第五十七話 澄斎夜雪・弥助の決意
酒席は、そう遅くないうちにお開きとなった。
本丸から澄斎へ戻るころには、城内の灯の大半が落ちており、道の両側に残っているのは、軒下に吊るした紙行灯がところどころ揺れているばかりだった。
火は風に煽られて、ちろちろと上下する。
澄斎の庭では、松の枝に積もった霜が、さっきよりいっそう重たげに垂れていた。
佐吉は早めに廊下に火鉢を据え、炭を数片、深く埋めておいた。
火の気は表には見えないが、じわじわと温もりだけは膝下に届いてくる。
主が戻る刻限を見計らって、阿久には先に鍋の湯を温め直させる。
襖が開き、冷気が一気に室内へ入り込む。
だがそれも、火鉢の熱に押されてすぐに和らいだ。
「お帰りなさい。」
佐吉は柳澈涵の羽織を受け取った。
「先生、何か召し上がりますか。」
「まずは湯を一杯。」
柳澈涵は火鉢に手をかざし、指先から冷えが抜けるのを待つ。
「弥助は。」
「刀の稽古をし過ぎて、先に寝かせましたよ。」
阿久が椀を運びながら答える。
「これ以上起きてたら、明日の朝、門付けの紙も貼れやしない。」
「明日も早く起こさねばな。」
柳澈涵は笑った。
「今夜のところは、少しでも寝かせておこう。」
味噌汁は豆腐と葱だけを浮かべた素朴なものだった。
柳澈涵はひと匙ずつ口に運び、喉を伝って落ちていく温かさが、腹の底に溜まるのを感じると、身に残っていた寒さはようやく完全に抜けていった。
夜が更け、他の者たちが床に就くと、庭には回り廊下の端に吊るした小さな灯だけが残った。
柳澈涵は羽織を肩に引っかけ、ひとり廊に腰を下ろす。
とうとう雪が降り出した。
小さな雪片が夜の色の中から静かに落ちてきて、老松の枝先に降り、井戸の縁石に降り、廊下の前の石畳に降りる。
初めはまばらな点々だったものが、やがて面を成し、庭全体が薄い白にそっと刺繍されていく。
手を伸ばすと、一片の雪が掌に舞い降りた。
雪はみるみるうちに水滴となって消え、冷たさだけが一瞬、皮膚をかすめる。
信長の「永禄九年、戻ったときにどう申すか見てやろう」という言葉がふと脳裏に浮かぶ。
同時に、近江の小庵で竹中半兵衛がこぼした「竹中は、もう少し長生きするよう努力するしかあるまい」という一言も思い出される。
「近江、京洛、堺……。」
心の中で地名をひとつひとつなぞる。
「それから、まだ名を名乗ってもいない者たち。」
この世の風向きというものは、本来、一国一城に閉じた話ではない。
廊板に、軽い足音が落ちた。
弥助が古い綿入れを厚く着込み、練習用の木刀を抱えたまま、そっと部屋から顔を出した。
「先生、まだお休みじゃないんですか。」
「あの阿久に追い立てられて、寝床に押し込まれたはずじゃなかったか。」
柳澈涵は振り向き、彼を見る。
「布団には入ったんですけど……。」
弥助は頭をかき、居心地悪そうに笑った。
「外が寒い気がして、どうも眠れなくて。」
「外が寒いから、わざわざ出てくるのか。」
柳澈涵はおかしそうに目を細める。
弥助は問い詰められているような気分になり、肩をすぼめながらも、二、三歩進んで隣に膝を折った。
「ほら、雪だ。」
柳澈涵は庭の真ん中を指さす。
「三度目の冬だな。」
弥助は頷いた。
「最初に来た年より、ずっときれいです。」
「最初に来たとき、お前はまだ西町の路地で喧嘩に明け暮れていた。」
柳澈涵は淡々と言う。
「今は雪見なんぞしに出てくる。」
弥助の頬がぱっと赤くなり、小声で言う。
「あの頃は、何も分かってなかったです。」
「今はどのくらい分かる。」
柳澈涵が問う。
弥助はしばらく考え込んでから、答えを探すように口を開いた。
「先生がおっしゃった、『心が先に立っていない刀は、刀も立たない』って言葉は……少し、分かるようになりました。」
「覚えていたか。」
柳澈涵は彼を見つめた。
「弥助。」
「はい。」
「もし、お前を清洲から、澄斎から離して、一年ばかり外を歩かせるとしたらどうだ。見物ではない。戦場の傍らの村を見て、よその国の城門を見て、名も知られない者たちがどう生き、どう死んでいくかを見るんだ。澄斎で何年刀を振っていようと、外に出なければ、その刀はいつまでも木刀のままだ。」
弥助の木刀を握る手に、ぎゅっと力がこもる。
「……戦は、するんでしょうか。」
彼は恐る恐る尋ねた。
「お前は、見ているだけで済むことを望むのか。」
柳澈涵は逆に問い返す。
弥助は口の端を引きつらせるようにして笑った。
「そうなればいいとも思いますし……怖くもあります。」
「怖いほうがいい。」
柳澈涵は静かに言った。
「怖くもない奴は、外に出た瞬間に死に場所を探し始める。」
彼は、この西町の路地から澄斎の廊下まで歩いてきた小童を、真っ直ぐに見つめた。
「無理やり連れ出すつもりはない。」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「年が明けたら、もう一度訊く。怖くても、行くと言うのなら、一年、共に歩こう。怖さに負けるというのなら、ここに残れ。佐吉に帳面を叩き込んでもらい、この屋を守ればいい。」
弥助は唇を噛みしめ、大きく一度、頷いた。
「行きます。……行きたいです!」
「よし。」
雪は降り続き、庭はさっきより一段白く明るくなっていた。
老松の枝には雪の重みが加わり、井戸口には薄い氷が張り始めている。
澄斎の軒は雪に縁取られ、前の年よりも、どっしりと落ち着いて見えた。
この夜、清洲の大半の者は冬の寒さの中で眠りについた。
ただいくつかの家だけは、まだ灯を落とさずにいる。
紙窓の向こうで帳面を付けている者、刀を研いでいる者、来年の河の水位を思い描いている者、そしてこれから踏み出す足が、どの土地を最初に踏むのかを考えている者。
井戸の水は、相変わらず静かだった。
だが、その水面にも、外の風の音がほんのわずかに、染み込み始めている。
永禄八年の道は、紙の上にはすでに半分ほど敷かれている。
残りの半分は、これから人が、自分の足で歩いて描いていかねばならない。
その一年は、柳澈涵が尾張という小さな井戸を離れ、天下の大きな風に向かって歩み出す、最初の一歩になる。




