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戦国澄心伝  作者: Ryu Choukan


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第二十四話 小牧山夜火・人心と旗影

夕刻、小牧山の麓には焚き火の灯りが点々とまたたいていた。


 七百の軽装兵はすでに帰陣し、隊列を整え直している。あちこちの帳では、負傷者の手当てや首級と捕虜の数が記録されている。この一戦の損害は大きくはなかった。多くは川の中で足を滑らせた者や、砦から落ちた木片に打たれた者で、本当に戦死した者は少ない。


 信長は、それほど大きくない指揮帳の中にいた。


 机の上には、美濃の捕虜の身から見つけた粗末な地図が広げられ、柳澈涵が以前に描いたものと照らし合わせて置かれている。


 「今日の一陣は、半ばの勝ちといったところだな。」


 信長は地図の上を指先でとんとんと叩いた。


 「砦は焼き、人は退けさせ、対岸にも一度は怖れを覚えさせた。だが、本当に面白いのは、川向こうではない。」


 「こちら側です。」


 柳澈涵が応じる。


 彼はもう一枚の紙を広げた。そこには行軍中の各隊の集合時刻と行軍速度が細かく記され、いくつかの旗が異なる色で印されている。


 「犬山の隊は、出発が一刻遅れました。」


 柳澈涵は、その一行を指で示した。


 「集合地点に着いたとき、彼らの履き物に付いた土だけが、ひときわ乾いていた。これは途中で道端に立ち止まり、我らの隊が本当に前へ進んでいくのを見極めてから、ようやく重い腰を上げて列に加わった証拠です。」


 「馬の具合が悪かっただけかもしれぬ。」


 信長が問う。


 「馬だけの問題なら、兵たちの顔つきはああはなりません。」


 柳澈涵は静かに答えた。


 「奴らは死を恐れたわけではない。殿のこの『探り』の一戦に、自分の力をほんの少しでも投じることを、惜しんでいたのです。」


 信長はしばらく沈黙し、それから口の端に冷たい笑みを浮かべた。


 「それもまた、よい。」


 ゆっくりと言葉を続ける。


 「壁の根元に巣くう鼠は、まず顔を出してくれねば、薬も撒けぬ。」


 「今日の戦、美濃の様子はどう見えた。」


 「砦の守りは、決して悪くはありませんでした。」


 柳澈涵が答える。


 「だが、その後ろの援軍が、あまりにも長くためらっていた。もしこれが尾張の陽動であれば、本城が兵を出し過ぎれば、どこかが手薄になる――そう恐れて、なかなか川縁まで降りてこようとしなかった。」


 信長は小さく笑った。


 「蝮の体は長すぎてな。頭で尻尾まで、なかなか気が回らぬ。ならば私は、尻尾ばかりを噛んでやればいい。」


 筆を置き、柳澈涵へと視線を向ける。


 「お前にとっては、これが初めての先陣だったな。どうだった。」


 「紙の上で線を引くよりは、少し難しく。」


 柳澈涵は率直に言った。


 「思っていたよりは、いくらか順当に運びました。ここ数年、殿が厳しく兵を鍛えられたおかげで、兵の心はまだ緩んでおりません。」


 「兵の心は散っていなくとも、人の心は、必ずしもそうとは限らぬ。」


 信長は首を振った。


 「犬山の隊は、これからも見張っておけ。いつの日か、やつらがのろのろと遅れるだけでなく、本当に別の方角へと馬首を向けたなら――そのときこそ面白くなる。」


 「承知。」


 柳澈涵は頭を下げた。


 彼が帳から出ようとしたとき、幕の外にはすでに数人の影が待っていた。


 柴田勝家は焚き火の傍らで腕を組み、鎧はまだ着けていないのに、鎧を纏っているとき以上の重さが漂っている。柳澈涵の姿を見ると、短く「ふん」と鼻を鳴らした。


 「先陣は乱れず、退きざまも乱れず。七百を川べりから一人残らず連れ帰る――そうそう見られるものではないな。」


 森可成は朗らかに笑った。


 「あの砦の火は実に見事だった。あれを見て、川向こうの連中は足の裏が冷たくなったろうさ。別の頭が指揮を取っていたなら、十中八九は河原で斬り合いが楽しくなって、退くのを惜しんだに違いない。」


