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プロローグだ! 読め!



「やれやれ。本当に懲りないなぁ、クラウスは」


 草の上に転がる相手を見下ろし、涼しい顔でその少年は言った。


 恐ろしく整った顔立ちの少年だ。

 日の光にきらめく金色の髪に、広い海を思わせる青い瞳。中性的な顔立ちは佇まいの気品と凛々しさを引き立て、将来、多くの女性を虜にすることだろう。


「く、くそ……涼しい顔してやがって、アルタイル……っ」


 そんな美貌の少年に見下ろされるのは、こちらも品のいい顔立ちの子どもだ。

 やわらかな栗色の髪に、黄色の瞳とすっと通る鼻筋――金髪の少年とは違うが、こちらも将来的には男性的な魅力に溢れる成長を遂げることを予感させた。


 涼しげな顔の少年はクラウス、悔しげな少年はアルタイルと互いを呼び合う。

 仕立てのいい服を着た二人の少年は、広い屋敷の庭園でそんな言葉を交わしていた。

 庭園は一流の庭師によって美しく整えられており、大きめな池まであるかなり豪勢なものだ。季節の花々が花園を飾り、屋敷の家格の高さがそれだけでうかがえる。


「――もう。兄様もクラウスも、いがみ合うのはそのくらいにしたら?」


 その花園の向こうから、庭園で睨み合う二人にそんな声がかけられた。


 長い金色の髪を風になびかせ、花々のアーチを抜ける愛らしい少女だ。

 澄み渡る空のように青い瞳と、処女雪のように透き通る白い肌。若草色のドレスと輝石をはめ込んだ装飾品も、それを身につける少女の素材の輝きの引き立て役だ。

 それほどまでに、その幼い少女は目もくらむような可憐さであった。


「アルテミス。見ていたのかい? クラウスが僕に突っかかって負けるところを」


 楚々とした足取りで歩み寄る少女に、ふわりと微笑んだのはアルタイルだ。彼にアルテミスと呼ばれた少女は小首を傾げ、芝生の上にあぐらを掻くクラウスを見る。

 その視線にクラウスは顔を背け、バツの悪そうな表情を少女から隠そうとした。


「ええ、上から見ていました。クラウスったら兄様に勝てるわけないのに、庭園をどっちが早く一周できるかなんて……自分のお屋敷の庭の広さも、兄様の実力も全然わきまえてないんだから」


「むぐっ……!」


「それにやり方もいちいち姑息じゃない。スタートの合図を誤魔化して先に走り出したり、使用人に命じて兄様の妨害をしたり……それでも負けてるんだから、かっこ悪いったらなかったわよ。このボンクラウス」


「な!? だ、誰がボンクラウスだ! 人の名前を勝手に変な風にするな!」


「まあまあ、そう怒らないで。妹の口が悪いのはいつものことだよ。ここは広い心で許してやってくれないかい、クラウスノロ」


「お・ま・え・ら・兄妹はぁ!! わぶっ」


 散々からかわれて、顔を赤くするクラウスがアルタイルとアルテミスの二人に飛びかかろうとする。しかし、兄はおろか妹にすらあっさりとかわされて、足がもつれるクラウスはそのまま芝生の上にひっくり返った。


