶滅した伝説上の生物だとされており、背丈は小さく、長くて先のとがった耳と薄く透き通った羽を持っていたとされている。一説には人間と全く同じ姿なのではないかともささやかれているが、真実はいまだにわかっていない。絶滅したとされてはいるが、実際は絶滅した証拠などなく、存在が確認できていないというだけであるため、本当は世界のどこかで未だに生きているのではないかと言われている。
妖精に関して記されている文献はいまだに発見されていない。それはある意味不自然なことである。本来ならば、妖精族という存在の可能性が出てきた瞬間にどこかの誰かによって文献は作られる。それが例え偽物だとしても。だが、その偽物すら存在していない。
この謎に関しては私もわからない。そもそも、「妖精」というものが認知されたのがいつなのか。そこからわからないのだ。気づいたら概念として存在していたとしか考えられない。その概念に関して言えることは、存在自体に否定的な人がほとんどいないということ。絶滅したと言われてはいるものの、存在していないと言う者は誰一人としていなかった。
それと同様に、存在の有無について探求しようとする人もいなかった。神の存在についての探求は腐るほどされているのにもかかわらず、妖精の存在に関しては妄信的で、むしろどこか諦めているようにも感じられた。
そういうわけであるからして、妖精族に関する情報は皆無であると言ってもいい。どこまでが真実でどこからがただの推測の域なのかに関しては、本当にどこにも線引きされていないから私自身理解できてない。それだけは少し考慮してもらいたいと思う。
まずは妖精族自体がどのようにして誕生したのかについて。学説上は世界誕生時からずっといたとされており、その真相や原理は不明であるとされている。私はそこからまず否定していきたい。世界誕生時はこの世界に生命は一切存在していなかった。神が生命と呼ばれる物を配置するまでは。
じゃあ神が妖精族を作ったのか。その説に関してはわからない。ただ、私はあまり有力視していないというだけ。
さて、話を戻そうか。神が生命をこの世界に誕生ではなく配置した時、「神獣」と呼ばれる存在だけを配置し、神自身が世界の頂点に君臨している者であることを証明しようとした。その時、魔力で満ちた世界の存在が魔力のない場所に現れたことによる世界のずれが発生した。そのずれは宇宙と同じような速度で進行していき、世界が一度崩壊寸前まで陥ったという。その時、そのずれを治すための存在として世界に現れたのが妖精族であったという。
世界に安定をもたらし、その後の世界の中での神獣の発展と衰退のバランスを保つ緩衝材のような役割を果たしながら、種の生存を保っていた。
そして保たれていた世界の均衡はたった二本の剣で崩され、後は先に語った通りである。
この説に学説的根拠は一切ないし、事実を裏付ける決定的な証拠も存在していない。だけど、私はこの説が一番正しい説であると自信を持って言える。
あくまでここからは私の推測でしかないのだが、妖精族は今も世界のどこかで均衡を保ちながら存在していると考えている。理由や根拠はない。だから、この考えに対する意見はいくらでも聞くし、それを踏まえていくらでも考える。
さて、ここまで妖精族について語ってきたが、ここからはある意味で話の核となあってくるであろう「神獣」について。
神獣とは、本当に簡単かつ単純に説明すると、神の遣いである。神が自身の遣いとして世界へと送り、世界を保つためにそれぞれで世界を統治していた。当初はそれぞれが干渉することを避けていたこともあり、全くと言っていいほど世界の不安要素はなかった。ただ、それも本当にわずかな間だけのこと。数万年という時間が流れた時には、世界を魔力が浸蝕し始めていた。そして、その影響からか徐々に神獣同士の争いが発生し始め、世界のバランスが崩れた。
その時のことに関しては、妖精族の出現とそれによって神獣たちが以前のように争うことをやめたことで事なきを得た。その後数億年にわたって神獣たちは世界を治め、それぞれの家臣と呼ばれるような存在を増やしていった。そしてその一つ一つがやがて国となり、一種の共同体としての生活を始めた。