 前田利家はまだ血の匂いを纏っていたが、目には一抹の敬意が宿っていた。


 「先生が岸で鈴を鳴らされたとき、俺はちょうどいちばん血が上っていたところで――。後で考えれば、あのまま追い込んでいったら、今ごろこの姿で戻れたかどうか怪しいものです。」


 柳澈涵は手を合わせて礼をした。


 「諸家の兵が、よく鍛えられ、号令に従ってくれたおかげです。」


 柴田は鼻を鳴らす。


「号角が正しく鳴らされてこそだ。兵がどれほどよく聞こうと、吹くべき時に吹けぬ者が吹いては、何の役にも立たぬ。用兵というもの、少しは分かった。」


 木下藤吉郎が、利家の肩越しに首をにょきっと伸ばして笑った。


 「拙者、先生は澄斎で河山を描いておられるばかりかと思っておりましたが――今日初めて知りました。先生は人を駒のように並べるときも、なかなか恐ろしいお方だと。」


 「恐ろしい、とは。」


 森可成は笑いながら叱りつけた。


 「それは褒め言葉だ。」


 一同が言葉を交わしていると、帳の幕がめくれ、信長も外へ出てきた。焚き火の光がその瞳に映り込み、明滅していた。


 信長は一人一人の顔を順に見て行き、最後に柳澈涵のところで止めた。


 「今日の先陣は、押さえるべきを押さえ、焼くべきを焼き、見るべきものを見た――それが、私の欲しかった戦だ。」


 そう言ってから、もう一言を付け足した。


「これから先、大きな陣立てのときは、前にももっと頻繁に立ってもらうことになる。」


 その一言が加わったことで、一同の胸の内には自ずと一つの思いが固まった。


 ――今日の一戦は、美濃を試すためだけのものではない。主君自らの目で、「柳澈涵が兵を率いたときどうなるか」を見るための戦でもあったのだと。


 夜が更けると、山の斜面を通り抜ける風が、わずかに川の冷気を含んで帳の外をなでた。


 小牧山では、春先に打ち込まれた最初の杭がすでに立ち並び、松明を掲げた職人たちが暗闇の中でせわしなく動き回っていた。槌の音、木を打つ音、遠くの陣から聞こえてくる笑い声や罵り声が、夜の中で混じり合う。


 この出兵は、天下を震わせるような大勝利をもたらしたわけではない。その代わりに手にしたものは、地から立ち上がろうとしている一つの新しい城の姿、美濃の兵力をより詳しく描き直した地図、そして――尾張の中で、まだ表には出ていない名の連なりだった。


 「来年、風が強くなるころ。」


 柳澈涵は斜面に立ち、遠く稲葉山の影を眺めながら言った。


 「最初に揺れ始める旗がどこかは――今日、この一戦の中で、皆が自分をどこに置いたかで決まるのでしょう。」


 その夜、小牧山の焚き火は、木曽川の一帯の水面を照らし出した。


 のちに史書はこう記すことになる。尾張のある傍系が、やがて本当に叛旗を掲げて美濃に走り、最後は信長によって根こそぎ断たれたこと。


小牧山城が、わずか数年のうちに、稲葉山へと突き立てられた鋭い楔となったこと。


 だが、この年の早春に、人々の目が捉えていたのは、ただ一つの「大きくも小さくもない」河畔の小戦に過ぎなかった。


 ただ、小牧山の上に立っていた二人だけが知っていた。


 それが、柳澈涵にとって、紙の上に描いた局面を自らの手で一歩前へ押し進めた、最初の戦であったこと。


 そしてまた、それが織田信長にとって、美濃を正面から睨み据えるためだけに築かれる一つの山に初めて立ち、自らが呑み込もうとする土地を見渡した、最初の瞬間でもあったのだということを。

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