第二章。居場所
部屋に荷物を下ろし、ディーナスに餌をあげるため外へ。
桶に顔をつけ、水を飲む姿にすら気品を感じるディーナスを眺めつつ、草むらに寝転がる。
この場所は懐かしく――僕にとって、とても印象深い場所だ。
「そんなとこで寝てると、またさらわれるわよ」
ニーヤが小馬鹿にするように笑いながら、僕の隣に腰を下ろした。
「それでチェル達が救えたんだから、もう一回さらわれてみてもいいかな」
「小汚いおっさんだったら?」
「もちろん――見なかった振りをする」
「アンタ最低」と彼女は笑った。
こんな冗談を言えるくらいには、多分僕は成長したんだろう。
「あのさ。久しぶりに付き合ってくれない?」
僕の言葉の意味を察したニーヤが不適に微笑む。
「そうね。しょうがないから少しだけ付き合ってあげてもいいわ」
腰を起こし、近くに落ちていた手ごろな棒を投げ渡す。
「そろそろ一撃くらいもらってみたいわね」
「成長した僕を見せてやるよ」
日暮れ前。あの時と同じように、乾いた音が鳴り響いた。
這いつくばりながら「成長したのは変態度だけね」と去っていくニーヤの後姿を見たのは――蛇足だ。
お風呂で汗を流したのち、夕食のために食堂へ。
たっぷりと用意された料理はどれも美味しく、普段はあまり飲まないお酒も進む。
「そういえば、目的の人には会えたんですか? ケンセイさんがワーワルツで初めて会った女の人」
「ああ、うん。会えたよ」
「会えたんですか!。でも、素敵ですよねぇ。わざわざ旅をしてまで会いに来てくれるって私憧れちゃうなぁ」
チェルが十代の乙女らしく、祈るように手を組んで目を輝かせる。
その後殺し合いになった事を考えるとロマンティックの欠片もないんだけど。
「ね。どんな人なんですか!?」
「どんな人って言われても――なぁ……」
実は魔王でした――なんて言えない。
「同性から見ても見蕩れるような美しい方でしたよ」
モミさんが助け舟を出す。というよりは、チェルに言い聞かせているような気もする。
「わ、若さなら負けないっ!」
「おっぱいもでかいしねぇ」
顔を赤くして、半分テーブルと同化したニーヤも混ざる。お前はおっさんか。
「お、おっぱい……」
チェルが自分の胸に手を当てる。残念だが、寄せても大きくなるわけじゃないぞ。
「妻だし」
「えっ!?」
ペロ様の一言に、チェルがフリーズした。
「つ、つつ、妻って!? 妻ってどういう事ですか!? ケンセイさんその人と結婚したんですか!?」
「してないしてない! 冗談だって!」
慌てて言い訳をすると、頬をリスのように膨らませたチェルが、持っていたグラスの中身を一気に飲み干し突然立ち上がる。
手に持ったグラスを高々と掲げ、宿中に響き渡る声で叫んだ。
「私はっ! ケンセイさんと結婚しまああああす!」
「ぶっ!?」
突然の結婚宣言に、僕達だけじゃなく他の客も目を見張る。ただ一人、マスターだけがうんうんと頷いていた。
「初めてをあげたんだからっ、責任をとってくれてもいいとおもいま~す!」
続く唐突なカミングアウト。他の客も騒ぎ出し、視線のスポットライトを一身に感じる。
「だからケンセイさん! 私と――ふにゅう~」
腰を抜かしたように椅子に落ち、そのままテーブルにパタリと身体を倒した。
どうやら――酔いつぶれたらしい。
「あらら。チェルちゃんはお酒が弱いからなぁ」
マスターが苦笑いを浮かべる。
「ずっとケンセイさんの事を待っていたんですよ。他の子がいなくなっても、貴方は必ず帰ってくるから、ここで待ってるんだってね」
「そうですか……」
「部屋に運んでってあげたら? 邪魔だし」
ニーヤに促され、彼女を抱えて二階に上がる。
純粋に、チェルの気持ちはとても嬉しかった。
でも今は――素直に喜べない。
二階の角部屋。
宿の一室ではあるが、ほのかに香る女の子の香りが、彼女の専用部屋である事を告げる。
彼女をベッドに寝かせ、隣に腰を下ろした。
何も変な事をしようとしているわけじゃない。単純に疲れたのだ。
いくら軽い女の子だろうが、人一人抱えて階段を上がるのは中々疲れる。
かといって、長居は無用。
立ち上がり、部屋を出ようとした僕の手を――チェルが握った。
お酒のせいだろうか。熱く、じわりと汗が滲んだその手は、部屋の暗さと相まって気持ちを高揚させる。
「ケンセイさん。私の事――嫌いですか?」
「い、いや、嫌いじゃないよ……」
