鬼灯 23
「西さん?」
鑑識の西が入って来るのに、関が驚いてみる前で。
「みなさん、お揃いで。橿原さん、御依頼の関刑事の血液鑑定の結果が入りました。こちらです」
持っていた大判の封書を橿原に渡す。
「ごくろうさまです。ありがとう」
「橿原さん?そいつはなんですか?」
斉藤が伸びあがってみようとするのに、一覧表に目を通して、橿原が山下に検査結果を渡して寄こす。
橿原が微笑して西を見ていう。
「ありがとうございます、西さん。随分と早い結果でしたね」
西が頷く。
「もう少し掛るかと思いましたが、先に滝岡先生から頂いていた分は、分析にヒントを頂いていたので、サンプルの解析も同定する為の参考になり、大変助かったそうです。それが無ければ、もう少し同定に時間が掛かったろうと。御礼をお伝えしておいてくださいとのことです。科警研より」
「そうですか。滝岡君の意見が参考になったなら、それは良かった。伝えておきます」
「宜しくお願いします。何にしても、先に滝岡先生が採取してくださらなければ、この件での関刑事の疑いは晴れたかどうか、わかりませんからな」
多少冷たい視線で西が関をみていうのに、まだ事態を理解出来ていない関が見返す。
「おい、滝岡が、何を?つまり、――疑いって?」
「聴取の際の血液と尿には、まだ検出できるだけの濃度がありました。先程の採血分からは、流石に検出されるかどうかは微妙ですが」
今度こそ、あきれを隠さない視線で西がみていうのに関が眉をしかめる。
「いまの、採血か?何でまた、…――聴取のときもだが、一体なんで、第一、採血、下手だろう!凄く痛かったぞ!」
「だからといって、職員以外の者にしてもらう訳にもいかんのでね、関君。橿原先生に、―――」
「僕はできませんよ。生きてる人間から採血したのなんて、いつのことだか。僕、血を採るのは、死んだ人からと決めてるんです」
「…―――」
橿原の宣言に西と関が微妙な表情になって見詰める。そして。
「では、私はこれで」
「ありがとうございました」
結果を届けに来た鑑識の西が去った後に、関がまだ全く事態が解らずに誰にともなく問い掛ける。
「つまりなんだ?何なんだ?おれの血液が?」
「―――つまり、きみの血液の血中濃度をみて頂いていたのです、関さん」
「おれの?」
「はい、つまり、呑まされた薬物の血中濃度です。関さんの行動と証言をみる限り、実際に相当の影響を及ぼす濃度の薬物を投与されていたはずです。それが、その後も影響して体内に残り、記憶を消し、――――」
「…薬、…――――」
茫然としている関に、橿原が微笑んでいう。
「滝岡君が、きみの様子がおかしいのに気づいて、見張ってくれと頼まれましてね。僕がきみに付き合っていたのは、事件を解決する為もありますが、むしろ、医者として滝岡君にきみを見守るよう頼まれたから、何ですよ」
「…あいつが、けど、…―――何だって、…あの、血を勝手に抜いたときか?」
ようやく思い出していう関に、橿原がおかしそうに微笑む。
「随分、大胆だと思いますが。あのとき採取した血液を、知り合いを通じて科警研に頼んで分析してもらっていたそうです。それから、僕に、きみの様子を見守るようにとね。…まあ、」
実におかしそうに口許を隠して笑む橿原を不気味そうに関がみる。
「生きてる人間の看護を僕に頼むなど、滝岡君も随分と大胆ですが。自分は、秀一君、鷹城君の世話をみる必要があるからというので」
「…―――橿原さん、…滝岡の奴、…――――つまり、何ですか?橿原さんは、随分前から、おれが薬を盛られたのを疑ってたと?」
「勿論、結果が出るまでわかりませんがね。生きてる人間を診る医者としては、滝岡君は優秀ですから。その診立てを疑うこともないでしょう。尤も、記憶障害の件を聞いたときには、そこまで濃度が高い危険性の高いものを投与されていたとは思っていなくて、後から僕、随分怒られたんですが。責任取ってくださいね、関さん」
