第二十五話 十年の城・石と人の心
永禄六年(一五六三年)初夏、小牧山の土はすでにすっかり乾ききっていた。
春先に打ち込んだ最初の杭は、今や石の基礎と突き固めた土に包まれ、山の尾根に沿って低い城脚となって一巡りしている。いくつかの櫓を据える位置には白い石灰で印が引かれ、大木が一本ずつ山上へと担ぎ上げられていく。山腹では鍛冶たちが粗末な小屋掛けをし、昼夜を問わず槌を振るっていた――釘、戸の蝶番、甲冑のあて板、そして城門に巻き付ける鉄の隅金。
山麓の田では早稲の苗がすでに植えられ、水面が陽光を受けてきらきらと光っている。そのさらに向こうには、木曽川の水の色と、ぼんやりとかすんだ美濃の山影が重なっていた。
この年を境に、小牧山は尾張の平原に転がるただの土塊ではなくなり、一本の牙として伸び始めたのである。
日が真上に差し掛かるころ、山の風には少し熱が混じり始めていた。
信長は新しく築かれた城脚の上に立っていた。足もとには、つい先ほどまで槌で固めていたばかりの土の道が延びている。城脚の外側には、工程の順番と諸家が受け持つ区画を書き付けた粗末な木札が、いくつも吊るされていた。
「この一帯は森家、その先は柴田。そして犬山の連中は……あの角だな。」
信長は山の斜面に沿って、一つひとつ指差しながら見ていき、最後に北側の、わずかに低くなった石垣の一段に目を止めた。石の積み方は見苦しくはない。だが、どこか一枚だけ、きちんと重みが乗っていないような、不安な気配があった。
「見た目には、まあ及第点だが。」
森可成は目を細めて日差しを遮りながら言う。
「あと数日かけて、石の目地に泥をよく詰めれば、形だけなら立派に見えるでしょう。」
「形が立派でも、中身が伴わねばならぬ。」
少し後ろに控えていた柳澈涵が、しばらく黙って眺めてから、静かに口を開いた。
信長は横目で彼を見やる。
「石のことを言っているのか。それとも人のことか。」
「石垣が崩れるときは、かならず一、二枚の石が先に緩み始めます。」
柳澈涵は言った。
「人の心がばらばらになるときも、まず誰の目にもつかないところから、じわじわと緩み始める。」
そう言いながら、彼はその石垣の前まで歩いていき、つま先で石を軽く突いた。石は揺れず、目地の泥も十分に詰まっている。だが、石の表面には、ごく浅い靴跡がいくつか刻まれていた――職人たちの粗い草鞋の幅広い跡ではなく、兵の靴が残した細い紋様。
「見回りに来た兵は、決まってここで長居をする。」
柳澈涵は靴跡を指さした。
「何度も立ち止まれば、石はやがて踏み磨かれて光ってくる。」
信長はふっと笑った。
「靴跡まで勘定に入れるのか。」
「この数年、澄斎で人間ばかり勘定しておりましたので。」
柳澈涵は、遠く木曽川の方へ目を向けた。
「眼が、つい『違うもの』を探そうとするのです。川向こうでは、我らの旗の本数を数えている者がいます。こちらも見ておかねばならない――本当に殿と共に美濃を斬りに行きたい者は誰で、ただ山の上から眺めていたいだけの者は誰なのか。」
信長はその視線を追い、山腹に並び始めた木杭を見上げた。
「この城を。」
しばし黙っていたが、不意に口を開く。
「お前はどう見る。」
「尾張を守るだけであれば。」
柳澈涵は答えた。
「これほど高く、これほど前へ出す必要はありません。殿が今、お建てになっているのは、『外へ伸びる城』です。」
森可成が口をはさんだ。
「外へ伸びるとなれば、刀の切っ先を、他人の肋骨に押し当てるようなものだな。」
「伸びた切っ先は、日ごとに鋭さを増すか。」
柳澈涵は小牧山の斜面を見渡した。
「あるいは、ある日、誰かにへし折られるか。そのどちらかです。この城は五年、十年は守れましょうが、百年守る城ではありません。この城の役目は、殿が美濃を選ばせるために喉元へ突き立てる刃であって、この山で老後を送るための器ではない。」
信長はこれを聞き終えると、口もとに浮かべていた笑みを、わずかに深めた。
「では、その言葉どおりにしよう。」
彼は山頂の平らな地を指さした。
「本丸は、天守といくつかの櫓が入ればよい。下へ降りる道は、行き来が淀まぬよう、なめらかに通せ。いずれ大軍が出入りする。その足を、自分の城が引っかけてはならぬ。」
「城脚は柴田と森に任せ、城内の治安は丹羽に。」
柳澈涵は、その先を引き取った。
「そして犬山が受け持っている角は……。」
そこで一旦言葉を切る。
「その角は。」
信長が代わりに言葉を継いだ。
「しばらくは、あのままやらせておけ。いくら石をきれいに積み上げても、下の土が空なら、いつかは崩れる。そのときに、どのように崩れるのかを、よく見ておいた方がいい。」
山の上から号音が響き、職人たちは手を休め、兵は交代の列を組んだ。
犬山方の旗が山麓から山を回り込んで登ってくる。隊列は整然としており、足並みも乱れない。ただ、問題の石垣の前に差しかかったとき、誰からともなく、いっせいに山上を仰ぎ見た。
その一瞥が見ているのは、山上の城脚か。あるいは城脚の上に立つ主君と、白髪の軍師か。それは分からない。
信長は、彼らの顔が向いた方角を見ながら、さりげなく両手を背中で組んだ。柳澈涵は視線を引き戻したが、その心の中では、すでに地図の上で、あの石垣の区画を一つだけ、細い円で囲っていた。
その一見何気ない印は、のちに幾人かの者の運命に、避けようのないひび割れとなって現れることになる。