これはマズイ。この状況は非常に危険だ。
セクシーアーマーは腕輪状態。無防備なのだ。
僕のセクシーソードを遮るものは、容易に解除可能な衣類のみ。
呪いが発動してしまったら、本当の初めてを奪ってしまいかねない。
「も、もう遅いからちゃんと寝たほういい――よっ!?」
グイと手を引かれて、そのままベッドへ倒される。その隙に体勢を入れ替え、チェルはその小ぶりなお尻で僕の動きを完全に止めた。
鮮やかに決められたマウントポジション。
それを覆す術を僕は知っている。
簡単な体術はニーヤに学んでいた。
習得したかは別として、不利な体勢から脱出するくらいは出来る。
だが、年下の、それも女の子の前では、僕はあまりにも無力だった。
「嫌いじゃないって――ずるい言葉ですね」
窓から差し込む月明かりが、彼女の顔を照らす。
「ゴメン……」
悲しげな表情に、責めるような視線。
僕はただ、謝る事しかできない。
「お願いがあります。キスしてもらますか?」
それは、彼女に僕が言った言葉。
助かるためとは言え、大切な初めてを奪った僕の言葉だ。
それを断れるはずなんて――ない。
重ねあった隙間から甘い吐息が漏れる。
空いた時間を埋め尽くす様についばむ口唇は、彼女の気持ちの表れ。
遠慮がちに絡ませるその舌も、聞こえる胸の鼓動も。
離れる瞬間、名残惜しそうな唾液の糸が光った。
「も、もうダメです! 赤ちゃん作りましょう!」
顔を上気させたチェルの目が不気味に輝く。
「はぁっ!?」
「だ、大丈夫です! 責任とって何て言いません! いや、とってもらうけど今はどうでもいいでしょう!? 家族を作りましょう!」
早口でまくし立てる勢いに任せ、おもむろに上着を脱ぎ捨てる。
――形の整った二つの膨らみが露れた!
――相手はぷるぷるしている!
「ちょ、待って! 見えてる! 見えてる!」
「前も見たじゃないですか! それどころか触ったじゃないですかっ!」
チェルはそう言いながらも、やはり恥ずかしかったのか、胸を隠すように僕に身体を重ねた。
――おっぱいの攻撃! 精神ダメージを受けた!
――相手はぷにぷにしている!
――呪いが発動した!
ひとりでに動く両腕は、彼女の身体を抱きしめようとその距離を縮めている。
「もう、一人は嫌なんです……」
今までになく、悲しげに呟いた。
指先で感じる、背中に刻まれた不幸の証。
ドラーシュの烙印。
彼女は両親を殺され、ドラーシュとしてさらわれた。
家族を作りたいと言った言葉は、紛れもない彼女の本心かもしれない。
奪われた居場所を、自分の居場所を、彼女は探している。
他の二人のように、何処かに行く事は出来たはず。
それなのに、戻るかも分からない僕を待っていたんだ。
痛々しい背中の傷は、決して消えることはない。
彼女の傷を、僕は癒してあげる事が出来るんだろうか。
「ごめん……なさい……」
彼女が呟いた。
「こんなの……ずるいですよね」
「いや……そんな事ないよ」
「そんなに泣かれたら――出来ませんよ」
彼女に言われて、自分の頬が濡れている事に気づく。
「それに、さっきまですっごい元気だったのに、今は全然――」
チェルが悪戯に、押し付けるように腰を動かす。
さっきまでは痛いほどやる気に満ちていたセクシーソードが、今はその面影もない。
顔を見合わせ、二人で苦笑した。
「寝るまで、隣にいてもらってもいいですか?」
上着を着たチェルのお願いを断るわけもなく、僕は快く頷いた。
「その気になったら襲ってくれてもいいんですよ?」
そんな事を言いつつも、彼女が寝付くまでに時間はかからなかった。
安らかな寝顔を眺めながら、いつかきっと、彼女が自分の居場所を見つける事を願った。
彼女の部屋を出て――目が合った。
「あっ……」と声を漏らしたのは、肩にペロ様を乗せたモミさんだ。
その下には、潰れたニーヤが寝息を立てている。
ブレーメンの音楽隊ごっこをしてるわけではないだろう。
「も、もうニーヤったら。こんなとこで寝たらいけませんよ!」
「前にも――こんな事がありましたよね?」
「な、なんの事ですか!? 私はただ、ニーヤを起こしに来ただけですよ!?」
目を泳がせるモミさん。
ペロ様に聞けば一発で分かってしまう話なのだが、あえて追求はしない。
転がってるニーヤを抱きかかえ、そのまま部屋に戻る。
――僕の居場所は、何処なんだろう。
そんな事を、考えていた。