第五話だ! 新しい朝が俺を迎えにきたな!
突然だが、俺ことクラウス・ラズベリーの朝は早い。
無知蒙昧なボンクラ共が惰眠を貪っているだろう早朝、すでに目覚めた俺は日課のトレーニングを始めている。
なぜならば、この世に生きるものは例外なく有限の時間の中で生きるからだ!
俺が神に愛され、輝かしい未来を約束された運命の寵児であることは事実だ。
だが、そんな俺にも一日が二十四時間しかないことは覆すことができない。凡人、才人、そして俺問わず、世界は一律二十四時間制だ。実に気に食わん!
神は七日で世界を創り、人に知恵を与えて国家を築き上げ、やがて総仕上げとして俺という存在を生み出したところまではよかったものの、いささか要領の良さと合理性に欠ける部分があったことは否めない。
時間の価値は人によって違う。凡人と才人で生み出す結果が違うように、時間を無駄にする比率の大きい凡人より、才人に時間を多く割り振るのが道理だろう。
前置きが少しばかり長くなったが、その時間の頸木は俺も例外ではない。
ならば限られた時間は少しでも有効的に使われねばならない。疲労回復に必要な最低限の睡眠だけとれば、余った時間は活動時間を増やす選択に使うのが当然の発想だ。
だというのに、どいつもこいつも惰眠に沈み込んだ早朝の静けさよ!
俺に劣る結果しか出せない連中に、他人を見上げる前にやれることをやれと説教して回りたい。無論、努力したとて俺に勝てるはずもないが、横の奴には勝てる。
その些細な喜びを糧に次も励めばいい。そんな凡人らしい発想、なぜ出てこない。
「――ふんっ」
顔も見えない同輩――そう呼ぶ価値があるか疑わしいが、そいつらへのヘイトでイライラしていると、予定していた学院敷地内のマラソンが終わる。
今、俺が走ったのは学院の運動場と学び舎をぐるりと回るコースだ。
大体、一周が5、6キロといったところだ。1時間ほどかけて3周もすれば、朝のトレーニングには十分な運動量といえる。
体力作りの一環ではあるが、この程度で疲れていては到底、主席など狙えない。
それにしても、精神的にモヤモヤしながら走るのはいいものではないな。
本当に走るのに集中していれば、脳内麻薬がドバドバ出てきてむしろ走ること以外に考えられなくなるという話だ。だが、今朝のマラソンは走れば走るほど雑念に振り回されていた気がする。これも、俺が憂えることの多すぎる世の中が悪い。
「む……」
タオルで汗を拭い、その場で足の筋を曲げ伸ばしするストレッチをしていると、ふいに遠くから鋭く地面を蹴る音が近付いてきた。
なかなか俊敏で、いいリズムだ。
「ほう、感心だな」
早朝に自発的にトレーニングに勤しむ人間が、俺以外にもいるとは思わなかった。
いや、して当然のことではあるんだが、その当然を果たさない奴が殊の外多い。なかなか見所があると、俺が直々に褒めてやってもいい。
遠目に、俺と同じコースを走ってやってくる人影が見えた。
思わず、そのフォームの美しさに目を見張る。うむ、悪くない。かなり効率的なパフォーマンスを発揮できるスタイルだ。
俺に迫る……いや、匹敵するかも……いやいや、もしかして俺よりも?
そんな馬鹿なことがあるものか! ま、待て待て、落ち着け。俺は頭の固い馬鹿な連中とは違う。もっと落ち着いて、良いものを良いと認める度量を持たねば。
「はっ、はっ……」
走る息吹が近付き、ジッと睨みつける人影が次第に輪郭を帯びてきた。
すっと長く白い手足は、優雅に風を切りながら速度に乗る。首丈の髪は頭の後ろでまとめられていて、走るリズムに合わせて揺れるのが目を楽しませる。真っ直ぐ前を見据える瞳は、まるで世界の果てを覗き込む空のように澄んで――。
「って、どう見てもアルタイルじゃないか!」
走っていたのは、どこからどう見てもアルタイルだった。
まさかこいつまで早朝トレーニングを実施しているとは思わなかった。
俺に気付き、走っていたアルタイルの表情が変わる。
かすかに眉尻が下がり、明らかな警戒が瞳を過るのがわかった。
だがまぁ、当然といえば当然のことだ。
主席の座が努力なしに得られるほど、この俺の存在は安くはない。むしろアルタイルはそれを意識したからこそ、大慌てで自分を鍛え直しているに違いない。
「主席の座に固執し、追われるものの自覚がお前をそうさせたわけだ。じりじりと背後に迫られていると知って、怯えるなんて可愛いところもあるでは……おい!」
すぐ近くにきたから話しかけたというのに、あいつ俺を無視しやがった。
なんて奴だ! そもそも、朝の挨拶を交わすのは人間として最低限の礼儀だろうが!