「…何の責任ですか、橿原さん、…―――」
しかし、そいつは、と。難しい顔で沈黙している関に。
つらつらと橿原が問わず語りにいう。
「御存じの通り、薬物の血中濃度は時間が経つにつれて減少しますから。僕からも科警研には協力して頂くようお願いして、もらっていたんですが。もし、
もっと検出できる量が少なければ、京都の科捜研から依頼してもらって、スプリング8に割り込まないと無理かもしれませんでしたがね。あそこは腕の良い研究員がいますし、スプリング8の所長と懇意ですから。こうした犯罪捜査の為でしたら、忙しい中にも順番を廻してもらえたかもしれません。尤も、今回は、特に最初に滝岡君が採血した分からは、随分楽に検出できる濃度があったそうなんですよ?実をいうと、鑑定中に科警研の方から、検体を採取した人物の容態は大丈夫か、毒を排出する為に適切な処置をとれているか、僕と滝岡君の方に確認の連絡があったくらいですから」
「…――――」
「それって、橿原さん」
関が微妙に沈黙する。鷹城が検査結果の用紙から顔をあげて。
斉藤と山下もまた、一緒にみていた用紙の数値に沈黙する。
「血中アルカロイド濃度が、…おい、関」
「先輩、…」
「なんだよ?」
検査結果を見ようとする関に隠して、斉藤と山下が難しい顔で見返す。
「まあ、何とか当日もこれまでも事故を起こさずにきてはいるようですが」
「…橿原さん」
橿原の言葉に、しみじみと斉藤が見返す。
「特に当日に関しては、事故を起こさないで戻って来られたのは幸運だったようですね、関さん」
「ちょっとまってくださいよ、…おい、見せろ!」
斉藤の頭を軽くはたいて、関が検査結果を奪い取る。
「…――――」
血中アルカロイドの数値に、関が沈黙する。
「それ、僕のと成分殆ど同じでしょ?僕も薬盛られてたみたいなんです」
にこやかにいう鷹城に複雑な視線を関が向ける。斉藤があきれたように関をみていう。
「すぐじゃなくて、これだけ残ってるってことは、当日は象が倒れてもおかしくないくらいの量だったと思うんだが」
「先輩、鈍いですからね」
「うるさい」
関の言葉に腕組みして頷きながら鷹城が。
「僕が倒れて記憶を失っても当然だったわけだ」
「だけど、関は動けてたんですよね?鷹城さんを救出しに戻れたわけだから、――――なんでです?」
斉藤が訊ねるのに橿原が応える。
「それはおそらく生薬特有の問題が関係しているのでしょう。成分を限定して生産される薬と違い、薬草などを利用して作られる生薬は、その成分に主要な効き目をもたらすものだけでなく、それぞれに特有の背景となる成分が存在します。いわゆる不純物というものですが、それがどのような働きをするのかが、いまでも不明な点が多い。純粋に成分のみを抽出して造られた薬と違い、そうした生薬はその不純物こそが効くと信じられて、いまでも生産地により取引金額がかわるほどに扱いが違うこともあります。またそれらの不純物が、純粋な薬としての成分を阻害する作用をみせることもありますからね。それに、実際に個人の体質等といわれるものに対しての薬成分の効き方が、まちまちであることも多い。喩え、同じ量を二人に投与していたとしても、同じように効くとは限りません」
淡々とした橿原の説明に斉藤が眉を寄せる。
「難しいんですが、橿原さん、その成分の違いってのを、犯人を特定する方面に使うってことはできないんですかね?」
山下が腕組みをして考えるようにいう。
「それは出来るんじゃないでしょうか。例のヒ素事件のように、極微量で通常なら判別し難い成分であっても、スプリング8のような微細な成分を分析できる施設があれば、分析して特定することは可能のはずです。―――それに、そこまでの分析能は無くても、いまでも自家製で作っているような生薬でしたら、科警研の設備でも、指紋と同じようにその家だけで作っていると証明することは可能でしょう」
