鬼灯 10
「…記憶がない、か、――」
「だから、ごめんって!ないものは仕方ないでしょ?つまり、だから、――」
ちら、と視線を送る滝岡に鷹城が黙る。立ったまま腕組みをして、病室に戻した鷹城の傍らに立つ滝岡に。
「…だからさ?その、…足をけがしたらしいけど、いつけがしたとか、全然記憶にない」
「おまえを関からの連絡で救出に向かったんだが、その場所にいることになった理由も憶えていないんだな?」
「…おぼえてない。…―――だから、…関が何で?」
「知らん。おまえの方が知っているものだと思っていた」
滝岡の言葉に秀一がくちを軽くとがらせて不機嫌な顔をする。
「だって知らないから、…ごめん、―――にいさん」
「…―――」
滝岡が秀一の言葉に困った顔をする。
「おまえを責めても仕方ないが、せめて何か毒を飲んだ記憶でもあれば形状から当たりをつけることもできるかと思ったんだが」
「…その、記憶がなくてごめんなさい。でもさー、ほら、こうして元気だし?」
「透析装置に感謝するんだな。解毒がきちんとできているかどうか評価が難しい。病院を移ることにしたいんだがな。…うちで解析したい」
「ごめんって、…―――。ごめん!にいさん!って、ここ、そういえば、うちじゃないの?」
「そうだ。遠隔でつないで処置をしてるが、どうにもな、…。おまえの容体が落ち着くまでは動かすこともできないしな」
思わしくない顔でみていう滝岡に、秀一が眉を寄せる。
「それって、本人にいう?経過とか、…―――まだ僕って動かせないわけ?」
「そうともいう。微妙な処だ。動かして悪化することはないと思うが、…」
「えーと、それなら、ほら、――現場に、――記憶戻るかもしれないしっ!」
起き上がってベッドを離れようとする鷹城に滝岡が慌てて留める。
「おいまて、秀一!」
「えー、だって、現場百回とかいうでしょ?」
「落ち着け、秀一」
「うん、ぼくは落ち着いてるってば、にいさん」
「あのな?どこがだ?」
「でもさー、にいさん。僕の記憶が戻れば、盛られちゃった毒の種類がわかるかもしれないでしょ?」
「う、…それは、」
困る滝岡に。
病室を出て、滝岡が橿原からの連絡に折り返す。
画像を伴う通信が繋がり、滝岡の顔色の悪さに橿原が何かをいいかけてやめる。
「毒の特定が難しいのでしたね?」
「…――はい、主な薬物は当たっているのですが、…」
橿原が視線を伏せ組んだ手をみて、ふと呟くように云う。
「…―――鬼灯、…――」
「ホオヅキ?」
滝岡が首を傾げるのに、橿原が視線を上げる。
「鷹城くんがくちにした言葉です。救助された際、意識を失う前に。…もう本人はそれも憶えていないのですね?」
「…おそらくは、…――ホオヅキ、ですか?ホオヅキ、…光、何かあるか?」
オンラインで複数つながれている回線の中で、光が第一のオフィスから滝岡の質問に答える。
無言で難しい顔をして光が眉を寄せて。
「ほおづきって、あのあれか?赤くてくちで膨らませて遊ぶ奴だ。ばあやに怒られた」
「…遊んでいて怒られた事はあるな、…あれは何故だったろう?」
光の言葉に滝岡も思い出して眉を寄せる。
「ほおづき、か。何も浮かばないな。―――」
苛立つようにいう滝岡に、軽く光が息を吐く。
「正義、おまえにはそういうのを考えるのは向いてないな、確かに」
「…わかってる。…しかし、ほおづきか、…それが?…くそっ、」
「滝岡くん、言葉使いが悪いですよ」
「…おじさん、…院長」
怒られて眉をあげて見返す滝岡を他所に、橿原が手を組み替えて天井を見るようにする。
「…鬼灯、…――毒物や薬に関してというのなら、ひとつだけ思い当たるものがあります」
「何ですか?おじさん!」
デスクに手をついて身を乗り出す滝岡に、のんびりと橿原が視線を向けて。