「本当にからかい甲斐がある奴だなぁ、クラウスは」


「もう、兄様も笑いすぎよ。ほら、クラウス大丈夫? 膝すりむかなかった?」


 楽しげに笑う兄と、楽しげに心配する妹。

 その二人の顔はよく似ている。二人の関係は兄妹というだけではない、双子なのだ。

 異性の双子でこれほど似るのは珍しい。それも、どちらも目を疑うような美形だというのだからなお希少だ。


「兄様がやりすぎてしまうから……ほら、クラウス、泣かないで」


 妹の小言にアルタイルが肩をすくめ、アルテミスがひっくり返るクラウスへ歩み寄った。そのまま彼女が手を差し伸べると、倒れていたクラウスがバッと起き上がる。

 そして、差し出されていた手を掴んだ。


「はっはっは! 引っかかったな! さあ、お前も転べ……あれ? 力強いな、お前」


「それほどでもないよ。妹を陥れる卑怯者に、兄が発揮する当たり前の力さ」


「あれぇ!?」


 アルテミスを罠にかけたつもりが、アルタイルの腕を掴んでいるクラウス。

 目を白黒させるクラウスを、会話だけで翻弄した兄妹がハイタッチ。

 そのままアルタイルは、腕を掴まれたまま逆にクラウスを引っ張り上げてしまう。


「うわわ、っと」


「ほら、ちゃんと草を払っておきなよ」


「む、別にいい! こんな薄汚れた服なんて着ていられるか。部屋に戻ったら、すぐに着替えて暖炉にくべてやる」


「またそんなこと言う……ほら、顔をこっちに向けて」


 苦笑するアルタイルに代わり、アルテミスがハンカチでクラウスの顔を拭く。

 少女の優しい手つきに、クラウスのバツの悪さがとどまることを知らない。


「ば、馬鹿! やめろ! こんなこと……お前は俺の母様か!」


「お母様じゃないわよ。私は、あなたの未来のお嫁さん……でしょ?」


「う……」


 上目遣いのアルテミスに言われて、クラウスの喉が詰まった。

 そのまま赤い顔をするクラウスに、アルテミスも頬を染めながら微笑む。


「私をお嫁さんにしてくれるって、そう言ったものね? 兄様を負かして、私をパリウッド家から奪ってくれるんでしょ? 私、待ってるから」


「お前はそういうことをあっさりと……」


「先にはっきり言ってくれたの、クラウスじゃない。私の方が恥ずかしかったし、私の方が嬉しかった。だから、一生言ってあげる」


 アルテミスの優しい言葉に、クラウスは赤い顔のまま俯いた。

 恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。必死になってアルタイルに勝とうとしていることの理由が、みんなに知られている気がする。

 実際、知られているわけだが。


「まったく、見せつけてくれるもんだよ。大切な妹と将来の義弟に、こうして悪者にされてる僕の立場はどうなるのかな」


 そんな微笑ましいやり取りを交わす二人を、アルタイルは茶化すように笑う。

 そのアルタイルに、アルテミスは「あら」と口に手を当てた。


「兄様が悪者なんてとんでもないわ。兄様とクラウスじゃ、どっちが悪者顔かなんてわかりきってるじゃない。だから、クラウスが悪者よ。私は光の騎士様である兄様の下から、悪いクラウスにさらわれてしまうお姫様なの」


