第六十話 尾張を出る・河畔に問う去就
数日後、雪はようやく半分ほど溶けた。
清洲城外の官道は、湿った土に車輪の跡が深く刻まれている。離れた田畑にはまだまだらに雪が残り、その間から黒い土がのぞいている。去年の秋に掘り起こされたばかりの畑には、柔らかな緑がようやく顔を出し始めていた。その隣には、焼け焦げた杭が一列に並んでいて、まだ色の抜けきらない傷跡のように見える。
柳澄涵は、飾り気はないが足取りのしっかりした馬に乗っていた。
弥助は荷を積む小馬に乗っている。背丈のせいか馬格のせいか、足が鐙にぎりぎり届くほどで、手綱を握る手は真っ白になり、落ちまいと必死だ。
佐吉と阿新、阿久は澄斎の門口に立ち、その二頭の馬の背を、じっと見送っている。
「先生!」
佐吉が、ついに堪えきれずに声を上げた。
柳澄涵は手綱を引き、振り返る。
「ここは任せる」短く、それだけ言う。
佐吉は深々と頭を垂れた。
「必ず」
阿新が脇で声を張り上げる。
「先生、来年戻ったら、外の話を山ほど聞かせてくださいよ!」
阿久がその腕をぱしりと叩く。
「無事に帰ってくるのがいちばんだよ。話はそのあとで、いくらでも聞ける」
柳澄涵は、かすかに笑みを浮かべ、それ以上は言わずに馬を進めた。
城を離れれば離れるほど、戦の傷跡は雑然と目につくようになる。
昼頃、小さな川に行き当たった。水かさは深くない。岸では何人かの百姓が、粗末な木の鍬で、洪水で崩れた堤を直している。
その一人が顔を上げ、街道を行く二人を見て、逡巡ののちに道の方へ出てきた。両手を合わせて頭を下げた。
「お二方の御仁……」
弥助は、思わず馬から飛び降りそうになったが、柳澄涵の目がそれを制した。
「どうした?」柳澄涵は、馬上から見下ろして問う。
「自分は、美濃の方から逃げて参りまして」百姓は顔を上げた。目には疲れと警戒の色が混ざっている。「家が一度焼けまして、去年、尾張で人を募っていると聞いて、女房子どもを連れてこちらで畑を耕しております」
「今はどうだ?」
「今は……生きてはいけます」男は苦笑した。「ただ、その……ここの殿様が、向こうの殿様より、どれだけマシなのか……」
弥助は、それを聞いた途端、今にも「もちろんこっちの方が」と言いそうになったが、またも柳澄涵の視線に制される。
「お前は、自分でどう思っておる?」柳澄涵は逆に問うた。
百姓は、はっとしたように言葉に詰まる。
「あっちでは……」しばらく考えたのち、口を開く。「人も米も出せと言われました。城の石垣を築くのも手伝わされて。城ができて、城の中の者は酒を飲んで、自分たちは外で震えていました」
「こっちは?」
「こっちも……米は出せと言われます」彼は頭を掻く。「ただ、村の堤を直したときに、城から来た人が、『ひどく田を流された家は、取る米を少し軽くすることも考える』と言っていました」
話しながら、自分でも信じきれないように眉をひそめる。
「ただの口約束で、秋になったらどうなるか……」
「だからお前は、誰がいいかを聞いているのではない」柳澄涵は言った。「『一年だけでも、お前の家のことを多く考えてくれる者は誰か』を、問うているのだ」
男は、呆然としたように目を見開いた。
「今、殿を信じる必要はない」柳澄涵は続ける。「まず、自分自身を信じろ。来年の秋、収穫を眺めてみるがいい。ここが約束を守ったかどうか。それで駄目なら、そのとき、どちらへ歩けばいいか、おのずと分かる」
「この先、ただ一つだけ覚えておけ」柳澄涵は言う。「誰のもとで土を耕すかは、その人が、お前の子どもに残す道を、どれだけ考えているかを見て決めろ」
弥助は横で黙って聞きながら、そのひと言ひと言を心に刻みつけた。




