第一章裏話……クラウスのバーカ。
「昼の馬上演習が楽しみだな、アルタイル!今日こそはお前を下し、俺が主席の座を鮮やかに取り返してやろう! せいぜい、首を洗って待っているがいい! わっはっはっはっは!」
今朝、始業の連絡会の前にクラウス(ボンクラウス)が言った台詞がこうだ。
本当にクラウスは、昔から調子に乗ると声が大きくなるし、自分の悪だくみを人に話さずにはいられないところがあったけど、その癖は今も変わっていないみたい。
で、肝心の馬上演習の授業だけど、結局、クラウスの狙いはなんだったんだろう。
朝はあんなに自信満々だったくせに、いつもと全然変わらないの。あ、変わらないって言ってもこっちはいい意味で。
クラウスは他の前修生と違って授業に手を抜いたりしないし、相手と実力差があっても何事にも本気。だから、今日もいい意味でいつも通り。
クラウスの攻めは鋭くて重いんだけど、性格と一緒でどこか一直線。それでついでにワンパターンだから、私には悲しいぐらい読みやすい。
もちろん、普通ならクラウスは読まれても問題ないぐらいの技量があるんだけど、そこは私もちょっと普通の子とは違うんです。日々、頑張ってますから。えへん。
なので、今日もクラウスは馬から転げ落ちて地面とご挨拶。一応、心配だったから声をかけたんだけど、また嫌味を言い返されちゃってちょっとガッカリ。
昔から兄様をライバル視してたクラウスだから仕方ないとは思うけど、二人はもっと仲良しだと思ってたのに。私のいないところだと、こんな風にギスギスしてたのかな。
美しい思い出が色褪せそうで、だったら嫌だなぁと思う。
そんな気持ちを引きずっていたら、ついうっかりと授業後の後片付けを押し付けられてしまいました。もう、人が考え事してるときにズルいんだから。
でも、断って変に目を付けられても嫌だから仕方なく引き受けます。やっぱりどうしても、学院生活では気を遣うことが多くて大変。
授業は嫌いじゃないけど、寮の部屋にこもっている間がホッとします。なんだかキノコの生えそうな生活だって、自分自身でもそう思えちゃうけど。
片付けが終わって、そのまま放課後まで勉強尽くめ。そうして学院での拘束時間が終了したら、さっさと寮に引き上げてしまうのが私の処世術。
だったんだけど、今日はそううまくいかなくて。
「おい、ファリオン。ちょっと校舎裏まできてもらおうか」
帰ろう、って廊下に出たところで、同級生の三人組に囲まれてしまいました。
確かこの人たちは、よくクラウスに周りをうろちょろしている人たちだったはず。見え見えのお世辞を言って、クラウスが馬鹿笑いしているのをしょっちゅう見ます。
とりあえず馬鹿笑いしてみせるのがクラウスの癖で、可愛いところだったんだけど……あ、今はそんなこと言ってる場合じゃありませんでした。
振り切っていくのもできたけど、それはそれで明日からが面倒なことになりそう。私は予定が変わる(部屋で読書したり勉強するだけだけど)のを嫌がりながら、渋々と彼らに付き合うことにしました。
それで、ついてきました校舎裏、じめっとした場所でさあ御用は何かと思えば。
「最近、ずいぶんと調子に乗ってるじゃないか」
「貧乏男爵家の分際で、あまりいい気になるなよ」
「お前のことが目障りだってみんなが言ってるぜ。空気を読めよ、空気を」
なんと、想像以上に小者そのものな意見に私はビックリ。
読み物でこういう典型的な台詞を言う人物を見ると、「えー、実際にこんなこと言う人なんているわけないでしょー」と思っていたけど、違ったみたい。
そのことに衝撃を受けていると、彼らは何を勘違いしたのかニヤニヤし出す。
「どうやら事の重大さが呑み込めたみたいだな」
事の重大さはわからないけど、あなたたちの器の小ささはわかりました。
なんて、もちろん口には出せません。彼らの言った通り、私の家名であるファリオンのお家は貧乏男爵家……とてもとても、家格で彼らに言い返すのは不可能なのです。
でも、それで能力の足りなさの責任を逃れようとするのはダメでしょ。
何が気に障ったのか知りませんけど、私は私でこれまで通りにやらせてもらいます。
皆さんもこれまで通り、そうやって自分の力不足を人のせいにしていたらいいじゃないですか。もう、関わってこないでください。
そうなるべく穏やかに言って、私は彼らの間を速やかにすり抜けます。
途端、彼らは顔を真っ赤にして私に食ってかかってきました。
「な!? なんだと、この人形野郎め!」
「お前のことはな、前々から気に食わなかったんだ!」
「それにこのことはクラウス様……ラズベリー家のご嫡男の意思だぞ!」
え……クラウスが?
