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カシアンの「雑草のパテ」が、貴族たちの間で「禁断の解毒剤」として一世を風靡し、エルゼの金庫が嬉しい悲鳴を上げていたある日のこと。
伯爵邸の門を、まるで戦車のような威容を誇る、特注の巨大馬車が突き破らんばかりに現れた。
「……私の、可哀想なカシアン!」
馬車の扉が開くや否や、絹のドレスをはためかせ、ダイヤモンドの雨を降らせるような勢いで飛び出してきたのは、公爵家の長女であり、カシアンが最も慕い、恐れる姉、イザベラだった。
彼女は東方諸国への三年間の船旅を終えたばかり。その肌は異国の太陽で磨き抜かれ、瞳には極北の氷山のような冷酷さが宿っている。
「イザベラ様……。ご帰還早々、門を壊すのはいかがなものかと」
エルゼが事務的に帳簿から目を離すと、イザベラは手にした扇子をエルゼの鼻先に突きつけた。
「黙りなさい、この銭ゲバ! カシアンからの手紙を読んだわ。『姉上、僕は今、道端の草を食べて命を繋いでいます。エルゼが僕を地下に閉じ込め、愛を与えてくれるからです』……なんですって!? 私の宝石のような弟を、牛や馬と同じ食事で飼い慣らすなんて、どんな拷問なの!」
「見てください、姉上。エルゼが僕を『しつけて』くれたおかげで、僕は命の根源(雑草)に触れることができた。今、僕はかつてないほど健康で、愛に飢えているんだ」
「カシアン……! ああ、なんて痛々しい……その、切り刻まれた髪! 飢えすぎて、ついに自分の体の一部まで食べてしまったのね!?」
「いいえ、これはエルゼのために焼いたパンの燃料に——」
「もういいわ、言わないで!」
イザベラは弟の言葉を遮り、カシアンを背後に隠すと、エルゼを蛇のような目で見据えた。
「いい、エルゼ。私はあなたのことが死ぬほど嫌いよ。カシアンという至高の芸術品に、帳簿のインクを塗りつけるような真似をするその商人気質。反吐が出るわ」
「光栄ですわ。私も、働かずに宝石をジャラつかせるだけの『飾られた肉体』を見ると、その維持費を差し押さえたくなる病気なんですの」
二人の間に、目に見える火花が散る。
しかし、イザベラはカシアンがエルゼの服の裾を、まるで宝物のように握りしめているのを見て、唇を噛んだ。
「……けれど。この子が、あなたがいなくなると泣き喚いて、帝都を涙の海に沈める(※姉の妄想)のも見たくない。カシアンの悲しみは、私の宇宙の終わりよ」
イザベラは、首元から拳ほどもある**『黄金真珠のペンダント』**をもぎ取ると、エルゼの机に叩きつけた。
「これは貸しよ。これで今すぐ、弟に最高級の牛のフィレ肉と、白トリュフを買いなさい。雑草料理なんて、今すぐ廃業よ。……もし次にカシアンが草を口にしたら、私はあなたの商館を丸ごと買い取って、更地にしてバラの棘を植えてやるから!」
「……黄金真珠。これ、伝説の、海底火山の噴火でしか生まれないという……」
エルゼの脳内計算機が、天文学的な数字を叩き出した。
この女、嫌い。猛烈に嫌い。けれど、これほど「利益」を運んでくる、分かりやすい敵もいない。よく考えたら、この人のせいでカシアンがこうなったのかもしれない。
「分かりましたわ、イザベラ様。カシアンに肉を食べさせましょう。ただし——」
エルゼは不敵に微笑み、真珠を指先で弄んだ。
「その肉を、カシアン自身に調理させ、貴女に振る舞わせます。世界で一番高い『姉弟愛の味』を、たっぷりとお見せしますわ。もちろん、観覧料は別途いただきますけれど」
「……面白いじゃない。受けて立つわ、この寄生虫の妻」
ブラコンの姉、無自覚な悪意を振り撒く弟、そして彼らを「搾取」して富を築こうとする不屈の妻。
ルミエール伯爵邸の食卓は、さらなる濃厚なドロドロと、黄金色の火花に包まれようとしていた。




