鬼灯 12
手術室。
幾重にも装置と複数の人数に取り巻かれた中に、麻酔の中に眠る患者の姿がある。複雑な機器が作動音を立てる手術室には、張り詰めた緊張が漂っている。
その緊張をほぐすように流れるのは、滝岡の穏やかな声だ。
滝岡が冷静に、淡々と糸を操っている。
「そこを止めて、そう、―――。慎重にやろう。9―0、ありがとう」
助手が広げた視野の中を、滝岡が丁寧に、だが速く処置していく。大型のマイクロスコープからみる極微の視野を、髪の毛よりも細い糸を操り、滝岡が落ち着いた手で指示を出しながら、いまにも破れそうな患部を縫い合わせていく。
術野は極狭い。
肉眼では最早見る事の出来ない細部を、ドラム缶程の大きさのある大型の顕微鏡に向き合い滝岡が拡大した視野においている。巨大なマイクロスコープを覗き、その術野に見える拡大された極小の世界を慎重に滝岡の手が動く。
滝岡は落ち着いて見つめ、その針で縫うだけで破れそうな血管を一つひとつ丁寧に縫い合わせていく。
静かに機械音が響く。
静寂の中に、微細な組織を柔らかく脆い組織に滝岡が繋いでいく。
生命がそして、移植片に、――――。
宿る。
血流を再開し、流れ出した血液に漏れがないことに。組織が生きて躍動を始めたことに周囲に僅かにどよめきが渡る。
滝岡が静かにそれを観察して、数値を確認し次に移る。
「次は、カテーテル処置です」
滝岡の声に周囲がはっとしたように気を引き締め、次の段階に必要な器具を確認する。
「始めましょう」
「はい」
「斎藤さん、…―――」
滝岡が要求する器具を助手が渡していく。
「おまえは馬鹿か」
「いやですね、ばかに決まってるじゃないですか」
隣で苦い顔をしていう滝岡に、鷹城秀一がにっこりと笑みをつくってみせて、顔をそちらに向けていう。
無言のまま滝岡が手許のレバーを操作する。
「バリアフリーに貢献する警察って大好きですよ」
黒い大型のバンの後部ハッチが開いて、可動式の床が迫り出す。
周囲で驚いてみていた人々が、さらにそこに進み出て来たものに驚く。
「やあ、どうも」
軽く手をあげてにこやかにいうと、黒い電動車椅子に乗って車から降りた鷹城が地面に設置するのを待って背後で床がしまわれていく。
「おい、まて、秀一!」
操作をしていた滝岡が悪態を吐く。
軽く背後の滝岡に手を振って、鷹城秀一が車椅子で県警本部内に入っていく。
「秀一、―――?」
機嫌の悪いと一目でわかる滝岡にまったくひるむことなく。
鷹城が背に車椅子を押す滝岡を振り仰いで、にっこり笑顔をサービスする。
「…その笑顔の大判振る舞いはいらないぞ」
「えー?にいさん、感謝してるのに!」
「あのな?それにしても古いな」
古い木造の西洋建築――明治期に建てられた重要文化財であると建築時期と共に入り口に置かれた銅製の銘板には書かれていた――のきしむ廊下を車椅子に乗って運ばれながら鷹城が答える。
「此処は神奈川県警の臨時庁舎になるからね。他に場所がなくて、ほら、例の騒ぎの後、県警の捜査一課とか此処に押しやられてるんだよ」
「話には聞いていたが、…。それより、それで何故、その捜査一課におまえは戻る必要があるんだ?」
滝岡に訊かれた秀一が首をすくめて。
そうして、かくして。
「ここ、関の仕事場なんだよね。僕が遊びにくるとうるさくって!」
「…遊びに、――?おまえな?」
滝岡が眉を寄せて鷹城を見る。その突き刺さるような視線を全然気にもせず、あ、と何かを見つけてにっこり笑顔になる。
「にいさん、こっちこっち!この敷居の先にあるのが、捜査一課です」
古い木造校舎と思しい板張りの廊下。扉の外されて誰でも入室できるようになっているが、間に敷居があるのをみて滝岡が眉を寄せる。
「段差があるな」
「バリアフリーにはほど遠いね。悪いけど、中に入れる?」
「―――…」
不機嫌な顔をして滝岡が車椅子を操り何とか段差を越えて車椅子を室内に運ぶ。
「にいさん、じょーず!」
「…―――」
完全に不穏な気配になる滝岡の冷たい視線にもめげず、鷹城が周囲を見回す。
「それにしても、古いよねえ、…」
「…こうして部外者が簡単に入室できるのは感心しないな」
「まあねえ、――たすかることもあるんだけど」
その言葉に滝岡が眉を寄せて、ため息をついて鷹城を見る。
「それで、此処へ来て何をしたいんだ?」
「ちょっとまって」
勝手に軽く片手をあげて言葉を遮ると、鷹城が目を閉じて何かを考えるように口許に拳を当てて沈黙するのに天井を仰ぐ。
車椅子に手を置いて、あきれたのを隠さずに大きく溜息を。
「おまえな、次はどうすればいいのか、はっきりいえ」
「黙って」
軽く右手をあげて、端的にぴしゃりといって沈黙する鷹城に眉を潜めるが。
「…――――」
無言で片手を車椅子に置いて鷹城の反対側、窓の外へと顔を向ける。
翠の梢は、のどかなくらいに明るく青空と共に日射しを木造の古い室内へと運んで来ている。
ふと、その枝に止まる小鳥に気付いて滝岡の表情が和んだ。
滝岡には雀でないことくらいしか解らない小鳥たちが、何事か囀りながら、枝を移りはねるようにしている。
梢に翠が光に透けて風に揺れて、のどかな時間を運んでくる。まるで、天に何事もなく世界は平和であるというようにして。
――そうかもしれないな。
何が起こっていても、この青空の下に。
滝岡がふと、泣きそうに思えて下唇を僅かに堪えるようにかむ。
鷹城秀一が、何事もなく元通りといえる身体の状態で仕事に復帰できるかはまだわからない。
それ以前に、いまこのときも、――――。
不明な毒の影響は、どのような反応を引き起こすのかまったくわからない。
いま元気にみえたとしても、急変することも有り得るのだと。
知っていても、それでもいま己の仕事から逃げるつもりが無いことがわかっているから。
手伝うしか、ないんだがな。…―――
微苦笑を零して、滝岡が秀一を見る。
いつでも、この無茶をする弟を、心配しながら見守ってきたが。
だとしても、いつも曲げることのない意志を支える為に、できることをするしかないのだが。
鳥は自由に飛ぶ。往く先を定めるのは、鳥自身のみだ。
…――だからまあ、心配しながら、小言でもいうしかないんだが。…
苦笑しつつ、結局は秀一の希望を手伝う自分にあきれながらも。
病室を脱走する手伝いを、結局はしている滝岡がいるのだった。
後悔しない為に、いつでも全力で走る。
それが、鷹城秀一だと、知っているからだ。―――
仕方ない、と。
そうして、―――