彼らの言葉を聞いて、私の心に大きな衝撃が走っていく。こんな風に呼び出して、権力で脅しつけてやろうなんてことを、あのクラウスが?
ふつふつ、ふつふつと胸が熱い。この気持ち、この感覚はなんだろう。
「大人しくなったな。ふん、やはりラズベリーの名には逆らえまい」
逆らうか、逆らえないかはともかく……確かに効果はある。ありました。
クラウスがこんな、兄様を疎んでこんなことするなんて……。
「じゃあ、明日からお前にはわきまえた行動を……お、おい! 待て、何を……!」
うるさいなぁ、考え事しているの、今!
私は周りでちょろちょろとうるさい三人、そのうちの二人の襟首を掴んで、ぴょんとジャンプして背後に回り込む。そのままくいっと襟を絞ると、それだけで二人の首に襟が絡んで襟絞めが極まった。
「なん……おのれぇ、ちょこざいなぁ!」
二人の抵抗力がなくなると、最後の一人が不思議な動きで躍りかかってきた。
無駄な動きが多すぎてビックリする。ちゃんと踊りの授業も護身の授業もあるのに、何一つ身になってない人もいるんだ……逆にすごい。
「ぬ、ぬわー!」
飛びかかってきた彼に、私はタイミングを見計らってぴょんと足を上げる。
ガバッと足を開くなんて本当ははしたないけど、今の私はアルタイル・ファリオンなので細かいことは言いっこなしだ。
開いた足で最後の一人の首を抱え込んで、そのまま三角締め……はい、落ちた。
きっちり三人を失神させて、私は彼らを校舎に座ったまま寄りかからせる。とりあえず気道は確保しておいたし、放っておいても大丈夫だよね。
呼び出されて脅されて、それで絞め落として医務室に運んであげるほど私も優しくない。それに私の心は、失神した彼らとは別の理由で傷付いていた。
本当にクラウスが、こんなことをするように頼んだのかなって。
違うよね。そんなじゃないよね。クラウスは、クラウスのままで。
だけど、私のそんな期待は追いかけてきたクラウスに裏切られてしまう。
「そうだ。あいつらも、そう言ってたんじゃないのか?」
彼らに命じたのか、そう聞いた私にクラウスは堂々とそう答えた。
そのときのクラウスの顔は、嘘を言うような顔じゃない。真剣な顔だった。
私にはそれが、悲しいぐらいはっきりわかってしまって。
「残念だよ。クラウス・ラズベリー。君が、そんな男になってしまったなんて」
できるだけ表情を凍らせて、声にも震えが出ないようにしたつもりだった。
だけど、幼年期の思い出に別れを告げるような、そんな言葉には感情が出てしまう。私の中で色鮮やかな記憶が、今の辛い現実に塗り潰されそうで。
このまま逃げ出してしまいたい。そう思ったのに。
「お前が俺にそれを言うのか、アルタイル!」
急に、クラウスが声を荒くして掴みかかってきた。
逃げ出そうとしていた私は動揺してしまって、その手を振りほどけない。そのまま乱暴に振り回されて、投げ飛ばされそうになってしまう。
一瞬、そうしたらクラウスも満足なのかななんて考えて……否定した。
「離して、くれよっ!」
「――っ!」
襟を掴んだクラウスの手をひねって、単調な動きの勢いを利用して投げる。
とっさのことで思い切り地面に叩きつけそうになって、すんでのところで腕を引いて柔らかく落とした。クラウスも受け身は取れてる。
ケガはしてないはず……だけど、私の心の方がずっと傷だらけだ。
「昔とは違うんだ。君の友達だったアルタイル・パリウッドはもういない。ここにいるのはアルタイル・ファリオンだ」
そう、そうなの、クラウス。
兄様はもう、どこにもいない。私ももう、どこにも。
「そんなこと、わかってる……っ」
わかってない! クラウスは何も、わかってくれてない!