「かませ犬役になれなんて、僕の妹はなかなか辛いことを言う。これはますます、クラウス相手には手が抜けなくなったな」


「か、勝手なことを言うな! まったく、お前ら兄妹はいつもいつも俺をそうやってからかって! 俺を誰だと思っているんだ!」


 兄妹の会話に割り込むクラウスだが、最後の一言がまさに悪役のそれだ。

 そのことに気付かないクラウスに、親友と婚約者は極上の笑みを浮かべる。


「本気だよ。僕に勝てないうちは妹はやれない。それが妹を傷物にしてくれた君への、僕の最高の意趣返しだと思ってくれ」


「本気の兄様は怖いけど、クラウスがんばって。兄様は完璧だけど……ほら、きっと伸び代はクラウスの方があるわ。私、信じてるから」


 前に出るアルテミスが、仏頂面のクラウスの手を取った。


「――クラウスがきっと、私をお嫁さんにしてくれるって!」


「――――」



 その大切な少女の信頼と微笑みに、クラウスはなんと言葉を返したのだったか。

 まだ十歳かそこらの、幼い子どもだった頃の、掠れてしまった大切な思い出。


 物語はそれから数年後、ようやく動き出す。

 クラウス・ラズベリー、十七歳の春の出来事であった。



△▼△▼△▼△



「うぼあー!!」


 馬上で互いの得物が交錯した瞬間、俺は草原に投げ出されていた。


「ふんぐぬ!」


 衝撃に思考が奪われたのも一瞬、転落しながらクラウスは即座に体をひねる。

 無様にひっくり返ることなど許されない。肩から草の上に落ちると、勢いをそのままに回り受け身で衝撃を逃がす。

 無論、最後にピシッと手足を伸ばし、美しいポーズを取るのも忘れない。


「ラズベリーくん! 無事で……片手バランス!?」

「クラウス様、大丈夫で……片手バランス!?」


 俺が落馬したと見るや、空気の読めないハゲの教師と衆愚な同級生が悲鳴を上げる。

 ええい、寄ってくるな、寄ってくるな! 俺が無事なのはこの見事なバランスの角度を見ればわかるだろうに。

 むしろ、こんなことで心配される方が惨めになると奴らにはわからないのか。


 美しいポーズでかろうじて体裁を五分に戻したとはいえ、土にまみれたのは事実。

 今の俺に声をかける資格があるとすれば、それはたった一人だけ――。


「――大丈夫かい、クラウス。すまない。うまく手が抜けなかった」


 そのたった一人が、馬の蹄を鳴らしながらぬけぬけと言ってくる。

 馬上から堂々と俺を見下ろしているのは、太陽を背負った秀麗な人物だ。

 逆光を背負う眩しさに思わず目を細めてしまい、まるでそいつを眩しく思ったみたいに感じられて舌打ちしたくなる。


「ちっ」


 というかした。

 その舌打ちを聞いて、馬上の人物が形のいい眉をひそめる。


「……敗北に憤るのは君の勝手だけど、それでふてくされていては成長は望めない。君がその程度の人物だというなら、ボクはそれでも構わないが」


「上から目線でありがとう。だが、いい気になるな、アルタイル。今日の俺は少し調子が悪い。そう、実は今朝から腹の調子が良くなくてな!」


「そうかい。それなら仕方ない。今度こそボクを負かしてみせるなんて宣戦布告してきたぐらいだから、てっきり準備は万端なのかと思っていたよ」


「胃腸が根こそぎ悲鳴を上げ、全身の骨が溶けたようにだるくとも美しく勝利する。ラズベリー家の嫡男に求められるその重責、下級貴族のお前にはわかるまい」


「勝てていたら格好のついた台詞だったね。……次はせいぜい、お互いに万全な状態で競えることを期待しているよ」


 俺の腹痛発言が言い訳だとでも思ったのか、見下ろす奴の視線は冷めたものだ。

 違うぞ、言い訳なぞではない。実際、今朝からどうにも胃腸はゴロゴロといっていたようなこともある。差し込みがすごい。うん、そうだった。


 そうして高速で腹をさすっている俺に、ため息だけがぶつけられる。

 そのささやかな仕草すら絵になるようで、腹をさする俺の手が無意識に止まった。


 短く整えられた金色の髪が陽光にきらめき、かすかに汗の浮いた肌は白く透き通る新雪のそれだ。体の線の細さもあって、倒錯的な魅力すらかもし出している。

 人形のように整った顔立ちには表情がなく、青い瞳は震えるほど美しい。

 人の手で触れることを躊躇うような美の結集――学内の男子が嫉妬に苛立ち、女子が嬌声を上げるだけの美貌がそこにある。


「ファリオンくん、下がりなさい。定位置に馬を戻し、列に戻るように」


「はい、先生」


 タイミングでも見計らっていたのか、ハゲ教師が会話に割り込んでくる。

 その指示に従って、そいつはとっとと馬を操って俺に背を向けてしまった。


「ちっ」


 俺から興味をなくしたように、さっさと離れるその背中に追加の舌打ち。

