第六十七話 晨の軍営巡り・軍心の診脈
翌朝、山の霧はまだ完全には晴れていなかった。
関所の小隊長は、足軽を二人連れて早めに村に降り、村口の地面に残る血の跡や、欠けた刀身の破片を見て、わずかに顔色を変えた。
「昨夜は……。」
「野犬が何匹か、間違った場所に迷い込んだだけだ。」
柳澈涵は、ごくあっさりと答えた。
小隊長は、村外れへと伸びる血の筋をしばし眺め、それ以上は問わなかった。ただ、柳澈涵を見る目に、昨日よりもいくらか重みが加わっていた。
「澄原殿。」
彼は、胸の前で拳を合わせた。
「兵舎に、古傷に苦しんでいる者が何人かいる。この寒さではどうにもならん。場所は貧しいが、見てやってもらえんか。」
関所の奥には、小さな営地があった。
数軒の兵舎が、こぢんまりとした練兵場を囲んでいる。冬の風はここでも容赦なく、旗竿に掲げられた浅井の旗は、すでに色褪せていた。
兵舎の中の空気は、汗と湿気と乾ききらない薬草の匂いが混ざり合っている。
三、四人の兵が、寝起きのままの格好で座ったり寝転んだりしている。腕や脚には、何度も使い回した包帯がぐるぐると巻かれ、足の指は真っ赤に凍えている。耳たぶが裂けている者もいた。
「ほとんどが凍傷でしてな。」
小隊長は苦笑する。
「あとは、治りきらない古傷だ。医者など呼べるはずもなく、酒で誤魔化すしかなかった。」
柳澈涵は、一人ずつ脈を診て回った。
すぐに針を打つのではなく、手首に指を置きながら、さりげなく言葉を交わす。
今年の米はどれほど減ったか。
六角との小競り合いは増えたか。
前線と後方の入れ替えは何度あったか――。
弥助はそばで黙って聞きながら、次第に悟っていった。
先生が診ているのは、手首の中を流れる脈だけではない。隊全体の息遣い、兵たちの心の重さ、そのすべてを一緒に測っているのだ。
「凍傷は、酒では治らん。」
柳澈涵は、ひとりの兵の手首を放して言った。
「一時だけ温かくなった気がするが、醒めれば骨の芯まで冷えが戻る。」
兵は、ばつが悪そうに頭をかいた。
「でも、寒さがきつくて……。」
「寒さは、足から、脚から見るものだ。」
柳澈涵は静かに言う。
「見張りのとき、お前たちは刀ばかり守って、自分の脚を顧みない。脚が駄目になれば、どんな名刀でも役に立たん。」
彼は何人かにズボンの裾をまくるように命じ、足三里、三陰交、太谿に針をしたあと、艾で軽く灸を据える。針の下から広がる鈍い痺れが、ふくらはぎから上へと上っていき、艾火の熱が皮膚の奥をじんわりと温める。
「足三里は、この腹から脚までずっと繋がる気血を守るところ。」
針を操りながら、穏やかな声で続ける。
「三陰交は三つの陰の経が交わる場所で、太谿は腎の流れのそばだ。人間が『骨の髄まで冷えた』と感じるとき、ふさがっているのはたいていこの辺りだ。」
兵たちは、話の半分も理解できてはいないようだったが、いくつかの名前だけは心に刻んでいた。
夜になると昔の戦の夢にうなされ、眠りから跳ね起きてしまう兵には、別の針路を選んだ。
まず、神門と内関に針をし、胸に溜まって上にも下にも行けない鬱積を、少しずつ散らす。次に耳の後ろの安眠のツボに軽く針をして、落ち着かない心の置きどころを作ってやる。
「寝る前の濃い酒はやめろ。」
針を抜きながら言う。
「飲んでいる間だけは忘れられるが、醒めたとき、夢は前より重くなる。」
針を終えてしばらくすると、兵舎の空気はいつの間にか幾分柔らかくなっていた。
さきほどまで咳を繰り返していた兵は咳を止め、顔にはうっすら血色が戻る。足が冷えて痺れていた数人は、立ち上がって歩いてみて、足裏に確かな感覚が戻っているのに驚いていた。
その様子を、小隊長はじっと見つめていた。
心の中では、すでに思案を始めている。――もしこの男が、ただの行脚医者にすぎないというのなら、どれほどの家があっさりと抱え込みにかかることだろうか、と。
「澄原殿。」
思わず口が開く。
「もし本当に小谷へ向かうおつもりなら、城下の屯所の頭に宛てて手紙を書ける。あちらには、もっと多くの負傷兵がいる。あなたのような人間は、もう少し主家に近い場所にいて然るべきだ。」
柳澈涵は、ただ微笑んだ。
「傷がここにある以上は、まずはここで治す。」
そう言うだけだ。
「この先どこへ行くべきかは、歩いていれば向こうからやってくる。」
弥助は、先生が針を打ち、言葉を投げかける様子を見ながら、心の中に新しい感覚が芽生えるのを感じていた。
――軍営という場所もまた、「脈」を持っている。
腕の中ではなく、脚の冷え、咳の深さ、漏れるため息の数の中に、その脈は隠れているのだ。