クラウスには……あの頃と違っちゃったクラウスには、わからない!
「わかってるなら、お願いだからそうしてほしい。もう話しかけないで、構ってこないでくれ。ボクもそうするから、君もそうしたらいい」
落ち着かない心を無理やり落ち着かせて、私はクラウスから顔を背ける。
もう、今のクラウスの顔を見ていたくない。短くしてしまった金色の髪をかき上げる。さっと指先に触れた感触は、左の耳元の消えない傷をなぞったからだ。
私と、クラウスの間の、大事な約束――その切っ掛けを。
「これで……これで勝ったと思うなよ、アルタイル!」
しばらく歩いたところで、急に後ろからクラウスが怒鳴りつけてきた。
ビックリして振り返ると、立ち上がったクラウスが私を指差して、顔を真っ赤にして地団太を踏んでいる。子どもみたいに。子どもの頃みたいに。
「今日の勝ちは譲ってやる! でもだ! 一度の敗北が全ての敗北じゃない! この勝利で今後も主席の座が揺るがないなんて、勘違いするんじゃぁないぞ!」
なんで急に、そんなこと言い出すの。
勘違いしそうになる。変わってしまったクラウスが、昔の子どもの頃の、負けず嫌いで努力家で、一生懸命ですごく馬鹿な頃と変わってないみたいに見えるから。
兄様に勝てなくて悔しがるあなたを、私が慰めていた頃のことを思い出すから。
「いつか必ず! 俺はお前に勝って主席の座を奪うぞ! そのときは――」
クラウスが牙を剥いて、私に向かって吠えた。
思わず、聞き返してしまう。
「そのときは?」
そのときは、どうしてくれるの?
「――お前の服をひっぺがして、裸で俺の足下に跪かせてやる!!」
……。
…………。
………………え?
何を言われたのかわからない。わからなくて、私は呆然となってしまう。なのにクラウスの方はすっかり勝ち誇った顔で、『いいこと言ったぞ!』みたいにほくそ笑んでいるのが見えた。なにそれ、なんなのそれ、どういうことなの。
変わってるとか、変わってないとか、それ以前の問題で。
本当に、クラウスは馬鹿で、馬鹿で馬鹿で大馬鹿で、私の気持ちなんか知らん顔で。
兄様に勝ったら、兄様を裸にひん剥いてやろうだなんて!
「この! へ、変態――!!」
変態! 変態!! 大変態――!!
もう、なんなの!? 兄様にそういうことしたかったの!? そりゃ、兄様は妹の私から見ても格好いいし、完璧だったけど、でも! ひどすぎる!
「へ、変態だと!? 俺のどこが変態だ! 人聞きの悪いことを言うな!」
乙女心を弄ばれた! クラウスの馬鹿! 馬鹿馬鹿! ううん、違う!
「は、裸にして跪かせるって、変態以外の何者でもないじゃないかぁ! 近寄らないでくれ! この、ボンクラウス――!!」
「なぁ!?」
クラウスが愕然とした声を聞きながら、私は全力でそこから逃げ出した。
もう取り繕う余裕もない。表情はガタガタで、目もきっとすごい潤んでる。顔が赤くなってるのは夕焼けのせいだって、誰かに見られたら言い訳できるのかな。
でも、今はそんなことは後回しに、とにかく逃げ出していたかった。
ホントのホントに、クラウスの馬鹿! 鈍感! ボンクラウス!
――それで、翌日です。
クラウスショックから逃げて、そのままベッドで一晩を過ごしました。朝方になってシャワーを浴びて、私はそそくさと寮を抜け出して学校に一番乗り。
普段は別に急ぐ理由なんてないから登校時間は決めてないけど、今日はあんまり寮に……というか、クラウスの傍にいたくなかった。
逃げても避けても、教室では顔を合わせることになっちゃうんだけど。
あー、もう、いやだなぁ。どうしたらいいのかなぁ。
昨日までちゃんと兄様できてたはずなのに、クラウスのせいでグチャグチャだ。
なんてクラウスのことを考えていたからか、すぐ後ろに自己主張の強い気配を感じてちらっと振り返る。やっぱり、クラウスがすごい顔で入口から睨んでる!
