歩道橋からみていたもの
最後の言葉は覚えていない。
そもそもなにか言ったのだろうか。
言葉を交わしたのだろうから。
そんなことさえも覚えていない。
「ここに歩道橋があったんだ。」
それは記憶ー。
10年前、踏切は取り除かれて高架が建てられた。
それも忘れられていく。
そのうちここに歩道橋があったことを思い出す人もいなくなることだろう。
たしかにー。
すでに高架の記憶が私の記憶となっている。
人生もこのようなものかもしれない。
こうやって古い記憶が新しい記憶へと変わっていく。
新しい記憶に書きかえられた消えた記憶は、
そこにあったことさえも時間の流れの中で消えていくのだ。
まるで存在さえしなかったことのように。
存在さえしなかった、それは忘れること。
忘れることは存在しないことなのだろうかー。
それは違う、と思う。
たしかに忘れられたとしても、記憶に残っていないとしても
それはそこに存在したのだ。
それは、疑うことのない事実なんだということだ。
歩道橋がもうすでに取り壊されていても
歩道橋の記憶は消えないー。
私鉄の線路沿いに掛った歩道橋の記憶は決して消えるものではない。
そんなことを思いながら、この物語を書いていこう、と思う。
これは極私的な私個人の物語、誰かにどう読まれようとかも意識せずに書いていこうと思う。