ニートは常に、追い出される
「働きたくないでゴザル! 働きたくないでゴザル!!」
「とっとと出て行けぇーー!!」
フランチェスカは太った青年の尻を蹴飛ばし、孤児院から彼をたたき出した。
フランチェスカは孤児院経営者として、身寄りのない子供を引き取ることを生業にする女性だ。年は若いが【始まりの園】という孤児院で園長を務め、子供たちの母親としてその世話をしている。
もともと子供好きで面倒見がよく、家事全般を得意とする彼女にとって、それは天職だった。慈愛に満ちた微笑みとともに子供たちの成長を見守り、手助けすることが彼女の幸せである。
そしてそんな彼女だから、異世界から来たという青年を保護することも嫌な顔一つせず受け入れた。
だというのにその10日後、彼女が珍しく怒りの形相で青年をたたき出すという蛮行に出た。
理由は一つ。その青年が子供たちに悪影響を及ぼす害獣だったからだ。
彼の名は新戸ケビン。
ここ、デスニートランドに送り込まれた35歳のエリートニートである。
孤児院に世話になるようになって数日。最初の方はフランチェスカも甘く見ていた。
異世界から迷い込んだという人間はこれまで何度も見ていた経験があり、急かす理由が無かったからだ。
収入が無く、支出が増えるというのも確かにある。
しかし、総じて彼らは自立の道を選び、高額収入を得るようになってからは孤児院の事を気にかけ、支援してくれる。一回二回で終わってしまうような支援がほとんどだが、トータルではプラスになると思っていい。そうやって成功した実例が近くにある事は子供たちに将来への希望を抱かせることにもなるし、たとえ支援されなくても構わないといった打算もある。
そんな現実的な打算よりも、彼女は人を見捨てるというのが嫌なのだ。この感情論こそフランチェスカという人間の根幹にある“芯”であり、基本理念である。単純に、フランチェスカはケビンを見捨てたくなかったのだ。
あんなことになると、分かっていないうちは。
「ねぇ、ケビンおじちゃん。おじちゃんは、なんで働かないの?」
「拙者、ニートでゴザルからな」
「ニートは働かなくていいの?」
「当然でゴザル。ニートとは働かぬことを誇りとする生き物。働いてはならぬでゴザル」
「僕もニートになれるかな?」
「有無! 坊主も大人になれば、立派なニートに成れるでゴザル!」
孤児院にいる子供は20人を超える。当然、人手はいくらあっても足りない。
そんなわけで子供たちも家事を手伝うのが当たり前だった。水を汲み、薪を割り、掃除をする。買い出しに出かけ、料理を作り、皿洗いをする。子供たちにもできる事をやらせて、将来の経験値とするのが基本方針だった。
他にも、フランチェスカは子供に読み書きや計算などを教えて生きる力を身につけさせている。
だが、そこに一つの異物が混じりこんだ。
そう、ケビンである。
ケビンは「ニート」なる悪の思想を植え付け、子供を堕落させた。
子供は手伝いをサボるようになり、遊び惚けるようになる。
フランチェスカが異常に気が付いたときには、半数の子供が汚染された後だった。
「お手伝いをしない子には、夕飯は作りません!」
汚染を防ぐ手段はいくつかある。
働かなくては生きていけないことを思い出させるのだ。
食事という報酬を餌にすることに、フランチェスカは忸怩たる思いを抱く。本来なら、労働をすることに対し喜びを覚えるようにするのが教育の王道だからだ。文字通り餌で釣るのには抵抗があった。
そうやってようやく夕飯を人質に取られた子供は手伝いをするようになった。
ただ、かつては手伝いをすることで褒められ嬉しそうにしていたというのに、そういった笑顔を失っている。どこか嫌そうに、食事のため、仕方がないから手伝うといった空気を醸し出している。
これは根が深そうだと、フランチェスカはため息を漏らした。
そして元凶であるケビンは一切の手伝いをせず、夕飯も、昼食も、朝飯すら抜きにされても手伝いをしようとしなかった。
彼女が何度も説得を試みたが、
「働きたくないでゴザル!」
としか言わないのだ。
意地でも働こうとしないケビンが追い出されたのは、必然と言えるだろう。
「もしお手伝いをする気になったら戻ってきなさい。お手伝いをしなかったことをちゃんと謝って、心を入れ替えるなら許してあげます」
とはいえ、基本善人のフランチェスカだ。
罪を受け入れ、赦しを請うなら赦そうと、優しい言葉をかける。
だが。
「嫌でゴザル! 働きたくないでゴザルーー!!」
何食も抜かれたにも拘らず、いまだに叫ぶ元気のあるケビン。
フランチェスカの優しさは届かなかった。