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戦国澄心伝  作者: Ryu Choukan


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第七十五話 城中密議・去るべきか留まるべきか

山路での一戦から間もなく、小谷の主楼には、いつもより長く灯がともっていた。


それは、表向きには知らされない密議だった。


集められた人数は多くはない。だがその顔ぶれは、ほとんどこの城の骨組みすべてを代表している。


浅井長政、浅井久政の父子。


雨森弥兵衛。


海北綱親、赤尾清綱、阿閉貞征、遠藤直経。


外の風は軒を叩きながら渦を巻き、室内の障子には、人影がいくつも揺れて映っている。


「まず尾張からの知らせを。」雨森が口火を切った。「織田信長は清洲にて、美濃へ抜ける道筋をひそかに整えつつあります。六角は東を窺い、小谷は、その両者の狭間に位置することになります。」


「俺たちは前からずっと真ん中に立っていたさ。」海北はうんざりしたように頭を掻く。「ただ、以前は誰も見ていなかっただけだ。今は両側からじっと見られている。」


「ゆえに、今日議すべきことは二つ。」長政が言う。「一つは、今後浅井が東に向かうのか西に向かうのかということ。もう一つは、ここ数日、小谷に『増えた一人』について。」


名は挙げられていない。だが誰もがすでに察している。


――澄原龍立。


口を開いたのは久政だった。


「こういう流れ者を、長く置いておくのはよくない。」声は大きくはないが、押し殺した焦りが滲んでいる。「兵舎も、街も、山道も、彼は見過ぎている。将来尾張と近江が刃を交える時、あいつが尾張側に立っていたら、こっちの一挙手一投足があの男の筆先の上だ。」


「父上はお忘れではありませんか。」長政は静かに言う。「いま彼は、『こちらの者たちがどう生きているか』も見ている。」


「だからこそ、なおのこと危険なのだ。」久政の声音は冷たい。「刀は借りることができるが、目は借りられん。」


雨森は深く頭を下げた。


「久政公のご懸念、よくわかります。」


「では、お前はどう見る。」久政が問う。


「この世には、医を解し兵も解する者は多うございましょう。」雨森は言葉を選ぶ。「しかし、人の心を解し、なおかつその心の側に立とうとする者は、多くはございません。澄原殿は、その少なき者の一人かと。浅井がいま真に必要としているのは、死ぬ者を少しでも減らし、この『壺』の水をまず鎮めること。そのような目をまったく用いないのは、惜しゅうございましょう。」


「使うのか。」久政は鋭く問い詰める。「それとも、使われるのか。」


海北も口を挟んだ。


「もし山道であいつがいなかったら、俺はもっと派手に斬れたかもしれん。」彼は本音を漏らす。「だがそのかわり、うちの連中ももっと多く倒れていた。兵舎の傷を治さなければ、いざという時に走れんのは、やっぱりあいつらだ。」


赤尾は、わずかな間を置いてから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「私は、本来ならああいう素性の見えぬ男は好きではない。」と。「だが、この何日か彼の手の振るい方と、言葉を聞いていて思った。あの男は、人を斬るのを楽しまず、人を助けることで好感を買おうともしない。」


「どういう意味だ。」長政が目を向ける。


「通りであの百姓を助けた時。あれは、あの男が大声で泣き叫んでいたからではない。」赤尾の声には確信があった。「六角の旗を掲げた連中を斬った時も、旗そのものが気に入らなかったからではない。あいつはただ、『この一刀を振り下ろしたあと、明日まだ田を耕す者がどれだけ残っているか』――それだけを見ていた。」


阿閉貞征はこれまで黙ってうつむいていたが、このとき口を開いた。


「主公。いずれ六角と、織田とを相手に立ち回らねばならぬとき。」淡々とした口調だが、その言葉は重い。「ああいう男は、早晩どちらか一方に立つことになるでしょう。今この時点でこちらにいるということは、その分だけ、向こうにしかいない場合よりも、まだましだと愚考いたします。」


