恋人(予定)達の逃走劇
今月の短編です。
では、どうぞ。
生い茂る木々、鳥の囀り、木々の間から漏れる春の陽光。
薄い緑色に覆われたその空間、円を描くように開いた森の中で空間。
そこに、小さな子供の泣き声が響いていた。
幹に開いた小さな穴から顔を出しているのはリス、枝に止まる小鳥が首を傾げているようにも見える。
それはとても可愛らしいが、森にいるのは無害な動物だけでは無い。
しかし今の所、泣き声に引かれてやって来る獣はいないようだった。
「ふぇっ……ぐすっ……えぐっ……っ」
「ルーナ、泣かないで」
「だって……ママがもうローアン君と遊んじゃいけないって……」
6歳前後の子供が2人、森の中で寄り添うように蹲っていた。
赤茶色の髪の女の子の方が泣いていて、金髪の男の子がそれを宥めている。
2人が身に纏っているのは質素だが生地は頑丈で、ただ使い古しなのか所々に縫い直した跡が見える。
女の子の長いスカートが花弁のようにも見えて、男の子は髪の色も相まってそれに寄り添う蜂のようだ。
ただ、外面的にもそう見えるためにはあと10年は見る必要があろうが。
「ママが、ママがもうここには来ちゃダメって言うの。ローアン君と遊びたいって言ったらね、凄く怒るの。酷いの」
「うん……」
しょんぼりと涙を零す女の子の前で、しかし男の子も同じような表情を浮かべている。
理由は、実は彼も父から同じような話をされたからだった。
この森は2人の秘密の場所、いつもここで遊んだりお話をしたりするのが日課だった。
ただ、子供の2人にはわからないのも無理は無いが……森を挟んで隣り合う2人の村は、畑に使う川の水を巡ってずっと昔から対立していたのだ。
それは今も変わっていない、だから2人の親は2人が会うことを禁じたのである。
2人の親が、それぞれの村の長ともなれば当然であった。
しかし2人には、そんな難しい理屈はわからないのだ。
「ふぇえええぇ……っ」
「ルーナ、泣かないで。ルーナが泣いたら……泣いちゃったら……」
女の子、ルーナの泣き声が伝播したように、男の子、ローアンの目尻にも透明な雫が浮かび始める。
2人はずっと一緒に遊んでいて、それなのにそれが禁じられた悲しみ。
そしてそれが決壊して、2人して泣き始めるのかどうか、というまさにその時だった。
「……どうしたぁ? 腹でも痛いのかぁ?」
――――「彼ら」が、やってきた。
◆ ◆ ◆
「ふんふんなるほどー、そいつぁ酷ぇ話だなぁオイ」
「う、うん……」
ローアンとルーナはすでに泣き止んで、お互いを抱き締め合うようにしながら目の前の男を見ていた。
男は腕を組んで胡坐をかき、地面に座り込んでふんふんと頷いている。
2人の子供がどうして泣いていたのか、それを聞いての反応である。
細身だが確かな肉付きの身体に淡い色合いのシャツとパンツ、そして土色のベスト。
クルクルと癖のある茶色の髪に、同じ色合いの瞳。
見た目の年齢は若い、18、19くらいだろうか?
頬や首筋、服の間から見える手首などには古い切り傷や擦り傷の跡が除いている。
「で、どうすんだよ坊主。その子と遊びたいんだろ?」
「で、でも……お父さんがダメだって」
「かぁ~、ダメだダメだそんなのぉ。男なら父親に反抗してナンボだろ」
いきなり出てきてかなり勝手なことを言っている男、子供達視点から見るとかなり怖い。
というか、子供達は普通に怯えていた。
この人、誰?