「…確か、生薬に鬼灯を使うものがありましたね。…妊娠した女性に禁忌、…――江戸時代は堕胎薬として使用されていました。子宮の収縮作用があり、アルカロイドとして、ヒストニンが含まれていて、解熱利尿剤として用いられていたはずです。酸漿根、―――現代でも生薬として、いまでも風邪薬等として煎じて用いている地域もあったはずです」
「…――それかもしれません」
不意に生き返ったように滝岡が橿原を見据えてくちにする。
「確かに、そうだな。生薬か!漢方のデータベースがあるはずだ」
光が滝岡の肩に手を置いていうのに滝岡が頷く。
「森川先生と科警研に伝えよう。…――――分析の助けになるかもしれない」
急いで連絡を取る滝岡と光を前に、橿原がしずかにくちにする。
「しかし、…―――生薬というものは確か」
「…おじさん?」
淡々と橿原が続ける。
「成分の異同、原料の生産地等により同じ名の生薬でも、有効成分等が異なることがあるといいます。また、その微量成分が異なる故に西洋薬のように一定の効果を期待しにくい、―――逆に云えば、個人の体質等により、どのような作用が現れるかが大きく異なりやすいということです」
「…――もし、秀一から同じ成分の毒物が検出されたとしても、他の事例と同じ対処で回復するとは限らないと?予後が、―――」
森川先生に連絡した滝岡が、通話を切り橿原に向き合う。
淡々と感情の読めない闇色の眸で橿原が滝岡に向き合う。
「その通りです。現れる症状もまた、個人の体質等により異なることがあるのですから」
「…わかりました」
固い表情で通信を切る滝岡に、消えた画面を橿原が無言で見詰める。
光もまた、無言で滝岡の最後の表情を思わしげに。
「…―――」
予後がどうなるのか。
一時的な作用で終わるのか、解毒した後も、後遺症が大きく残るのかどうか、―――。
秀一の今後、人生がどうなるのかを決めるのは。
回復は未だ完全からは遠い。
どうすれば、より良い状態へと戻すことができるのか?
画像が消えた画面を、橿原が沈黙して見つめている。
病室の前に、急いで走って来た関を迎えて、相変わらず感情の読めない表情で橿原が立つのに。
「橿原さん」
「関さん、はやかったですね」
「それで、鷹城は何と?」
淡々と問う橿原を無視して、急いで関が問うのに。
冷ややかとも違う、淡々とした声と視線で橿原が言葉にする。
「それなのですが、関さん」
「…どうしたんです?まさかまた容態が、」
驚いて、必死に見ていう関に、廊下に佇んで病室を眺めながら橿原が答える。
「容態は落ち着いています。問題なのは、記憶です」
「記憶?…橿原さん?」
「では、診察も終わったようですし、いきましょうか」
「…橿原さん?」
鷹城の病室から出て来る医師達と、廊下の反対側に立つ制服警官に一礼して、橿原が先に歩き出す。その後を慌てて着いていきながら、関が病室の扉を潜る。
白い病室は、明るい日射しに満ちていた。
その中に関が目を凝らし、半身を枕に支えられて起こしている鷹城の姿を見つける。
「…―――――」
息を呑んで、その呑気な笑顔が見返しているのに、関が声に詰まるような顔で見返す。
何を云うこともできずに見つめる関に。
のんびりと、鷹城があくびをして。
「やあ、あれ?橿原さんにきみまで。どうしたんですか?」
ギプスをつけた右足に、まだ左腕から点滴を受けている以外は。
蒼白い顔色ではあるけれど割に平然としてみえる鷹城に迎えられて、関が思わず睨んでから橿原をみる。
「どういうことです?普通じゃないですか、記憶がどうとかって、」
「別にちゃんと憶えてますよ。大丈夫です。けど、まあ、…。肝心な処がぼけちゃってるんですけどね、まったく」
「…肝心な処?」
橿原を睨んでいう関をいなすように、軽くいう鷹城に関が睨む。
「おまえな?何を軽く、」
怒って云い掛ける関に、橿原がその背後でのんびりとくちにする。
「そう、肝心な記憶が抜け落ちているそうです。鷹城君は、自分を襲撃した相手を憶えていないそうなのですよ」
関が鋭く鷹城を振り向く。
