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戦国澄心伝  作者: Ryu Choukan


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第七十三話 主楼雪庭・父子の人を見る眼

それから数日後、小谷城主楼。


雪はすでに止んでいるが、主楼の裏庭にはまだ溶け残った雪がところどころに積もっている。きれいに剪られた松の枝には霜が残り、庭の石灯籠の前に広がる小さな空き地は、丁寧に掃き清められていた。


浅井長政は廊下に立ち、浅葱色の狩衣に軽鎧をまとっていた。年は若いが、その目には、日々地図と勘定帳に向き合って磨き上げられた静かな光が宿っている。


「これが、澄原殿か。」


横に控えた雨森弥兵衛が、簡単な紹介をする。


柳澈涵は庭に入り、一礼して身を正した。


「浅井殿。澄原龍立、無礼の段お許しくだされ。」


長政もまた、軽く身を折って応じた。


「遠くからの客に、無礼ということはない。」


二人は池を挟んで向かい合って座る。


池の縁の石には薄く雪がかぶさっているが、水面にはすでに、ゆっくりと泳ぐ魚影が数匹、揺れている。


「聞くところによれば、澄原殿は兵舎で鍼を打ち、街口で刀を振るい、山道で一度敵を防いだとか。」


長政は遠回しを避けた。「小谷のような小さな城のために、そこまで骨を折っていただいた覚えはないが。」


「浅井のために骨を折っておりますわけではござらぬ。」柳澈涵は答える。「この道中、足元の山河を眺めるうちに、ここは他の土地ほど濁っていないと感じただけ。」


「ほう?」長政の興味を引いたらしく、声に色が乗る。「どこが違うと?」


「兵舎の脈は、凍傷と古傷が多い。」柳澈涵は池の水面を見つめた。「ですが、『自分が何のために戦っているかもわからぬまま荷物を背負っている』ような虚火は、さほど多くない。街の人々の視線は、刀ではなく米袋のほうをより多く見ている。主楼の旗は大きくはないが、他の家々の旗のように、いつも無闇にひらひらとはためいているわけでもない。」


雨森は黙って聞きながら、唇の端に僅かな笑みを浮かべた。


「よく見ておられる。」長政が言う。「では尾張は。そちらからここまで来る間に、尾張にも脈を取ってきたのだろう?」


「尾張は地が狭く、道が多い。」柳澈涵は端的に答える。「旗も多く、心も多い。その利は、将来どちらに歩むにせよ選択肢が多いこと。だが裏を返せば、一歩ごとに『いま誰の影を踏んでいるのか』を確かめねばならぬという厄介さもある。」


長政の指先が、茶碗の縁をゆっくりとなぞる。


「わしに、『浅井が歩むか歩まぬか』は問わぬのだな。」長政はふと笑った。


「歩むかどうかは、つまるところ浅井ご自身の御心次第。」柳澈涵は微笑する。「拙者が気にしているのは、いつかこの『壺』の蓋が開いたとき、中にいる人々が足を安定させていられるかどうかという一点のみ。」


長政はしばし沈黙した。


「その壺の中の水を、しばらく見てもらうことはできるか。」


「拝見することはできます。」柳澈涵は言う。「ただ、拙者はあくまで行脚の身。いずれはまた、どこかへ歩き出さねばならぬ。」


「どこへ行く。」


「尾張へ戻るかもしれませんし。」柳澈涵は率直に答えた。「別の山へ行くかもしれませぬ。誰の旗が先に『人を人として扱う』か――それを見てから、少しだけ多く、その者の行く道を見てやろうと思っております。」


庭の外では、風が幌幕を揺らしている。


「危うい男だな。」長政はふいに笑い出した。


雨森が軽く咳払いをする。


「主公。」


「危うさは悪いことではない。」長政は首を振る。「どこに置くかを見誤らなければな。」


彼は立ち上がり、柳澈涵に向かって軽く礼を返した。


「城下の兵舎のこと、これからも澄原殿に頼らせてもらう。いつかここを離れる日が来るなら、その前に一言、雪庭で声をかけてくれ。」


柳澈涵もまた、深く頭を下げる。


「その日が参りましたら、まずこの雪庭にて、ご挨拶を申し上げましょう。」


柳澈涵が雪庭を辞したあと。


主楼の奥の間では、一枚の簾がゆっくりと下ろされる。


「父上はいかがお感じになりましたか。」長政は簾の内側に向かって一礼する。


簾の向こうでは、中年の男が火鉢の側に座っていた。顔立ちは長政と三分ほど似ているが、その表情には疲れと諦念めいた苦味が何重にも刻まれている。


浅井久政。


「口は回る。」久政はゆっくりと言った。「刀も使える。鍼も打てる。こういう男が幼い頃から浅井の家で育っていれば、身内として扱えただろう。だが尾張から歩いてきた者を兵舎に座らせるということは、浅井の脚も、浅井の胃袋も、浅井の心臓も、丸裸にしてやるということだぞ。」


雨森は端にひざまずいている。


「ですが、兵舎の脚も、街の米も、主楼の心も。」雨森は口を開く。「彼に見せまいとしても、結局は見抜かれてしまいます。ならば最初から『ここに一対の目がある』と認め、その目をこちら側に置いておいたほうがよろしいかと。」


「お前もそう考えるのか。」久政は視線を向ける。


「臣は、『刀を借りる』べきだと考えます。」雨森は答える。「刃だけでなく、鍼も、その目も。ですが、姓までは借りる必要はございません。」


長政は少しの間、思案に沈む。


「父上の一番のご懸念は何か。」やがて問い返す。


「尾張と近江は、遅かれ早かれ正面から向き合うことになる。」久政は言う。「そのとき、この男がどちらに立っているかだ。」


雨森は言葉を失った。


長政がかわって口を開く。


「だからこそ、そのときが来る前に。」彼は静かに言った。「『浅井の側』をきちんと見てもらう必要があるのだろう。どちらに立つにせよ、この谷にどんなものがあったかを、忘れないようにしてもらうために。」


久政は、しばらく黙って息子を見つめる。


やがて、深く長い溜め息を吐いた。


「好きにせよ。」


外から吹き込む風が障子を揺らし、影がわずかに震えた。


浅井の父子と雨森の間にある微妙な違いは、この光と影の揺らぎの中で、静かにその距離を広げ始めていた。


同じ日の夕刻。城下の客舎にて。


柳澈涵は油灯の下で小さな文字を一行、書きつける。


――「小谷主楼。父と子、目の向く先は異なれど、共に一つの壺の中。」

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