「じ、じゃあ、どうすれば良いの?」
「あん? そりゃお前、アレだよ、えー……そう、アレだ!」
「「ひぃっ!?」」
今度は急に立ち上がって空を指差した、正直意味がわからない。
ビクビクと怯えつつ見上げていると、男がローアンを指差して。
「逃げちゃいなよ、ユー!」
意味のわからないことを言い始めた。
「うんそう、それが良いそれが良い、逃げちゃおうぜ逃げちゃおうぜ。そんなケチ臭い村なんて出てさ、2人でどっか逃げちゃえばいいじゃん!」
「で、でも、僕達子供だし……」
「大丈夫大丈夫、案外なんとかなるもんだって! 何なら俺が手伝っちゃ」
「何をしている、この馬鹿」
「おうっふっっ!?」
次の瞬間、鋭いチョップが男の首を打撃した。
男の目からエフェクトの星が飛び出し、その場に崩れ落ちる。
子供達の怯えは、まさに頂点に達していた。
「まったく、何を子供を誘拐しようとしているんだお前は」
「いっつつつ……何だよ、子供が欲しいなんて直接的だなオイ。俺の方が照れ「死ね」るぅあっっ!?」
ぎし、と男が動けなくなる勢いで股間を踏まれて悶えた。
それに対してふんっ、と鼻を鳴らしたのは……少女だった。
肩先でザンバラに切られた金色の髪に、意思の強そうな青い瞳。
少し日に焼けているようだが、しかしそれでも白く健康的な肌。
服装は動きやすそうなシャツとパンツスタイル、皮のブーツと言う旅装だった。
「で……お前達は、誰だ?」
「えっと……」
それはこちらの台詞だと言いたい、ローアンはそう思った。
抱き締めるように庇っていたルーナが、ローアンの腕に隠れるようにして口を開く。
「あの……おねぇさん達、だぁれ?」
たどたどしい口調でそう問われて、男は倒れたまま、少女は胸を逸らして答える。
「俺はエドワード、旅人さ」
「私はシャーロット、旅の供だ」
◆ ◆ ◆
「なるほど、お父上とお母上にもう会ってはならぬと言われたのだな」
「う、うん……」
「そうか…………辛かったな」
再度事情を話すと、シャーロットは笑みの形に目を細めてそう言った。
怯えられるのを承知で手を伸ばし、ルーナの頭を撫でる。
ルーナは当初ビクりと震えたが、シャーロットの掌の優しさに最後には頭を委ねていた。
ちなみにその間、エドワードがシャーロットの頭を撫でようとして撃墜されている。
「それで、お前達はどうしたいのだ? このまま別れたいのか?」
「……やだ」
じんわりと涙を浮かべるルーナに、シャーロットはふむ、と頷く。
年齢差がややあるが、女同士の会話に男は入れない。
ローアンはやや警戒しているのか、エドワードから視線を離していない。
しかしエドワード自身はどう思っているのかわからない、ただローアンの視線に築くと。
ニカッ。
快活に笑って、ローアンの力を抜くようなことをしていた。
子供特有の本能とも言うべきか、警戒することの意味を喪失したらしかった。
「そうか、だがお前達が会うことを禁じたご両親を無視するわけにもいくまい」
「でも……」
「聞き分けも大事だ」
地面に正座して座るシャーロットの厳しい言葉に、ルーナがしょんぼりと肩を落とす。
「しかし、それ以外のことは禁じられていないのだろう?」
「え?」
「私達はしばらくこのあたりに逗留する、とはいえ、このあたりに知り合いもいない。話相手が欲しいのだ」
「ってオイ、俺の意見無しで決めんなよ」
エドワードの意見はともかくとして、ルーナは小さな頭でシャーロットの言葉の意味を考えていた。
そしてその意味を知った後、僅かながら表情を輝かせる。
それを見て、初めてシャーロットは微笑した。
「私達に会いにくると良い。そこにお前達2人が揃っていたとしても、それは偶然だ。禁じられてもいない、そうだろう?」
「うん! ありがとうおねぇさん!」
まだ若干のぎこちなさはあるが、ルーナはそう言って笑顔になった。
ルーナが笑顔になれば、ローアンも笑顔になる。
これが、出会いだ。
たった1週間、その時間だけの出会いだ。
しかしこの出会いが子供達に、ローアンとルーナに与える影響は。
大きなものであった。
◆ ◆ ◆
その2人は、不思議な2人だった。
ただそれは大人から見ればそうと言うだけで、子供から見ると違うのかもしれない。
それは、そう言う時間だった。
「おー? どしたどしたぁ?」
「小鳥さんが……」
「おー、良し良し、俺に任せとけい」
ある時は、巣から落ちた小鳥を巣に戻した。
それを見つけたローアンとルーナが不安そうに見つめる中、エドワードが小鳥を片手に木登りを始める。
しかし片手で木登りというのは無理があったのか、太い枝に乗り移った所で足を滑らした。
「うおぉ――――っ!?」
「おにぃさん!」
「大丈夫ー!?」
「だ、大丈夫だぅぁ――――っ!!」
極めて大丈夫では無い、何故ならエドワードは枝に片手で捕まって宙ぶらりん状態だからだ。