もしそのまま世界の時間が進んでいたとしたら、本当の意味で争いのない平和な世界になっていたかもしれない。でも、神様はそんなことを望まなかった。
神は平和だった世界の中心に二本の剣を突き刺した。そして、世界を争いの渦が包み込んだ。それまであった共同体の痕跡は全て消え去り、神獣とその臣下の死体の山であふれ、空気中の魔力が暴走して天候という概念が消滅していた。その光景は筆舌に尽くしがたい。生命という概念すらなくなってしまったかのような惨状は、魔力がもたらした世界の亀裂以上に修復不能になっていた。
神獣はこの時ほとんど滅んでしまっていた。微かな生き残りですらも生き残ることが奇跡以上のことが起こらない限りあり得なかった。
神様は二本の剣を遠ざけたが、そうすることで全てが元通りになるわけではなく、むしろまた一番最初からのスタートとなる。
そんな状態から、微かな生命の灯をつなぎ続けた神獣は本当の意味で神の遣いとなっていただろう。二本の剣の影響とはいえ、自分たちで壊滅させてしまった世界への一種の罪滅ぼしだったのかもしれない。これは本当にただの推測だけど、この時も少なからず妖精族の手助けはあっただろう。
ある意味神に振り回され続けた神獣だが、数千年周期で出現の予兆が世界を襲っている。それは明らかに神の意志ではなく、神獣自身が自らの意思で動こうとしている。その面で考えると、神獣たちは今の世界を不自由のなく平穏な世界だととらえているのかもしれない。それならそのままでいてもらえたほうが人間にとっても都合がいい。
だが、人間たちはどうだろう。ある意味では神がもたらした災厄をもう一度繰り返そうとしている。私利私欲にまみれ、国のためだの国民のためだのと都合のいい理由を作っては争い合い、奪い合い、殺し合う。人間は、かつてお互いを助け合う生物だったはずだ。いつからか人間は争うことを知ってしまった。それから一度も神獣出現の予兆はない。つまり、次に神獣出現の予兆が世界を襲った時、神獣はもう一度開闢戦争の悲劇を繰り返さないようにするために人間を滅ぼそうとするだろう。
それはもう回避することのできない未来であり、世界が想像している以上に近い場所にある。
これは、また別の話。
第四部
今まで世界の始まりに関して様々な観点から考えてきたが、少しい離れて人間についてもう少し詳しく考えて行こうと思う。
人間は、この世界に自分勝手な文明を築き上げ、その上にあぐらをかきながら生活している生物で、一般的には哺乳類に属している。サルの仲間が進化して人間になったとされており、この学説はほとんど確定であるとされている。人間は生活していくために多くの他の生物を殺し、自然を破壊し、時には争う。この世界で最も残酷な生物は?と人間に質問すると、ほとんどの人間が「人間」と答えないのはある意味狂気すら感じる。
開闢戦争の影響で魔力であふれた世界は、神獣や妖精族以外の生物が魔力を持って生まれてくる世界になってしまった。最初はかすかなものだったが、人間が出現したころにはもう最下級の神獣の進化程度の魔力を人間が所有していたという。そして人間の所有する魔力は徐々に増加していった。
だが、人間が魔力を所有するのに向き不向きがはっきりしており、生まれた時から全く持っていない者もいれば、大きな魔力を持って生まれてくる者もいる。それは遺伝だったり、突発的に発生するものだったりするため、魔力を持って産まれてくる者は様々な意味で世界から特別扱いされていた。最初の頃は恐怖の象徴として恐れられ、忌み子として散々な仕打ちを受けていた。その後人間が争い始めた時、どこかの国が戦場に魔力所有者を利用したことを境に境遇が一転した。
それ以降、魔力所有者は戦闘員として利用された。国によって極端に変わっていて、王宮に招待する人もいれば、奴隷のような扱いをする人もいた。
このような状態になってしまうと、「魔力」と言う物に対する関心が急上昇するのは明確で、私がこの文章を書いている数十年前に起こった戦争では多くの魔力が世界を焼き、人を殺し、地球の環境を崩壊させんとした。