急いで顔を背けた。でもダメ。すぐに突撃してきた。すると思った。
「昨日の件、奴らには言い聞かせておいた」
朝の挨拶も抜きに、クラウスはいきなりそんな風に言ってきた。
事の顛末の報告というか、そういう流れなら珍しく殊勝に感じる。昨日の子どもじみた態度は引っ込めて、ちゃんと大人の対応をすることにしたのかも。
それはそれで寂しいけど、ちょっと安心。かと思ったら、
「情けないが、昨日のことは奴らの不手際。ラズベリーにとっても大きな痛手だ。しかし! それをそのままにしておく俺だと思うな。昨日のあいつらはお前にとって、路傍の石ころも同然のクズだったかもしれん! だが、明日……いいや! 今日からは違うぞ!奴らは俺の友として生まれ変わるそのために、血のにじむような努力にも耐え切ると誓ったのだ! 次にお前と相対するとき、そこに怠惰な豚は存在しない。奴らはお前の前に、獰猛な獅子として立ち塞がるのだ!」
「ええ――!?」
昨日の夕陽の下とおんなじ顔で、クラウスが堂々とすごいことを言い出した。
後ろの人たち、昨日絞め落としちゃった人たちも驚いてる。どうせ、詳しいことなんて何にも説明してないに違いない。思いつきで振り回すくせに、思いつきを投げ出さないのがクラウスだから。巻き込まれた君たちは、えーと、ご愁傷様です。
でも、クラウスは彼らを見捨てなかったみたい。
自分の命令……よくない命令だったけど、それを失敗した人たちを許した。許すだけじゃなく、色々と面倒を見ようとするところがいかにもクラウスらしい。
なら、大事なところは変わってないのかもしれない。
「君はどこも変わらないな、クラウス」
「馬鹿を言え。背も伸びたし、修めた知識と運動神経は以前と比較にならん。その上、昔から飛び抜けていた美貌に男らしさをブレンドして磨きがかかった。お前こそ相変わらず、目の付け所が腐っているぞ」
そういう意味じゃないのに。
クラウスの方こそ、相変わらず情緒のわからない朴念仁なんだから。
でも、
「……そうかもしれないね」
変わっているのかいないのか、私にもクラウスのわからないところが多い。
だからまだ、どっちなのかなんて答えを出すのは早い気がして、そう答えた。
思わず、笑ってしまいそうになる。
なんだろ、この気持ち。やだなぁ、クラウスには見せられない。
「君の言い分は聞いたよ。ボクからは君にも、彼らにも言いたいことは何もない。話しかけられるのも、変に絡まれるのも迷惑なだけだ。放っておいてくれ」
「俺に要求を通したいのであれば、自分の方が上だと証明することだな!」
「それならもう何度か証明していると思ったけど」
「これまでとは別にだ!」
はいはい、負け惜しみ負け惜しみ。
これ以上はにやけてしまうから、私はクラウスから顔を背けて黙り込んだ。そうするとクラウスは諦めて、友達のボッシュくんのところに戻っていく。
この分だと、まだまだしばらくクラウスの挑戦は続きそうです。
正直、クラウスに突っかかられるのは、私の大事なお役目にはマイナスなんだけど……それ以外の部分、隠しておかなきゃいけない部分はそのマイナスを無視する。
いくらでも、挑戦してきたらいい。受けて立ってあげるから。
兄様……アルタイル・パリウッドはいつだって、クラウス・ラズベリーの挑戦を受けてきたし、一度も負けはしなかった。当然、私もそうだ。
兄様に勝って、クラウスに兄様をひん剥かせるようなことなんて絶対にしない。
それに……それにだ。
「クラウスの、バーカ」
兄様のことばっかり夢中で、私のことなんてどうでもいいのかしら。
私がアルテミスだなんて、クラウスはちっとも気付かない。気付いてほしいわけじゃないけど、でも、なんか、ムーッとする。
クラウスの馬鹿。鈍感。ボンクラウス。
元婚約者のことぐらい、ちゃんと気付いてみせなさいよ。へーんだ!