第三十八話 清洲の雪の茶室・国境は茶の煙のうちに
永禄七年(一五六四年)正月。
大雪は何度か途切れ、軒先の氷柱も次第に細くなっていた。清洲城の人々は新年の挨拶に忙しく、町の呼び売りの声は、朝早くから日暮れまで絶えない。
澄斎の家だけは、その日、珍しく静かであった。
その日の午後、佐吉は阿新、阿久、弥助を連れて出かけ、近隣の家々へ小さな正月の贈り物を届けに行った。庭に残っているのは、石灯籠が一つと、融けきらぬ雪がわずかばかり。
柳澄斎は、ひとり茶室に座していた。
茶室は広くはない。小さな炉の上にかけられた釜が、静かに湯を沸かし続けている。立ちのぼる湯気は狭い空間に満ちて、窓の外の景色をぼんやりとぼかした。遠くには、清洲城の石垣の一角がかすかに見え、そのさらに向こう、小牧山の方角が白くぼんやりと見える。
この一年、彼は山の上で工事を見、美濃の稲葉山の麓で竹林を見、澄斎の家では、数人の平凡な人間の手が少しずつ熟練していくのを見守ってきた。
湯の沸き立つ音が、瓦屋根を叩く細雨のように耳に届く。澄斎は釜の蓋を持ち上げ、茶碗に湯を注いだ。
茶の香りが、次第に濃くなっていく。
窓の外を眺めていると、城壁の線と、そのさらに遠くの山影が、冬の日差しの中で重なり合い、どちらが尾張でどちらが美濃なのか、もはや判然としなくなっていくように感じられた。
彼は紙と筆を取り出し、膝の上にひらりと広げる。そしてしばらく黙したのち、三行を書きつけた。
「清洲 雪に城は満ち、
遠山に灯ひとつ、
国境は 茶の煙に紛る。」
筆を止め、声に出して一度読んでみる。息の流れが途切れていないのを確かめると、紙を折りたたみ、袖の内側へしまった。
いつか誰かが、この三行をある年の印として、どこか知らぬ書物の片隅に書き留めるかもしれない。
だが今のところ、それはただ、澄斎という一人の白髪の若者が、この冬の午後に、自分とこの乱世とのあいだに残した、ささやかな心の響きでしかなかった。
遠くで、城中の太鼓の音が微かに響き、それに混じって、どこかの軒先で遊ぶ子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
柳澄斎は茶碗を持ち上げ、そっとひと口含んだ。
彼ははっきりと分かっていた。この一年の頁をめくったその先から、尾張と美濃のあいだは、もはや地図の上に引かれた一本の線ではない。
それは、一度手をかければ、二度と打ち消すことのできぬ一局の碁となって、動き始めようとしているのだと。




