第八十六話 観音寺の再議・山路の別れ
火事の翌日、観音寺城の灯は、いつもより遅くまで消えなかった。
徹夜で働いた者たちは昼間眠り、別の者たちは灯の下で地図や帳面を広げ、昨夜の失策を一つひとつ印を付けていた。
六角義賢は、仏堂の裏部屋で小さな会合を開いた。
蒲生定秀、三雲、平井が揃っている。
「昨夜の火だが。」義賢が切り出した。
「澄原殿がいなくても、倉の前は守れたか。」
「守れただろう。」三雲は少し考えてから言った。
「だが、もう少し血を見る。」
「腕が何本か折れ、火傷も増え、腰の抜けた見張りも何人か出る。」蒲生が補った。
「それに『あの火が古板だけの火なのか、米まで狙ったのか』も、わからないままだ。」
「私が聞きたいのは、一つだけだ。」義賢は言った。
「澄原龍立という男を、観音寺に留めるべきか、どうかだ。」
室内に短い沈黙が落ちた。
「病を見て、人を見て、城も見る。」三雲が最初に口を開いた。
「そういうのが家臣なら、いい刀だ。家臣でないなら、壁に掛けられた鏡だ。見ているうちに、自分の心が落ち着かなくなる。」
「お前は落ち着かんのだろう。」蒲生は笑みを漏らした。
「あいつに何度か図星を言われたからな。」
「お前は落ち着いているのか。」三雲は言い返す。
「心地よいとは言わん。」蒲生は言った。
「だが、役には立っている。この数日のあいだに、兵舎の脚、倉の頭、城下の法度と秩序、少なからず引き上げてもらった。」
平井はゆっくりと口を開いた。
「昨夜のあと、倉を守っていた連中の目つきが、変わりました。」
「どう変わった。」義賢が問う。
「前はよそ者の先生でした。」平井は言った。
「今は、『一緒に夜番に立っていた人』になりかけている。」
「お前が一番気にしているのは何だ。」義賢は三雲を見た。
「三つ。」三雲は指を立てた。
「一つ、尾張からも浅井からも来ていること。二つ、見すぎること。三つ、どこに付くか言わんこと。」
「尾張も浅井も、いずれ敵となるか。」義賢は続ける。
「少なくとも、避けて通れない山だ。」三雲は言った。
「そんな男を城に置いておけば、六角の腰も、腹も、心も、その目に全部さらすことになる。」
「だが、追い出せば。」蒲生は静かに言った。
「尾張へ行くか、浅井へ戻るか。こちらからは何も見えない。」
「お前は、『見すぎるから用心しろ』と言う。」義賢は苦笑した。
「お前は、『見えるものがあるなら利用しろ』と言う。ならば、ひとまず『信じるに足る客人』とみなそう。今のところは。」
会議が終わると、蒲生は仏堂を出て、その足で澄原の客舎へ向かった。
外は、ちょうど宵闇が降り始めたところだった。障子の向こうから、小さな灯りの明かりが漏れている。
弥助が戸口にしゃがみ込み、刀の鞘に油を塗っていた。
「定秀殿。」彼は蒲生に気づいて跳ね起きた。
「先生、荷物を片づけてます。」
「片づけている。」蒲生は目を瞬いた。
「何を。」
「旅支度です。」弥助は正直に答えた。
「先生が、『六角はもう一通り見た。別の山を見に行く』って。」
蒲生はしばし呆然とし、それからふっと笑った。
「やはり、そう来たか。」
彼は、誰にともなくつぶやいた。
部屋の中では、柳澈涵が木箱の蓋を閉じていた。
蒲生を見ると、穏やかな笑みを浮かべる。
「いいところに来ましたね。明日の朝にでも、ご挨拶に行こうと思っていたところです。」
「もう行くのか。」蒲生は苦笑した。
「もう少し見て行けばいいものを。」
「一日長く見れば、その分だけ道が偏ります。」柳澈涵は言った。
「この城は、すでに私の中で一つの場所を占めました。これ以上増やすと、『どこにも付いていない』顔をして路に立つのが難しくなります。」
蒲生は何か言いかけて、思いとどまったように口をつぐんだ。
「さっき、話し合った。」彼は言った。
「こちらは、お前を敵ではなく友とみなすことにした。何か必要なものがあれば、遠慮なく言え。」
「欲しいものは特にありません。」柳澈涵は笑った。