主席だからって調子に乗ってるのか!?
「待て! 主席の分際で次席を見下すとは、お前は何様のつもりだ!?」
「はぁ!?」
俺が追いかけてくると思わなかったのか、アルタイルの肩が跳ねた。
かと思えば走る速度を上げ始める。おのれ、置いていかれてたまるものか!
アルタイルはかなり走り込んだフォームを維持しているが、残念なことに俺とは体格のスペックが違う。眉目秀麗にして長身痩躯と、まさに絵画に出てくる美丈夫そのものの肉体を持つ俺と違い、アルタイルは一般的な男子と比較しても背丈が低い。
いや、女だから当たり前なんだが。むしろ女としては背が高い方に入るだろう。俺との身長差はちょうどいい。何が言いたいんだったか。とにかく、俺よりは低い!
つまり、俺の方が奴より足が長いということだ。
ふははは、この優位はそう簡単には覆せんぞ!
「はーっはっはっは! 逃がさんぞ、アルタイル! そーら、追いつくぞ!」
「――くっ!」
いつでも隣に並べるぞと、余裕を見せつけながら呼びかけてやる。
アルタイルは必死に頭を下げ、風の抵抗を減らして走るが焼け石に水だ。
多少、速度を上げたところで俺もまだ本気を出していない。
目の前で運動着姿のアルタイルが、細い足を回転させて走るのを余裕を持って追い詰め……なんか聞こえが悪いな。
というか、こうしてみるとやっぱりこいつ細い。アルタイルの体は細すぎる! これは俺以外の奴から見て、ちゃんと男に見えているのか? 急に不安になってきた!
そんな風に俺が不安で胸を痛めていると、俺の気も知らないでアルタイルが首だけで振り返る。かすかに息を乱し、赤らんだ頬がかすかに艶っぽい。
これダメだろ! こいつ本当にちゃんと男のふりするつもりあるのか!?
「なんで、君はボクについてくるんだ!」
「ふん! やっと俺を無視できなくなったか。決まっているだろう、教えてやる!」
非難がましいアルタイルに、俺は髪をかき上げて言い放った。
俺が奴を追いかける理由は至極単純! それは……うん? なんだったか?
俺のことだから何か深遠で壮大な理由があったはずだと思うのだが、改めて問われてみるとちょっとパッと出てこない。なんだったか。
「――そうだ! お前が俺の挨拶を無視したからに決まってるだろうが! この無礼者が! 朝の挨拶は基本だぞ!」
「今、決まってなかったんじゃないか!?」
「馬鹿を言え! それでは俺が条件反射でお前の尻を追いかけ回しているみたいではないか! そんなの俺が馬鹿みたいだろうが!」
「お、お尻を追いかけ回すとか変な言い方するなよっ!」
どこの単語に引っかかってるんだ。俺を馬鹿扱いしたことの方が大事だろうが。
「とにかく……もう、ついてこないで!」
「ぬお!?」
アルタイルが赤い顔を伏せたかと思うと、一気にその速度が加速した。
うおお、この野郎! まさか三味線弾いてやがったのか!?
ヤバい、置き去りにされる!
「負けるか! ラズベリー流走法、紅の流星――どわぁ!?」
「ぎゃふんっ!?」
アルタイルに追いつこうと、加速のために踏み出したらなんか踏んづけた。
悲鳴を上げるそのよくわからんものに足を取られて、俺もそのまま地面にひっくり返る。だが、無様な格好など見せられるものか。
勢いを殺さず転がって、最後にはビシッと手足を伸ばしてフィニッシュだ。
「く、クラウス様! ご無事で……Ⅴ字バランス!?」
苦し紛れに決まった美技に声が上がるが、俺は悔しさに舌打ちするしかない。
転んでいる隙に、猛スピードで走るアルタイルはすっかり小さくなっていた。もはや豆粒のような大きさになった奴に、ここから追いつくのは無理だ。
「おのれ、アルタイル! これで勝ったと思うなよ……!」
溢れる悔しさを握り拳に詰めて、にぎりっ屁の要領で投げ捨てる。それから俺は、さっきからオロオロとしているだけの三人、もとい三バカを睨みつけた。
「お前らもお前らだ! こんなところでまとまって何をしていた!」
「い、言いつけ通りにマラソンを……!」
「ほぼほぼ、全員が同時に力尽きまして……!」
「大の字になって死んでいたら、クラウス様に踏まれたわけで……!」
立て続けに並べられる言い訳に、俺はほとほと呆れてしまった。
『俺の学友になるんだ計画』の一環として、早朝トレーニングに三バカを付き合わせた結果がこれだ。無論、初日から俺の普段のメニューについてこれるなどと過大な期待はしていなかったが、まさか俺とアルタイルの戦いの邪魔になるとは。
おかげで、俺はマラソン対決でも奴に黒星を付けられて――待てよ?