その表情は、下を見るときは笑顔だが上を見る時は必死である。
子供達に心配をかけまいとする気遣いだろうが、はたして意味があるのだろうか。
その時、彼がぶら下がっている木の枝がぎしりと軋んだ。
何事が生じたかと思えば、そこには人が立っていた。
具体的には、シャーロットが木の幹に触れるような形で枝の上に立っていた。
彼女は表情を変えず、むしろ不思議そうに下を見て。
「エドワード、何をしているんだ?」
「シャーロット! こいつを! こいつを頼む!」
「ああ、小鳥か」
シャーロットは一つ頷くとしゃがみこみ、エドワードがプルプル震えながら上げてきた手から小鳥を受け取った。
そしてそのまま、バレリーナもかくやと言うようなバランス感覚でもって枝の先まで歩き、巣に小鳥を戻すことに成功した。
最終的に親鳥と小鳥に囲まれて、それはまるで一枚の絵のように子供達には見えた。
「シャーロット! 要救助者がこっちにもいるんだけど!?」
エドワードは放置されたわけだが、子供的には高い位置でも大人的にはそうでも無い。
最終的に、力尽きて落ちたら普通に着地できたと言う。
またある時は、ルーナに森の中を案内されて野苺を採りに行った。
子供達にとっては当たり前の果実の一つだが、どうもシャーロットは初めて見たらしい。
ルーネが両手一杯に採ったそれを、物珍しげに眺めている様子が印象的だった。
「これは……何だ? 食べられるのか?」
「あーシャーロットは箱入りでちゅからねー、これはね、こうやって食べる物なんでちゅばっ!?」
何故か赤ちゃん言葉で教えに来たエドワードを(物理的に)黙らせた後、シャーロットは物珍しそうにしげしげとルーナの野苺を見つめている。
ルーナはそれに不思議そうに見つめながら、一緒に野苺を採っていたローアンと食べさせ合いっこをしていた。
「ふむ、これは食べられる物なのか……」
「おねぇさん、野苺食べたことないのー?」
「うむ、知らぬ」
へんなのー、と笑うルーナに、シャーロットは微笑を見せる。
誰かに侮られることは嫌う彼女だが、子供が相手となればそれも引っ込む。
何者にも縛られない笑みが、そこにあった。
そしてまたある時には、遊ぶばかりではいられないこともある。
例えば、森に住む獣と出くわした時などだ。
子供達の目の前にクマが仁王立ち、ある意味で最悪の状況だろう。
「どるぅあぁっ!」
抱き合うようにして震えていた2人の子供の前で、そのクマの頭に見事な跳び蹴りをブチ当てたのはエドワードだった。
良い子はけして真似をしてはいけない。
しかしクマは人間の蹴り如きでは倒れず、たたらを踏んだだけでそのまま立っていた。
「ふ……」
絡み合う人と獣の視線、そして次の瞬間には。
「ふははははっ、鬼さ……じゃない、クマさんこちら、落し物を俺に届けてみやがれええぇぇぇっっ!」
猛ダッシュで、背中を見せて逃げると言う野性の獣への対応として間違いすぎな行動に出た。
そしてそんなエドワードの後を、クマが唸りながら4本足で追いかける。
その唸り声は非常に獰猛で、それだけで子供達は震え上がってしまったが。
「大丈夫か?」
そこへシャーロットがやってきて、子供達は2人とも彼女に抱きついた。
シャーロットはそんな2人の背中を叩いてあやしてやりながら、顔を上げる。
どうやら、エドワードは上手くクマを誘き寄せて連れて行ったようだ。
「おにぃさん、大丈夫……?」
「問題ない、あいつは逃げ足だけは信用できるからな」
頷きながらシャーロットはそう言ったが、結局、エドワードが戻ってきたのは夕方になってからだった。
しかも泥だらけのボロボロの姿だったため、ルーナを泣かしてしまうという失態を演じていた。
ただ身体自体は無傷だったので、後はエドワードがクマを撒くためにいかに努力したかと言う武勇伝を話すことに費やされた。
子供達は、目を輝かせてその話を聞いたものである。
そしてそんな日々が、少しの間続いた。
子供達はすっかり2人に懐いて、一緒に遊ぶのを楽しみにするようになった。
ルーナとローアンは、あの旅人の2人が好きなっていたのである。
しかし、ある日……。
◆ ◆ ◆
その日も、ローアンは森へ行こうと家を出る所だった。
人口100人前後の小さな村なので、村長の家と言っても他の家と大して変わらない。
木造りの古ぼけた家屋で、村で唯一、2階があることが自慢のような家だった。
「ローアン、どこに行くんだ?」
「森に行くんだ!」
「森? ……まさかまだ隣村の娘と会ってるんじゃ無いだろうな?」
「ち、違うよ!」
その時、畑仕事から一旦戻ってきていた父に見咎められた。
だが彼は、あらかじめエドワード達と決めていた言い訳を述べた。
つまり、新しく出来た友達と遊んでいると。
「新しい友達だと?」
父親は訝しんだ、狭い村で新しい友達などできるのか?
