旅の始まり
窓から差し込む柔らかな日差しを浴び。窓の外、せわしなく動く人々を眺めながら、町が動き出す様子に見入る。ワーワルツの朝は早い。
「あ、ケンセイさん。おはようございます」
背中に聞こえるモミさんの声。振り返り、彼女に朝の挨拶を交わす。
「やぁ、おはよう」
「ど、どうしたんですか? 目が酷い事になってますよ」
……そう、寝不足である。
一睡も出来なかった、ほんの一睡もだ。疲れてるから大丈夫だろうと考えた僕が馬鹿だった。
布団の中に充満する甘い匂い。寝返りを打つたびに揺れる胸。
湧き上がる欲望と死闘を繰り広げた結果。休むために入ったベッド、それは僕の体力と気力を大幅に削った。まるで毒の沼の様に。
「おはよー。え、アンタどうしたの、その顔」
部屋を出て、二人と合流した。ニーヤが僕を見て、驚いた顔をしている。
「ちょっと眠れなくてね。知らない世界に来た緊張、みたいなものかな」
もっともらしい言い訳。まさかモミさんに興奮して寝れなかった何て、口が裂けても言えない。
「ふーん。道中倒れたりしないでよ、そうなったら置いて行くから」
相変わらず――冷たい言葉を吐き捨てて、さっさと歩き出す。
ニーヤも黙ってればかわいいんだけどなぁ。
ボーっとした頭で、彼女達の後を追う。朝日がとても眩しい、一日の始まりだった。
食堂に入ると、店内に漂う香ばしいパンの香りが食欲をそそる。
「ところで、これから何処に向かうんですか?」
まぁ何処って言われても分からないんだけど。彼女のいるガジガラまでどれ位かかるのかとか、ざっと聞いておきたかった。
モミさんがバッグから一枚の大きな紙を取り出し、テーブルに広げる。紙に描かれていたのは地図だった。この世界、ワーワルツの地図だろう。
「私達が今居るのはここです」
モミさんの指した場所は、四方を海に囲まれた島。
この場所は島だったのか。
そう言えば森でテヘペロ村を見た時、後ろに海が見えた気がする。
「次の目的地はここですね、港町シーズラです。ここから船に乗って、こっちの大陸に移動します」
「そうなんですか。大体どれ位かかるんですか?」
「二日位ですね。途中に宿がありますからそこで一泊する感じでしょうか」
歩いて二日……。距離感が良く分からない。二日歩くって僕の世界じゃなかなか無いし。
「ところで、ガジガラって何処にあるんですか?」
「ガジガラはここだよ」
ニーヤが横から指を指す。地図の一番上に描かれた、鳥の頭の様な大陸。
「こんな遠いの!? じゃあ僕は一体どれだけ飛ばされて来たんだ!?」
地図を見て驚いた。その距離、殆どワーワルツの端から端。
確かに相当飛んでた気はするけど、まさかこんなに飛ばされていたとは。
「驚くのも無理はありませんね、正直私達でも最初に聞いた時は驚きましたよ。ガジガラからここまで吹き飛ばす魔力は相当なものだと思いますし。それこそ魔女でもない限り不可能でしょう」
「ち、ちなみにガジガラまで普通に行けばどれ位かかるんですか?」
「早くても三ヶ月くらいかな」
三ヶ月。それは途方も無い月日の様に感じる。日本縦断と同じくらいか? 全く想像がつかない。
待てよ、この世界には魔法があるんじゃないか。僕が来たみたいに魔法でぴゅーって飛んでいけばいいんじゃないか。
「魔法で飛んで行く事は出来ないのかな?」
「だからモミも言ったでしょ、魔女でもない限りそんな魔法は使えないの。人間はそもそも魔力が少ないんだから、だから剣を持つのよ。魔法が強かったら武器なんていらないもの」
確かに、そう言われてみればそうだ。魔法が強ければ、わざわざ武器なんて持つ必要は無い。それはごもっともな意見だ。
「そうか、じゃあ地道に進むしかないんだな。あ、そうだ。知っての通り僕は全然お金持ってないんだけど、この世界ではどうやってお金を稼ぐのかな? 自分の事くらいは自分で何とかしたいからさ」
「お金の事は心配なさらなくても結構ですよ。一応私達それなりにお金は持っていますから」
「そうは言っても、やっぱり悪いですよ。旅に同行させてもらって、その上面倒まで見てもらうわけには」
「まぁ道中何かしらの形で返して貰うわよ」
ニーヤが地図を畳むと、料理が運ばれてきた。
これからどうなるんだろう。少し固めのパンをかじりながら、そんな事を考えていた。
――ムルアラット街道東――
町を出てしばらく歩く。たまに荷馬車とすれ違うくらいの寂しい道。
モンスターとか出るのかな。そう言えばまだこの世界に着てから一度も見てない。
「モミさん、ここら辺って魔物とか出たりするんですか?」
「この辺りはそうでもないですね。もう少し進めば多少は出ますけど、それほど強い魔物は現れません」
彼女の言葉に少し安心した。
僕に戦闘の経験なんてあるわけない。突然モンスターに囲まれたらどうしていいか分からない。でもスライムくらいなら倒せる気がする。
「そういえばケンセイさん。剣の方はどうですか?」
「あ、ちょっと待って下さい」
剣を抜くと、刀身は一メートル程に成長していた。
「良い感じですね。これなら一般的な剣と同じ位ですし、使うのに申し分はありませんね」
「そうですね。後は実力をつけないとって感じです。戦い方が全然分からないので正直不安なんですよ」
「じゃあちょっと戦ってみる?」
ニーナが横から口を挟む。
「嫌だよ。僕殺されちゃうじゃないか」
「手加減してあげるよ。ちょっと待ってて」
そう言うと、彼女は道端に落ちている木の棒を拾って僕に渡す。
「よし、これ位ならいいね。さぁ、かかってきなさい」
「かかってきなさいって言われても、女の子を殴れるわけないじゃん」
いくら僕より強いって言っても、ニーヤは女の子だ。女の子に手を出すなんて出来ない。間違って怪我でもしたら大変だし。
「何言ってんの。アンタじゃアタシに傷一つつけれないよ。さっさと来なさい」
「行かないよ。剣の練習は魔物でするさ」
「魔物? 笑わせないでよね、アンタなんか一瞬で喰われて終わり。かかってこないならここでさよならね。一人でガジガラに行きなさい」
「それ卑怯じゃないか?」
「稽古をつけてあげるって言ってんのよ。ほら、早く来なさい」
稽古、か。よし、いっちょやってみよう。
「お、やる気になったみたいね」
「胸を借りるつもりで行くよ」
棒を握る手に力が入る。いつか見た剣道の試合の様に、僕はゆっくりと木の棒を構えた。
一歩踏み出し、ニーヤの左脇に狙いを定める。その瞬間、彼女の蹴りが僕の腹部に叩き込まれ、後ろに飛ばされた。
鎧の上からなのに結構痛い。まるでハンマーで殴られた様な衝撃だ。
「何やってんの? そんな振りかぶって当たるわけないじゃない」
「そ、そんな事言われても」
「全然ダメね。やるだけ無駄だったわ」
ニーヤが棒を投げ捨て歩き出す。
全然ダメって、そんなの最初から分かりきってた事じゃないか。
ニーヤの態度に、若干の苛立ちを覚えた。