その戦争は結局、現在の敗戦国と呼ばれていた国々が降参したことによって本来もたらされるはずだった被害には至らなかったものの、本戦地となった欧州は魔力災害を受け、二十年以上は復興の手立ては立たなかった。今では前以上の繁栄を見せているが、皮肉なことに復興を助けたのは魔力であったという。
人間は魔力をことあるごとに自分たちの私利私欲のために利用し、そのたびに世界を大きく変貌させた。
その場にあるものをその時々に合わせて利用するという柔軟さに関しては、人間の素晴らしい適応性と言えるだろう。だが、それがすべていいものであるとは言えない。悪いことに順応することもある。それは、何かに適応しようとするときの一種の代償のようなもので、少なくともこれまで怒ってきた世界の大革変のほとんどがこれにあたる。
その判断というのは実際に順応してみないとわからないという面がある以上、どうしようもないと言われればそうだが、人間が悪い順応をする頻度が極端に多いため、私自身人間は世界を破壊するために生まれたのではないかとすら考えたことがある。
この考えに対する批判は多いだろう。だが、冷静になってこれまで人間がこの世界にもたらした数多くの影響を考えてみてほしい。確かに、人間の中には自然と苦楽を共にしようとしているものもいる。だが、大多数の人間たちは自然を破壊することで繁栄しようとした。自然を破壊して人間たちの繁栄する場所を確保するという考えは、もともと存在していなかったはずだ。だが、その考えをふとした機会に人間のもとに舞い降り、そして人間はそれに順応した。その結果、今のような取り返しのつかない状態へと世界を変えた。
一度失ったものはもう帰ってこない。そっくりのものを作り上げることはできても、それは失ったものの模倣物でしかない。そもそもの話、失ったものをそのまま取り戻すことができるのなら、開闢戦争自体神によってなかったことにできるはずだ。だが、事実として今もなお、正確にではないにしても記録されている。
神でさえ不可能なことが人間にできるはずがない。所詮は人間は神が作った世界の一つの観察対象に過ぎないのだ。
第五部
さて、ここで話を神がどのようにして剣によって争いが生まれるのを防いだのか。というところに戻るとしよう。
まず、世界の反対側同士で反発し合っていた時、世界では新たな大戦争が起きようとしていた。それは第二次開闢戦争と呼んでもいいほどにまで発展しかねない状態で、完全に手遅れの状態になってしまうまでの時間はもうほとんど残されていなかった。
神は自分が世界に剣を突き刺したことを悔いた。あの時、せめて一本だけにしておけば……と。だが、後悔という物は時間をただただ加速させるだけである。
神は覚悟を決めるしかなかったのだ。自分の力をすべて使ってでも、この世界から争いの火種をなくす覚悟を。
神は、自分が迷っている間に手遅れになってしまうということを悟った。そして、神は重い腰を上げた。世界の南端に突き刺さったままになっている闇の剣を回収するために。
そして、世界の存続をかけた戦いがだれも知らない場所で行われることとなった。
神はまず、闇の剣を覆っている魔力を消し去ろうとした。だが、そんな簡単に行くわけでもなく、闇の剣を覆っていた魔力はそれぞれが意思を持っているかのように神に襲い掛かった。神はそれらを一つ一つ処理しようとしたが、あまりの量にそれを断念せざるを得なかった。
神は戦慄した。自分がもたらした剣がここまで手が付けられなくなるとは思ってもみなかったのだろう。肥大化した闇の剣の魔力は神の想定を容易く超えており、もうどうすることもできないと言っても過言ではなかった。
どうするのが最適であるか。
神は必死に考えた。微かな希望を未来へと繋げるために。そして、神はたった一つの糸口のようなものを見つけた。
神は強大すぎる魔力をいくつかに分裂させることによって、闇の剣の力を弱めることにしたのだ。