「う、うん、近くの町に来てる旅人さんなんだって」
「よそ者か? あまりよそ者と付き合うのは関心せんぞ。どんな奴だ?」
「え、えっとね」
ローアンはたどたどしく、一緒に遊んでいる「旅人」の容貌を説明した。
髪の色や瞳の色、服装や性格、言葉遣いから……野苺を知らないことまで。
そして、名前だ。
「エドワードさんと、シャーロットさんって言うんだ」
「エドワードと、シャーロット?」
「う、うん……どうしたのお父さん、怖い顔して」
「…………いや、何でも無い。今日もその旅人とやらに会うのか?」
「う、うん」
ローアンが頷くと、父親は何か軽く唸りながら考え込んでしまった。
彼はローアンが不安そうに見上げる前で、重々しく頷いて見せると。
「……そうか、行って良いぞ」
「本当!?」
「ああ、だが夕飯までには帰れよ」
「うん!」
喜色満面、ローアンが外へと駆け出していく。
それを見送った後、父親は静かに唸った。
それから、家の奥に声をかけて彼の妻を呼んだのだった――――。
◆ ◆ ◆
――――深夜。
ふと目を覚ましたルーナは、目を擦りながら部屋の外へと出た。
何やら1階が――彼女の家も、村で唯一の2階建て――騒がしかったからだ。
『…………村長、本当なんですかい?』
『……うむ、今日、隣村から人が来てな』
『隣村の奴らなんて、信用できませんぜ!?』
『いや、それが確認のために人を森にやったら、確かだった』
『何と!?』
どうやら客人がいるのか、くぐもったいくつもの声が階段の下から聞こえてくる。
ただ良く聞こえない、でも隣村の話だったから気になった。
ルーナは、さらに階段に近付いた……。
『森に行くのにあの小僧には会っていないと言うから、妙だと思って娘の跡をつけさせていたんだが……そこで隣村の連中と鉢合わせたんでさぁ』
『なるほど、それで……』
『でもよ、隣村の奴らと付き合うなんて』
『水については話がついた、何しろ2億イーェンだからな……水など、霞むわ』
何の話だろう、ルーナは首を傾げる。
ただ、どうやら隣村と仲良くするみたいな話のようだが。
『明日、隣村の連中と森に入る。それであの2人を……』
『なるほど、ちょうど2人だから分けられるんですね』
『そういうことだ』
……もっと良く聞きたくて、ついにルーナは階段から身を乗り出した。
すると、そこには暖炉の火に照らされた銀色の――――。
◆ ◆ ◆
「お前、ルーナちゃんと遊んでも良いよ」
翌朝、ローアンは母親にそう告げられた。
最初は何を言われたのかわからなかったが、次第に意味を理解すると。
「本当!?」
「ああ、むしろこれからはルーナちゃんとどんどん仲良くしな」
「……!」
ローアンは喜んだ、まさかルーナと堂々と遊べるようになるなんて!
