8 親友
つばき組が去り、それからしばらくして警官隊も去っていた。
だが、一人だけ林場の庭に潜んで、残っていた者がいた。
青山だった。林場の親友を自覚する青山は、諦めきれずに潜んでいたのだ。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まりかえった林場の家の周囲を探り、どうにかして林場の家に入る方法を探ろうとする。
ガスのメーターや、湯沸かし器が設置された、家の裏手にまで回ってきたときだ。
「青山君」
小声で青山を呼ぶ声があった。青山は素早く辺りを見回す。
声は下から響いていた。地面のすぐ上の高さに小さな窓がある。
青山はひざまずいた。半地下の部屋がある。その、ほとんど陽の光の届かない暗い空間に、林場が立っていた。
「林場……!」
「久しぶりだね、青山君」
「なんで出てこなかったんだよ。みんな、おまえのために来ていたのに」
「すまない。騒々しいのは苦手でね」
林場は、ひっそりと微笑んだ。
「騒々しいって……」
「僕は本当の静けさを理解したんだよ」
林場は言った。穏やかな声だった。
林場はもっと活発で、感情を表に出しやすい奴だったと記憶していたが、今、暗闇に立つ林場はまるで別人のようだった。
「林場……イジメが辛かったのは分かっている……でも、おまえはそれに耐えたんだ。そして、おまえに喜んで手を差し伸べるクラスメイトが--」
「イジメ? 違うよ。そんな小さな事は、記憶にも残っていないさ」
林場は頭を振った。
「じゃあ……! 何で学校に来るのを止めたんだ?」
「怒りさ」
林場は短く言う。その顔から微笑みが去る。
「君は気づいているはずだ。クラスのみんなも気づいている。巨大な不均等が存在するんだ」
「不均等って……学校に? それとも社会に?」
「全てにさ。全てのものは均等を、バランスを考慮して設計される。そして、あらゆるものは継続するうちにバランスを欠いていく。人の集団は安きに流れずにいるには余りに弱く、賢くいるには余りに愚かだ。……僕はそれに大きな不満を抱いていた」
林場は、低い声で、くっきりと喋る。まるで、際限なくリハーサルしてきた台詞を読んでいるかのように。その言葉は、よどみがなかった。
林場は己が体を抱きしめるように腕を組んだ。
「だが、知ってしまったんだよ。やがては、僕たちだってその不均等に組み込まれてしまうのだとね。つばき組だって、不均等な社会のためのパーツを生産する工場でしかないのだと……」
青山は、林場の腕が細かく震えるのに気づいた。ものすごい力を込めている。林場の指の関節は白くなり、爪は自らの二の腕に食い込んでいた。
青山は、林場の抱く途轍もない怒りに気圧され、声を上げることもできない。
金縛りにあったように、微動だにできなかった。
「怒りがあったんだ。全ては怒りの対象だったんだ。自分の無能に対する怒り。絶望的になって、怒りはそれを糧にさらに燃え上がった。触れただけで全てを焦がす怒りが滲んできた……」
林場の声がひずんで、不明瞭になる。歯を食いしばりながら喋っているのだ。
林場の目が薄闇の中でかっと開かれる。何かを振り払うように、彼の体がぶるっと震えた。
「それに対する唯一の薬は、捨て去ることだったんだ。それを知って、あらゆる執着は消えたんだ。悟りを開いたと言えるかもしれない。抵抗をやめることで、全き虚無と一つとなれる。壊れた機械に組み込まれるくらいなら、完璧のまま終わる」
林場の瞳孔が、まっすぐ青山の心をとらえた。
「それが正しいとは思わないか?」
林場がすっと目を閉じた。それとともに、恐ろしい気迫も失せていく。青山は呪縛から解き放たれて、息を荒げた。
「話せてよかった。独りぼっちは寂しいからね」
林場がぽつりと言った。もはや、彼は弱々しい子供にしか見えなかった。
林場は血の気の失せた顔で微笑んだ。
「大勢のクラスメイトがいたけれど、君だけは違ったよ。じゃあ」
林場は踵を返して、闇の向こうへと消えていく。
青山は追いすがろうと、窓の鉄格子に飛びつく。だが、冷たい鉄格子はびくともしない。
林場は闇へと消え、二度と現れることはなかった。
「林場……」
青山は呼びかけるも、声がつまって出てこない。
「林場ぁあああ!」
それでも、無理に叫んだ。かすれて、悲しみと苦しみに満ちた、およそ人のものとは思えない悲鳴だった。
翌朝。林場の机の上には、花が飾られていた。