室内には、しばし静寂が落ちた。


「父上のご懸念は、『彼が将来どちらに立つか』という一点です。」長政はようやく口を開いた。「ならば、こちらから先に、一つ筋を通しておくというのはどうでしょう。」


長政は雨森に視線を向ける。


「書付を。」


雨森は筆を取り、言葉を待つ。


「一つ。」長政ははっきりと言葉を紡ぎ始めた。「澄原龍立を、浅井家の家臣帳には載せぬこと。家禄も与えず、家紋も授けぬ。」


「彼はあくまで、『借り物の医者であり軍師』とする。忠誓の誓いで縛らず、恩賞で縛りもせぬ。」


「二つ。」


「彼が浅井に留まる間は、軍勢に同行するもよし、兵舎に入るもよし、城下を見て回るもよし。その見聞きしたものは、我らと彼とが共に負うものと見なす。」


「三つ。」長政の声はそこでほんの少し止まり、静かに続けられた。「もしもいつか、我らが尾張と刃を交えると決めたときは――その前に、彼には必ず小谷を去ってもらう。尾張に立つ者に、浅井の最後の刀の振り方を見せるわけにはいかぬ。」


雨森は一字一字、筆に力を込めて書きつけていく。


「お前はあの男を家臣ではなく、友と見ているのだな。」久政は冷ややかに言った。


「家臣なら、一枚の紙で呼び出し、一枚の紙で追い払える。」長政はまっすぐに返す。「友と見なすなら、去るときに一度はこちらを振り返る。」


久政は、複雑なものの混じった眼差しで息子を見つめる。


やがて、深々と息を吐いた。


「好きにしろ。」


密議が散じたあと、雨森は書き上げたばかりの紙を丁寧に折り畳み、袖の中にしまった。


「いつ、彼に見せるつもりだ。」廊下で追いついた海北が、声を潜めて尋ねる。


「今見せるには、重すぎる。」雨森は答える。「いつか彼のほうから、『小谷を離れたい』と言い出したとき、その時に。」


「もし言い出さなかったら。」影の中から赤尾が歩み出る。


「言い出しますよ。」雨森は、夜の小谷の明かりを見やった。「ああいう男は、歩き出す前に、必ず一度地図を眺める。」


同じ夜、城下の客舎にて。


弥助は窓辺に寄りかかり、山の灯を見上げていた。


「先生、ずっとここにいるんですか。」


柳澈涵は小さな冊子を広げ、筆先を走らせている。


羊皮の表紙の一頁目には、すでにいくつかの地名が連ねられていた。――「尾張・清洲」「美濃」「近江・小谷」。


「山には『借りて住む山』というのがある。」柳澈涵は言う。「それから、『自分の足跡を後で振り返るために歩く道』というのもな。」


「じゃあ、いつ出ていくんですか。」弥助は不満げにうつむく。「ここにいる人たち……怖いけど、いい人も多いのに。」


「この一年の雪が、山の病が、城下の米が、ある程度形を見せるまで。」柳澈涵は彼の頭を軽く撫でる。「それが済んだら、また別の山を見に行こう。」


冊子には、さらに文字が書き足されていく。


「近江・小谷――壺口、小さくして堅し。


兵舎の脚は癒すべく、街口の刀は鈍らすべく。


主楼の父と子、心は一にあらず。


雨森の筆は、縫うこともできれば、切ることもできる。」


最後の行を書き終える手を、一度止める。そして、もう一行を加えた。


「澄原龍立、この名は仮に借りたもの。いつか返すときは、尾張・美濃・近江の山河が、再び交わるときであろう。」


油灯の火は揺れもせず、静かに燃えている。外では風が紙障子を叩き、低い音を立てていた。


夜の山谷に、小谷一城の灯りが散らばっている。その様は、谷間に身を縮めながらも、すでに目を開けつつある獣のようでもあった。


この一年は、浅井にとっては大嵐の前の浅い呼吸に過ぎない。


だが柳澈涵にとっては、清洲を離れてから初めて、他人の城において自分の刀と鍼と目を、丸ごと差し出した一年である。


この先、雪は溶け、旗は掛け替えられ、山は揺れるだろう。


そしてこの時期に刻まれた足跡が、やがて美濃と尾張の戦いにおいて、彼がどこに立ち、いかなる一刀を振るうのかを決めることになるのだった。

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