「ただ、火が上がる前に『今夜は寝るな』という一言を聞いてくださった。それで十分です。」
「この先、尾張へ行くことも、浅井へ戻ることもあるのか。」蒲生はゆっくりと問うた。
「いつか、六角の向こう側に立つ日も来るのか。」
「あるかもしれません。」柳澈涵はあくまで率直だった。
「第三の場所に立つかもしれないし、ただ路の上に立って、誰が誰を火の中へ押し込むか眺めているだけかもしれません。」
「そのとき、お前はどう刀を抜く。」
「死ぬ人が少ない方へ。」柳澈涵は淡々と答えた。
「それがなければ、一本少なく振るうだけです。」
蒲生は、じっとその目を見つめていた。長い沈黙の末に、ただ深い吐息を漏らしただけだった。
「小谷からの手紙が来ている。」彼は思い出したように言い、一通を差し出した。
「雨森殿からだ。」
柳澈涵は封を切り、目を通した。
長い文ではない。小谷の山裾の雪、兵舎の古傷、そして「浅井父子の最近の顔つき」について触れ、最後にこう締めくくられていた。
――「六角に、見る価値のある道があれば、代わりに見ておいてくれ。」
「何と返す。」蒲生が聞く。
柳澈涵は筆を取り、紙の裏に短く書きつけた。
「六角の城、仏多く、商多く、人心一ならず。
腰は伸びうる。腹も救い得る。心は揃い難し。
そちらは、脚ばかり見ず、他も見ること。」
書き終えると、封を折り畳んで蒲生に返した。
「次は、どこへ。」蒲生が問う。
「山の中です。」柳澈涵は答えた。
「この近くに、甲賀という土地があると聞きました。あそこの連中は、木陰ばかり選んで歩き、夜も灯りを点けないとか。」
「甲賀か。」蒲生は目を細めた。
「あそこには、家紋を嫌う連中が集まっている。お前と、少し似ている。」
「だから見てみたいんです。」柳澈涵は笑った。
「灯りに頼らず、耳と影だけで夜を歩き続けられるか、確かめてみたい。」
翌朝早く、観音寺の城門前。
霧はまだ晴れず、寺の鐘が一打、山を渡っていった。
柳澈涵と弥助は、荷を背に山道の入口に立っている。
「澄原殿。」六角義賢は姿を見せなかったが、蒲生を通じて言葉を寄こした。
「六角は、お前に一夜分の倉と、一夜分の火の借りがある。」
「倉の米が、この春を無事に越せれば、それで十分です。」柳澈涵は言った。
「その方が、どんな形の恩返しより大事でしょう。」
蒲生はうなずいた。
「いつか、もう一度観音寺を通ることがあれば――。」
「その頃には、ここも旗が変わっているかもしれません。」柳澈涵は言葉を継いだ。
「旗が誰のものでも、この寺はこの寺のままです。」
彼は城門の奥深くに向かって、深々と一礼した。
それは、特定の一つの旗にではなく、寺と城が一つになった「壺」そのものへの礼だった。
弥助は重なり合う楼閣のあいだにはためく家紋の旗と、その向こうに立つ仏塔を見比べ、振り返った。
「先生。」
「うん。」
「僕ら、ずっと『人の家の壺』の中をぐるぐるしてるんでしょうか。」
「だからこそ、壺の形を覚えておく。」柳澈涵は言った。
「どの壺がひっくり返りそうかを見るとき、中に元々どんな水が入っていたか、思い出せるようにな。」
二人は背を向け、山の中へと続く小道に踏み出した。
その道は、小谷へも観音寺へも続く道より狭く、木々の影が低く垂れ込め、陽の光がそう簡単には差し込まない。
「あれが甲賀ですか。」弥助は、前方にぼんやりと浮かぶ山並みを目を細めて見た。
「たぶん。」
柳澈涵は風に耳を澄ませた。木陰の下から伝わってくる足音は――
軽く、速く、それでいて地にしっかりと着いていた。
「行こう。」彼は言った。
「灯りを点けないで歩く連中が、どうやって夜を越えるのか、見に行く。」
背後で鳴る観音寺の鐘は、だんだん小さくなっていく。
小谷の壺口は、すでに別の山影の向こうである。
尾張、浅井、六角。三つの山と水が、彼の心に描かれた地図の上で、それぞれ小さな光点になっていた。
次に灯るのは、木陰の下のあの一角だろう。
甲賀――その名もまた、小さく光り始めている。