 服の汚れを払いながら立ち上がり、俺も同級生がぞろぞろと並ぶ列へと並び直す。せっかく特注したおニューの衣装が台無しだ。


 草と土で薄汚れた服には、今の敗北の屈辱までしみついた気がする。

 もう二度と着れるはずもない。帰ったら速攻で廃棄してやる。そう決めた。


「あっちはさすがの手並みだったな。いいやられ役っぷりだったよ、クラウス」


 不機嫌に列に戻った俺に、そう言って赤毛の男が笑いかけてくる。

 俺はその呑気な顔に鼻を鳴らして、威圧するように頬を歪めた。


「人を馬鹿にしてるのか、ボッシュ。ずいぶんと偉くなったものだな。テンペスト家に圧力をかけるぐらい、俺の権力をもってすればどうってことないんだぞ」


「おお、怖い怖い。お前を振り落とした薄情な馬を回収して、代わりに定位置に返した功績で許してほしいね。オレ、気と目端が利くお前の将来の右腕だよ?」


 気安くウィンクなどしてくるが、男に愛嬌なんて求めるか。馬鹿め。


 こいつはボッシュ・テンペストといい、微妙な家格であるテンペスト家の次男だ。家格ならば俺と釣り合いなど取れないが、何の因果か友人付き合いをしている。

 まぁ、馴れ馴れしい態度と裏腹に空気と距離感は読める男なので、俺の将来の部下候補として親しくしているといって差し支えない。


 ボッシュは俺の返事に苦笑いして、気安く肩を叩いてきた。


「イライラしてるのはわかるけどさ、あんまり刺々しい空気を周りに出すなって。負けても大らかに笑っておくぐらいじゃなきゃ器が知れるぞ」


「お前には俺のこの満面の笑顔が見えないのか?」


「悪だくみしてそうな凶悪スマイルなら見えるけどね。天下のラズベリー家の長男坊って自覚がないと、無駄な軋轢を生みかねないぜ?」


「くだらないことを言うな。そんなこと、生まれたときから自覚している」


 わかりきったことを偉そうに言ってくれるものだ。

 我がラズベリー公爵家は、アルセール王国でも有数にして本物の貴族の血統だ。

 現当主であるグラム・ラズベリーの長男として生まれた俺には、立場にふさわしい実力と教養を身につけ、実家を継いでいく責務がある。


 だからこそ、アルセール王国の王立貴族学院――王侯貴族の子女が通い、二年間の共同生活で知識や教養を学び、将来の貴族社会における心構えを心身ともに鍛え上げる名門校で、己を高める日々に明け暮れているのだ。


「自分の立場と責任を自覚しているからこそ、こうして今の俺がある。この学院で俺がどれだけ優秀な成績を収めているか、今さらお前に話すまでもないだろう?」


 自慢の栗色の髪をかき上げ、俺はボッシュに笑いかけてやる。

 磨き上げた白い歯と、芸術家も筆を折るほど天然の美丈夫である俺の美顔がもっとも映えるよう計算された角度の微笑みだ。

 だてに毎日、朝と夜に十五分以上も鏡と向かい合っていないのだ。笑顔の見せ方一つすら、日々の修練の賜物なのだからな!


 同性ですら嫉妬を忘れて憧れ、異性ならば心を奪われ骨抜きになる俺のスマイル。

 安売りしない主義のそれを間近で浴びて、ボッシュもさぞや光栄だろう。


「ああ、今さら話されるまでもないね。クラウス・ラズベリー。優秀なお前が学院前修生で、栄えある『次席』なのは疑いようのない事実さ」


「むぐぬっ!」


 俺のその笑顔への返礼に、ボッシュがへらへら笑いながらそう言いやがった。

 こいつは本当に的確に人の急所を抉ってくる。俺がどれほど、その単語の響きに心を傷付けられ、プライドを踏みつけにされているかわかっていない。


「次席と言うな、次席と! 誰が次席だ!!」


「お前だよ、クラウス・ラズベリー。次席。二番目。一足りない。それがお前」


「ぐぬぬぬぅ!」


 二番目! 一足りない! 敗北者! 落伍者! ありえない!

 この俺を捕まえて、誰にそんな呼び方を許せよう。俺はあらゆることに対する才能に恵まれ、さらに努力と研鑽を欠かさない男、クラウス・ラズベリーだぞ!


「そして、お前の牙城を崩して悠然と佇むアルタイル・ファリオン。あいつがオレたち前修生のトップ。お前の上に唯一立つ、ぶっちぎりの主席ってことも事実さ」


「ふん、何が主席だ! あいつの何がすごい。ちょっと俺より学業の成績が良く、ちょっと俺より教養に秀で、ちょっと俺より実技や馬上演習にも優れ、ちょっと俺よりも総合成績に勝るだけだろうが!」


「そのちょっとお前より全部が上回ってるのがすごいところだろ。お前がすごいのはわかってるさ。だから、あいつのすごさもオレだけじゃなくみんなわかってる」


「俺が引き立て役のような言い方はやめろ!」


 腹が立つ! すごいすごいと、他人が俺を差し置いて称賛されるなどすごいやだ!