もちろん、それを行うにも多大なリスクを伴う。だが、神は迷わず魔力の意思の分かれ目となっていた場所で魔力を切り裂いた。そして、また一つになる前に神の力で生成した剣の器に閉じ込めた。これが後の魔星剣である。どうしてそう呼ばれるようになったかというのは諸説あるが、一本ずつ星座に封印したからだというのが最も正しいとされている。
そして、十二本に魔力が分裂させられたことによって完全に弱体化した闇の剣は、神によって世界から消滅させられることとなった。それでいったんは完全な平和が戻ってくる。そう思っていた。だが、神は一つ重要なことを忘れていた。どうして二本の剣があったのか。ということを。
闇の剣を持ち帰ろうとしたとき、神は世界の裏側で急激に魔力が強まっているのを感じた。その正体を、神は一瞬で悟った。片方を世界からなくしたところで、世界から争いが無くなるわけではないと。片方の魔力を分散させてしまった今になっては、もう片方も同時に弱化するしかないのだと。
神は闇の剣を持ったまま北端に突き刺さったままの光の剣の場所に向かった。少しずつ強まっていく魔力の光に、神は焦りを隠せなかった。
神が北端についた時、光の剣は本来の魔力を失ってしまったかのように暗黒に染まっていた。その魔力は神を認識した瞬間急激に活発化し、神に襲い掛かった。神は想像を遥かに上回った攻撃本能に一瞬面を食らったものの、すぐに迎撃態勢を取って迎え撃った。その時、右手に持っていた闇の剣が微かに反応しているかのように感じた。
わずか数刻のうちに神は完全に魔力分解の準備を終えていた。闇の剣に侵されてしまったかのような魔力をかき分けるように、神は闇の剣をふるった。
刹那、光の剣の攻撃が弱まった。そのわずかな間に、神は魔力分解の呪文とともに闇の剣を光の剣にぶつけた。
最終部
結局、神はこの世界に何がしたかったのか。私には何もわからないし、そもそもこれまで語ってきた話がどこまで真実で、どこまで偽物なのかですら定かではない。
でも、信じてほしい。信じられないなら、もうこの先に目を通さないでほしい。
あの後、世界には力を完全に封じられた光の剣だけが残っていた。闇の剣はどこかに消え去り、分解された魔力は全て剣になってそれぞれの場所に封印されている。光の剣は神が直々に封印を施し、本当の所有者以外では触れることはおろかその姿を見ることすらできなくなっている。
その後、神はこの世界に降り立ってはいない。
ここからは完全に私自身の考えになる。もしこの世界で、光の剣と闇の剣が再び相まみえるとき、世界はもう一度神によって修正される。その末にあるのは、圧倒的な「無」。だからこそ私は、この始まりとなりうる剣。つまりは光の剣を「始」とし、いずれ来るであろう未来として闇の剣を「無」と呼ぶことにしよう。
世界はいずれ戦いを生む。その原因が神の封印した剣であるかもしれないし、また別の原因であるかもしれえない。いずれにしても、私はこの世界で次に起こる戦争を「終末戦争」と名付けたいと思う。理由は特にないけど、私はそう呼ぶであろう。
簡単なことなんてない。これまで私が語ってきたことを真実だと受け入れるのは、本当に簡単なことではない。だからこそ、私はここではっきりと断言したい。
これまで私が語ってきたことはすべて真実である。嘘偽りも、脚色もない。ただありのままに真実を語っている。これまで起きてきたことも、これから起こりうることも。
今からそう遠くない未来、世界は魔剣を知る。魔剣を知った世界は再び争いが起こる。その時、世界に二本の剣のどちらかを持った英雄によって戦いに染まった世界から一度世界を救い出す。その後、もう一度世界は戦いに染まる。その後どうなるのかは、その英雄次第である。
最後に、私は神ではない。そのようなちんけなものではない。どうして私が真実を知っているのかは、何も考えないほうがいい。私の正体についても。所詮わからないのだから。
お疲れさまでした。九十九 疾風です。
世界神剣録を読んでいただきありがとうございます。
この作品は、本編の時間から十年前に書かれたものです。もし本編と矛盾があればすみません。
これからも私、九十九 疾風をよろしくお願いします!