「…何だって?どうしてそんな間抜けなことになるんだ?襲った相手の顔を憶えてないってのか?」
睨む関に、鷹城がふくれる。
「ひどいな、間抜けってね?きみはね、」
「うるさい、間抜けは間抜けだろ!どーして憶えてないんだよ!少しは思い出せ!」
「まあ落ち着いて、関さん」
感情のこもらない橿原の声に、関が振り向いて睨む。
その隙に、鷹城が横を向いて、――――。
くちを噤み、無言で壁を見つめる鷹城の気配に、関が振り向く。
横を向いたまま、鷹城がぽつり、と云う。
握る手が白いことに、関が無言で眉を寄せる。
「―――…というより、衝撃のせいか、襲われたこと自体を何も。僕も情けないんですけどね」
「…――――」
言葉の無い関に、後ろに立ったまま淡々と橿原が云う。
「衝撃を受けた前後の記憶を喪失することはよくあることです。交通事故などでも、受傷した前後の記憶が抜け落ちていたりすることはよくあります。しかし、この場合は困りましたね」
ちら、と橿原がみるのに鷹城が溜息を吐く。
関も眉を寄せて鷹城を睨むようにする。
「そういわれましても、橿原さん。僕の記憶は、こうして病院で先程目覚めてからと、あの村を訪ねていこうとした処までしかないんです」
「じゃあ、襲われてあの小屋に監禁されてた間の記憶はないのか?」
「それ以前で、村に行こうと思ったことまでは憶えてるんですけど」
「…まったく役に立たないじゃないか」
「あのね?…何で橿原さん、関がここにいるんです?」
眉を顰めていう鷹城に、橿原があっさりと云う。
「ではやはり、君は関さんと僕が、君を救出した際のことも記憶してはいないのですね?」
「…――――御二人が?…その、橿原さんの手をどうして煩わせて、――――それに、きみがなんで?」
「…たまたま居合わせたんだよ!」
驚いてみあげる鷹城に、関が睨んでから横を向く。
「橿原さん、自分はこれで、…証言が取れないんだったら、」
「待ちなさい、関さん。では、これは憶えていますか?鷹城君」
橿原がしずかに訊ねる。
息を呑むようにして、関は何故かその問い掛けに鷹城を見詰めていた。
「君は、誰を訪ねてあの村を訪れたのですか?」
「――――…」
思わず無言で見返す鷹城を、橿原の読めない眸が見つめ返し。
そうして、その橿原と鷹城に、言葉を失くしたように関もまた、無言で見詰めていた。
「いやだな、橿原さん」
鷹城が綺麗に笑うのに、橿原が唯応えずに視線を置いている。
「そこまで忘れてたら、本当に僕危ないですよ」
病院着の薄い青が白い鷹城の顔をより整った人形のようにみせていた。
「―…と、いいたいんですけど、僕本当に危ないみたいですね。―――――――――あそこに行こうと思ったのは憶えてるんですが、どうしてなのか、…。誰を訪ねていったのか、思い出せないんです」
言葉を切って途中でぼんやりと何かを探すように宙をみて。
それからあきらめたように笑って鷹城がいう。
「橿原さん」
「何ですか?関さん」
「…あれは、鷹城の証言は本当ですか?あれは本当に憶えてないんですか?」
車を運転して山道を登りながら関が問い掛ける。
「そうですね。君は、あの鷹城君の証言を疑う何か根拠を持っているのですか?もっといえば、関さん。君も」
「何です?橿原さん」
集落の見える道の一角に車を止めて関が答える。
「すべてを証言していないのではありませんか?君は鷹城君が話していた相手は見えなかったといったそうですが」
「そうでしたか?」
橿原が正面を向いたままでいう。
「本当に、君にはその相手が見えてはいませんでしたか?」
無言のまま青い山麗を関が睨む。
「そして、君を今回鷹城君救出に向かわせた根拠は何です?」
橿原がしずかに関を見る。淡々とした感情のみえない瞳で。
「君は、何を見たのですか?」
関が沈黙したまま目を閉じる。
「関さん」
橿原が静かにいうのに。
「…橿原さん、…その前に、お話する前に、確かめたいことがあるんですが」
無言で橿原が関を見る。