「…―――それだ」
関が突然いう。
「先輩?」
「八年前」
関がいうのに、鷹城が頷く。
「そうだ、…八年前の試料って、どのくらい残ってるんです?」
鷹城がいい、関が頷いていう。
「調べよう。証拠品として保管してなければ、当時の物を掻き集めればいい、それに、今回の件でも、そこまで詳細な分析はしてないはずだ。出荷してないといっていたはずの彼女の家で生産されているものと同じ成分が検出されれば、――――」
そうして立ち上がろうとする関を斉藤が止める。
「おまえ、確か聞いた話ではまだ謹慎中だろ?」
「斉藤!あのな?」
「先輩はここで大人しくしててください。じゃ、橿原さん、よろしくお願いしますね、先輩のこと」
「山下…!おもしろがってるんじゃない!」
立ち上がって怒鳴る関に返事をせずに、山下も斉藤も出て行ってしまう。
「ちょっと待て、―――くそっ」
追い掛けようとして、視線を感じて関が止めて。
「…――――橿原さん。…あいつの頼みで、その、…。つまり、」
言い難そうにいう関に、橿原が淡々と。
「先にもいいましたが、滝岡君も随分と大胆です。生きている人間を僕に頼んでいくんですからねえ」
「……――橿原さん、その」
「ああ、御礼はいいですよ?僕としても、生体の観察をするのは随分と久し振りでしたからねえ、…。生きた患者さんの世話は随分としてませんでしたからね」
「…いえ、その、ありがと、う、…ございました。御厄介をかけて」
つかえながらもいう関に、橿原がにっこりと微笑む。
「死んだ患者さんの世話なら得意なんですけどね。生きていると脈があったりねえ、血管も動きますから、採血もしにくくて」
「…―――滝岡、あの野郎、…」
ぼそり、と呟く関に、ちら、と同情する視線を向けてから、鷹城が車椅子をボードの前に進める。
「―――問題は今回の犯人をどうやって捕まえるかですよね」
「八年前の事件からはどれだけ証拠が集まるか難しいかもしれないが、今回の件なら、…」
「血液分析の手配でしたら、既にお願いしてあります」
「…橿原さん、」
「そちらも、西さんの処にいずれ結果が届くはずです。被害者が治療中で、血液がまだ保存されていたのが幸いでした」
「…―――なら、あとは、」
いいながら椅子にどさりと座り直す関に鷹城が頷く。
「あとはこっちの件だけですね。僕達が襲撃された事件の方」
「…―――」
難しい顔をして関が気楽にいう鷹城をにらむ。
「あのな?」
「どうやって犯人をつかまえるか、…そう簡単には尻尾を出しそうにありませんよね」
「そいつは、そう簡単には」
「いえ、尻尾は既に一部出ています」
「橿原さん?」
鷹城に反論仕掛けた関に、橿原が優雅に一歩踏み出していう。
見あげる鷹城に橿原が静かに視線を置く。
「既に犯人は、一部遣りすぎています。尤も、得意分野でないばかりに、足が出たというところなのかもしれませんが。しかし、決め手にかけるのは事実ですがね」
「僕の記憶が戻れば、…」
難しい顔をして沈黙している関。
「あ、そうだ」
そして、軽く鷹城が右手を挙げる。
「一つ、確認しておきたいんですけど」
「何ですか?鷹城君」
「いえ、…、その僕がこの間、病院を移ったのって、かなり斜め上なことでしたよね?」
「そうですね。かなり非常識だといって差し支えは無いと思いますが」
「…橿原さん、…。ですが、それってつまり、常識的には僕は、本当ならまだあの病院に入院していてもおかしくはないということではないでしょうか?」
「…おい、鷹城、」
関が眉を寄せていう。
橿原も沈黙して鷹城を見る。
「つまり、僕があの病院を抜け出したことを、犯人はまだ知らないんじゃないでしょうか」
にこやかに提案する鷹城に橿原が僅かに眉を寄せて。
関が難しい顔で鷹城を見る。