でも、何故だろうと不思議に思う。
首を傾げて考え込んでいると、母親が言った。
「でも今日は、森に行ってはダメよ?」
「え、どうして?」
「どうしてもよ。とにかく今日は森に行ってはダメ、いいわね?」
「……う、うん……」
母親に肩を掴まれて強く言われると、ローアンは頷くしかない。
母親はそれに満足そうに頷くと、そのまま家を出て行った。
家の外には村人達がいたようで、何事かを話しながらどこかへ行ってしまった。
家に残されたのは、ローアン1人。
けれど、どうでも良かった。
ルーナとずっと一緒に遊べるようになったのだから、だから良いのだ。
1人でそう納得していると、家の扉がけたたましく叩かれた。
「だ、誰?」
声をかけても返事が無い、ひたすらに扉を叩かれてローアンは怯えた。
母親でないことは確かだ、でも扉が叩かれ続けるのも困る。
ビクビクと怯えながら、ローアンが扉を開けると……。
「ルーナ!?」
「ローアン君!」
飛び込んで来たのは、フードで顔を隠したルーナだった。
転がるように飛び込んできて、ローアンは彼女を抱き止めるように家の中に入れた。
ただ彼女が家に来たのは初めてで、ローアンは酷く驚いていた。
「ど、どうしたの?」
「ローアン君、助けて!」
「え、え?」
泣きそうな顔で助けを求めるルーナを宥めながら、ローアンは事情を聞いた。
そしてそれを聞き終えた次の瞬間、彼はルーナの手を引いて家から飛び出すことになった。
◆ ◆ ◆
その日、エドワードとシャーロットはいつもの時間に待ち合わせ場所に来ていた。
2人の子供達と最初に会った、森の中の開けた空間だ。
しかし、どうやら今日は様子が違うらしい。
「おやおやおや、随分とお客さんが多いなオイ」
「呼んでもいないのにな」
ヘラヘラ笑うエドワードと、無表情なシャーロット。
そんな2人の周りには、数十人の人間がいた。
囲まれている、何ともわかりやすい状況だった。
「本当にいやがった……!」
「手配書の通りの背格好だぜ!」
「村長と隣村の連中の言ってた通りだ!」
それを見回したエドワードの行動は、簡潔だった。
まずシャーロットの後ろに回り、膝裏と背中に腕を通す。
そして「ふんっ」と力込めて持ち上げる、いわゆる「お姫様抱っこ」体勢だ。
されるがままの形のシャーロットは表情を動かすことなく、抱えられたまま周りを見ていた。
斧や鍬を持った農村の民達を見て、溜息を漏らす。
何と言うか、どこか慣れた様子だった。
「<花嫁泥棒>のエドワード・ハーコット……!」
「王都の結婚式から王女様を攫ったって言う、あの……!」
「2億イーェンの賞金首!!」
「<盗まれた花嫁>、シャーロット・スィウ・フォン・アトランド王女!」
その声にニヤリとした笑みを一つ零して。
――――エドワードは、跳んだ。
◆ ◆ ◆
(僕のせいだ……!)
ローアンはルーナの手を引いて走りながら、自分を責めた。
何度も転びそうになるのをお互いに支えながら、母親に行くなと告げられた森へと走る。
だって、まさかこんなことになるなんて思わなかったから。
まさか、村人達がシャーロットとエドワードの2人を捕まえに行くだなんて。
ルーナは昨日の夜、村の人達が話しているのを聞いたのだと言う。
2人を捕まえると、王様からお金をたくさん貰えるのだと。
そしてそれは死んでいても良くて、村の人達が斧や鍬をたくさん持っていたと。
今日、2人を捕まえに森に行くのだと――――。
「うわあああああああああああああああああああっ!」
最終的には泣きながら――彼が父親に2人のことを話さなければ、こんなことにはならなかったと言う思いから――ローアンは森へと駆け込んだ。
ルーナも息を切らせて、手を繋いだままついてきている。
彼女の目にも、涙が浮かんでいた。
森の他の場所にいるのか、村人達には会わなかった。
だが、彼らは「ここ」に来ていた。
そうわかる、何故なら。
「「…………」」
いつも一緒に遊んでいたその場所は、今ではたくさんの人間に踏み荒らされた跡があった。
土が荒れて枝が折れ、葉っぱが散らばっていた。
折れた斧の刃が落ちていて、誰かが争ったのは明白だった。
子供でもわかるほどのその惨状に、2人の子供は言葉を失った。
「…………ふぇっ」
最初に涙を零したのは、ルーナだった。
片手はローアンと繋いだまま、もう片方の手で頬を擦って涙を流して泣いた。
もう会えない、そんな本能が働いたのだろう。
そしてそれは、ローアンにも伝播する。
むしろ今度は彼自身の意思で、幼い罪悪感から涙ぐんでいたのだ。
今までの思い出が甦る、小鳥を巣に戻したり、野苺を食べたり、クマから守ってくれたり。
そしてそれを、自分が壊してしまったのだ。
そう思い、思うことで、ローアンは涙を。