 それがましてや、あのアルタイルであろうなんて。


 俺を突き落とした馬から降り、次の騎手にアルタイルは手綱を預ける。

 そんなあいつを誰もが遠巻きにしていて、奴に話しかける同級生は皆無だ。あいつ自身、誰も話しかけてくるなというオーラを全開にしているし、全員わかっている。

 あいつと親しくすること=俺に目を付けられるということだと。


「それで孤立して寂しさに自分を持ち崩せば可愛げがあるものを!」


「わぁ、完全に悪役の台詞だな。それでやられるところまでお約束すぎて、正直なところオレには何も言えないぞ、クラウス」


「やられていない! まだ勝つ途中のだけだ! 大体、俺があいつに負ける? ありえないだろ、そんなこと! 俺はラズベリー公爵家の長男! あいつは貧乏男爵ファリオン家の跡取り! 社交界で上流貴族にも顔の利く俺と違い、奴はまともに夜会に出席した経験もあるまい。ふん、比べるまでもないな!」


「前半カッコよく上げた株を、後半自ら下げていくスタイル」


「うるさい。それにあいつの私服や部屋着を知っているか? ツギハギだらけの古着を着ているんだぞ。この学院に入学するのに無理をしたらしい。借金だらけの男爵家だからな。親しい友人もいないから暇があれば自室にこもって勉強! 放課後にも真っ直ぐ自室に直行する始末。は! はぐれ者、ここに極まれりというやつだ!」


「気持ち悪いぐらい詳しいな」


「気持ち悪くない。普通だ。金なし友なし未来なし。おまけにあいつは、おん――」


 と、気持ちよく悪口を並べていたところで、学び舎の方から終業の鐘が響いた。

 校舎の外での馬上演習もこれにて終了だ。不完全燃焼な俺と違い、他の同級生は授業が終わったことに喜んでいる。向上心のない連中だ。

 その点だけなら、どんなことにも努力を惜しまないアルタイルの方がまだマシだ。


「では、最後に騎乗したものが馬を厩舎へ戻すように。また、体に違和感のあるものは申し出るか、付き添いと医務室へ向かうように。解散」


 教師がそう宣言すると、わっと生徒たちが校舎に戻り始める。

 演習に使われていた二頭の馬はそれぞれ最後の奴らが……あ、一頭はアルタイルの奴が戻しているな。確か最後はあいつではなかったはずだが。


「ありゃ押し付けられたな。付き合い悪いわりに、聞き分けはいいんだよ」


「押し付けたのが誰だかわかるか?」


「最後に乗ってたのはバンリの奴だったと思ったけど、どうすんのよ」


「どうもしない。ただ覚えておくだけだ」


「それが一番怖いって」


 肩をすくめるボッシュが、校舎に戻るために歩き始める。

 その隣に俺が並ぶと、ボッシュが急に何かを思い出した顔をした。


「そういや、鐘が鳴る前に何か言いかけてなかった? なんだったん?」


「……ああ、大したことじゃない。あいつへの尽きない悪口の一つだ」


「悪口の自覚あんのかよ」


 呆れた風なボッシュを適当に流しながら、俺は自分の迂闊さを人知れず反省する。

 興が乗って口走りかけた言葉は、決して口外してはならない俺だけの秘密だ。


「――――」


 足を止めて、俺は振り返る。

 視線のずっと遠くに、馬を連れていくアルタイルの姿が見えた。

 中性的な顔立ちの美貌に、俺は舌打ちを堪える。


 先ほど、ボッシュに言いかけた言葉の続き――あいつは、アルタイルは女だ。

 違う。そもそもあいつは、アルタイルですらない。


 遠ざかるアルタイル・ファリオン。その本名はアルテミス・パリウッド。

 かつての俺の幼馴染みにして、将来の結婚を約束していた婚約者の少女だ。


 数年ぶりに再会した婚約者は男装し、男である兄の名を名乗って俺の前に現れた。

 そして神に愛された男である、俺ことクラウス・ラズベリーを次席に座に追いやり、華々しい主席の座を譲らずに君臨し続けている。



 ――君が首席で次席が俺で。



 その事実を知るのは、俺ただ一人だけなのだ。



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