「いや、待て待て。いつから俺はあいつと勝負なんてしていたんだ。そうだ。今回のことは単なる遊びだ。つまりノーカン。ふぅ、危うい。高潔な俺の精神性が理不尽で不条理な敗北を受け入れてしまうところだった。……潔さも時に罪だな!」
「あのー、クラウス様? それで……転んだことは問題ないので?」
「ないように見えるならお前らの目はとことん節穴だな! 見ろ! 俺のために作らせた高級素材の特注運動着が泥だらけだ! 二度と着れん! 帰ったら即廃棄だ!」
100人のスポーツ選手を集めて、その意見と経験を吸い上げて作り上げた珠玉の体操服。俺のための特別製だというのに、またしても泥んこではないか!
今の不必要な敗北感も染み付いた気がするし、百害あって一利なしだ!
「ええい、お前らもいつまでへたばっている! そろそろ切り上げなければ始業時間に間に合わんだろうが! ちゃんとコースを2周したか!?」
軽く流して俺が3周だ。
同じだけ求めるのは酷だろうと、2周をノルマにしたところに俺の慈悲深さがある。さぞこいつらも感激して発奮したろうと思えば、
「ま、まだ1周目の半分ぐらいで……」
「真ん中ぐらいでへこたれまして……」
「足が、ふくらはぎから腿裏にかけてがパンパンに……!」
「やかましい! 根性なし共が! もういい! 帰って水でも浴びてろ!」
まさかの1周目リタイアとは、つくづく俺の想像を超えてダメだなこいつら!
たった5キロも走れずに疲労困憊とは情けない。きびきび動かなければシャワーを浴びる時間も残らんというのに、危機感がなさすぎるぞこいつら。
切り上げて学生寮へ戻る道すがら、俺は情けない三バカをどやしつける。
「言っておくが、汗も流さず学院へ行くことは許さないからな。朝食を抜くのも言語道断だ! どちらもおろそかにせず、学業にも打ち込むのが当然の義務だ!」
「うぇー!?」
「うぇーじゃない! 急げ!」
女々しく叫ぶ背中を蹴り飛ばし、とっとと行けと急がせる。
東の空からは朝日がゆっくりと顔を出し始めていて、今日一日の晴天を早々と予告しているような有様だ。
そのまま、俺は三バカと連れ立って寮の前へ到着し、足が止まる。
「む、待て、お前ら!」
「は、はい? なんで……あ、ファリオンだ。それと……?」
俺と同じものを見つけて、三バカも足を止めた。
寮の正門の前にアルタイルの奴が立っていたのだ。俺を置き去りにしてどの面を下げてと、あの無礼を追及してやりたいところだったが……それどころではない!
「おい、お前!」
「お、オレですか? あの、アーカンソーと言います」
「アーカンソー! お前にはあいつらが何をしているように見える?」
「え? そうですね……」
取り巻きАが俺の質問に首をひねり、ジッと寮の前を見つめる。
それから奴はゆっくりと頷くと、
「ファリオンの奴が、女子からタオルを渡されているように見えます」
「そうだな、俺にもそう見える。……どう思う?」
「どう思う、と申されますと?」
俺の問いかけにオウム返ししてくるな。
質問に質問を返すなと、小さい頃に家庭教師にでも教わらなかったのか。
「馬鹿丸出しか、お前は。アレを見て何を感じるかと聞いているんだ」
「そ、そうですね。正直、女子から贈り物をされて妬ましいと思います」
「女子からの贈り物が妬ましいか。なんでそう思う」
「それは、ファリオンが成績を鼻にかけて女子にモテているから……」
「聞こえないぞ! 声が小さい! もっと声を張れ!」
「自分も女子にモテてちやほやされたいからです!」
「ならその腹を引っ込めろ! 17歳でその腹はヤバいぞ! 以上だ!」
取り巻きАがその場に崩れ落ちて、そこにBとCが駆け寄る。
「傷は浅いぞ!」だの「まだ致命傷を受けただけよ!」なんて言っているが、些事は全部丸ごと無視だ、無視。
それよりも今は大事なことがある。これはまさに、危急の事態だ。
取り巻きАが感じたのと、同じ印象を俺も抱いた。
つまり、アルタイルが女子からプレゼントなぞをもらっていたのだ。
――これは非常にマズイ事態だぞ!!