「ふぅ――はははははははははぁっっ!!」
その時、もはや聞き慣れた声が大音量で聞こえてきた。
そのせいで、2人の子供達はビクッ、と震えた。
涙を浮かべたまま、声のした方を向いて。
「「……!」」
そちらへと、駆け出した。
◆ ◆ ◆
そこには、不思議な光景が広がっていた。
どう不思議かと言われると困るが、子供の目線で言えば。
……お伽噺の、ような。
「ふはははははははっ、バカめ! 伊達に王都の包囲網を抜けて来たわけじゃねぇぞぉ!!」
「何を自分の手柄のように……」
追いかけるのは、ルーナとローアンの村の人間達だ。
だがどこか、追いかけるのを躊躇しているようにも見える。
それは当然だろう、何しろ森と村の間にある川めがけて走っているのは――クマなのだから。
そして四本足で駆けるそのクマは、先日、エドワードを追いかけていたクマだ。
ルーナ達の5倍はあるんじゃ無いかという背丈の大きなクマの背には、あの2人が座っていた。
エドワードと、シャーロット。
シャーロットは前の方に横座り、そしてエドワードは後ろの方で膝座り。
そして呆れるシャーロットの前で、エドワードは村人達を挑発しているのだった。
「船がある、あそこまで頼む。エドワード!」
「おぅし、任せとけ!」
とぅっ、と跳躍し――川岸に止めてあった小船に飛び乗るエドワード。
シャーロットはエドワードがロープを解いている間に到着し、クマから降りて船に乗った。
「ありがとう、感謝する。元気でな、もう子供を襲うなよ」
まるで言葉がわかるかのようにクマと話し、その毛並みを撫でる。
クマは甘えるように鼻先を彼女の手に押し付けた後、仁王立ちして村人達を威嚇した。
そして村人達が怯んでいる間に、小船が川へと出た。
すぐに流れに乗って加速し、下流へと進む。
それを確認した後、クマは森へと駆けていった。
代わって2人を守るように、鳥達が小船の周りを飛翔する。
中には追いかけて別の船に乗ろうとする村人達を嘴で突つくものもあって、2人の逃走を手助けしていた。
「わぁ……」
そんなお伽噺のような光景に、ローアンは目を奪われた。
手を繋いでいるルーナも、同じだろう。
そしてふと、シャーロットが森を――2人の子供を見つけた。
「「あ……」」
そして微笑み、小さく2人に手を振って来たのだ。
お別れだ、それが2人にはわかった。
だから2人も、大きく手を振った。
エドワード達の姿が、川の向こうに消えるまで。
ずっとずっと、手を振り続けていた。
さよならを伝えるように、そして「ありがとう」が伝わってくれるように。
――――ずっと……ずっと。
◆ ◆ ◆
――――川の流れに身を任せて、小船が進む。
思ったよりも速い川の流れは、一組の男女をあっという間に別の土地へと運んでしまう。
それを何とは無しに見つめながら、男が息を吐いた。
「いやぁ、まさかあんな辺鄙な農村にまで手配書が回ってるとはな」
「当然だろう、私の国の民は優秀だからな」
「いや、お前も追われてんだけど」
「懸賞金をかけられているのはお前だけだ、私では無い」
「えぇ~……」
げんなりとする男に、少女が瞳を向ける。
それはどこか挑発的な色を浮かべていて、見上げられる男は困ったように目を細めた。
そして、少女が形の良い唇からやはり挑発的な言葉を放つ。
「……私を惚れさせて、新しい世界を開いてくれるんだろう?」
少女の言葉に、男が今度こそ苦笑する。
「俺としては、目覚めすぎるのもどうかなぁと思うんだが」
「良いことだろう?」
「自分で言う?」
「当然だ、私を盗んだ責任はとってもらわねばならない」
挑発的に――そして楽しそうに笑う少女に、男は頭を掻いた。
やれやれ、面倒な娘に惚れてしまったものだと。
しかしそれも、惚れた弱みと言われればそれまでなのだった。
「逃げ続けて見せてくれ、エドワード。私を盗み、連れ出したお前だから」
「ああ、任せとけシャーロット。逃げ足には自信があるんでな、何しろ俺は泥棒だから、な?」
春の日差しは穏やかで、川の流れは母の腕に抱かれるよう。
そんな世界に包まれて、2人は今日も旅の空。
幾多の出会いと別れを繰り返して、鳥篭から飛び出した比翼の鳥が行く。
花嫁泥棒と、盗まれた花嫁。
この物語は、そんな2人の。
――――――――逃走劇。
お久しぶりの方はお久しぶり、初めましての方は初めまして。
竜華零です、今月も短編を投稿させて頂きました。
今回のテーマは「逃避行の途中」、バックボーンが無駄に壮大そうな主人公とヒロインが逃げる途中で立ち寄った村、という感じです。
前々からこういうのを書いてみたかったので、挑戦してみました。
次回は何を書こうかな、とか考えつつ、今日はここまで。
それでは、またお会いしましょう。