第2章 第86話 壁
「いつまで縋ってるの?」
龍護は、その言葉の意味を理解することが出来なかった。いや、本当は理解出来ていたのだ。とっくの昔に。でも、龍護は解決策を持っていなかった。
「なんて、私も言えたことじゃない……かな」
「え?」
「少なくとも私は、昔の私に縋ってる所あるから」
莉音は、飛んでくる斬撃たちを撃ち落としながら龍護に告げた。2人以外に聞こえないような声で。
「正直、私は結構弱くなっちゃったな……って思ってるの。今の私の剣は、生易しい」
虚しさがこもった声で莉音は語り始めた。自分の弱さを。決して誰にも見せることのなかった、自分の弱い部分を。
「だから私は、昔の私に縋ってる。昔の私に、なろうとしてる。もう無理なのにね」
龍護は何も言えなかった。言うべきではないと思った。自分の弱さを認め、先に進もうとしている少女に、ただ立ち止まっているだけの自分がかける言葉など、何も無いと思っていた。
「けど、私は決めた。もう、昔に戻ろうとするのをやめようって」
斬撃が止んだ刹那、莉音は龍護の方を向き、いつもの莉音のように笑った。
「メーズと戦ってる時、私はどう足掻いても壊せない壁があるってことに気づいた。とっても硬くて、分厚い壁。もう無理だって思った。けど、その壁は低いってことに気づいたの。少しジャンプすれば登れるって」
それは決して、比喩なんかじゃなかった。一人の少女が、戦いの末に辿り着いた結論の形であった。
「壁の上に立った時、私の中の景色が変わった。ずっと目の前の壁しか見れなかった視界が、一気に開けた。その先はまだ真っ白で、何も無くて、でも無限に続いていた」
少女はもう一度笑う。しっかりと龍護の方を向き、かつてのいたずらっぽい笑顔で莉音は、その時感じたんだ。と続けた。
「私は遂に、昔の私を超えたんだって。今が最高の私なんだって」
「莉音……」
「あのね龍護……縋るのは悪いことじゃないよ。むしろそれは自分の1番強い時を理解してるってことなの。でも、それだけじゃダメ。過去の栄光はただの飾り。それを糧にして進んでいくことが出来るのは、君しかいないんだよ」
半ば放心状態の龍護に、莉音は優しく問いかける。もう一度、同じ言葉で。
「君のその足はどこに向かってるの?人間の足は、ちゃんと向いた方向にしか進めないんだよ。前を向けば前に行く。後ろを向けば後ろに行く。今、君はどっちに進みたいの?…………ねぇ龍護。君は、いつまで縋ってるの?」
そこには、過去を乗り越えた少女と、過去を乗り越えようとしている少年がいた。濡れた笑顔と乾いた絶望の顔が対峙する。
そして少し離れた戦場では、今まさに決着が着こうとしていた。




